第4話 夜間調査

「やぁ! とう!」

「そう、いい感じね」


 ナルプスの村に来て二日目。夕方の広場にて少年の声と素振りの音が響く。ロッシュの家に泊めてもらった私は、一宿一飯の恩を返すためこうして稽古をつけてあげていた。

 村長のナグルさん曰く、村の裏口からすぐナルプスの森に入るらしく急ぐ必要もない。この村を拠点に五日ほど森の調査をして帰還することにした。その間、自警団のお手伝いをしてくれれば宿替わりにしてもよいと気持ち良い返事をくれて、お陰で無理なく仕事に励めると了承したのだ。


「どうかな姉ちゃん!」

「悪くないわね。ロッシュは覚えが早いから剣もすぐ使いこなせるようになると思う」

「やったぁ!」


 嬉しそうに私が貸した剣を振るロッシュ。正直、この子に教える事はほとんどない。太刀筋も綺麗で身体も軽く、後は身体が成長して最適な筋力とリーチが付けば帝国騎士でもエースを狙えるだろう。強いて言えば、何かしらの剣術を教えたいところだけどアリアン流は流石に教えられない。私も修行の身であるため大隊長に鍛えてもらっているところだ。紹介したい気持ちもあるけど、この子にも槍の師匠がいるから勝手は出来ない。

 素振りも切り良く終わり、私は横に置いた荷物からローブを羽織り貸していた剣を受け取る。本当は良くないのだけど、今日は夜から森に入ることにしていた。冒険としては馬鹿な判断になるだろうが、国の調査は昼と夜に索敵しなくてはならない。大人数で火を灯して行われる夜間調査を一人だけの勇者にさせるのだから、調度良いハードルの試練なのだろう。


「そろそろ行くわね。帰ったらまた教えてあげる」

「ありがとうな! 待ってるから!」


 元気に手を振るロッシュ。なんだかんだ懐かれてしまい、弟子がいたらこんな気分なのかなと頬が緩む。


「あ、姉ちゃん!」

「ん?」

「夜になるとウルフとかボアみたいな足の速い動物が出るから走りやすい靴にした方がいいぜ!」

「そうなんだ。ありがとうね」


 ウルフ種やボア種? 奴らは日中に徘徊する魔物だったと思うけど、やっぱり植物系のせいで夜行性になっちゃったのだろうか。そこまで強い種族ではないけど視界の悪い夜に出くわすのは厄介そうだ。

 ロッシュの忠告を素直に聞いて靴を履き替える。いつもは軽鉄性の防御重視だからスピード勝負は出来ない。革のブーツなら多少マシだろう。




 そんなロッシュの言葉が、予想以上に身に染みることになる。


「はぁ、まさかここまで多いとは」


 足元に転がる人喰い狼の死体の山。暗闇に潜む残敵の数は十を越える。鳴り止まない足音や激しい息遣いが徐々に近付いてくる。

 零時頃だろうか、それまでにミドルボアと小型のシンリントカゲに出会っただけで何も考えず焚き火を起こし休憩していた。たぶん火の光や音で人喰い狼の群れを引き寄せてしまったのだ。一人でいるのが分かれば燃え盛る炎があろうとお構い無しに飛び掛ってくる。こうして見てみると野生動物と違って魔物は知能が高いというのも頷ける。


「食料には困ってないけど、かかってくるなら仕方ないわね」


 背中から襲いくる狼を避け、首を真っ二つに切り裂く。連鎖して四、五匹飛び掛ってきて、流石に足を止められず移動しながら致命傷を与えていった。

 その時、視界の外でバチンと何かが弾ける。


「うわ、しまった!」


 自分で始末した狼の亡骸が焚き火に直撃。視界が一気に暗くなり、反比例するように殺意の気配が膨れ上がった。

 一目散に近くの木を駆け上がって人喰い狼との距離を取る。奴らは木に登れない。目が慣れるまでここで時間を稼ぐしかない。


「え、ちょっ、ちょっと待って!」


 地鳴りのような鈍い音と共に木が大きく揺れる。人喰い狼の突進程度では揺るがないくらいの大木のはずなのに、何が起こっているのかと下を覗きみれば狼に混じってビッグボアまで現れているではないか。流石に主レベルの魔物の攻撃では並の大木じゃ耐えられない。


「もう! どうなってんのよ!!」


 着地と同時に三匹の狼の首を正確にはね飛ばす。

僅かな隙に意識を集中する。身体中に気を巡らせ、血が燃えるように熱くなる。


「アリアン流鼓舞術【錬気功】」


 全身に闘気を纏い身体能力を底上げ。視界がクリアに輪郭を捉え、これで日中と変わらない索敵が可能になった。


「さぁ! 日の出まで付き合ってあげるわよ!」


 山の斜面を駆け上がり、追ってくる魔物と長い交戦に突入する。この状態は気分が妙に高揚してしまうことだけが弱点なため無駄に走り出してしまった。お陰で出くわさなくても良い他の魔物もまとめて相手をする羽目になったが、その事に気付くのはもう少し後になるのであった。




「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ······」


 月が見えるやや広い平地。元森の主、ビッグボアの死体の前に膝を着いた私は、錬気功の疲労感を噛み締めながら息を整えていた。


「ひ、火を焚かないと······」


 鞄を置いてきてしまったから着火剤はないが、それは猪の油で何とかなる。腰に付けていたポケットに火打ち石が入っていたのは唯一の救いか。ただ困るのは、水がないから死ぬほど喉が乾いている点だ。そろそろ戻ることも考えないと脱水症状で倒れてしまいそうだ。

 ビッグボアの肉をよく焼いて齧り付く。場所がいいのか、これだけの大物の死体があるお陰か、辺りに魔物の気配はない。十分な休息が取れたらすぐに動いて村に帰りたいところだ。もう自分の場所さえ分からないが、たぶん北に山頂目指して登って来たから南に下れば戻れるだろう。

 ぼーっとそんなことを考えていると、不意に草木が揺れる音が聞こえた。食べていた肉を捨て、剣を構えてその方向へ目を向ける。錬気功は切れているが、集中して見れば僅かな変化が捉えられた。

 茂みから足音が近付いてくる。人の足音、それも歩いている。近づくに連れ光が漏れてきて、カンテラを持っているのが分かる。まだ距離は離れているが迷いなく私を目指しているようだ。

 その姿がはっきりと見える時には、相手からも完全に見えている。山賊ならば問答無用で首を跳ねようと剣を低く構えるが、その姿が予想外過ぎて思わず気が抜けてしまった。


「え、何? えぇ?」

「おや、こんな所に人とは。なんか騒がしいと思ったけど、それ君が倒したのかい?」


 敵意の欠けらも無い男。やや頬が痩けた細身で背の高い男が木々の間から現れ、驚いたようにビッグボアを見下ろしていた。

 何がおかしいって、こんな夜の森深くに寝巻きで歩いて来たということだ。身体はヒョロく武器もないのにどうやってここまで来たのだろう。普通は人型なら山賊やアンデットを警戒するところだが、敵意が無さ過ぎて混乱してしまう。


「貴方は誰? どうしてこんな所にいるの」

「あ、ごめんね。突然おじさんが出てきたら怖いよね」

「お、おじさんなの?」

「僕は森に住んでるただのおじさんだよ。たまに炭を売って木こりみたいなことしてる人間さ。だからその剣は下ろしてもらえる?」

「ご、ごめんなさい。私はアザレア・ラインハート。帝国の依頼でこの森の調査をしているの」

「へぇー、って事は新しい帝国勇者さんだね? 一人でこの森に入らせるなんて、帝国もなかなか思い切った事をするね。あ、水あるけど飲む? この辺り水場なかったでしょ」


 一人でこんな森に住んでいる身で何を言っているのだろうかこの人は。

 男から水筒を受け取り、喉の乾きが抵抗の意志をかなぐり捨てて一気に飲み込む。その様子をニコニコと眺めるこの男、恐らくロッシュが言っていた『ドジなおじさん』だろう。あの歳の子をあそこまで育てたのだから相当の手練だと思っていたが、とても強そうには見えない。もしかしたら魔術師か弓使い? いや、でも手ぶらは流石に······。

 そこで、一つだけ頭に引っかかり水筒を口から離す。どうして私が勇者だと気付いた? 今はローブを着ているから勲章は見えていない。


「私、勇者だとは言ってないけど?」

「ん? あぁ······そりゃわかるよ。一人でこんな魔物の森を調査させるのは帝国の最終試験みたいなものだからね。おじさんも帝国領地に長く住んでるんだからそれくらい知ってるよ」

「あら、そうだったの」


 怪しい。怪し過ぎる。顔が引きつってる。


「まぁいいわ。お水ありがとう。私はそろそろ帰るから貴方も気を付けてね」

「お気遣いどうも」


 お互いに背を向ける。男の足音を聞きながら、彼から滲み出る不信感に頭を回転させる。

 何から何まで色々おかしい。帝国の最終試験のことは騎士団の上層部や王族しか知らない。そのレベルの有力者と平民が交流を持つことは同じ王都ですらほぼ有り得ないのだ。この男が貴族には到底見えないし、考えられるとすれば前勇者と接触しているとかだろうか。いや、闇稼業と通じているのなら情報屋から仕入れる事も可能ではある。そんな情報なんの価値もなさそうだけど。

 思考の波に揺られていると、つい先日聞いたばかりの眉唾な記憶が掘り起こされる。


「待ちなさい」

「え?」


 男は立ち止まり振り返る。

 聞く、べきか。


「貴方、出生はどこ?」

「······」

「帝国に長く住んでいる。帝国出身の人からは出てこない言葉よね。こんな森に移住したのだから並々ならない理由はあると思う。だけど、そう、これは帝国騎士としての尋問を行使させてもらうわ。縄で縛られる前に正直に答えた方が身のためよ」


 ここまで強引に聞き出すことはない。しかし、移民登録をしているようにも見えないのだ。黒い髪に黒い瞳。どの国にもそんな特徴の人間はいないのだから。

 男は少し黙り、諦めた感じの息を落としてこう答えた。


「日本。こことはの小さな国さ」


 凡そ、返ってきて欲しくない言葉だった。

 私は剣を抜き、振り返ると同時に静かに構えた。


「つまり、貴方は転生者だと?」

「嘘に聞こえたかい?」

「······最後の忠告だ。今後、冗談でも口にするな。それは貴族でも即刻打首にされる禁忌の文言だ。訂正するなら今しかないぞ」


 無意識に口調が強くなる。


「君が無理矢理聞いてきたんじゃないか。悪いけど訂正はしない。意味は知っている。でも、もう疲れちゃったんだよね。そういうの」

「帝国の騎士を前に、勇者を前にそう言い切る末路は正しく理解していると見える。ならば、私はお前を捕らえるしかなくなった。大人しく地面に身体を伏せろ。痛い目に会いたくなかったらな」

「それもごめんだね」


 男の目は薄く閉じられ、こちらが瞬きをする刹那の間に武器を手にしていた。どこから出したのか分からないが、予想通りの大槍。転生者を語る犯罪者であると同時に、ロッシュの師匠である事が発覚した。


「村の子供達にも接触しているようだな。そうやって自分を神の子と刷り込むのは楽しいか?」

「彼らは何も知らないよ。十数年ぶりに身元を聞かれたからね。あと僕は神の子じゃなくてただの引きこもりおじさんだから」

「そう、なら村の人達は無関係として報告させてもらう。貴方を匿っているのなら同罪で処罰を受けるのだけど、多少は人の心があるということか」

「人の心ね。僕が相当悪人みたいな言われようだ」

「そろそろお喋りの時間は終わりだ」


 随分話してしまった。仮にもロッシュの師匠だと分かると迷いが生まれてしまったのだろう。ロッシュには申し訳ないけど、出来るだけ傷付けず無力化することで不義理の償いとしよう。

 夜闇を撫でるそゆ風に揺られ、木の葉がひらりと落ちる。相手は構えてすらいないのはこちらの間合いが遠過ぎるからだろう。加えて私の剣の二倍以上はある大槍。油断するのも仕方のないこと。

 残念だけど、この距離はすでに私の射程圏内だ。

 月が雲隠れし、視界がさらに悪くなる瞬間に飛び出した。アリアン流の歩法ならば一息の間に胸元へ飛び込める。


「アリア······」

「あれ、【大帝闊歩だいていかっぽ】かいそれ?」

「っ!?」


 闇の中で見上げる男の顔は、少し笑っていた。

 なぜアリアン流歩法術【ダイテイカッポ】を知っているのか。そんな事は一先ず置いて、なぜこの距離で笑っていられる。既に槍は振ることすら出来ないほど接近しているはずだ。戦場においてこの状況は死を意味する。誰だってわかる。

 空気が歪むような悪寒が突き抜けた。


「はぁ!!」

「おっと危ない」


 ゼロ距離での回転斬りを繰り出したはずが、男はいつの間にか目の前から居なくなっていた。下がった訳では無い。後ろにも回られていない。

 ならば、上だ!


「見つけるの速いね」

「くっ!」


 あの速度で動いてもう構えている。この男、かなり強い。手加減をしていてはこちらがやられる。


「アリアン流剣術九ノ型【ラシンヅキ】!!」

「あぁ、やっぱりそうか」


 柄を逆手に持ち腰より後ろに思い切り引く。六つの急所を同時に貫く。踏ん張りが効かない空中でこの貫通力が高い同時攻撃を捌くことは不可能だ。

 しかし、この男はあっさりと打開する。


「ここだろ?」


 打ち込んだ瞬間、鋼がへし折られたんじゃないかという程の甲高い音がこだまする。男が無傷で地面に降り立った姿を視認して初めて、私の手元から剣が無くなっていることに気が付いた。


「ほら、大事に持っておかなきゃ」

「お、お前······っ!」


 失った剣を投げ渡され、混乱したまますぐさま構える。

 何をされた? 武器を弾かれたのではなくて盗られた? 違う、弾いたついでに拾ったのか。あの一瞬で、空中で、攻撃されながら? 常人ではない。余程の力量差が有ってしても可能なのか?

 こんな男が、勇者の何倍も強い······。


「アリアン流鼓舞術【錬気功】」

「やめときなよ。キミの身体、連戦でもしたのかそろそろ限界なんだろう? 早く村へ降りて······」

「うるさい!!」


 身体が熱い。視界が広がる。これならいける。負けない。負けるはずがない。

 男の声がかなり近く聞こえる。それどころか息遣いや微妙な衣擦れまでハッキリとだ。


「全く、後悔するよ」

「ハァ、ハァ、ハァぁああああ!!」




 そして、この戦いはそう長く続かなかった。

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