第7話 幼馴染は……
「はぁ······」
机の上に並んだ無駄に分厚い資料から目を外し、読まなきゃよかったと眉間を押さえる。
帝国騎士団管轄の監視塔。その資料室で最終任務の内容に目を通していた私は憂鬱に項垂れていた。
ナルプスの初クエストから一ヶ月。無事に帰国した私だったが、想定より時間を掛けすぎだと睨まれてしまったせいで追加の任務が言い渡されてしまった。お陰でいつまでもパーティーを組めず一人で調査の日々。それでも周りの期待以上の効率でこなして、やっと迎えた最終クエストも内容が最悪で気持ちが持ち上がらない。
そんな折、資料室の扉がノックされて静かに開く。
「どうしたのアザレア。今日は随分と嫌気が顔に出ているわね。最近調子良かったじゃない?」
「あぁ、クレア」
「そんな時はミリアナ産のハーブティーでもいかが? 優しい爽やかさが悩みなんてササッと振り払っちゃうんだから」
「ありがとう頂くわ。でも大丈夫よ。ちょっと面倒な依頼が来ただけだから」
「どれどれ······」
わざわざ寮からお茶を持ってきてくれたのか。クレアは私の隣に座って雑に広がる資料を読み漁っていく。彼女、物語を読む時はすごくゆっくりしているのに、資料を読む時は驚くほど速い。この速読のスキルがあれば楽なのになと横目でお茶を頂いた。
「巡回依頼。経路図······ラインハート邸周辺? これってアザレアの実家じゃない。依頼主もご両親みたいだし······もしかして」
「そう、巡回依頼の名を借りた連れ戻しよ。貴族出身の騎士とか魔術師がたまにやられてるの見た事あるけど、まさか勇者になってこんな恥を晒すとは思わなかったわ······。今更親の顔でもしようってことなんだろうけど、どれだけ私に嫌われたいのかしらねあの金狂い共」
「そんな事言うものじゃないわアザレア。気持ちはよく分かるのだけど、顔が勇者から蛮族になってるもの。ほら、別に常勤じゃなくて一日だけなんだしパッと終わらせて一緒にお茶を飲みましょ?」
「もうここに住みたい」
「ふふ、住むなら寮の方にしてくれないと狭くなるわね」
クレアの大きな耳を顔の上に乗せて毛並みを満喫する。そのまま息をするだけで暖かく心地よい匂いが全身に広がって驚くほど落ち着いた。綿毛のような柔らかさに太陽のような暖かみと眠気を誘う香り。私が男ならクレアと結婚して田舎に引き篭るだろう。二人で釣りや畑仕事で自給自足して、たまに小さな村の適当な依頼を受けて、そのお金でショッピングを楽しむだけの日々。夏は水浴びを手伝ってあげて、冬は逆に温めてもらって。あぁ、なんて平穏な日常なんだろう。戦いもお役目も無く好きな事を好きなだけ出来る世界だったらよかったのに。
「ア、アザレア? 待って待って」
「え、口から出てた?」
「すっごい出てたよ。それだけ好いてくれるのは嬉しいのだけど······へへ、照れちゃうわね〜」
「心の声まで聞いちゃうなんて······クレアの耳は恐ろしいわね」
「私の耳にそんな効果はありませんー!」
あー、行きたくなーい。
「よく帰ってきたねアザレア。報せは聞いていたが、壮健なようで何よりだ」
「はい、お父様」
「やっぱり勇者となると顔付きも変わるものね。とても立派よアザレア。私も母親として鼻が高いわ」
「ありがとう、お母様」
現金なものだ。気持ち悪い。
久しぶりに会った両親は未だかつてないほどの上機嫌。そりゃ勇者の親ともなれば国から少なくない額を貰っているのは知っているが、これ見よがしに家具や装飾品に費やす成金思考には頭が痛くなる。
卓上に並ぶ贅沢の限りを尽くした皿を味気無く感じ、早くここから出たいと咀嚼速度を上げる。こんな食事、私が家にいた時に出した事などないだろう。いつも自室に押し込んで最低限のパンやスープだけ与えていた事を覚えていないのか? この家での待遇が良くなればなるほど憎悪が膨らむばかりだ。
「外の世界はどうかね。知らない事ばかりで気疲れしているんじゃないか?」
「いえ、特には」
「せっかくなんだ、今日くらいはゆっくりと羽を伸ばすと良い。お前の部屋も荷物はそのままにして掃除はさせている。仕事を忘れる日を作るのは大事な事だぞ?」
「······見回りに行ってきます。休息は規定の時間を終えてからゆっくりと」
この家で休息なんて考えられない。魔物がいようと外の方がずっとマシだっての。
私が扉を開けた瞬間、見計らってなのか「あぁ、そうだ」と父が呟いた。
「先程連絡があったのだが、今日はお前の【フィアンセ】がこの国へ遠征に来ているらしい。我が家にも立ち寄ると聞いているからそろそろ来る頃じゃないだろうか?」
「······今、なんと?」
「ゆっくりと語らうがいい。会うのは数年ぶりだろう」
父の口が悪戯に歪む。覚えている。物事が手の平の上で動いている時に見せる笑みだ。相手の人生をどれだけ自分の為に利用出来るか、そんな下衆な商人の目。
そうか、これが目的だったのか。わざわざ心配して呼び戻すほど子煩悩なわけが無いとは思っていたけど、まさかこのタイミングであの男が現れるなんて。本当に、こういう事ばっかりツイてない。
「······行ってきます」
「あぁ、気をつけてな」
両親と目を合わさぬよう部屋を後にする。今振り返れば、心の奥底に押し込めた殺意が噴き出してしまうような気がしたから。
一度自分の部屋へ戻り、鎧と剣を装着してマントも羽織る。今晩は少し冷えるとクレアが言っていたから、防寒はしっかりしないといけない。
屋敷の大扉を開け、ランタンに火をつける。ラインハートの屋敷は街中ではなくやや離れの丘上に位置するため辺りに街頭はない。冷えた風も、海が近いここならより肌に感じてしまう。そればかりは馴染みを覚えてしまい、何となく子供の頃を思い出していた。
「フィアンセ、ねぇ」
あれはいつだったか。全く喋らなくなった私を躾と称した暴力で無理矢理矯正させられた後だろうか。外交的な仮面を身に付けさせられ、一番始めに会った人が············。
「やぁ、久しぶりだねアザレア。大きくなったね」
「······どうも、【連盟序列第一位】【選ばれし器】のミュラ聖教初代勇者様」
「ははは、他人行儀だね。昔のようにロディ君と呼んで欲しいのだけれど?」
そう、この門の前で待ち伏せているロディ・ルーラーという男。容姿、武芸、魔法、地位、名声と全てを手に入れた若き大天才。世界屈指の有名人であるコイツが原因で、私の人生は振り回された。
「私、仕事があるから。さようなら」
「ラインハート邸周辺の見回りだろう? 私もついて行こう。構わないね?」
「はぁ、好きにすればいいでしょ」
どうせ言っても聞かないか。
夜風に一切の濁りはない。魔物が蔓延る場所には彼等が零す独特の魔力が空気中に漂っている。それは人にも当てはまるのけど、こんな町外れには魔物どころか人の濁りすら感じられない。これほど確立された安全区域を何で見回らなければならないのか考えるほどイライラが募るばかりだ。
海岸を見渡せる小道。並木に沿うように歩いていると、ずっと黙っていたロディはようやく口を開き始めた。
「懐かしいね。この場所を覚えているかい?」
「どうかしら、海沿いは似たような景色ばかりで印象に残らないの」
「ははっ、それは覚えていると言っているようなものさ」
「············」
「僕が君に、この身を捧げた場所だね」
「言い方が気持ち悪い!」
潮の香り、綺麗に敷かれた石を踏む感触、葉が擦れる音。覚えているとも。その告白のせいで私の利用価値が決められたんだ。まるで悪夢のような幼少の記憶。それを払拭するために騎士団に入る事がどれほど大変だったかなんて想像も出来ないだろう。
彼はそれ以上話を広げる様子もなく、ただ思い出をなぞるように目を細めていた。
「で?」
「で、とは?」
「目的よ。ミュラ大聖堂から遠く離れた帝国まで来るだけでも随分なことでしょう。加えてこんな田舎へ足を運ぶだなんて、まさか私に会うことだけが目的じゃないわよね?」
「もちろん、再会のためさ」
「茶化さないで」
釣れないなと目で語りながら鼻で笑い、ロディは長い指を一つ立てる。
「一つは僕のお披露目さ。帝国はミュラ聖教との繋がりも深いからね。お互いに勇者を保有することは歴史上今回が初めて。まぁ派手な式典や祭りなどは出来ないけど、顔出しは礼儀としてね」
「あったわねそんなの」
彼はクスクスと笑い、二本目の指を上げる。
「もう一つは情報共有。勇者になったばかりでまだ国を離れていないアザレアは知らないだろうと思ってね。だから再会が目的って言ったろう?」
「勿体ぶらずに言いなさいよ。貴方のことだもの、共有だけが目的じゃないんでしょう」
「ふむ、僕の事をこれ程わかってくれるだなんて。式もそう遠くはないね」
「······いい加減にしなさいよ」
足を止め、わざと殺気を込めた闘気を当てる。草木や小石が振動する中、彼はそれにすら気付かない素振りのまま「厳しいなぁ」と笑っていた。
勇者の中でも郡を抜く天才魔法剣士。この程度は子供の駄々と変わらないと思っている。実際、力関係なんてそのものだ。
「勇者同士で手を組んでいる者がいる」
「······そうなのね」
「おや、あまり驚いていないようだね」
「十分驚いているわよ」
本当に、そこそこ驚いている。彼が焦らすのも頷けるほど、それは異例の出来事であった。
勇者は一つの国に一人しか選出されない。どの国の勇者が一番早くに魔王を倒せるか、言わばレースなのだ。それぞれが対抗馬とされる勇者達は基本的に仲が悪いらしく、歴史的にも共闘の記録は一切存在しない。世界平和を目的としているのだ、もちろん早々に各勇者との共闘を考えたのだが、調べれば調べるほど世のイメージと違ったきな臭い情報ばかり。
まぁ、そんなレースごっこをしていても結局魔王を倒せてしまうところ、勇者というのは規格外の実力を持っている。そんな化け物同士がわざわざ組んでしまうなんて、政治の匂いを感じずにはいられない。本音を言えば、その勇者達の動向はかなり気になってしまう。
「どこの勇者なの? 理由は?」
「第五位ハールクロウ商業都市。そして第七位、島国ホノクニだね。理由は正確な情報がない。両国の勇者は個の力が弱いから、二人の勇者の能力的に相性が良いから、ホノクニが買収された。どこまでも噂の域を抜けないものばかりさ。ほぼ間違いなく意図して濁されているだろう」
「そう」
「興味なかったかな? 第八位の君にとっては脅威となるはずなのだけれど」
脅威、ではあるだろう。的を得た言葉だ。出遅れでもっとも怖いのは情報の少なさと仲間の数だ。殺し合いは禁止されているものの、勇者同士で争う可能性は大いにあるのだから。
ただ、もっと有り得ないことが意外と身近に存在すると知ったのだ。リアクションが薄くなるのも仕方がないというものだろう。
「それで、本題なのだけれど」
「手を組まないか、でしょ?」
「その通りさ。僕達がパーティー組めば敵無しだろう? 第一位であり選ばれし器の僕の力。アザレアにとってこのタイミングでは最も欲しい物じゃないかい?」
「そう、ね」
少し考える。ロディ・ルーラー、流石の切れ者だ。この任務が終わればすぐ旅に出る今だからこそ、この提案は受け入れやすい。
残念ながら私はそこまで合理主義じゃないけど。
「旅先で、目的が同じなら共闘も考えるわ」
「······断る理由が?」
「なし崩しで結婚させられそうだからよ」
ロディは目を丸くし、あからさまに残念だと溜息を見せつける。
「そこまでねじ曲がった思考をするようになっていただなんて。僕はただ、大切な人が心配なだけだよ?」
「ありがとう。でも、私も勇者よ。自分の責任は自分で果たすの。それに、甘く見られるのは好きじゃないわ」
「なんて我儘なんだ······」
ロディはまっさらな金髪を掻き上げ、名残惜しそうに懐中時計を一瞥し、その身を翻す。
「そろそろ時間だ。今回も僕の負けだね。僕の交渉術が拙いのか君が頑固すぎるのか」
「どっちもでしょ」
「まぁいい、明日にはミュラへ帰還するが、お互い旅人になるんだ。いずれどこかで出会うだろう。その時には良い返事を期待しているよ」
「善処するわ」
遠ざかる背中に安堵を覚えつつ、彼とは逆に歩き続ける。
結局、私にとって有益な情報を貰ってしまった。その事がどこか苛立ちを感じつつ、次の目的に向けて考えることが出来てホッとする。
「勇者の共闘か。どう考えても魔王対策じゃなくて他の勇者に対する意思表示なのよね」
政治をするだけなら勇者なんて大した飾りにもならない。きっと何らかの形で私たち他国勇者へアプローチがあるだろう。最悪の場合、戦うことも考えておかないと。
「早く仲間を作らないと⋯⋯⋯⋯仲間、か」
なんであんなホームレスが一番に頭を掠めるのだろう。不愉快な。
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