風に乗る

 予想通り、彼らは夜間に奇襲を受けたらしい。

「敗走と言えば敗走なのかもしれない。全軍バラバラに逃走した」

 聞けば、合流地点だけを決めて小隊ごとに逃げたらしい。その中でもこの男は総大将の身代わりを買って出た。

「最初はもう少し人数がいたのだが、結局最後は私だけだ」

 自嘲をまざまざと表情に乗せて、祖伯元は言う。

「東に1日で陽人と言ったな。ありがとう、礼はまた改めて…」

「その前に一つ確認するが、孫軍を急襲したのは董軍の誰だ?」

 幸音は、問うた。

 馬で1晩の距離は、徒歩でもさほど遠いわけではない。

 そのような場所が戦場となったのであれば、この集落も危険だ。

 村というわけでもない、年老いた数名が掘立小屋で住んでいる程度の集落だが、だからこそ戦場が近いのであればなす術もない。

 幸音や華音とて戦う術は持ち合わせているが、それでも軍に敵うわけもない。今回とてたった10名程度、それも意表をつけたから被害がなかったに過ぎない。

 そのような事情を話せば、祖伯元はゆるく首を振った。

「詳しいことはわからない。ただ、騎督という声は聞いた」

 祖伯元の答えに、2人は天を仰いだ。

 心当たりがある。

「…多分それは、呂騎督ではないかな…呂布、字が奉先。最悪以外の何者でもないな」

 呂布と言えば後年その武力で右に出るものはいないとまで言われる将だ。

 下手をすれば呂布1人で孫軍の諸将を獲ってしまえるのではなかろうか。そうなって仕舞えば、一兵卒に勝ち目などない。

 付け入るとすれば、彼の浅慮ぶりだろうがそれでも軍略を担当する将がついていないとは思えない。

「合流地点は陽人と言ったな。どうしようか、華音」

 妹は幸音よりもこの辺りの情報に詳しい。

 祖伯元は詳しい情報など持ち得ない。

 さて、どうするべきか否か。

 姉の問を受けた華音は、幸音の苦悩などものともせずに。

「手を貸せば良いのよ」

 笑って宣ったのたまった



「陽人には呂布と胡軫が来ているけれど、呂布は胡軫を嫌っていて、確か正確な情報を渡さないのよ」

 だから、敵は呂布の直属軍のみと考えればいいと華音は部屋で荷造りの手を止めることなく言った。

「陽人に出て来ている董軍は呂布、胡軫、華雄が名前の残ってる将。孫軍は陽人で華雄を討つ」

 華音は補充した矢を背負うと、立て掛けていた剣を腰に佩く。

 幸音も腰の剣はそのままに、槍を担いだ。

「孫軍は陽人城の守りを固めていたけれど、呂布が胡軫を嵌めて撤退しかけた所を攻撃したんだったと思うわ」

「それ、どっちにしても呂布とは戦う未来しか見えない」

 溜息混じりの応答に、華音は笑った。

「どうしようもないけど、こちらが死ぬ前に撤退して貰えばいいのよ」

 呂布が望むのはおそらく孫堅の首だろう。

「所詮私の情報は玉石混淆だもの。だけど、多分呂布は孫堅が出たと言えば、そちらに出向くでしょう」

 あとは呂布を撒いているうちに華雄を討ち取れば、胡軫が引きずってでも撤退するだろう。

「そううまく行くかね」

「私、結構孫堅軍は評価していてよ」

「他は評価していないみたいだな」

「劉備軍は大嫌い」

 語尾に何やら愛らしい記号が付きそうな勢いだな。

 幸音は肩を竦めると、外で待つ祖茂に合流すべく扉を開いた。

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