☾︎ 月の鼓動とその満ち欠けに ☽

 読書コミュニティのオフ会から帰ってきた夜、教えて貰った『カクヨム』を見るつもりだったのに、何となく身体が怠く、早々と横になってしまった。


 夜中に目が覚めると変な寒気がする。

 少し前に咳と鼻水が出ていたけど、葛根湯で治まっていたので油断したのが良くなかったんだろうか。

 起き上がろうとして酷く咳き込む。

 口の中がカラカラに乾いて鼻から息ができない。

 身体の節々が痛くて、やっと何とか立ち上がる。

 フラフラしながらも、気持ちの悪い口の中を何とかしたくてする。

 それからペットボトルのお茶を震える手でコップに入れて、少しずつ飲む。


 これはまずい状態だと今までの経験から本能が告げる。

 体温計で測ってみると案の定39度。

 平熱が35度8分くらいのわたしにとっては辛い熱だ。


 迷ったが、朝まで待たずに馴染みのタクシー会社に電話してタクシーに来てもらうことにする。

 部屋着の上にコートを着てマスクをしてから、財布とスマホに保険証とおくすり手帳、それにタオルと(念の為に)着替え、ベットボトルのお茶を手提げ袋に突っこむ。

 そして、タクシーを待った。


 この辺はのだ。

 良いのか悪いのか別にしても、わたしは変なところで精神力を発揮することがある。

 ここまでは何としても倒れてはならぬ、意識を無くすようなことはならぬというがかかる時。

 これは、いつも発揮される訳ではない。


 *


 以前、病院で用足しトイレ後に、物凄く具合が悪くなった事があった。

 ほとんど目の前が暗くなる中で、横にある緊急ボタンを押すよりも、わたしが思ったのは『とにかく下着を上げなくては』だった。

 そして、渾身の力を出して下着をずり上げた。

 大馬鹿モノである。

 生死とまでいかなくても、この後に及んで、オバチャンがどんな格好で倒れていようが、他人は気にも留めないだろうに。

 それでもやっぱり灰になるまで女は女。

 緊急ボタンを押したあと、精魂尽きたわたしの意識はそのまま沈んだのだった……。


 *


 タクシーのクラクションで我に返る。

 少しウトウトしていたらしい。

 しっかりと戸締りをしてから、タクシーに乗り込む。

 救急病院まではそう遠くないのが救いだ。


 救急病院では有難いことに、さほど待たされずに、受診することができた。

 着いてすぐの問診で前もって症状も言っていたので、とにかく別室でインフルの検査を受ける。

 その間に吸入をしてもらって、こころなしか呼吸が楽になった気がした。

 それから、肺炎を起こしてないかを調べる為に胸のレントゲン。


 結果はインフルでは無くて、まだ肺炎も起こしてなかった。心底ほっとする。


 点滴を受けながら、薬を出してもらうことになり、この点滴が終わったら帰ってもいいですよとの事。


 帰りのタクシーで家に帰りついた時には、もう朝になろうとしていた。


 *


 それからの数日は、ひたすらに眠る、目が覚めて枕元に置いているお茶を飲む、薬を飲む。たまにトイレに行ってはまたフラフラと布団に舞い戻る。この繰り返し。


 身体がキツイから気持ちも滅入る。悪いことばかり考えて、それを跳ね返せる力も出ない。理屈じゃ無いんだ。人間の、自分の弱さを思い知る。


 二日目夜くらいに缶詰の桃缶があったのを思い出して、ズリズリ這い出して桃缶を開けて(缶切り無しOKのやつ)缶のままフォークで貪るように食べた。

 こんなに美味しかった桃缶は無かった。

 身体中に沁み渡るようだった。


 少し人間らしくなったのは食欲が出てきた四日目の朝だったろうか。


 軽い咳はまだ、出ているが、鼻詰まりは良くなって、たまに鼻をかむくらいになった。


 白菜と小松菜を入れて、クタクタ柔らかめに煮たうどんは優しく胃の腑に落ちてきて、わたしを温めてくれた。


 *


 今回の体調悪化は、まだ咳き込みや鼻水があったのにもかかわらず、ある程度、治まったことで油断してしまったのが良くなかったのだと思う。

 いい歳をして情けない教訓と共に、こうして、ほぼ一週間をかけての、わたしと風邪との戦いは何とか終わりを告げたのだった。


 ***


 ──それから三日後


 わたしはまだ気力が戻りきれないでいた。

 ここまで心身が後をひいてしまうのは久しぶりかもしれない。


 今夜は雪が降ってきて冷え込みが厳しいので、何か温かいものをと、ウインナーとベーコンにジャガイモ、ニンジン、タマネギ、ブロッコリー、野菜をたっぷりと使ってポトフを作った。

 ふうふうと熱々のポトフを食べると汗ばんでくる。でもお陰で身体は、すっかり温まった。

 おっくうにならないうちに、洗い物を手早く済ませる。

 片付け終わった後、お気に入りの大ぶりの湯呑に並々と熱い緑茶を注ぐ。


 *


 そうだ。そういえば

 オフ会の帰り道、樹さんと話していて、『カクヨム』という小説投稿サイトの存在を教えてもらったんだっけ。

 すっかり、この風邪騒動で放ったらかしになっていたことを思い出す。


 スマホには樹さんからの心配そうなメールが何通も入っていた。

 申し訳ないことをしたなと、風邪の件と寝込んでしまっていて連絡をする余裕が無かったお詫びをメールで送っておく。


 それから改めてネットを立ち上げて調べてみた。


 カクヨム……と。

 ああ、此処ね。

 樹さんが言っていたように基本、小説(流行っている異世界ファンタジーなど)を書いている人達が多いけど、小説でも色々なジャンルがあるし、詩や童話、エッセイなどを書いている人達も沢山いるのね。

 何だか嬉しくなってくる。

 こういう投稿サイトは初めてだけど、使いやすくて、わかりやすい感じだ。


 久しぶりに新しい挑戦をする時はワクワクするけど、その分、不安もある。けれど此処なら作品公開してみてもいいかも、と思えた。


 思い切って登録をしてみる。

 ジャンルを『詩・童話・その他』にして、あとは……最初の投稿になる詩集の題名を決めて……と。

『【詩集】月の道標 』

 これでいいかな。


 果たして読んでくれる人は、いるのだろうか。

 ううん、こうして書く場所を得られただけでも有難いんだから、この上、欲張っちゃ駄目だ。

 そんなことを考えてドキドキしながら作品公開する。


 作品公開をした後で、他の公開されている作品を読みに行ってみる。

 驚いたのは、そのレベルの高さ。プロと言われても遜色のない作品が各ジャンルで目白押しだ。

 これが無料で読めてしまうなんて。

 久しぶりに夢中で貪るように読んでいると、いつしか時間は過ぎて深夜になっていた。


 *


 それからわたしは仕事の合間に『カクヨム』に入り浸った。


 樹さんの作品も読ませてもらって、わたしの作品も読んでもらって、としているうちに、他にも少しずつ言葉を交わす人が増えていき、作品を通してカクヨムでの親しい友達もできた。

 自分の作品を読んで貰うだけでも嬉しいのにコメントまで……有難い、感激する。


 文字だけの世界というのは意外にも人の本質というものが滲み出てくる。

 それは不思議なことでもあったけれど、納得出来ることでもあった。

 顔を知らなくても精神の世界で友情を結ぶことはできる。リアルな現実世界は勿論、大切なものだけど、この心と心で話すことが出来る空間もまた、尊いものだとわたしは思う。


 此処には色々な作品があって、それぞれに作者の熱量が溢れている。

 刺激を受けて、わたしも詩だけでなくて、エッセイや、掌編、短編などを書き出すようになっていた。


 自らの言葉を生み出していく喜び。新しいことを始めること、人の中に交わっていく楽しさ。

 忘れていた久しぶりの感覚だった。


 いつもの散歩道をゆっくりと歩きながら、気がつくとわたしは詩や物語のことを考えていて、そんな自分に笑ってしまう。


 *


 あれから樹さんとは何度かお茶をした。

 お互いの創作論や読書コミュニティのことなど楽しく、いつも話は尽きない。趣味が同じだから話は弾む。読書仲間として、創作仲間として、この歳になって友人と呼べる人を得ることができるとは思わなかった。

 少しずつ親しくなっていっているけれど、これからどんな風に関係が変わっていくのか、それともこのままなのか、まだわからない。


 でもそれは、自然にまかせていればいいような気がする。


 最近のわたしは少し吹っ切れたのかもしれない。

 何かのくびきから解き放たれたように。


 自分自身、何処でどうなるか、こればかりは誰にもわからない。

 後悔しない美しい生き方ができる人も、中にはいるんだろう。

 でも、そんなスマートな生き様は少なくとも、わたしのものではない。


 ***


 そうだ、囚われる必要は無いのだ。

 そうしてまた、無理に忘れる必要も無いのだ。


 今は頼りなく欠けている月も、また満ちていく。

 凍った月が少しずつ、とけはじめているような気がした。

 繰り返しているようで、それは全く同じでは無く、その度に生まれる。


 満ち欠けを繰り返しながら、人は常に再生していく。

 誰かの幻想を崩さない為に生きるなんて、そんなのは滑稽だ。


 わたしは誰のためでもなく、わたし自身の為に人生を歩いていきたい。

 どれほどみっともなく、沢山の人達の美しい想い出の幻影をぶち壊しながらでも。


 息を胸いっぱいに吸って、それから胸の中の溜まった澱を思い切り吐いて。


 ***


 今日も、いつもの散歩道を歩く。

 空気は澄んで冷たく呼吸を楽にしてくれる。

 昨日の雪が薄らと残っている、まっさらな道に、わたしの足跡がついていく。

 立ち止まって空を見上げる。

 今日は雪も止んで青空がのぞいている。


 もしかしたら、いつか誰かと一緒に、この道を散歩する日が来るかもしれないし、来ないままかもしれない。


 それは、これからのこと。

 どの道を行くのかを選ぶのは、わたしだ。

 そして、この道が何処に繋がっているかは、誰にもわからない。


 *****


 ──夜


 これからの人生、まだまだやりたいこと、興味のあることは沢山ある。

 少なくとも心はどこまでも自由なんだ。

 いくつになっていても、それは変わらない。


 窓を開けて月を見ながら、そんなことを考えたりする。


 月は柔らかにほどけた明かりでわたしを照らしながら、『今頃、気がついたのかい?』と微笑んでいるようにみえた。



 ──了 ☽︎‪︎.*·̩͙‬──

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凍った月を抱きしめて つきの @K-Tukino

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