第2話 噂話

 近隣の村で一番近いのは南に位置する『トロトン村』。海のように広い湖に寄り添うように規模を広げるこの村は川魚料理がとにかく美味しいと言われている。漁業も捗っているらしく移民も増えていて、もうすぐ町として名称を変える一番の発展途上地だ。

 人気の多い中央広場を横目に宿屋へ入る。チェックインを済ませて外に出ると、まもなく陽も落ちそうになっていた。それでも賑わいの声が絶え間なく聞こえるのは、この村に活気が満ちているということだろう。


 情報収集も兼ねて食処に足を運ぶ。空いているカウンター席に腰を落ち着け、メニューから魚の煮付けとサラダを注文。待っている間、運良くこの村の漁師らしき男が横に座っていたため話しかけてみた。


「ごめんなさい。貴方はこの村の人?」

「んぁ? 誰だい嬢ちゃ······ってその勲章! あんたが帝国の勇者様かい!」

「ええ、少し聞きたいことがあって」

「何でも聞いてくれ! 勇者様と話せるなんてそれだけで疲れも吹き飛ぶってもんだ! それもこんな美人さんだなんてな! ガッハハハ!」

「ど、どうも」


 野蛮な笑い方は腕利きの漁師ならではの風体を醸し出していた。酒臭いけど、これは当たりかもしれない。

 事情を説明し調査エリアである『ナルプスの森』の正確な位置と行き方を聞いてみれば、どうやら馬車は出ておらず湖を左手に延々と進まなければいけないらしい。二日もすれば『ナルプスの村』という自産自消の小さな村が出てきて、そこから東にある深い森が目的地だという。

 私が持ってきた地図に指を置いて説明する漁師は少し固まる。何か言いかけて止めたのだろうか。


「どうしたの?」

「いや、う〜ん。何でもない······」

「それは聞いてくれと言っているようなものでしょう? どんな話でも聞いておきたいのだけれど」

「あぁ、話半分でいいんだ。ただの噂話だから信じなくていいんだけどよ。ここには変わったヤツが住んでるって言われてんだよ」

「変わったヤツ?」

「そう、自分を【転生者】だって言い張ってるデタラメに強い男が居るって噂だ」

「はぁ? 転生者ってあの転生者? 貴方、それがどういう意味か分かってるの?」

「そ、そんな怖い顔しないでくれよ。もちろんただの噂話だし二十年も前からある話だ。この村の人間は誰も見たことがない眉唾モンだって」


 漁師はグッと酒を飲み干し、言わなきゃよかったと眉間を押さえる。

 少し悪いことをした。内容が内容だけに顔に出過ぎていたかも知れないが、よく考えなくてもただの噂話程度のものだとわかる。漁師から無理矢理聞き出したのにこの対応は流石に大人気ない。

 タイミングよく食事も運ばれてきた。ひとまずこの辺で情報収集は切り上げよう。


「気を悪くさせてごめんなさい。お詫びに一杯奢らせてくれる?」

「えぇ!? いや、勇者様に出してもらうわけには」

「気にしないで。すみませーん! 注文お願いします!」


 重い気持ちを引き摺らせるのは思うところではない。一時間ほど仕事や料理の話で談笑し、明日の準備があると言って宿に引き返すことにした。


 借りた部屋に戻ると湿った木の匂いが少しだけ強く感じた。漁師に付き合って酒を入れたせいだ。一日目だというのにこんな感じでいいのだろうかとモヤモヤしつつ、冷たいベットへ倒れ込んで体温を落ち着ける。


「············転生者、ね」


 そんなものいるわけが無いとわかっているけど、どうしても頭から離れない。大した情報でもないから考えるだけ無駄だって思っても、何でだろう。

 そもそも転生者とは、勇者とは別次元の英雄で【神の子】と呼ばれている。その力は人知を超えており、大昔に魔物が世界を統一していた時代に現れ人間と魔物の力関係を逆転させるほどの活躍を残したと伝えられている。

 つまりは神聖視され過ぎているのだ。しかも、各国が覇権争いをしているこの時代に現われられては誰の顔も立たなくなる。だからこそ、名乗り上げた者は神への冒涜と称し弁解の一切を断ち死罪とされる。英雄も生まれる世を間違えれば大罪人。政治思考の汚い話だ。


「本物なら······捕えられないでしょ」


 いたら勇者の必要性ゼロだし。

 明日の準備なんてない。今日はこのまま眠ることにして、寝転がりながら装備を脱ぎ散らかして布団に潜り込んだ。




 翌朝は軽く朝食を済ませてから直ぐに村を後にした。あんまり長居しすぎるのも観光気分が出て宜しくない。さっさと終わらせてしまいたい内容でもあるから余計足を早めていた。

 湖を眺めながら狭い道を歩く。さほど整備されていないのはここを行き来する者が限られているからだろう。実際どの孤立した村はこんなもので、自産自消の村なんてなおさら大まかな場所が分かっていればどこにも興味を持たれないものだ。


「それにしても酷い道ね。二日歩いても大した距離は進めないわ」


 あの漁師は実際にこの道を使ってナルプスの村へ行ったことなどないと言う。地図上の距離として二日と見たのなら二倍から三倍は覚悟しないといけないかもしれない。

 恐らくトロトンの人間は誰も知らないのだろう。位置情報は旅人のこぼれ話。誰も好き好んで安全区域ブルーライン外の特産もない村へ行こうなんて思わない。それこそ、旅を目的としている者である程度戦闘が出来る変わり者くらいなものだ。

 どんどん起伏も激しくなる獣道。そろそろ人が歩くには辛いなと感じた頃に、目立つ青色の旗が樹木へ括りつけてあるのが見え始める。木々をロープで繋ぎどこまでも伸びていくそれは、安全区域ブルーラインの終わりを示していた。


「ここからは警戒区域イエローラインか。まぁ、帝国はエリア管理に力を入れているから魔物は出ないでしょうけど」


 古びているのに力強いロープを潜り、足を止めることなく先を急ぐ。トロトンの村のようにエリア外が近い村や町には安全区域ブルーラインを越えると魔物が出ると教えられているはずだが、実際のところそんなことは無い。警戒区域イエローライン内はほぼ駆除されており、赤旗で仕切られている自由区域レッドラインでさえかなり離れないと接敵はしない。これは防衛騎士や視察魔術師の編隊が定期的な巡回を行っているからまず間違いはない情報だ。

 案の定どれだけ進んでも魔物どころか野生の大型動物さえ見つけられなかった。ちゃんと歩いているはずなのに景色は変わらず、いつの間にか日も落ちて気持ちも萎え始めたから野宿をする事にした。


 適当な平地を探し、座れそうな場所を作って荷物を下ろす。完全に真っ暗闇になる前にカンテラに火を灯して腰を落着ける。


「携帯食は······あったあった」


 野宿初日は持ってきた干し肉と水。野生の獣がいれば狩りをしてもよかったけど、残念ながらトカゲや虫しか見ていない。大して腹の足しにならないのであれば、その分多く歩いて出来る限りナルプスの村に近付いて起きたかったのだ。


「相変わらず美味しくはないわね。香辛料くらい振ってくれてもいいのに」


 味気無い干し肉を噛みちぎって咀嚼する。味がないのにも硬く干されているのにも理由はあるが、注文を付けてしまうのはまだ学生気分なのだろう。分かってはいる。騎士学校の遠征演習でも食べたから理解していないわけではない。

 顎が疲れてきて途中から無心になったまま完食すると、早く寝てしまおうと身体を横にする。この区域では火を焚いて魔物避けする必要もないので青草のベッドで星空を見上げても問題ない。この方が労力も少なく効率もいいと思う。


 しかし、その考えが安易であったことをすぐに悟る。


 だいたい二時間ほど眠っていただろうか。目を覚ました私は急いで立ち上がり、操られているような気持ちで再び歩き出していた。

 理由は単純。


「さささささ寒いっ! 嘘でしょっ!?」


 気温はそこまで落ちていない。それなのに異様な寒さが身体の芯を冷やし、全身の震えが止められない状態にまでなっていた。

 熱を求めて勝手に足が動く。徐々に震えが収まりつつある中、何故こんなことになっているのかを必死に考える。


「この時期はもう暖かいはず······もしかして地面で寝たせいで体温が奪われた? こんなに? 焚き火をしなかったからってのも関係あるわよね? 魔物避け以外にも意味があるのなら言っておいてよもう!」


 初めての野宿でしっかり洗礼を受ける。騎士としてどれだけ評価されて、世界を担う勇者に選ばれたとしてもひよっこの冒険者。自分がまだまだ無知なのだと噛み締めて夜の森をひたすらに歩き続けるのであった。


 眠気と戦いながら重い足を引く明け方。やっと見えてきた赤旗に溜息を吐く。気分的にはかなりの距離を歩いたと思っていたのに、ようやく中間地点だ。ここら辺で一眠り入れないと最悪な形で魔物と出くわしてしまう。


「火、暑いけど火を焚かないと······きっと汗が引いた頃に体温が一気に下がるわ」


 無心で枯れ枝を探し、倒木の近くに集めていく。火付けに成功したら倒木と身体の間に鞄を詰め、出来るだけ自然な態勢になるようにもたれ掛かる。自由区画を前にして寝転ぶのは自殺行為だと察して、右手には剣の柄を握らせたまま目を閉じる。

 あぁ、冒険ってなんて大変なんだろう。本当はもっと効率の良いやり方があって、それは冒険者の間では当たり前のように繰り返されているはずなんだ。私は何も知らない。知らない事が恐ろしいのに、身体はどうしても休息を求めてしまう。


「仲間······欲しいな」


 眠気と疲労と空腹が孤独感を生む。クレアの顔が恋しく感じ、早くもホームシックになるという情けない状態になってしまっていた。

 先が思いやられる。まるで子供みたいだ。





 目が覚めたのは夜になってからだった。焚き火は消えかかっていたけど辛うじて光を残していた。まだ寒さは感じていないから、また夜のうちに距離を稼いでおかないといけない。

 しかし、それにしても······。


「か、身体痛った······」


 首も痛いけど腰がヤバい。座って寝るのは初めてじゃないのに節々が痛い。きっと緊張でずっと強ばったまま寝てしまったのだろう。気持ちの問題でここまで身体に影響が出てしまうとは思わなかった。


「ぐぅ······仕方ない、歩こう」


 上手くいかな過ぎて落ち込んでしまいそうになる。誤魔化すように携帯食料を食べながら進むと、何となく気持ちが和らいできた。空腹もかなり精神に左右するようだ。

 自分の方向感覚を信じてまっすぐ進む。夜で辺りは見えないけど、このくらいならきっと迷わない。それどころか魔物にも会わない可能性だってある。

 私のが発動しているのならだけど。


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