第1話 新たな勇者と初任務

「アザレア! アザレア・ラインハート!」

「開いてますよ寮長。どうぞお入りください」


 寝ている生徒もいるであろう夜の夜中に扉をドンドンと大声を張り上げる。皆慣れているとはいえ、今日はいつにも増して激しい。

 理由は分かるのだけど。


「アザレア!」

「はいはい、落ち着いてくださぅゔっ」


 盛大に扉を開け放った寮長クレア・セレスは入ってくるなり私に飛びついてきた。いくら小柄な兎人種ラビットマンであっても勢いが強い。思わず呻き声が漏れてしまった。


「落ち着いていられますか! 戦士長に聞きましたよアザレア! あなた自分に何が起こっているのか分かっているのですか!?」

「よしよし、夜は静かにしましょうね」

「子供扱いしないでっ······ください〜」


 小さな頭を撫でるとうっとりしてしまうのは亜人の性なのだろう。クレア寮長の長い耳はへなへなに脱力していった。

 あまり歳の変わらない兎さんを椅子に座らせ、私は昼時に国王から手渡された勲章を見せた。


「もちろん分かっています。帝国第十三代目【勇者】就任。連盟序列八位のドベ滑り込みですけどね」

「順番なんて関係ありません。世界を担う八人の勇者の一人に選ばれるなんてどれほど特別なことですか。あぁ、認められたのですねアザレア。貴方がこの寮に来てからずっと見ていましたもの。貴方の日々の努力はちゃんと幸運の神に見定められていたのです。思えば小さい頃は······」

「昔話はそこまでです」


 想いが渋滞を起こし、私より待ちかねていたように「ようやく、この日が来たのですね······」と零したクレア寮長。他人事とは思えないのはわかる。彼女と私は立場こそ違うものの、この寮にきた理由や時期がだいたい一緒なのだ。幼馴染のような彼女だからこそ放っておいたら夜明けまで語ってしまうほど高揚していた。

 私はどんな顔をしていたのだろう。クレア寮長は目を丸く見開くと、可笑しそうに笑いだした。


「そうだわ。その話し方も直さないといけませんね。勇者ともなれば私より立場はずっと上。寮住まいも終わるので気兼ねなく接してください」

「これからは冒険者だものね。わかった。ならクレアも敬語は外して頂戴」

「いえ、だから立場が······」

「違うわ。厳密には勇者は地位ではないもの。生徒と寮長の関係じゃなくなるだけよ。そうなると友人というのが相応しい。そうでしょ?」

「······全く、頑固な顔してるわ。ふふっ、これ以上の問答は無意味みたいね。何だか懐かしいわアザレア。昔から私と友人になりたがるのは貴方だけね」


 言ったは良いものの何かくすぐったい。二人でぎこちなく笑って少しの沈黙を味わった。

 クレアが立ち上がり、「さて」と前に置いて本題を進める。


「第八位か〜、アザレアの実力ならもっと上だと思うのだけれど、やっぱり実力は関係ないのかしら」

「そうね。国王から聞いた話だと単に選ばれた順番みたい。他の勇者に負けないよう釘を刺されちゃったわよ。ライバルとなり得るのはミュラ聖教の第一位勇者とヴァルカント国の第四位勇者らしいけど、正直全員怖いわね」

「あら? アザレアが弱音を吐くなんて珍しいこともあるものね」

「現実主義なのよ。前魔王が討伐されて【返礼の儀】が行われてから新たな勇者の選定は始まっていたはずよ。私より早く資質を認められたのだから下に見れるわけないじゃない」


 前魔王が死んだのは二十年前。つまり【返礼の儀】で勇者の枠が空いたのがその時期として、新たな魔王が生まれたのは五年前。この期間は異例の短さだ。魔王が育つまで五十年以上は隠されると言われているのにたったの十五年。噂によると先代勇者がそのまま枠を引き継いだ国もあるという。今までにはない計画的な事件も立て続けに起こっていて、今の魔王が如何に規格外かは誰もが危惧しているところだ。私たち人間は実のところ追い詰められている。

 そんなのは一般教養。クレアも同じことを考えていたのか、困ったように首を傾けた。


「考えるほど憂鬱ね。まずは目の前の事から片付けて行きましょ。クエストの開始はいつから?」

「明日ね。戦士長から言い渡されるけど、最初は決まって調査みたい。パーティーを組むのは数回目からだってさ。最終試験みたいなものよ」

「近場だといいね」

「どこだっていいわよ。戦闘は極力避けないといけないしあまり時間は掛けたくないけど」


 まぁ、多少は戦って慣らしておきたいところではある。出来れば野生の魔物が多い場所が望ましい。


「明日は起こしてあげる。万全に挑めるようゆっくり休むのよアザレア」

「日の出の時間にお願いするわ。お休みなさい」

「お休みなさい」


 扉の閉まる音が大きく聞こえた気がした。意識はしていなかったけど緊張しているのかもしれない。


「はぁ、もう寝ようかしら······」


 ベッドに転がり頭まで掛布団を被る。僅かに高揚して心臓は足を早めているのに、体の真ん中が冷たい気がする。一人になると余計に意識してしまって固く目を瞑った。





 ようやくだ。


 念願だった。


 一人で生きる為には【勇者】しか残されていなかったのだ。


 貴族なんて、大嫌いだ。


 『幸運なのか不幸なのか、哀れな子だ』


 父の言葉が私を削る。


 いつまでも残って私を苛立たせる。


 『貴方は貴族なのよ。まだ理解出来ないの?』


 母の言葉が重く響く。


 居場所がないと自覚しろと。


 『······』


 幼い私は、なんて言ったっけ?


 忘れちゃった······。






 何か考えていた気がする。布団から頭を出すと小鳥の鳴き声が聞こえてきて、いつの間にか自分が眠っていたことに気付いた。陽はまだ登っていないけど外はほんのり色付いてきている。


「············」


 瞼が重い。ひとまず顔を洗って目を覚まさないと。変な態勢で寝たから身体は痛いし寝癖も酷い。とても始まりの日とは言えない気だるさでスタートしてしまった。

 準備を進めていると扉から軽い音がする。周りを気にするような静かなノックだ。


「どうぞ」

「あ、おきてるじゃないの。きのうおこすっていったのにー」


 クレアは入ってきて直ぐに頬を膨らませた。というか、これは酷い。


「貴方、その格好で来たの?」

「おこさなきゃとおもってー」


 舌っ足らずのまま半分閉じた目を擦るクレアは、パジャマ姿のまま抱き枕を抱えていた。毛並みも全身ボサボサだし決して人様には見せられない。寮長をしているのに朝が弱いのだろうか。


「ごめんね、きょうおやすみでめがあかないの」

「そ、そう······」


 休日だったのか、それは悪い事をしてしまった。きっと生活のルーティーンで動くタイプなのだろう。毎日こんなヌイグルミみたいな感じになっているわけないか。

 私の準備はほとんど終わっていたから、寝ぼけ眼のクレアを抱き抱えてベッドへ運ぶ。


「今日は帰って来ないと思うからこの部屋は好きに使って。目が覚めてから自室に戻るといいわ」

「ありあとー」

「ほら。トン、トン、トン」


 胸の辺りを心臓のリズムに合わせて叩いてあげる。目を閉じ、呼吸が長くなり始めて彼女が眠りに落ちた事を確認した。


「大変だもんね」


 ただでさえ亜人は厳しい規則だらけなのに、騎士学校寮長までやってるんだから。勇者になる私なんかよりよっぽど尊敬されるべきなのよ。


 日の出と共に寮から出立。流れとしては午前中に戦士長からクエストを受けて最低限必要な装備を整える。日が高くなる頃には帝都の門を出ておきたい。

 騎士団の訓練所は学校を挟んで反対側にあって、いつもなら既に訓練を始めている。しかし、今日に限って戦士長だけはさらに奥の城壁横にある監視塔で待っているはずだ。わざわざ会議室を借りて正式な場を設けてくている。ゆっくりしている時間はない。


「お、もう出発かラインハート」

「ディルミンさん、おはようございます」


 帝国騎士の訓練所を横切る時、戦士長の代理として指揮官をしていたディルミン・モーラ先輩に声を掛けられる。ツルツルの頭に快活な笑顔が特徴の彼は、本当なら『さん』付けで呼べない位の人だ。鉄壁を誇る帝国軍の守備隊長を務めながら奇策士として数多の小国を墜した切れ者。私とディルミンさんは戦士長を師とするたった二人の同門なだけで、年齢も階級も天と地の差がある。


「戦士長は監視塔に行くと言っていたぞ」

「聞いてます。約束は八時ですが、どうせ日の出くらいには来ていると思ってました」

「はっはっは! いい線だと言いたいが、残念ながら日の出どころか日付が変わる頃から監視塔に引き篭ってるぞ! 残念だったな!」

「うわぁ······相変わらず小心者極め過ぎてますね」


 ディルミンさんはイタズラっ子のように笑い、早く行ってやれと背を押す。全く、帝国最強の戦士でありながら落ち着きのない戦士長だ。

 師を何時間も待たせてのんびり歩いていられない。軽鎧の紐をキツめに締めて駆け足で目的地を目指した。


 監視塔は城壁の角に二つある。片方は魔術部隊の管轄であるため、もう一つの塔が私たち騎士の担当になっている。それぞれに赤と緑の旗が掲げられており、緑色の旗には分かりやすく剣の刺繍が施されている。

 旗を目印に塔の扉を開くと、会議室からゴソゴソと物音が聞こえてきた。間違いなく戦士長だろうけど、待ち惚けて訓練でもしているのだろうか。


「失礼します」


 居住まいを正し戸を叩く。作法を意識して会議室に入室すると、その心得すら無駄だったんじゃないかと落胆することになる。


「······マークス戦士長? 一体何をしているんです」

「来たかラインハート」


 重々しく響く落ち着いた声。屈強な身体に白銀の鎧は百戦錬磨の証。溢れ出るそのオーラは誰もが身を任せるであろう絶対的な安心感を感じる。

 いつもはそうなんだ。いつもは。何も無ければ。


「何をしているのか聞いているのです」

「お前が剣を折られても戦えるように弓の調整だ」

「私が天井の隅に張り付いて弓を引く可能性もあると? 背中の杖は何ですか」

「さらに弓を折られたとしても魔法が使えれば戦えるだろうと思ってな」

「魔法、使えないのに? その豚は何ですか」

「馬が殺されてもこのサイズの豚なら乗れるだろうと思ってな。知っているか? 豚は中々速いんだ」

「··················とりあえず降りてきてください」


 天井にへばりついた戦士長は飛び降り、無駄に格好良く着地する。その姿がまたムカつく。

 そこかしこに散らばった大荷物を見回し、私は頭を抱えた。この男、物腰は物凄く落ち着いているクセにどうにも肝が小さい。私が勇者として旅立って様々な最悪を想定してくれていたのだろう。気持ちは嬉しいが、行き過ぎて全く理解できない。


「戦士長。弓の訓練は一度もした事がないので持っていきません。魔法も使えないので杖はいらないです。あと、豚に乗る騎士はいません」

「ふむ」

「そんな悲しそうな顔したって無駄ですよ。そもそも調査の遠征は馬の持ち出し許可すらされないでしょ。それにこんな大荷物一人旅では邪魔になりませんか?」

「それもそうだな」

「はぁ、こんなことで静かに泣かないでください。気持ちは嬉しいのですから」


 真顔で一粒の涙を流す戦士長。あぁ、どうしてこんなに頼りないのだろう。戦場に出れば鬼神の如く格好良いのに。また奥さんに愚痴を聞かされてしまう。

 戦士長は椅子に座ると、机の中から書状を一枚取り出した。


「気を付けて行くのだぞ」

「······え? それだけ?」

「うむ」


 戦士長はそのまま会議室を後にする。残された私は呆然と立ち伏せたまま口すら動かせずにいた。

 書状を渡して「気をつけろ」と言うためだけに何時間も前から待っていたの? 何か注意事項とか心得とかないの? 最悪付いてくるとか言い出すと思っていたのに、三秒で終わりそうなやり取りだけ?


 数分でまともな思考を取り戻した私は、書状の中身を確認して必要な道具を買い揃えてから予定通り昼に馬車で隣の村を目指した。

 馬車の後ろを怪しげなローブの男が馬で付いてきたが、どう見ても戦士長だったのでゴミを投げて撃退した。

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