3 天青雲祭

 4日間に及ぶ中間試験は終わった。どうだった、だの、できた?、だのよくある茶番が展開する教室で、全力を尽くした総司が机に突っ伏している。彼は赤点常習者。

 神威という隣人を得て赤点脱出を図り、期間中日に日にやつれていった彼は全てを終え力尽きていたのだ。

 結果が分かるのは明日。今日、担当教師らによる答え合わせと結果データ作成というデスマーチを経て発表されるのだ。

 とはいえ、生徒たちも苦しい試験期間を突破したわけだ。各々束の間の休息がある。とりわけ神威たちは終了祝いのパーティーを企画していた。場所は総司がバイトをしている喫茶店。夕方から神威たちの貸切になる予定だ。

「フ、フフ、終わった。終わった。」

 正気でない表情と声が総司から漏れている。

「これでも、なんとか矯正したんだろう?」

 秋人は呆れながら神威に聞く。

「やれるだけのことは」

 神威は試験のヤマのみならず、一週間前から総司の勉強の面倒を見た。一人食事の効率が悪いので、神威は総司と暦の夕食にご一緒させてもらっている。勉強の面倒を見るのはそのお返しの一つと言ってもいい。

 1年下の暦とて同じく中間テストなのだ。勉強する範囲は違えど、やることに似通う部分は出てくるのである。

 特に総司は2年生の春から転校してきている。それ以前の彼の知識は、彼と同郷の緋芽から知れている。彼は同年代の少年たちとつるんで暴れていた。教養の貯えそのものが少ないのだろう。

 そういうこともあって、簡単な付け焼刃にすることも困難であった。幸い総司自身は分からないからといって癇癪を起すような人間ではなかった。暦の前だからということもあっただろうが。

 ともかく、総司に基礎知識を固めさせたうえで、試験範囲を履修させたので、どう足掻いても時間が足りない部分はあった。それを『頑張った』などと一言で片づけられるものではない。とはいえそうとしか言いようもないのも事実。

「いやぁ、頑張ったんじゃない?」

 憔悴する総司の頭や顔を指で突っつく緋芽。それを総司が振り払う気力すらないことがいい証拠である。

「だろうな」

 普段ひねくれた言いようばかりの秋人も多少は認めるようだ。緋芽の言葉に同意しただけのように見えるが。

「ともかく起こせ。そいつがいないとあそこの店にすら入れん。」

 彼の言うように総司を正気を戻さなければテスト終了パーティーができなくなる。喫茶店の鍵まで彼が管理していることが、この際、問題のような気もする。

「んだね。起きろー。」

 神威は総司の両脇に腕をそれぞれ差し込み、力ずくで引き起こす。

「ふぁい」

 引き起こされた総司の表情はイマイチだが、自立歩行はできそうである。

「じゃあ、神社までは行けるね? 食材の追加買い出しは僕がやっておくから。」

「おー」

 言うことが分かっているのか分かっていないのか、胡乱な目つきをした総司が返事をする。人間追い詰められるとここまで精神に来るものなのか、と改めて考えさせられる。

(まあ、少し前まで僕も似たようなものだったか)

 と、自省しなくもない。神威がこの街に来た頃は、知り合いから見ればおかしいと思われていたのだろうか。戦友の死を悼み、憎い相手をどのようにするか煮えたぎらせ、平和に対して平気で唾を吐くような考えでいた。

 文字通り、神威自身は頭を冷やす時間が必要だった。復讐心はまだあるが、それでも自分自身と向き合う冷静さは取り戻したとは思う。

(君には感謝してるよ)

 口には出さず、総司を一瞥しながら、自分の手提げカバンを持って教室を出る。

「九狼君、ね?」

 教室から出て1、2歩というところ。廊下にいた女の子に声を掛けられる。

 黒いカーディガンを羽織っていて、全体的に地味な色の上下や、黒のタイツ。だが上のニットから強調される大きさは暦ほどではないにしろ、豊満である。

 少々血色の悪そうな白い肌ではあるが、薄い緑を帯びた髪が彼女のミステリアスさを強くするのだろうか。髪は腰の辺りまで伸びており、まとめてあるせいで尻尾のようにも見える。

「初めまして。わたくしラミア。ラミア・エントクロマイヤーと言いますの。」

 微笑んで名乗った彼女は、あのゼフィスの縁者とは思えないほど美人であったし、同い年には見えなかった。

「私の父と、暦ちゃんや優貴とは家族付き合いだし、話ぐらいは伺ってますわ」

「はあ」

 流れで、彼女と共に下校をする。神威には急ぐ理由がない。無論、この後買い出しに行かなければならないのだが、それにしたって飲み物やメイン食材となる肉類の購入だ。学生らしいバーベキューとなれば、拘ることもない。むしろ割引シールが貼られたものが望ましい。

「これからお買い物?」

「うん」

「つまり、お手伝いして流れで参加もいいのですわよね?」

「うん、うん?」

 半ば話半分聞いていた神威は何を言われたか分からなかった。




「で、ついて来たわけか」

「やっぱり駄目ですの?」

「俺らは優貴やゼフィスと険悪なだけで、姉貴もそうというわけじゃねぇし」

 神威が飲み物をダンボール運びし、ラミアが追加の食材を両手にレジ袋をそれぞれ下げて喫茶所までやってきた所、出迎えた秋人や総司がそれぞれ言った。

 ラミア・エントクロマイヤー。ゼフィスとは双子の、自分が姉だと言っている女の子だ。見た目は先述の通りで、大人びた風貌の割に着飾ったような少女性を感じる。

 それにしてもどこから聞きつけたのか。またよく参加しようと思ったものだ。そりゃあ、神威を出待ちして、本題に切り出すまで時間があったわけだ。

「よかった~! ふふ、暦ちゃんよかったわ~!」

「ラミアさん、大げさ!」

 荷物を置いた彼女は暦を抱き締める。彼女としては暦は幼馴染だ。険悪になってしまった馴染みの姉妹の両方にいい顔をするのは良くないが、無視するわけにもいかないというところか。

 現状、優貴に取り巻きはまだいるが、少なくなってはいる。ゼフィスの方は距離を取られている。迫害や拒否ではない、様子見、無関心の類。

 神威とてそういう距離の取られ方に感じ入らないわけがない。親の七光りとも言える最年少小隊長エージェントだ。穿って見られることも少なくなかった。そして、小隊全滅の一件で、もてはやす声も陰口も一切止んだ。もっとも、あったのかもしれないが。

 神威としては、ゼフィスには歩み寄れないかとも思っている。彼もAAAに入るための勉強や訓練をしているということを、かつての教官から聞いた。彼は嫌がるかヒステリックになるだろうが、きっと話はできるはずだと思う。

 さて、テスト終了祝い。神威は友達同士の集まりというのは縁がなかった。AAAの集まりというのは年上ばかりだ。煙草の匂い、酒の匂い、そういうのが多かった。神威達は未成年。酒など入るわけもない。プレートで餃子を焼いたり、簡単な炭火焼で串焼きをしたりだ。それにやたらと総司が口を開く。神威も秋人も喋りが上手い人間ではない。神威は流されっぱなしで、秋人が合いの手やツッコミを入れる違いがあるぐらいか。

「だから俺はあいつに言ってやったわけだ。てめぇ、ナンパ一度として成功しねぇくせに他人の女に声かけんなよってな! そしたらあいつな、俺のカッコよさに皆ついて来れねぇんだ、とのたまいやがった!」

「なるほど同レベルなんだな」

「何でだ!」

 と、こんな感じだ。神威は久々に生き生きとした総司のパフォーマンスに心温まっていた。自分がこの街に来てしまった理由を忘れそうになっていた。

 とはいえ総司の楽しい話を聞いていると夜は更けていってしまう。学生の身空、深夜に達してしまうのはいけない。授業はないとはいえ、テストの返却で午前のみ枠がある。

「まあ、洗わなきゃいけないやつは水張って沈めとくわ。明日洗う。」

 2時間以上喋り倒したというのにケロリとした顔で総司は言う。喋りながらも慣れた手つきで片付けを行うから流石だ。暦や緋芽もそれぞれ手分けしてゴミをまとめている。

 神威が特に手伝う必要もなく、手空きになってしまって、喫茶所から出るとラミアと秋人の姿があった。秋人の方は面倒がってだろう。2人で話し込んでいて、神威に気付き、秋人は神威に対して口を開いた。

「俺がゼフィスのことを嫌いだったのは、才能をひけらかして見下す奴だったからだ。だが、お前のことも嫌いだった。」

 唐突な言葉に呆気にとられる。

「ただの嫉妬だ。俺より無能な奴を見下してせせら笑うことしか楽しみがなかったからだ。だからゼフィスのあの様は心底スカッとして、急に空しくなった。」

 そう言う秋人の態度に冷笑は感じられない。どちらかといえば、総司を挟んで対極にいた彼の歩み寄りを感じていた。

「俺もあと1年すればああなると思うと余計にな」

「君は持明院家を」

「継げない。決定事項だ。」

 秋人には弟と妹がいる。古い家系だから、女は継げないのだろう。そして長男が相続できないというだけの才能の無さが彼には自覚できているということだ。

「持明院家でない生き方はおいおい見つける。いや、そう思えるようになったのもきっかけか。あの総司がまさか、お前を殴るとは思わなくてな。」

 神威に思い浮かぶ、あの夜のこの場所の出来事。少々恥ずかしい話でもある。総司自身が話すこともないだろうし、理由を暦に話して伝言で秋人の耳にも入ってしまったというところか。

「春にやってきたあいつは俺にとって面白い見世物でしかなかった。だが、あいつが優貴より暦に絆されて、何となく俺は自分の卑しさに気付いたんだろうな。そしてお前がやって来て、1日で仮面が剥がれただろう。それで俺は何で下を向いていたんだろうと思ったんだ。」

 ふんと彼は鼻を鳴らした。

「そういったもやもやを抱いていたことを、彼女にも話してやったところだ」

 神威は苦笑いを浮かべるしかない。神威には秋人の感情の起伏が分からぬ。

「私が姉だと思ってるだけですわ。弟が迷惑かけてるなーという他人事の気持ちしかありませんでしたもの。」

 ラミアは後ろめたいのか神威や秋人を見ない。先ほどのパーティーでも暦とは話すが他の皆とは距離感がまだあった。緋芽のあたし見えているアピールは皆距離感あって当然だが。

「ごめんなさい。こうしてあなたたちに近づいたのも、そういうのがめんどくさくなったからですの。私、特科とはいえ隣のクラスですし、寂しさもあるんですのよ。」

 そう言って、彼女はようやく神威の方を見る。周りの灯りに照らされた彼女の微笑みは、神秘を感じる。

「この街におけるエントクロマイヤーと伊達はネームバリューでして、子供の時から多少は我慢していたけども、優貴もゼフィスもあれでしょう? だから貴方達があの子たちをおとなしくしてくれてせいせいしてましたの。今日まできらきらしているのを遠目で見ているのも我慢できなくなって、ですが。」

 自嘲とも取れる笑みと少々情けない告白。それぞれ抱えているものを吐き出したというところか。

「ま、そんなところだ」

「そんなところですわね」

 誰にでも抱えているものがある。わだかまりとか、他人への押し付けとか。神威だってそうだ。こうして二人は話してくれたが、神威にはまだ話すことができない。ここに来た理由と経緯を。

「だからといって俺はこれから向き合い方を変えるわけでもない」

「私は創作のネタになりそうで楽しみですわ」

「お、お手柔らかに」

 秋人の歩み寄りも、ラミアの豹変の方が神威としては引いた。



 中間テストの発表がされた。特科といえどカリキュラムは進学科と同じである。特科における能力別の選択授業の充実の代わりに進学科では強化授業が組まれている。故に勉学の類は進学科の生徒に一日の長がある。というか特科をバカとして見下している風潮がある。

 しかし、現実はひねくれてできていた。

「すげーな、この上位争い」

「組長が頭ひとつ飛びぬけてるのは流石だな」

 学年一位があろうことか特科の級長だった。その下は進学科の団子状態。テスト結果は携帯などで配信され、成績上位者は学内掲示板で掲示される。この日はテスト結果の配布、答案と答えのにらめっこなどで午前授業となっていた。

 もちろん、答案の点数集計の間違いがあれば即日結果は修正され、成績ランキングが変化することもある。進学科の生徒は学問で負けるとは思っていないので、間違いがないか必死である。

 それは成績上位の横に発表される補修決定者にも言える事だが。

「教える人物に恵まれたな、お前は」

「まさか初登場10位に教えてもらえるとは」

「いやあ、ははは」

 総司はめでたく赤点補修者のリストから脱することができた。それよりも彼や秋人が感心するのは神威が成績上位に入ったことだった。

「文武両道。誰かさんに聞かせてやりたいですわ。」

 話をそばで聞いていたラミアがあからさまに呟く。ゼフィスはこの場にいない。

 本来ならば隣のクラスにいるのがふさわしい彼女だが、結果配布が終わった時点で生徒は事実上のフリーである。

 教室の中にはテスト結果の確認はそこそこに、明日の準備のため出て行く者や、機材搬入に奔走する者もいる。神威らがいるこの教室も明日の出し物のセッティングのために午後から明けておかねばならない。

「話は変わるがお前たちちゃんと明日の計画を立ててあるのか?」

 返却された答案の一通りのチェックを済ませたのか、秋人がテスト用紙を鞄にしまいながら聞いてくる。

「まずは暦のところに行って、あとはパンフみながら適当に。店の方は開けろとは言われてないしな。」

 総司が応える。神威のほうは何のことやらである。

「明日? 天青雲祭とかいうの?」

 以前から広告の類は見ている。街をあげての祭りなのだろうとは感じ取っていた。だが、どういうものなのかはまったく情報収集していない。

「無理もない」

「説明してあげなさい、総司!」

「任せろ!!」

 ため息をついた秋人。すぐさま悪ノリする緋芽と総司。その後、5分ぐらいの概略説明を聞き、神威は言った。

「すごいバカ騒ぎなんだ」


                 *****


 武藤埠頭。優雅と獅郎は係留された大型船から運び出される荷物の警備に当たっていた。船から運び出されるものは多くが機材だ。二人が確保し、眠らされた伊達洸耶の姿もある。

「灯台下暗し、とこちらの言葉で言うようですね」

 と言うのは、2人の直接的な上司オルガだ。前髪と眼鏡で目元がほとんど見えない女性である。彼女は組織で変身システムの研究継続を行っている。ツァイス、と呼ばれた男の研究を引き継いでいる。正式な引継ぎではない。

 前にも述べた通り、『促成された強力な兵士』の開発プロジェクトは、完成された戦士の遺伝子を使い、クローンや培養兵士を作り出すプランに漕ぎ出している。オルガの研究や成果はそれの当て馬に過ぎないのだ。

 それらヘルメスの開発物が武藤ニュータウンに運び込まれている理由は、

「天青雲祭、か」

 優雅が呟く。

 藍明守の街中全てで行われる7日間の祭だという。発祥は学校の祭だが、観光客の増加から街ぐるみの祭に発展した。

 アンダーグラウンドな出物もあるため、そういったものの隠れ蓑に、ヘルメスの機材を運び込み、実験場にするということなのである。

「あえて前任者に接触して調整させた、ライザードシステム。せめて改造兵士組くらいには勝ってみせてください。」

「了解」

 秘密結社などと言っても一枚岩ではない。一兵士の優雅の言うことではないが、ヘルメスの全容を把握している人間などいないのではないかと思うほどである。

 ともかく、今年の藍明守には伊達洸耶がいないため、彼が経営する道場を中心とした他流試合や闘技大会は行われない。そのため期間中は地下大会や小さな大会が各所で行われる。ヘルメスが隠れ蓑にするのはその一つだ。

 伊達洸耶を追うAAAも自分らの拠点のすぐ近くに潜るなど思わない、という算段からの実験プロジェクトだ。スムーズに行われなければ困るというところだ。

「気負うなよ」

 いつもは言葉少ない獅郎が今回ばかりは気遣ってきた。しかし、優雅は返事をしなかった。

 ライザードへの変身システムはほぼ完成している。だが、こいつが人食いのごとく使用者を殺すことには変わりない。変身と変身解除を繰り返すと身体能力の急激な低下は免れなかった。鍛えている優雅とて1日の連続変身は2回が限度だろう。2回目の変身解除と共に貧血状態に陥ったことから明らかだ。

 そしてそれは兵器として未完成であると、優雅の頭でも理解できていた。


                 *****


『今年もまたこの1週間の初日を迎えられたことを幸運に思います』

 優しげな理事長の声が藍明守全域に響き渡る。天気は快晴。時刻は早すぎず遅すぎないの午前10時。

『この祭りはついに7年目を迎えることができました。世界中からお客様を呼べるほどになったのは、街の皆様の努力のおかげで、毎年驚きを隠せません。それでは来場する皆様方に楽しさを、全市民に感動を、第7回天青雲祭の開会をここに宣言いたします』

 ボナパルト理事長の開会宣言が終了すると同時に、空に合図の音が、歓声が町中に響き渡った。

「町をあげてのお祭り騒ぎとかスケール大きいなあ」

「だよなあ」

 神威も総司も初体験のため周囲のテンションに圧倒されていた。準備の様子は登下校中にいくつか見受けられたが、それはほんの一部なのだと目の前の光景で思い知らされる。

 校舎の前からメインストリートへ練り歩く仮装した人々や、それぞれの出し物の宣伝をそれぞれの個性でしていく者たち。

「1週間も期間を設けても全部回りきれるのかな」

「半年いる俺ですら全域は把握してないぞ」

 祭のパンフレットとは思えないほどの冊子を見て二人は呆然とする。

「と、とにかくだ! 前日にチェックした所に行ってみようぜ」

「行動あるのみ、しかないか」

 開会宣言を部室棟の入り口で聞いた彼らは、最初の行き先である『1-C仮装喫茶』へと校舎に向かった。

 神威と総司の今後の予定はノープランに等しかった。神威が総司についていったのもある意味では仕方の無いことであったのだ。

 そんなこんなで校舎1階にある1-Cの教室にたどり着くと教室前の廊下にすでに待ちの列が出来上がっていた。

 仮装喫茶。教室の中や受付にいる女子たちの着ているものは肢体を強調した、というかあからさまにお色気を表に出していた。

「あ、来た来た。お兄ちゃんたちは特別予約席にごあんなーい」

 受付にいて二人に気づいた暦が列を無視して教室の中へと案内する。彼女はやけに短いスカートと胸元がよく見えるような服を着ている。胸にはハートマークの紙製のバッジをつけており、そこには平仮名で自分の名前が書かれていた。

 神威と総司は行ったことないものの、いかがわしさを感じ取っていた。彼女が案内した席にはすでに一人が先にいた。

「遅かったな」

 秋人だった。彼の妹は暦と同じクラスなので招待されていてもおかしくない。

 いつも使っている教室机を二つ合わせて、その上にシンプルなテーブルクロスを敷いたような形のテーブルには注文したのであろうショコラ風のケーキがある。

「さっさと座ってゆっくりしろ。こうして特別席を設けてくれたのだしな」


                 *****


 薄暗い空間と金網張りのリングと客席。第一印象としてはそれだ。

 客席にはまばらな客がいる。空席はある。彼らの目的は違法な賭け試合。特に今年は闘技大会の中止により各所で違法な大会が複数できていた。

 これら違法な大会は、当然宣伝を行っていない。参加する選手はクリーンな大会を好まない裏の選手が多く、それを観戦しに来る客は賭け事がメインということもさることながら、血を見たいという物見遊山の客も少なくない。

 本来ならばエントリーする選手は命知らずやスリル中毒者が多いが、先述の通り正式な大会が行われないため、表の大会にエントリーするような選手までもが地下大会に出るようになった。その多くはファイトマネーよりも、単純な名声のためである。

 ただ地下大会の客はクリーンな拳闘を求めて来ているわけではない。

「ぎゃああああああ!!」

 場内に響き渡る悲鳴。リング上では右腕を宙ぶらりんにさせた東洋系ファイターが膝を着いていた。誰が見ても、それが折れているというのが分かる。

 リングレフェリーはそれを見ても試合を中断させない。右腕程度で終わらせないなどではない。左腕も残っているから続行するのである。

 対戦相手の白人のファイターは面倒そうに東洋系ファイターの顔面をぶん殴る。

「ぷぎゅっ!」

 歯が折れでもしたか、顔から血が舞った。東洋系ファイターは顔面を潰され、その場にダウンする。ここでようやくゴングが鳴り、試合終了する。

 白人ファイターはやはりつまらなそうに肩を回しながら、自分のコーナーに戻る。周囲のまばらな拍手に気にも止めない。

 優雅はそのリングを遠巻きに見つめる。試合に興味があるわけではない。

 彼がここにいることがそれを物語っている。

 この地下ファイトはヘルメスが興行しているのである。その目的は1VS1でのデータ収集である。あの白人ファイターは投薬されている。現在、ヘルメスの兵士に使われている戦闘薬のアッパーバージョンであろう。筋肉系を強化し、脳内麻薬で恐怖心を無くさせるものだ。

 恐らくあのファイターは、もはや周囲の音が聞こえてないだろう。触覚系が強化され、それと共に痛覚も鋭敏になるため改良待ちだったはずだ。

 新たなファイターがリングに上がる。黒髪の男だが、背格好は少年だ。恐らくは、優雅とさほど年齢も変わらないだろう。マントのような外套を着けていること以外は、特徴のある格好をしているわけではない。格闘技をしているような体格ではない。あまりにも普通に見える眼鏡の少年がリングに上がったのだ。

 白人ファイターは大笑いする。コーナーから離れて、ファイターよりもずっと小柄な少年を見下ろし、何か口を開いている。もはや呂律も回っていない。だいぶ薬は効いているのだろう。

 だが、強風が吹きつけたような音がしたと思うと、白人ファイターの身体が宙を舞っていた。

 魔法だ。

 優雅は瞬間的に思った。魔術のような魔法を疑似的に引き起こすものとはまったく違う、超常現象を魔力によって発生させる術。それが魔法だ。

 空に放り出された白人ファイターは、リングの外の空いた客席に落ちていく。パイプ椅子の崩れた耳障りな衝撃音がする。

 ファイターがだみ声と共にすぐ立ち上がるが、右腕がだらりと垂れさがっている。受け身に失敗して脱臼でもしたか。

 それに気づいたか、今更痛みでも来たのか。ファイターが甲高い悲鳴を上げた。

「やかましいな。黙らせるか。」

 優雅と共にいた獅郎は動こうとするが、優雅はそれを制止する。

「いらんらしい」

 優雅がそれを言うや否や、リング上から見下ろす少年が右手をかざし、再び強風の魔法でファイターを吹き飛ばした。ファイターは奥の壁に叩きつけられ、前のめりに倒れて、それっきり動かなくなった。

「まったく、誰だ魔法使いのエントリーなんて許した奴は」

「さぁな」

 ここはヘルメスの実験場だ。賭け事は副次的な催しにすぎない。メインの実験に支障のある要素は避けなくてはいけない。

 優雅や獅郎がいるのはモルモットファイターとしてだけでいるのではない。そうした実験トラブルになりかねない対処役も兼ねているのだ。

 特に優雅はこれからリング上に上がる実験改造兵士が勝ち過ぎた場合の対処としてライザードシステムの実験も兼ねて出る予定だった。だがこの状況だと、そのケースはいらないかもしれない。

「あいつが改造兵士に対処してしまうなら、その上で俺が行くまでだ」

 優雅は感情なく言う。彼にとって、オルガの功名心には興味が無い。誰が強いだの、生だの死だの、興味を引くことは無い。

 物心付いた時から、ヘルメスの子飼いとして生きてきた彼にとって、面白いとかつまらないとかは、初めからなかった。自分が息をして生きることに、なんら価値を見出していなかった。死ぬかもしれないという恐怖を持ったことがなかった。

 何を思い、何をし、何のために生きるのか。その問題提起すらなく、ただ戦場を生きてきた彼にとって、直近で死ぬかもしれないという原因になるのはライザードシステムだった。ただそれも怖れではなく、興味として、システムと共にどう戦うかに惹かれ始めていた。


               *****

 

 退室の見送りにまで来た暦と手を振って別れ、学園校舎で秋人とも別れて。

 神威と総司は、男二人で様変わりした目抜き通りを歩いた。

 人、人、人でごった返す様子と、誰もが笑い合う顔の数々に、神威はどことなく安堵を得ていた。

 九狼神威は前述の通り、AAAの中で生きてきた。AAAの組織図の中にも学校はある。どちらかといえば、異能によって虐待を受けたり、兵士として利用されたり、思うように就学できなかった未成年のためのものだ。藍明守学園は、異能者を受け入れるものの、そのほとんどは大なり小なり、そこそこの家庭環境に置かれている学生で構成されている。現状、その受け皿は小さいと言わざる得ないが、喫緊の問題とまでは至っていない微妙なバランスの上で成り立っているからである。

 それら学校の中では見られない生の人々の生活、あるいは笑い合う空間が、神威にとっては新鮮でしかなかった。

 彼にとって、自分がこれから先、守っていくべき世界は学んできた空間からでしかなかったし、そもそも、力を持ち守る意義を疑いなく持っていた。納得しようがしまいが、彼自身のAAAで公正の正義は、こうした笑い合う世界を守るために行われていると信じていた。

 彼の持ち始めた、戦友の死から来る復讐心は、初めて生まれ出た欲望だったのかもしれない。あの日、あの場所で得た初めての憎悪と悔恨。それらは、祭の様子に流されることなく、むしろ異常に際立っていた。心の奥底で沈んでいたはずの憎しみは、守るべき世界という理論武装で、今再び摘み上げられたと言っていい。

 だが。

「なーに、ぼーっとしてやがんでぇ」

 季節外れの静電気で、意識を強制的に持ってかれる。総司はステーキ串を持ちながら、辺りを眺める神威に対し、極小電撃を浴びせたのだ。

 ここ最近、彼はそういう小手先の技が得意になっている。それに戦闘訓練というほどではないが、格闘技術の教練程度のことは神威とやっていた。神威も、今の年齢で教官紛いことをやるとは思わなかったが、飲み込みの良い生徒を持つと、自分が教官もできるのではないかと勘違いはする。

「お祭は、知識として知っていても、体験したことは無いから」

 学園都市である藍明守に、人口以上の人でごった返すことなど、この天青雲祭の他に例は見ないだろう。この期間だけは、本土からの人間のみならず、普段は奇異に映る白色人種も見受けられる。

「まぁなぁ」

 総司はステーキ串にかぶりつきながら頷く。

「俺の地元はほぼ廃墟だし、お祭りといっても、結局親父のグループでやってる納会だったし。」

「のうかい?」

「年末の会合だな。関西振興会。やってることはヤクザ者の仕切の1年の報告会ってとこか。それとともに、シノギの一部の放出ってことで縁日みたいに祭をやるのさ。そんなところにいる子供なんて、俺や緋芽みたいな身内か訳アリ。お互い納得づくの祭で、楽しいというより、勉強会みたいな感じだったがな。」

「何の勉強か聞いて良い?」

「いかに詐欺と分かっていながらも、上手いことカモを釣り上げるか、だな」

「聞かなきゃよかった」

「犯罪と証明するのは、それと証明されることが最重要!ってな」

 総司はステーキ串に残る最後の肉の塊を食い取り、頬張る。噛みちぎり、咀嚼して飲み込み、ため息をつく。

「そんな話をするより、串焼きのほうがよっぽど美味い。さっき暦がもてなしてくれた喫茶店メニューもそうだ。ここに混じりっ気なんてねーよ。」

 そう言って彼はニッと笑う。神威も微笑む。

「僕は、正義の味方を気取るつもりはなかったけれど、そう思っていたのかもしれないな」

「AAAなんて組織はみんなそんなもんだと思ってたけど?」

「中にはいるさ。それを役割として認めてる人もいる。僕は、それらと関係なしに、世界のために働くことを正しいことだと思い込んでいただけだ。」

 神威は、あえて考えてみれば純粋だった。意地悪に言えば馬鹿だったのかもしれない。それを周りにどう思われていたか、今考えると、少し恐ろしい気もする。

「僕は僕が戦うことや任務をこなすことで、大勢の人、大勢の笑顔を守れると本気で思っていた。そしてそれを信じてくれた戦友が1人いた。」

「予想はつくが、どうなった?」

「戦死した。それがつい、2ヶ月前のことだ。」

 神威がそれを語った時には、目抜き通りを抜けて、幹線の回り道や地下鉄の出入り口になっている比較的人通りが抑えられた通りにいた。それでも平時の時よりもたむろする人は多い。パフォーマンスを行う大道芸人や、似顔絵屋、占い屋、それらが軒を連ね、道行く人の注目を集めている。

「そうか。AAAのエージェント様が今更学生をする理由はそれか。」

 わざと煽ったものの、神威は怒り出すことはない。

「あー、悪かった」

 神威が拗ねたようにも思えたので、素直に謝る。それに彼は首を横に振った。

「いや、僕はそれでも復讐のチャンスを伺っていた。友を撃った相手を見つけて、この手で始末を付けると。これは僕が初めて持った個人的感情なんだ。」

 神威が先を行く。地下街への階段を降りてゆく。地上部分に沿って作られた地下街だ。小さなスペースの喫茶店や食事処、各ファストフード店など、全体的に低価格な飲食店舗ばかりが軒を連ねている。表通りと違い、地下は静かだ。とはいえ、地下故に治安は良くはない。酔いつぶれて寝ている人間や、見目好くない人間が通路の端にいる。

「強くならなければならない」

 神威は総司に対し、短く強く言った。

「復讐を遂げるために、前へ進むために」

 そう言う神威の目には力があった。あえて言えば、前に神社で相対した時の目付きだった。どす黒い何かが灯った目付きだったが、こういう理由だったのだ。

 それを再び見ても、総司は特に気にしなかった。

「俺はとくに気にしないし、復讐はためにならないとか説教臭いこと言うつもりはねーよ」

 普段穏やかな神威が燃え上がらせた憎しみの目。心の奥底に潜めた憎悪の端っこを見たのだが、総司はだからといって嫌悪してはいない。あくまで、今の彼には関係ないことだ。数ヶ月前なら、総司がゼフィスに抱いていた嫌悪と憎しみに似ていたかもしれないが、それと一緒にするのは気が引ける。

 ただそれと似たようなものと考えるならば。

「ただもしその復讐に俺や暦を巻き込むことになれば、その時は一旦止まってくれ」

 総司の口から出た条件に、神威は少し驚きがあった。彼は復讐を遂げた後どうするのかと問われるのかと思ったのだ。

「ああ、復讐には巻き込まないようにする」

 神威は優等生である。憎しみは全て自分のものだから、手伝えとも、ついて来いとも言わなかった。己だけで済ますことと、思っていた。

 総司はチンピラである。優貴とのことで暦を巻き込んでやろうと考えてしまった。ただ結果として優貴ではなく、暦を選んだだけのことだ。総司自身はよかったものの、神威には尾を引くような所業をさせまいとする釘刺しでしかなかったのである。

「こうして地下道に来たのは、地下ファイト目的、だろ?」

「もちろん」

 お互いの思いはさておき、神威の目的のため、強さのレベルアップのため、邁進する。先述のように、今年大きな表の試合はない。それに伴い、グレーよりの違法ファイトは各所で行われている。またはそうした目的のストリートファイトか。神威や総司のような未成年には血生臭い話ではあるが、二人ともそれぞれ違う意味で慣れっこである。

 そうして物怖じせず、直近の地下リング場へと足を踏み入れた先では、修羅場が展開されていた。詳しく言えば、神威があの日に見た強化スーツと、ゼフィスがリングを全損させて戦闘を行っていた。


               *****


 結論から言えば、エントリーしてきた魔法使いと目される少年は滅茶苦茶で、魔力リソースが尽きることなく、実験中の改造兵士をぶっ飛ばしてしまった。

 試合の警備目的、または勝ち過ぎるファイターに対しての役目が、優雅だ。その時はすぐに来た。

「行く」

「あれを捕獲しろと?」

「見た目は人間だ。生きてればなんとかなる。」

 優雅のチームの主任研究員のオルガもそうだが、ヘルメスの研究員はいつも無理難題を言う。自分らの方が頭脳労働で大変だと言いたげだが、先の伊達洸耶捕獲でも、実働部隊に犠牲は出ている。末端かつ主流でない優雅や獅郎が駆り出されていることからも明らかである。

 今回も魔法使いを捕獲せよとの指令が出た。魔力切れの無い魔法使いは珍しい。伊達洸耶の盟友ロフィス・エントクロマイヤーがそういう魔法使いなので、血縁か何かなのだろう。ただそうすると如何に少年とはいえ、油断できないものになる。

 故に命令は聞いたフリだ。要は生きていればいいのだ。

「ブースト・オン」

 優雅は腕輪をスライドさせて、音声認識のトリガーを引く。ゼフィスの目の前に進む間に、優雅の姿は黒い強化スーツとなっている。

『制圧する』

 優雅は短く言って、狂気的な目をギラつかせた少年の前に立った。

「何のマネか知らないがぁ」

 少年はそう言い、呪文をいつ唱えたのか、唱える必要も無く発動させられるのか、人間大の火球を右手で発射させる。

 火球は強化スーツに直撃し、辺りに熱量がばら撒かれる。

「優雅!」

 獅郎が声を上げるも、魔力の炎の中から現れたのは無傷の強化スーツだ。

『問題ない。この程度ならば。』

 許容範囲内の魔力といったところだろうか。この【ライザード】で防げる。

「なめる、なぁ!!」

 少年は周囲の被害も構わず、十個かそれ以下の拳大の光球を生む。おそらくそれぞれがそれなりの爆発力を持つ魔力球だろう。

『そうだな』

 ライザードは地を蹴り、光球をすり抜け、少年に接近、肉薄する。そして右の拳を手加減なく打ち込む。生きていればいいなんてものではない。ほぼ本気の拳打だ。

 それは車に撥ねられるレベルの衝撃力になる。

 ドン。

 ライザード内の優雅にも分かりやすい、奇妙な衝撃音が響く。明らかに直撃した音ではない。何かの障壁で勢いを殺されたような、鈍い音だ。

「ハハァー!!」

 爆笑とも哄笑とも取れる気持ちの悪い笑顔と共に拳のダメージを物ともせず、ライザードの顔を掴む。それと共に、魔力爆発を起こしながら、ライザードを吹っ飛ばした。

「優雅ぁ!」

 おそらく少年は筋力も魔法で強化しているのだろう。ライザードの拳打の威力が落ちたのも、魔力のバリアか何かのようなものか。

 獅郎の心配げな声にライザードはすぐに答える。

『問題ない、と言った』

 ライザードは相変わらず無傷だ。スーツは無傷でも、先ほどの爆裂で、ライザードシステムのエネルギー量がかなり減った。イエローゾーン。継続使用注意だ。

 言葉として問題ないように言ったが、防御している間にスーツ効果時間が切れてしまっては元も子もない。

 そして、生半可な攻撃では威力を減衰されてしまう。

『耐えるなら、一気にやるしかない』

「僕のこの力さえあればねぇ!!」

 少年は狂ったように言って、黒い魔力波を飛ばしてくる。それらは避けることができる。問題は魔法使いの障壁を破っても減衰されない力だ。

 だがそれもライザードシステムには備わっている。

 マキシマムブレイク。ライザードシステムのエネルギーを圧縮させて一気にぶつける技だ。

『ブースト』

 先ほどと同じように、距離を詰める。その時と違って、腕輪に命じている。

『マキシマムブレイク』

 システムによってチャージされたエネルギーが、今回は障壁のようなものを破っていく実感がある。少年は笑っている。それが見下した笑いなのか、理解できない笑いなのかは、優雅には見分けることができなかった。

 しかし今回は、鈍い音も鳴らず、叩いたとも触れたともならない状態でライザードの拳は少年の腹の上で止まってしまった。

「ひ、ひひっ!」

 少年がかすれた笑い声を発した瞬間、ライザードの拳からエネルギーが破裂し、少年の身体を吹っ飛ばした。真っすぐ飛ばされた少年は破壊されたリングを巻き込み奥の壁に叩きつけられた。

 そしてその瞬間、ライザードシステムの変身も解除される。優雅の元の姿に戻る。

 以前ほどの疲労はないが、それでも体力の消耗を感じる。調整されたとはいえ、やはり連続使用は危険だろう。

 あの少年は動かない。骨の何本かは折れたか、あるいは気絶しているだけかもしれない。何にせよ、システムにエネルギーチャージがされるまでもう一度変身することはないだろう。

「お前!!」

 優雅が肩で息をしていると、大声が上がる。視線だけ向けると、出入り口のほうに少年が二人、増えている。声を上げた方は一目で誰か判別できなかったが、もう一人の方は覚えがある。

「お前たちは?」

「いかん、優雅、こいつはあの遺跡にいたAAAのヤツだ!」

 疲労で頭が動かない優雅を守るべく立ちはだかる獅郎。彼が言った言葉から、遺跡の一件を思い出す。そう言えば、と掃討したAAA部隊に混じっていた顔かなと思った。

「都合がいい」

 AAAの少年は構えを取って、戦闘態勢に移行する。ここがどういう場所からお構いなしのようだ。彼の隣にいる少年は、優雅に気付いたようだが、事の成り行きを見守るために後ろへ一歩引いた。

「仇だ」

 少年が言うと、地下で室内だというのに強風が吹き荒れ始めた。


                   *****


 神威と総司が入った違法試合場はすでに荒れ放題だった。リングは破壊されているし、生きているか死んでいるか判別できない人間の姿も見受けられる。

 そして今まさに、なぜか会場にいたゼフィスが黒いアームスーツに吹き飛ばされるところだった。吹き飛ばされたゼフィスは壁に叩きつけられた。

 ゼフィスの容体は心配だが、黒いアームスーツの変身が解除され、神威の目の色が変わった。

「お前!!」

 忘れもしない。遺跡襲撃に関わった男だ。あの時見たアームスーツの変身者は彼ではなかったが、そんなことはどうでもいい。

 あの男と、大男が一緒に、ここにいる。

「お前たちは?」

「いかん、優雅、こいつはあの遺跡にいたAAAのヤツだ!」

 あのアームスーツの影響だろうか。明らかに披露している男は神威を判別できていない。しかし大男のほうは神威を覚えていた。大男、獅郎は優雅を庇うように立ち塞がる。

「都合がいい」

 事ここに至って、もはや是非はない。神威には復讐相手しか見えていなかった。共にいた総司は、固唾を飲んで一歩下がる。

 神威は戦いの構えを取って、戦意と敵意を集中させる。

「仇だ」

 そう言って、自分の風の力を周囲に起こし始める。普段は使わない広域に渡る影響力だ。強風吹き荒れ、パイプ椅子が音を立てて飛ぶ。

「死ぃぃぃぃねぇぇぇぇぇ!!」

 神威から発せられる強風が、優雅や獅郎に叩きつけられる。

「ぬうううう!?」

 優雅の前にいる獅郎が苦悶に喘ぐが、手足を強風に取られ動くことはできない。

 動けない大男の横をすり抜け、優雅に神威自らの風を叩きつける。

「あいつは」

 総司は呟く。少し前、港湾区で出会った男、その人だ。彼が神威の復讐相手だったとは。そうとは知らず少し手を貸したこと、普通に接したこと、ごちゃまぜになって罪悪感が生まれる。

 神威が今まで見たことのない顔で抵抗力の無い相手に襲い掛かっていることにも、総司にとっては迷いが生まれる。

 これでよかったのか、あるいは、ただいい顔をするためだけに神威に同意をしていただけではないか、と。

 そんな躊躇いをしていると、獅郎が唸り声を上げて、風の拘束を解く。そうして踵を返してしまっては、神威に向かうのは必然だ

「くっ」

 未だに迷う中で、罪悪感から、あるいは罪の忌避から総司は動く。

 とはいえ、相手は総司よりも一回り体が大きい。後ろからの奇襲でも効果があるかは分からない。

(放電は最小)

 総司は心に念じながら、獅郎に接近し、フェザータッチしながら電流を発する。

「うぉっ」

 大男が予測外の痛みを感じて驚愕し、よろめいた。あると分かっていても静電気に痺れを感じない人間はいないのだ。

 意識外の相手に横槍を食らった獅郎に、総司はすかさず神威と優雅との間に割り込み、多くの普通の人間を沈めてきた拳を顔面に叩き込む。

「ぐ、お!」

 効いている。大男の呻きに会心の笑みを浮かべた総司。しかし、そう甘くはなかった。

「こ、の」

 大男は呻きながら、総司の左腕を掴んでいた。まるで血圧計の空気が送られるような圧迫感を腕に持つ。

「邪魔、だ」

 相手は呟く様に言いながら、総司を強制的に引きずり落とした。

「うっ」

 総司の目の前が瞬く。鈍い頭部の痛みと共に目の前が暗くなりそうになる。そして、次の瞬間、彼の視界は天を仰ぐ。

 獅郎の戦闘スタイルは、見ての通りのパワータイプだ。力づくで総司を投げ飛ばすことなど、わけもないらしい。

 低電圧で奇襲され、怯んだ後の奇襲攻撃は確かに効いたが、獅郎の意識を総司に移させるにはパワーが足りなかった。

「がっ」

 地面に体を叩きつけられた総司は苦悶の息を吐いた。総司の方は獅郎を甘く見たわけではない。単に経験不足なだけである。総司が知らぬこととはいえ、プロの少年兵にケンカを売っているのだから。

「野郎」

 総司はよろめきながら立ち上がる。

「邪魔をするなら潰すぞ」

 獅郎は最後通告のつもりで、少年に言ったつもりだったが、総司はそんなことで怯む少年ではなかった。

「そうもいかねぇ」

 獅郎にとっては、総司は口調の悪い少年といったところか。少々腕っ節の強い悪ガキ。捕まえれば組織の土産にもなろうが、今はどうでもいい。優雅を襲うAAAのエージェントを止めなければならない。

「今は、あいつにやらせておかないといけねぇ」

「ならば腕の一本は覚悟してもらおうか」

「やられるかよ!」

 それ相応の痛い目を見てもらうと言われて止まる総司ではない。彼は元々そうだ。この電撃能力で全て勝利してきた。今回もそうだったということにするだけだ。

 リーチも重量も違う、真正面からでは危ない相手でも総司の必殺は通じる。

 総司が向かって行って、いとも簡単に彼は頭を鷲掴みにされる。頭をがっちりと挟まれるような感覚を覚え、圧迫感に意識を持ってかれそうになる。

 だがそれでも獅郎の右腕に組みつくことはできる。

 一瞬後、獅郎は目の前が真っ白になり、悲鳴を上げた。

「がぁぁぁぁぁ!」

 痙攣するように海老反りになって悲鳴を上げる大男。そして総司から手を離し、膝から崩れ落ちて巨体を地に落とした。

「どう、よ」

 頭をさすりながら、総司は呟いた。大の男を時には死に至らしめる高電圧高電流放電。自然界で感電は早々起きない。失神するようなそれを食らうことは初めてであろう。こんな力を昔は嬉々として振り回し、時には弱めて女性にも使っていたことがある。暦にはあまり話したくない思い出だ。

「くぅ」

 掴まれた鈍痛や、投げられた影響の疼痛に、総司とて膝を着く。

 神威の復讐戦を横目で見ると、すでに風の影響はそれほどもなく、掴み合い、殴り合いになっているようだ。子どもの行き過ぎたケンカにも思える。

「ぐうおおおおおお!!」

 大の男が気絶するほどの、悪くすれば植物人間になるほどの電撃を見舞ってやったというのに、咆哮と共に獅郎は立ち上がっていた。驚愕の出来事に総司は反応が遅れる。

 半狂乱。意識があるのかないのか、判別はつきかねる。止めるために動いた総司は、獅郎の暴れに対抗できず、裏拳を辛うじてガードするぐらいであった。

 まともに相手のパワーを受け、ガードした腕が痛む。痛みのおかげで総司は本当によろめき、後ろへ倒れる。

「くそが」

 電撃攻撃は総司の体力を当然奪っている。消耗し、力があまり入らない中、なんとか立ち上がろうと呻く。獅郎は神威を押さえつけようと進んでいくのがおぼろげに見える。

 そして乾いた音が折り重なって聞こえてきてから、獅郎が崩れ落ちるのが見えて、総司の意識が途切れた。

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