後編

 

 なおみちゃんは平然とした顔で、平気で嘘をつく子供だった。


 どうして私がそれを知っているかと言うと、嘘をつかれてとても嫌な目に遇ったからだ。


 その事は、私の人生感をその後ガラリと変えてしまう程の出来事だった。




 でも、なおみちゃんにとっては、直ぐに忘れる様などうでも良い事だったらしい。


 


 小学校4年生から6年生と三年間、小学校の時に私は剣道を習っていた。


 その地区には六剣会と言う剣道のクラブがあり、小学校の体育館で剣道を教えてくれていた。六日市という地名なので六剣会と言う名前にしたそうだ。


 ○日市と言う名の地名は、昔、その決められた日にちに市が立っていて、市が行われる日にちがそのまま地名に残った為、今では同じ名前の町が彼方此方にあるのだと聞いた。


 二日市、三日市、五日市という様に。色々だ。


 その六剣会では、週に二回、午後六時から一時間程小学生に剣道を教えていた。


 その後の、午後7時から午後8時までは、中学生以上が一時間程剣道を習う様になっていた。


 私の居る小学校では、4年生で剣道を習っている女子は、私となおみちゃんの二人だけだったので尚更仲良くしていた。


 なおみちゃんの事は好きだったし、剣道も好きだった。そう、私は。


 そして、同じ小学校では6年生に4人程女子が剣道を習っていた。


 当時、二つ上と言うと、かなり年の離れた上の人というイメージがあったものだが、その4人のうち一人がとても嫌な女子だった。


 他の3人はそんな事はないのだが、一人だけ、とても嫌な感じで、私にだけ意地の悪い事をするのだ。


 私を見て、ニヤニヤ笑ってコソコソ話をしたりされると、すごく嫌な感じがする。


 大体において仲の良い一人の同級生の女子と一緒にそれをするのだけど、もう一人の方は付き合わされていると言った具合で、一人の時には私には興味が無い様子だった。


 いつもそのニヤニヤをされたり、悪口を言われたりするのは、体育館の女子更衣室だった。閉じられた場所なので、大人は入って来ないからだろう。


 剣道着に着替える時にニヤニヤ、クスクスという奴をやるので、なるべく一人では入らないように気を付けていた。


 その日は、着替えに入ると、その嫌な六年生の女子と、なおみちゃんが二人居た。だから、まあ大丈夫だろうと思った。秋も深まり少し寒くなり始めていた頃だ。


 すると、いつもの様に、意地悪な目付きをして、その6年生の女子はスナック菓子の袋を持って私の所にやって来た。


「ねえ、これあげるよ」


 その6年生の女子は、袋の中からスナック菓子を摘まみ私に渡そうとした。でも私にしてみれば、すでに嫌な感じ満載だった。私は昔から勘だけは働いたのだ。


「いらない」


 私ははっきりそう言った。


 すると、なおみちゃんが言ったのだ。


「ねえ、ゆりちゃん、大丈夫だよ。私さっきそれ貰って食べた。美味しかったよ、食べてごらんよ」


 ふにゃりと笑いながら、なおみちゃんはそう言った。なんの悪意もない普通のなおみちゃんの笑顔だった。


 私はなおみちゃんの事が好きだった。仲良しだと思っていた。だから、彼女にそこまで言われると仕方がない。


「ありがとう」


 そう言ってスナック菓子を貰い口に入れた。


「あはははは」


 すると六年生の女子は急に笑い始めた。


 なおみちゃんは、笑って、私にこう言った。


「あのね、ゆりちゃん。そのお菓子、Cさんがさっき足で踏んでおいたんだよ、アハハハハハ」


 面白くてたまらないという風に、お腹を抱えて笑うなおみちゃんだった。


 ・・・なおみちゃんにはそれがそんなに面白い事だったのだろうか?


 足で踏んだ食べ物を騙して食べさせるのがそんなに?



 自分がそうされたらどう感じるのだろうか?私には理解出来なかった。


 なおみちゃんが、友達だと思っていたけど、そうじゃなかった。


 そう思っていたのは私だけだった。



 ぽっかりと黒い穴の中に落ちた様な気がした。


 なおみちゃんは、足で踏んだお菓子を私に食べさせても平気だったんだ・・・。



 何かがガラガラと崩れて行く様な感じがした。


 私は泣きも怒りもしなかった。しなかったのではなく出来なかった。



 でも確かに、私の心は、壊れる程に『慟哭』したのだ。


 

 その時、もしかしたら、なおみちゃんには、私が傷ついたように見えなかったのかもしれない。

 

 剣道は素足でするから、床の上で丹念に汚れた足で踏んでおいたらしい。そうなのか。


 でも、そのお菓子を食べたのは、私がなおみちゃんを信じていたからだ。


 別に食べたくも無かったし、食べる必要は無かった。だけど、食べたのだ。


 なおみちゃんが、「食べてごらんよ」と言ったから。

 

 私はなおみちゃんの、ふにゃりと笑った顔が好きだった。



 

 なおみちゃんは、当たり前の様にその日以降も、学校で顔を合わせても何事も無かったかの様な様子だった。


 学校でも、剣道でも。全く何事も無かったように、いつも通り私に接した。


 ふにゃりと笑って楽しそうに話しかけて来るのだ。



 でも私はあの日、何処かが壊れてしまった。朝まで悔しくて、悔しくて眠れなかった。悲しくて哀しくて、その気持ちをどうしてどこに片付ければ良いのか分からなかった。だから壊れてしまった。


 でも、翌日、小学校でなおみちゃんは、何事も無かったかのように、全く普通だったのだ。


 その事が、許せなかった。



 それからずっと、ずーっと、夜、何度もあのなおみちゃんの笑った顔を思い出しては、眠れなかった。


 あの時の、なおみちゃんの表情や声が頭の中に焼き付いている。


 繰り返し、繰り返し、私の記憶の中で、なおみちゃんは私に足で踏んだお菓子を何度も食べさせた。



 その後、私は剣道は止めなかったし、なおみちゃんとは何事も無かったかのように小学校でも接した。


 6年生はすぐに中学生になり、通わなくなったけど、私にとってその6年生が問題なのでは無かった。


 なおみちゃんの、あの、行為が許せなかったのだ。


 それでも、一言でも『ごめんね』と言われたら、あの時、少しは違う感情が生まれたかもしれない・・・。


 だけど、そんな言葉が出て来る事はなかったのだ。




 中学校でも、高校でも、大学を卒業してからも、何度か高校のクラス会をしても、何事も無かったかのように私は彼女に接した。でも心の底にはずっとグルグルと渦巻く黒い感情が燻っていた。


 社会人になり出会う事があれば、笑顔で挨拶を交わし、普通に話をする。


 彼女は、臨床検査技師になり病院に勤務していた。大きな電力会社の系列の病院で働き、社内結婚したらしい。


 子供も早くに出来て、クラス会に連れて来ていた。その時もその子を可愛い可愛いと皆で可愛がった。


 だけどその後、よくある話で、なおみちゃんは同居していた旦那の母親と性格が合わなかった事で、結局、子供を連れて離婚したと聞いた。母一人子一人の家に嫁いだらしい。


 へえ、そうなんだ。私は思った。地元なので、情報網から色々な事を流れ聞くのだ。




 その後、なおみちゃんは、再婚した。でもその相手と言うのが、元の旦那だと言う。


 元々、結婚した時も、弟二人に猛反対されたそうなのに押し切って結婚したという。


 今度の結婚は、前の旦那から、同じような事は繰り返さないので、もう一度一緒になって欲しいと頼みこまれて再婚したと聞いたが、後日、また別れたと聞いた。


 そうなんだ。と、私は心で嗤った。どうでも良い事だ。それを聞いたからと言って心が晴れる事はない。


 あの秋の日に、私の心が真っ黒に染まった日から。


 毎日、毎日。なおみちゃんの笑ったあの顔を一度も忘れた事がない。



 私はあの時、あれから、誰も信じられなくなった。


 人の笑顔の下にはどんな顔があるのか分からない。


 一度壊れた心は元には戻らない。


 ずっと、心の隅で濁った思いが燻っている。


 あの時からずっと、ずーっと。



 お前なんか、酷い目に遇えば良い


 不幸になれ


 悲しい目に遇え


 大切な人に裏切られれば良い

 

 絶対幸せになるのは許さない


 不幸になれ


 不幸になれ


 不幸になれ


 不幸になれ


 幾度も何万回も


 何十万回も繰り返す


 毎日毎日・・・


 今でも思わない日は無いのだ


 


 

 


 


 

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一念化生(いちねんけしょう)-なおみちゃんは、知らないー 吉野屋桜子 @yoshinoya2019

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