凍った月を抱きしめて
つきの
☾ 止まった時間と囚われの月 ☽
「貴女達カップルは、私の青春の理想そのものだったの。彼が亡くなっても貴女が、あの頃のままだと聞いて、ほっとしたわ」
久しぶりに受けた学生時代の友人からの電話。全てが好意からの言葉なのだということは、わかっている。
穏やかに受け答えをしながら、それでもわたしは気持ちが冷ややかに
想い出というのは時に、人を、人の心を静かに殺していく。美しいものだと周囲は勝手にいつまでも理想を重ねる。忘れないこと、変わらないことを無意識に望まれる。
変化は、その人達にとっては無意識の裏切りなのだろう。
そんな日々の中で、わたしはどんどん
*****
若くして夫が亡くなってから、二十年近くになる。
わたし達夫婦に子供はいなかったから、わたしはあれからずっと、親の遺してくれたこの山の家で一人で暮らしている。
車も持たないので、不便でしょうと人からは言われるが、慣れればそう感じない。
食料品の買い出しは大きめのリュックを背負って、日のあるうちに行って帰って来れば良い。一人暮らしの身には、それで事足りる。
今はインターネットもあるし、そういう意味では防犯上もずっと良くなった。
小さな菜園では自分が世話出来るだけの食べるだけの野菜を育てているし、重い飲み物は、まとめてネット注文すれば届けて貰える。
たまに持病の検診で病院へ行くのが唯一の遠出くらいだ。
ネット環境が整ってからは、昔の
*
何よりも、わたしはこの家が、場所が好きなのだ。
舗装されていない地面は土の感触をそのまま足の裏に伝えてくれる。
清浄な空気、四季折々の景色。
いつもの散歩道は木々の
鳥の
*
夫が亡くなって、諸々のしなくてはならない手続きや後始末が終わってから、わたしはそれまでの全ての人間関係から遠ざかって、此処に来た。
人相手の仕事をしていた夫は、交友関係も広く、家族ぐるみの付き合いも多かった。気を遣うことも多かったけれど、良くしていただいたと思う。
ただ、色々な事で疲れきっていたわたしは、とにかく一人になりたかった。
申し訳ないけれど、諸々の人間関係や人付き合いというものにも好んでまで残したいものは多くなかった。
年賀状も年々減らしていって、いつしか、全てが途絶えた時にやっと、わたしは世間のくびきから解き放たれた気がした。
そして暮らしていくうちに思ったのは、わたしは一人でも結構大丈夫な人間なのだなということだった。
付き合っていた頃の若いわたし達を知る人が抱き続けているイメージは、ひたすらに懐かしさに優しいフィルターをかけているものばかり。
結婚後のわたし達しか知らない人は、睦まじさは知っていても、わたし達の内にあった
どれも、他人がその位置から見えるわたし達で、それは間違いではないけれど、それが全てではない。
そして、どちらの人達も『変わらないで此処にいるわたし』を確認しては安心する。
久しぶりの昔の友人からの電話は、それを改めて深くほろ苦く思い出させた。
*
夜、データ入力の仕事が一区切りついた後、今度はネットの趣味の読書コミュニティサイトにアクセスしてみる。
実はこのコミュニティは地元の昔の仕事仲間が、わたしの読書好きを知って、誘ってくれたのがきっかけ。
当の知人は、いつの間にか足が遠のいてしまったけれど、わたしは水が合ったのか、ずっと続いている。
とはいっても、此処ではあまり積極的に書き込むことは無く、皆の感想を読んだりして時々、話に加わったりするくらい。
あとは、これまた不定期に開催されるオフ会に
こじんまりとした10人前後のコミュニティは若干の人の出入りはあるが、それもまた簡単な挨拶だけで済むし気楽だ。
勿論、普通の常識的な守るべき
オフ会参加は当たり前だけど自由だし、変な力関係も強制力もなく、その、ゆるさ加減も長く続いている秘訣かもしれない。
*
其処でのわたしの名前は『
このコミュニティでは皆、自分の好きな漢字一文字をハンドルネームにしている。
そして、その中に『
コミュニティでの樹さんは、自分の好きなものや自分というものは、きちんと持っているけれど、他人の意見にも、ちゃんと耳を傾けることのできる人という印象。
此処は比較的、年齢層が高いせいもあってか、程よく落ち着いた穏やかなコミュニティだけど、その中でも話の合う人達の一人だった。
そして、オフ会で実際に会った樹さんも、男性で思っていたよりも若かった(とはいえ、40代前半だから、わたしからみればというだけ)という以外はコミュニティでの印象通り。男性だったのは意外だったけど、これはお互い様というか、話題は本の事ばかりだから、性別も年齢もあまり意識はしない。
そうして、わたしは、もう新しく得ることは無いだろうと思っていた実生活での友人を、このコミュニティで思いがけずに得ることになった。
*
それは半年ぶりくらいに開かれたオフ会の帰り道だった。
この時の参加人数は6人ほどだったから、そこそこに多かった。
男性は『
今回は初参加の人がいるので、一応、簡単ながら自己紹介をし合う。
『和』さんと『紬』さんは60代の仲の良いご夫婦でいつも一緒に参加されている。
一人娘さんはもう結婚されて、ご主人とお孫さんと三人、都会で暮らしているらしい。
『鈴』さんと『舞』さんは30代。小学生の男の子のママ友さん。
今回、初参加。
子供に絵本の読み聞かせをしているうちに、すっかり自分が本の魅力にハマってしまい、童話から、今では小説まで読むようになったと、笑って話していた。
そして樹さん、
「40代、サラリーマンをしています。母ひとり子ひとりでして……母と二人暮しの独身です。昔から本が好きで、こちらの読書コミュニティに参加させていただいていますが、実は少し前から密かに休みの日には書く方もしていまして……」
皆が、ほう! というような顔をして、樹さんに、どんな作品を書いているのか、とか、何処かに公開したりしてないのか、など聞いている。
おや? と思った。
何度かのオフ会で年齢やお母さんと二人暮しなこと等は聞いていたのだけど、執筆活動をしていたとは初耳だった。
そして、密かにドキリとした。
実はわたしも密かに『書く』ことをしていたから。
*
わたしはずっと前から詩を書いていた。
近年はブログを開設して、細々と書いてはスマホで撮った写真と一緒に公開したりしていたのだけど、今度、そこのブログ自体がサービス終了をする事になり、移行先を探しているところなのだ。
今は投稿サイトも色々あるから、登録して端っこでも、ひっそり書けたらいいな、なんて思ったりもしている。
誰にも秘密の、わたしのもう一つの趣味。
勿論、読書コミュニティの皆にも話したことは無い。
*
この日の帰り道、『和』さんと『紬』さんご夫婦も『鈴』さんと『舞』さんのママ友さん達も逆方向だったので、わたしと樹さんは二人で肩を並べて帰ることになった。
今、読んでいる本の話やなかなか手に入らないでいる絶版本についてなどの話をした後で、ふと樹さんが照れたように
「いやぁ、今日はついつい口が滑って、お恥ずかしい」
と言った。
「驚きました。樹さんも書かれていたんですねぇ」
そう、答えたわたしに
「樹さんもってことは、もしかして月さんも?」
あっ! と思った時は遅かった。
わたしの方が口を滑らせて
参ったなぁ。
「秘密にしてくださいね。恥ずかしいから……」
人差し指を唇にあてて、お願いをする。
樹さんは笑いながら、同じように人差し指を唇にあてて
「了解です」
と言った。
「僕は先程、皆さんにも白状したように、ちょっと不思議な話とか、現代ドラマなどを書いているんですけど、月さんはどんなものを?」
「その……詩、なんです」
何となく気恥ずかしくて、下を向いて答える。
「へぇ、月さんの作品、読んでみたいな。公開はされてないんですか?」
「いえ、一応ブログで公開はしていたんですけど、そのブログサービス自体が無くなることになっちゃって。今、移転先を考えている所なんです」
「そうなんですね。ああ、そうだ! なら僕も最近始めたんだけど、小説投稿サイトはいかがです?」
「投稿サイト……ですか、実はそれも考えていたんですけど、樹さんが利用されている所はどうです? 詩とかでも投稿できるのかしら」
「ええ、詩の投稿されている方も沢山いらっしゃいますよ」
「そうなんですね。それで、その小説投稿サイトって何ていう名前なんですか?」
「『カクヨム』という投稿サイトです。KADOKAWA × はてながやってる……」
***
それが、わたしが『カクヨム』を知ることになった最初の出来事だった。
でも、わたしが本格的に『カクヨム』に参加するようになるには、まだ、あと少し時間がかかる事になるのだけど……。
その時はまだ、そんなことは思いもしなかった。
── 後編へ続く☽︎︎.*·̩͙ ──
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