2 能無し

 仮の身分証明書には『御剣優雅みつるぎゆうが』とある。

 彼には名字はない。優雅とは拾われた時に付けていた名札からであり、本人には実感がない。

 身長は一般的な成人男性と同じくらい。彼自身、そして周囲も、彼の年齢を祝ったこともないし、数えたことはない。ただ年頃は未成年か成年ぐらいであるだけだ。

 彼は物心付く前から武器を握っていた。いわゆる、少年兵。しかもまともな軍属ではない。テロ屋やゲリラと特に変わりないものの、使い捨てにされるなら一瞬という、秘密結社の兵士だ。

 優雅ほど若い兵士は怪我をしたらすぐに実験台行きになった。だからすでに同世代というのはいない。隣にいる、獅郎しろう以外は。

 獅郎は優雅に比べて体格が大きい。身長は190ぐらいはある。名前は元々無く、ナンバーで呼ばれていたが、実働隊で近しかった縁から、優雅が名付けた。4番目のナンバーよりも、雄々しい獅子から名を取った。

 彼ら2人は、秘密結社ヘルメスで数少ない生身の兵士として、東へ西へ戦場を回っていた。

 今回身分証明書が発行されたのは、極東の都市に行くためだった。

 学園都市藍明守。それが目的地だ。

 目的地に行き、現在開発中の装備の調整を、都市にいる結社所属だった科学者に依頼する。そして、完成した装備を回収し、帰還する。ただそれだけのお遣いだ。

 なぜそれだけのお遣いに優雅と獅郎が行かせられるかといえば、調整を依頼すること自体が内密だからだ。

 例の科学者というのは、ヘルメスの初期メンバーでありながら、開発方針の違いから脱走した。もちろん組織から追っ手は放たれたが、彼が真っ当な会社のお抱えになったことで、断念せざるをえなかったとか。

 組織には彼の頭脳を信頼する者が少なからずいる。優雅の上司のオルガ・ベルブラウがそうだ。彼女は、脱走した彼に代わり開発責任者となった叔父のミカエルの方針に反し、オリジナルの完成に拘った。

 現在プロジェクトは伊達洸耶の捕獲により最終段階に入っている。

 そのためオルガの思惑は未練でしかない。オリジナルは調整されたとしても欠陥品だ。先日の伊達洸耶の捕獲に役立ったが、使用者は死亡した。どういった構造なのかは優雅に理解できないが、鍛えている人間が扱わないと使用している内に肉体が追いつかず、人間が負けてしまうそうだ。

 プロジェクトの方針は『促成された強力な兵士』だ。オリジナルはその方針の真逆だ。前任者が何を考えたかは知らないが、今の優雅には理解できることではなかった。

 とにかく優雅は獅郎を伴い、日本に普通に入国する。サングラスに黒コートという怪しげな出で立ちだが、入国審査で観光目的と言えば、特にチェックも受けず抜けられた。

 空港を出ると、異常な湿気と熱気が2人に押し寄せた。兵士である彼らは暑さも寒さも耐えるよう鍛えられたが、今回は戦場に来たわけではない。素直にコートは脱ぐ。

 コートを脱いでも汗ばむ熱気に辟易しながらタクシーで向かうのは、藍明守に隣接するエリア、武藤ニュータウン。

 藍明守は学園都市だが、生産都市ではないし、良くも悪くも学生を相手にする普通の街である。武藤ニュータウンは藍明守の中流家庭の働き口のため整備された大人の街である。大人のための娯楽、つまり性風俗やギャンブル店がごった返しており、表向きこそ繁華街だが、裏では金と性と暴力が渦巻いている。

 そんな街だが、表向きには蔵人クラウド重工の門前町となっている。港湾区も有するため、金属製品の輸出入も関わり、一流大企業となっている。

 その研究部門に優雅たちの目的の人物がいるのだ。秘密結社の人間が行くのだ。上司はコンタクトを取っているものの、それは正式なアポイトメントではない。

 通常のオフィスに現れたラフな格好の青年とガタイの良い男に、周りは怪しむ。

 蔵人重工が武藤で幅を利かせているのは誰でも知っている。ただ同時に、武藤の裏で幅を利かせている存在も知っているのだ。武藤グランドホテルを隠れ蓑とする極道の存在がそうだ。港湾区で発見される身元不明の死体は、彼らの仕業とする都市伝説が流れているのを誰もが知っている。

 オフィスに似つかわしくない存在は、誰もがそれら極道と結びつけ、避ける。存在を怪しんでも積極的に関わろうとしはしない。

「まぁ好都合だ。接触を急ぐとしよう。」

「ああ」

 周囲の避けつつも懐疑の目線を鬱陶しく感じながらも、前向きに言う獅郎。優雅は徹頭徹尾興味が無い。

 ただ彼らとして問題は、人物の名前を知らなかった。目的の人物の写真はあるものの、その人物は結社では名前を持っていなかった。

 コード303。それが人物の通り名だ。結社を脱走し、すでにその名を使ってはいないだろう。連絡は一方的に取れていても、現在の詳細なプロフィールを確保できるほど自由に動けないし、そうする余裕がないミッションでもあった。

 名前を知らない人物を1階フロアでも多数の人物が行き交うオフィスで容易に見つかるはずもないことをまったく想像できない世間知らずな少年兵は、受付に尋ねる。

「人を探している」

 写真を受付嬢に出すが、彼女は写真を一瞥して営業スマイルで真っ当な対処をする。写真の中の人物は一見普通の眼鏡の男性だ。しかしサイボーグ化した身体に白衣を羽織っているという特異な人物である。

「失礼ですが、どの部署に所属しているかご存知でしょうか。あるいは何かお約束がありますか?」

「ない」

 獅郎は素直に答える。受付嬢は困った顔をするでもなく、一瞬だけ視線を外した。

 視線を外した先は誰もいないが、1階フロアの入り口や案内所を監視する防犯カメラがある。また異変を察知していた警備員がすでにフロアに来ていた。

 受付嬢の一瞬のメッセージをきっかけに、白い制帽の警備員が一人、少年兵らに近づく。

「申し訳ありません。こちらで詳しくお話を。」

 受付嬢と違い、真顔の警備員は体格の大きい獅郎へ物怖じせずに近づく。だが警備員の思うよりも、彼らはコトを荒立てる方向で動いた。

 獅郎は警備員の顔を鷲掴みにし、片手だけで振り払った。警備員はピカピカに輝く床面を滑るように転がる。大けがというわけではないが、しばらく動けないだろう。

 ただ獅郎の手出しを見て、警備員の増援がすぐさま駆け付けた。詰所から駆け付けたであろう増援は、少年兵らを取り囲む。

 優雅と獅郎は包囲されたものの、表情に変わりない。今は非武装であるものの、素人に毛が生えた程度のアマチュアが、未成年とはいえプロに勝てる道理はない。

 事実、警備員は彼らを包囲するも、腰の警棒を構えることができず、竦み上がっていた。

「待て待て待て待て待て」

 息を呑む緊迫した状況の中、白衣を着た眼鏡の男が声を上げて近づいてくる。

「彼らの目的は私。そうだろう? ならば私が預かろう。いやはや迷惑かけたね、まったく。」

 眼鏡の男性は写真とそっくりの見た目だ。白衣の下こそ作業着だが、小手のような金属質の手を振っている。

「さぁ君たち、こちらに来たまえ」

 姿こそ写真と同じだが、おおよそ結社に所属していたとは思えない陽気さに満ちた男を見て、多少驚きを隠せない。とはいえ、目的の一部は果たせた。それ以上の疑いをせず、男の誘導に従う。

 彼は優雅と獅郎を一端外に誘導し、オフィスとは別の棟の建物へと入らせる。カードリーダーで入館を管理する本格的な企業の機密部のような場所である。

 ただカードでの入館を許すと、それ以降はセキュリティの類は一切見られない。またすれ違う人間は優雅と獅郎を一瞥しただけで、すぐに無視をする。

 またこの研究棟に警備員の姿はない。防犯カメラこそ見受けられるが、廊下だけに留まっているようだ。

 男の誘導に従い、研究棟の一区画へと足を踏み入れる。少年兵らには理解のできぬ事物がそこかしこに置かれている謎の空間でしかなかった。

 そこには優雅らと同程度の年頃の青年が一人PC画面に向かって作業をしていた。

「ツァイスさん、もうサボりは終わりですか?」

「休憩だ、休憩。ほぼ煮詰まってるものに何かしようっていうのがおかしいんだ。」

 男は現在ツァイスという名で呼ばれていた。自分で名乗ったわけではない。最初は藍明守に来て、最初に出会った人間から名付けられた。彼女の飼っていた犬の名前がアインだったことに由来する。

「さて」

 ツァイスは座り心地の良さそうな座椅子にどっしりと座ってから、優雅と獅郎に向き直る。

「まったく遠路はるばるご苦労なことだ。まぁいいさ、寄越せ。」

 ツァイスは偉そうに右手を差し出した。それに対し、優雅と獅郎は目を見合わせて、元結社員をいぶかしむ。

「データだけ渡すつもりはないんだよ。ブツがあるんだろう?

手ずから改良してやる。なんせ、実現を可能にしたシロモノがそこにある。」

 彼は初めから一方的に連絡を受けた時点で、自分の放置したブツの改良が目的になっていた。組織と方針がぶつかった時点で、やる気がなくなって設計で投げた。

 設計通りに作っていると、欠陥が必ず発生する。その欠陥を抑制し、根本的な出力を上げる。また、現在作られたデータも大変興味がある。

「俺たちには判断が付きかねる、が、目的の人物の要請にはできる限り従えと指示を受けている」

「これ、だ」

 獅郎は大胆不敵な相手に困惑する。だが指示を受けている以上、要求には従う。

 優雅は預かっていたモノ、腕輪のようなものをツァイスに渡す。

「ケケッ、久しぶりだなぁ、お前」

「随分小さいですね、ソレ」

 ツァイスの助手らしい青年が腕輪をチラッと見て素直な感想を述べた。ツァイスの方はと言えば、久しぶりに会った親戚のような笑顔でいた。

「ちなみに、これで何人死んだ?」

 そのままの笑顔で物騒な質問を向けてくる。

「ついこないだ一人死んだ。それぐらいしか知らん。」

 優雅は質問に対して無感情に答えた。先の遺跡襲撃の作戦において、腕輪を使ってアームスーツを装着した者がいた。一回目はさほど問題なかったが、三回目の装着で死んだ。腕輪がアームスーツを展開して装着させるシステムだそうだが、連続使用に向かない。二回目以降の装着は運動エネルギーを内部エネルギーではなく、装着者本人から強制抽出を図るそうだ。それ故、三回目以降になれば肉体的負担は相当なもので、ものの数分で肉体が壊死するのだ。

「イクスペルシステムとは根本的に設計思想が異なるようですね」

「蓮君の設計したイクスペルは画期的なシロモノだ。私の作ったモノと異なって当然であろう? まぁだからといって性能的に負ける要素はないがね?」

「フフ、ありがとうございます」

 蓮と呼ばれた青年は微笑む。ツァイスはどうやらここでもアームスーツのシステムを開発していたようだ。話の流れからすると、設計したのは青年のようであった。

「このライザードシステムは人間を超人化することに主眼を置いている。量産して兵器にすることなど、初めから想定などしておらんわ!」

 設計者の渾身のネタばらしとも言えよう。元開発責任者である彼は、初めから組織の方針に従う理由がなかったのだ。そして同時に、腕輪の調整は組織の意図を逸脱することとなる。

 優雅と獅郎はそれらを知っても、動くことはできない。彼らに異能は無い。

 だから使い走りにされている。少年兵をすることでしか生きる術を持たない。そのため、根本的に組織への忠誠心を持たない。ツァイスの発言意図をくみ取り、組織と協調する気すらない者への断罪をすることを判断できない。

「それで、いつ完成する」

 優雅の問いは事務的だ。機械的と言ってもいい。ほとんど自己の意思を感じ取れない。

「お前たち次第だ」

「何だと」

 吊り目の眼鏡の男は挑発するかの如く言う。獅郎は意味が分からずにケンカ腰になるが、ツァイスはまったく動じない。

「テストせずに調整なぞできんわバカ者。こいつは下手な量産が利かない一品モノだ。つまり貴様らの命よりも代えられないモノだということだ。」

「テストか。どういったものだ。」

 優雅はまったく動揺しない。彼は自分の命などどうでもいい考えだ。駄目な時には死ぬ。死生観がハッキリしていた。

「この街の昔の華僑居住区は今や大陸系マフィアの溜まり場になっている。噂では武器庫などもあるらしい。嫌われ者がこの街でどうなろうと、気にはすまいよ。」

「そうか」

 優雅には興味のない話だ。銃で撃てば人は死ぬ。それが異能の者でも変わりない。ごく最近、銃弾を異能の風で防がれたことがあるが、死角から撃たれれば同じことだ。どんな力で、どれだけの命を消したところで思うところはないと思っていた。

「17時に大陸人街の入口で合流するとしよう」

「了解した」

 ツァイスから日時を指定され、優雅は頷く。話は着いたとして、そのまま彼らは研究棟を出る。

「本気ですか、ツァイスさん」

「何がだ」

 ツァイスは腕輪の機械を弄くり、手早く中身を露出させる。その中身にコネクタのようなものを差し、有線の先の端末で中身を読み込み始める。

 その作業の中で、蓮という青年が問いかける。

「今大陸人街は抗争の真っ最中だから関わらないほうがいいと言いましたよ」

「確かに聞いた。だから、ちょうどいい。」

「そのシステムとイクスペルを戦わせるつもりですか」

「タイミングが良ければそうなる。君の兄さんに連絡しておいても構わんよ。」

 蓮の非難じみた言葉に、ツァイスは聞く耳を持たない。

 このツァイスという者は、蓮の兄からの紹介でこの研究棟に入った。蓮の顔馴染みであり、もはやドの付く変人として噂されている。放置しておけばただのマッドサイエンティストとして、フランケンシュタインでも作りかねない研究者だ。

 とはいえ彼は入った当時に設計段階であったイクスペルシステムを完成まで押し上げた。開発チームの一人だった年若い蓮にとっては師事するに足る人物であった。

「そうします。ツァイスさんは心配しませんが、僕は兄の心配をしますので。」

「条件はなるべく互角の方がよいのだが、仕方あるまい」

 ツァイスはそう言って、キーボードに向かう。彼の両手の金属質の指はさらに5つずつに細分化し、異常な速度でキーをタッチし始める。

 彼は全身サイボーグ化した人間とは言えない人物であった。ただ、研究を楽しみにすることにかけては人並みであった。

 蓮はため息を吐いて、外線電話を掛ける。

 外線の短縮番号の識別名は、静流しずるとある。蓮の2つ上の実の兄である。

 今年、藍明守の普通科を卒業し、武藤ニュータウンで何でも屋の如き探偵をしている。

 大陸人街が殺気立っていることを知らせて来たのも兄だった。武藤の極道と大陸系マフィアとの抗争に巻き込まれているらしい。

「どうなることやら」

 手っ取り早い実験場に抗争中の現場を選ばれるとは思ってもみなかった。兄には元々開発していたイクスペルシステムを持たせている。死にはしないだろうが、対決は必至であろう。

「ああ、静流兄、今大丈夫かい?」

 不安半分で蓮は情報を伝えることにした。


                   *****


 蔵人静流は自分が矛盾に満ちていると自覚している。

 彼のホームグラウンド、武藤ニュータウンはお世辞にもいい街ではない。藍明守の外核都市として、港湾部を利用しながら、資本と労働のバランスを取っている。

 それによって生まれる闇。裏ギャンブル、違法風俗、麻薬、そして極道とマフィア。どれも手を出してはならない、関わり合いになるべきではないものばかりだった。

 正義感だけで首を突っ込むことではない、と理解していた。

 だがそれでも、そうした闇に何もできない弱者がいることを見逃せなかった。

 静流の蔵人姓は伊達ではない。父親は社長だ。本来ならば静流は御曹司である。

 生半可なノブレスオブリージュだと蔑む者もいた。だから、あまり蔵人姓を名乗りたがらない。

 彼は武藤でどうにもならなくなった人々を守るため、手前勝手な正義感で元々暴れていた。それを諭したのが先代所長だ。

 その先代も亡くなった。街の守り手の牙とすべく開発したアームスーツシステム、ライザード・イクスペルシステムの試験運用中、システムの暴走によって。

 先代の遺志を継ぐためと言い訳し、己の正義感を肯定させているという見方もある。それに静流の年齢で天秤の中心となるのも荷が重すぎる。弱き者を守るために強い力を行使するのはいかがなものかということもある。

 静流は、自身に課せられた矛盾と問題を胸に今日を生きている。

 例えば、ナンパである。

「暦ちゃんマジカワー。俺ともデートしようよー。」

「もー、駄目よー」

 自身と同じ名を関する神社で、現在は休日のみ開店する休憩所。

 その軒先で小柄な店員さんを口説く静流。胸元を開けたワイシャツを着て、ネクタイはだらしなく緩めてある。スラックスは折り目がどこかも分からない。

 おおよそまともな社会人の格好ではない。休日とはいえ、そのような格好の男性が真っ昼間からナンパに興じているなど、怪しさしかない。

 だが困ったことに、配膳をしている店員の暦も、店の中にいる総司も、彼とは顔見知りだ。

「ここで口説くな阿呆!」

 罵声を上げてかき氷を作る総司。喫茶休憩所のバイトである。総司が住んでいるマンションの管理人に言われてやっているのが半分、社会経験のためにやっているのが半分というところか。

「と言っているが、暦ちゃんはどう?」

「興味ありません」

 暦は営業スマイルなのか笑顔なのか分からぬ顔で断ってくる。すげなく断られた静流に残念な顔は見られない。ナンパが成功するとは思っていない。

 隣町がホームである静流が彼らと顔見知りなのは、もちろん、総司との繋がりである。まだ荒れていた総司が、藍明守に遊びに来ていた静流にケンカを売ってしまうのは必然だった。不良上がりだった静流も、半ば本気になってしまった。足を止めての拳だけの乱打のし合い。ケンカというよりは意地の張り合い。

 そのケンカは警察が来るよりも早く暦が通りがかって中断した。3人の縁はそこからの話なのである。

 総司と静流にもう因縁はない。意地の張り合い、同属嫌悪か。何にせよ、今は悪友である。

「いただきます」

 総司から多少乱暴に渡されたミルク宇治金時かき氷に手を合わせて、静流は言う。数少ない友達である。顔つき合わせて愛想笑いするような付き合い方を彼はしないのだ。

 冷たくて甘いかき氷を一口。口の中に広がるほんのりの甘さと、強烈な冷たさに暑さを潤した時、携帯が音を鳴らした。仕事用の電話ではなく、個人用の電話だ。仕事中なら鳴らない着信音と着信表示に、食事を邪魔されたことなど吹っ飛ぶ。

「おー、どした、蓮」

 実家の研究所で研究者として働く弟の番号からの着信だ。出ないわけにはいかないし、嫌う必要もない。

『ああ、静流兄、今大丈夫かい?』

「おうよ」

 これが今抱えてる案件のドンパチ中なら、今抗争中、とでも冗談を飛ばすところだ。

『ちょっとツァイスさんが昔の同業者にイクスペルに似たシステム兵器の実験を例の抗争の真っただ中に投入して実験しようとしてて』

 電話口の弟がため息交じりに言ってくる。弟からツァイスという研究者のことは聞かされたこともあるし、会ったこともある。とてもカタギには見えない研究者だ。元を正せば、先代が彼を静流の実家の研究所を紹介したことが始まりではあるが。

「なるほど、火に油を注ぐようなことしてんな、あのオッサンは」

 ツァイスの年齢は分からない。とはいえ、静流の年上なら、それはオッサンに違いない。

 例の抗争というのは、現在静流が地元極道から調停を頼まれている大陸系マフィアとの抗争のことだ。外からやってきたマフィアが武器にモノを言わせて、武力で港湾区を奪い取ろうとしたことに端を発する。勝手に侵攻してきたのはマフィアなので、極道とはいえ蔵人重工と武藤の街を表と裏で支え合ってる方として正面切って抵抗しないとメンツが立たない。それ故に流される血も際限がない。夜に銃撃戦だけでなく、昼間に事務所周辺でナイフの刺し合いも幾度となく起きている。

 武藤の街としても藍明守の祭が少なからず収入になる。それまでにこういう抗争は終結させねばならなくなったのだ。

 静流が『調停』という意味で依頼を請け負っているのは、これら抗争が一般市民に類が及ぶことの無いようマフィア側の指揮官との交渉も兼ねているからだ。

『面倒かけるようだけど』

「なぁに、向こうさんの兵隊が少なくなるのを祈るだけだよ」

 静流自身は前向きに言う。頭の中で考えた最悪の予想は確かにある。だがそれを言うことなど無いし、不安さを弟に見せることも無い。

 自分は蔵人蓮の兄貴、蔵人静流である。そのことを変えようがない。

 弟の蓮は自分と違って頭の出来が違う。目端が利く彼に研究職を薦めたのは、兄の静流である。弟のおかげで先代が犠牲になった上のイクスペルシステムは完成を見た。今システムを扱っているのは外ならぬ静流である。

「まぁ、気にはしておく」

『気をつけて』

 弟に心配かけぬよう注意を払いながら答え、電話を切る。放置されていたかき氷は多少融けたものの、食べる分には問題ない。それら残りを口に運ぶ。

 ほんの少しの涼を得て、静流は立ち上がる。考えることは多い。ただ目標は変わっていない。

 とりあえず、1人の力では手が足りていない。

「なあ、こっちでもバイトしていかねぇか」

 静流は、総司がそれなりに腕の覚えがあることを身に染みている。ともすれば、報酬さえ払えば手伝いもしてくれるのではないかと、軽い気持ちで提案してみた。

「かき氷代くらいちゃんと払えよ! 稼いでるんだろ!」

「そうじゃねえよ」

 代金のツケの話だと思ったらしい。静流は即答しながら微笑む。

「今夜の仕事で手が足りねぇからヘルプ頼めねぇかってことだよ」

「てめぇのヘルプってペット探しか、厄介モン退治だろ」

 レジに静流からの代金を受け取って、おつりを数えながら総司は言う。以前、同じように軽いバイトのつもりで頼みを引き受けて、ペット探しをした。労力の割にバックは低かった。

 一方、厄介者退治ということで中学生の無免許暴走団の退治を手伝ったこともある。報酬は高かったが、お気に入りのバイクを半壊させてしまった。今も修理中で、報酬の半分以上が消し飛んでしまった。

「厄介モンの方だ」

「はん、相手は?」

 静流がお釣りを受け取る。彼も総司のバイクが修理中なのは知っている。珍走団の壊滅など言ってくることはないだろう。そうなるとこの男の依頼で厄介者と言えば、カラーギャング退治といったところかと予想する。

「外様のチンピラ。港湾部を根城にしようとしてて、ウチの実家もヤクザたちも困ってんだ。」

「単純な殴り合いで兵隊が足りない、と」

「そういうこと」

「お兄ちゃん、危ないことはやめるって言ったよねぇ!?」

 シンプルな話に心動かされた総司へ、暦は釘を刺す。

 男というものはウソをつくのを良しとはしないものの、数々の言い訳を並べる生き物だ。総司が暦と同棲する際に、軽い気持ちで約束したことだ。この間、神威と友達になるためのケンカをしているので果たされてはいない。

「仕事でちょろっと話し合いするだけだって」

 言い訳にもならないことを言う総司。暦とて子供ではない。もっと言うと総司の心具合というか手札を分かっている女だ。あんな約束は守られないことはとうに分かっている。だからこそ釘を刺す。

「嫁の許可が下りるなら、後で夕方に武藤の港に来てくれよ」

 静流は若いカップルを多少羨ましく思いながら、店を出る。別に、どうして総司なんかに、などと思うことはない。総司は見つけて、静流はまだ見つけられていないというだけの話だ。

 それに今の所、静流に『この子』というものを見つける気はなかった。



 夕刻。潮の匂いが微かに感じられる港湾部。武藤ニュータウンが寂れずに残っていられる価値の1つである。この港で運ばれてくるもの、出ていくものは蔵人重工の製品のみならず、表に出てはマズイシロモノも多い。取引は金を生む。空でも輸送はできるが、制限が厳しい。それ故に、海での出し入れは多様な需給を生むのだ。

 そんな港湾部はドンパチ賑やかになっていた。

「銃撃戦じゃねぇか!!」

「おう」

 静流はチンピラの掃除としか言っていない。初めから騙すつもりだった。のこのことやってきた総司がツッコミを入れるのは、もはや遅いと言う他ない。

 大陸マフィアがどの敵と戦闘状態になっているかは判別がつかない。静流自身が効いている話では、今日大陸人街には相当数の戦力でカチ込みをかけているらしい。

 それを囮として、浮足立った港湾部にある本陣をすり抜け、頭だけ潰すのが静流の算段である。イレギュラーなのは、弟の蓮の情報にあった何らかのシステムの試験という話。その横槍の前に、自分の仕事で始末をつけたいところだ。

「ハジキが今更怖いハナシでもないだろ」

「気持ちの問題だっての!」

 総司は西からやってきた不良だ。西でお山の大将気取りしてて、銃の脅威がなかったわけではない。総司ぐらいの異能者であれば、銃も怖くないというところか。

「流石に俺は生身なんで、勘弁してほしいんだがな、っと」

 港湾部のゲートにいた彼ら。静流も総司もバイクで来ていた。総司は当然代車だが、静流は自分のバイクだ。ダークメタリックの大型バイク。ごてごてしたオプションが付いており、その一つを静流は引き抜く。

 トランクのような黒い機械的な箱だ。それを重そうに持ち上げながら、彼はそれを変形させていく。

「前もそうだったが、面倒そうだな」

「それだけセキュリティを気にしているし、完成したとは言っても製品化には程遠い仕様ってことだ」

 総司はその箱がどんなものか知っている。すごいとは思うが、まだ憧れる程度ではない。

 変形させた箱に静流はカードキーを差す。すると箱はさらに自動で変形を始める。

『Boost on』

 中性的な機械音声が鳴る。箱は大型銃に変形し、分離した部分が静流の周囲で拡張し始め、鋼鉄の鎧と化す。

『Experience』

 蔵人蓮が完成させた普通の人間を超人にするシステム、イクスペルシステム。

 それがこれだ。

 静流の纏った漆黒のスーツは赤い眼光のみを爛々と輝かせている。総司には詳しい技術など分からないが、これがすごい技術であることぐらいは分かる。

 静流が変形させていた箱そのものがイクスペルへの変身を可能にするシステム本体であり、イクスペル用の武器でもある。箱は銃口のある武器に変形している。

『装着完了。突破するぞ。』

「へいへい」

 総司が最初見た時は面食らったが、今は慣れっこだ。先の感想通り、面倒そうなのが全てであった。総司が電気使いの異能者であるからだろう。

 さて、その異能者と特殊スーツを着込んだ者が、銃のみが武装の全ての素人に毛が生えた程度の者たちと戦うとどうなるか。

 当然、相手にならない。イクスペルの装甲は通常銃弾を通さない。全て弾き返す。

 ならば鈍器ならばどうか。頭部を揺らされたらどうなるか分からないが、そもそも当たらない。スレッジハンマーの一撃を見舞うよりも、それを受け止めてしまい、持った人間ごと投げ飛ばしてしまう。

 正直、総司のヘルプなんて必要とは思えないほどの無双ぶりだ。それでも総司が必要なのは、このイクスペルシステムは稼働時間が短いせいなのだ。戦闘時間は30分程度でしかない。そのため、その30分の間に迅速な侵攻をしていかないといけないのだ。

「あからさまなバリケードだな」

 倉庫を3軒ほど通り過ぎた先で、資材で壁を組まれた箇所を見つける。そのバリケードの後ろにはマフィアの姿もある。あからさまだが、恐らくは本陣で間違いないだろう。

『問題ない』

 イクスペルの武器であるでかい銃の掃射によってバリケードは穴だらけになり、後ろにいた男たちもそれに巻き込まれる。バリケードが崩れ落ちると、大量の埃が宙を舞う。立っている者もいないようだ。

『残ってる奴がいるな』

「あれでか」

『逃げようとしている。そいつがボスだろう。肉片にしちゃマズイ。』

「よく見えねぇが、やってみりゃあ分かるか!」

 イクスペルの熱感知センサーと動体センサーが動いているものを捉えている。総司にはそれが見えないが、イクスペルには見える。機械的な探知を疑うべくもないが、総司は自分で見えないものの場所に飛び込んでいく。

 埃の煙の先、上等なスーツ姿の巨漢が見えた。奥へと逃げようとしている。奥に逃げ道があるのだろうか。目標が確認できれば総司としては問題はない。

「逃がすかー!!」

 視認かつ、ある程度の距離なら総司の電撃も届く。ただ距離が離れれば静電気程度のものだ。それでもびっくりぐらいはさせられる。

「ギャッ!?」

 ただどの程度痺れさせたか分からないが、逃げていた巨漢は野太い悲鳴を上げ、足をもつれさせて転げた。よほど驚いたか、慌てていたのか、顔面をこすりつけてコケてしまっていた。恐らく普段は体力もあろうが、そいつはそれで動かなくなってしまった。

「思ってたのと違うが、まあいいか」

 華麗に痺れさせるつもりだった総司。神威という格上の相手に泥臭く勝利したこともある。ここいらで、『かっこいい出雲総司』というものを確認したかった。

 またその方が、暦への土産話になるというものだ。

「終わったぞ」

 土埃が治まる倉庫の入り口に戻った総司が静流に声を掛けようと出てくると、静流のイクスペルは大型銃に装備されている近接刃を出し、もう一つの黒いアームスーツの繰り出すナイフと鍔競り合いをしていた。

 黒いアームスーツは、イクスペルに比べ人間が何かスーツを着ているという感じだ。イクスペルが金属質のアーマーを着ている分、そう思えるからだろう。

『クソ、がっ!』

 イクスペルはパワーで押し切り、すぐさま銃を掃射する。押し切られた黒いアームスーツの方は、飛び退いた後で、攻撃を拘らずに回避行動へ移る。

『チィ、あっちのほうが軽い、か!』

 イクスペルは専用の手持ち武器がある分、動きが鈍い。相手はナイフ1本しか持たないため、通常は比べようがない。避け続けることだって無理がある。

 ただイクスペルは連戦中だ。通常弾薬を使っている以上、弾切れもしてしまう。

 それが今だ。銃弾が切れ、引き金が空しく金属音を響かせる。

 黒いアームスーツはそれを見逃さない。一気に距離を詰め、イクスペルの武器を蹴り飛ばす。

『クッ!』

 イクスペルも負けてはいない。相手のナイフを狙って手刀を放ち、ナイフを落とさせる。これでお互い素手。あとは格闘センスと、性能勝負である。

 静流の格闘センスは正直あるとは言えない。喧嘩殺法程度のものだ。単純な殴り合いでプロには勝てない。

 その差は実際に出た。最初は攻撃し続けていたイクスペルは、黒いアームスーツのカウンタージャブの後に防戦一方になる。攻撃する糸口が掴めなくなる。

『ぐあ!』

 黒いアームスーツの軽やかな回し蹴りでイクスペルは吹っ飛ばされ、そこで時間切れとなる。イクスペルの限界稼働時間だ。変身が解除され、静流の姿に戻る。

『フン』

 黒いアームスーツはそこでようやく声を漏らした。若い声だ。

『こちらも、時間か』

 と、黒いアームスーツのほうも時間切れのようだった。有機質的な、あえて言うならコスプレ的なスーツが消失すると、総司とさほど変わらない年頃の少年が現れる。

 黒髪と黒眼で東アジア人かと思える。だが特徴のない黒だけの単色の服装と、無表情な顔が異質さを感じさせる。

 総司にはなんとなくだが、神威とは正反対の生気の感じられない無機質さを感じ取った。恐れはない。静流を圧倒したが、相手は敵意を放っていない。

 それに少年の垂れた指先が震えているように見えた。

 静流のイクスペルも相当に体力を消耗することを知っている。変身の解除された彼が総司の足元で肩で息をしていることから見ても相当なことだと分かる。

「誰か分かんねぇけど大丈夫か?」

 総司は現れた少年に対し、忌憚のない言葉を投げかける。少年のほう、優雅はどういう意味で言われたか分からず、一歩前へ踏み出そうとして、力が上手く入らず膝を着く。そこから体を起こせず、両手で地面に手を付いて、マラソンで体力を出し切った時のように過呼吸に陥る。

 

 優雅は自分のことだというのに体力を消耗していることが分からなかったのだ。

 変身システムのテスト自体はスムーズに行えたことにガラにもなく安心し、システムが体力を消耗させることを失念していた。

「言わんこっちゃない」

 総司は目の前で疲れ切って手を着いた少年に対し、気安く手を差し伸べる。言われた優雅は、差し伸べられた手を見て、判断がつきかねた。

(誰だ? 何で? コイツは? 何故?)

 疲労しているから考えが上手くまとまらない。疑問符が頭を駆け抜ける。とはいえ究極的には、味方か敵か、ということである。

 優雅にとって味方はこれまで仲間であり同僚の獅郎しかいない。この場に彼はいない。つまり目の前の総司は敵として認識しようとした。

「まったく。ほらよ。」

 優雅の認識よりも総司が彼の手を取った方が早かった。その手は力強い。そこまで感じるほどに優雅が消耗していたこともある。強制的に立ち上がらせられた優雅は総司を間近に見た。

「よし大丈夫だな」

 総司は単なる親切心で優雅に手を貸した。たったそれだけのことだ。優雅が立てるようになったのを確認すると、振り返って、今度は静流に肩を貸していた。

「お前は、何だ?」

「出雲総司。こいつの付き添いだよ。」

 まったくのへっぴり腰になっている静流を歩かせてやりながら、優雅に対しすれ違いざまに自己紹介する。

 優雅にしてみればまったく見たことも無い手合いだった。それまで同世代の人間に会ったことがなかったもある。質問が通じず、自己紹介で返されたことも、優雅の困惑に拍車をかけてしまった。

「そう、じ」

 優雅は自分の抱いた感情や感想が処理しきれず、初めて自己紹介された名前を反芻して呟いた。総司は静流を引きずるように歩かせて、その場を去った。


                  *****


「上々、上々。いいデータが揃った。」

 ツァイスはニヤニヤと腕輪を見定める。

 港湾区の一角の倉庫内で、彼と合流した優雅。先ほどから時間はさほど経っていない。身体の震えはない。しかし、体力の喪失による身体の重さはそのままだ。いつもより呼吸も浅い。

「こんなにも疲れるのか」

 優雅は地べたに座り、声を漏らす。原理は分からないが、戦っている間はなんともなかった。戦闘スーツが解除された途端、疲労が押し寄せた。自分でも気づかぬ内に。

「特殊スーツを着ただけでパワーアップするなんて都合のいい話があるわけなかろう。装着者の力をスーツで媒介し、パワーとして数段もアップさせる。そのコストとして、解除後に気力や体力を支払ってもらう。ただそれだけのことだ。」

 組織の元構成員は簡単そうに言う。それとも変身するのは自分でないからか。

「だが俺もそこまで鬼畜ではない。何より、一度や二度使ったところで使用者が死ぬような欠陥品を作るド三流などと思われたくもない。」

 ツァイスは、組織の科学者たちを暗に無能呼ばわりする。自信の表れだろう。優雅に興味はないが。

「完成にどれほどかかる」

「時間はかからん。バランスよく仕上がるまで、お前が死なずにいるかどうかだ。」

「言ってくれる」

 連続変身は命の危険性がある。しかし、優雅は死ぬ怖れを抱いたわけではない。

 戦うしか能のない自分ら少年兵が、ただ玩具を使わせてもらうことのように心動かされたのだ。戦場以外での彼らの需要はない。初めてご褒美を受け取ったように、人間としての気力を湧かせていた。

 無論、身体を休ませないとどうにもならない。しかしだからこそ、優雅の視線はツァイスの持つ腕輪に向けられた。

 強くなろうとか、これで目につくものを破壊しようとか思ったわけではない。

 単に、たかが腕輪に負けたくないと、意欲が出ただけなのであった。

「調整はしておいてやる。いつでも来い。」

 ツァイスは腕輪を持って、去っていく。優雅はそれを目線で追うことしかできない。身体はまだあまり言うことを聞いてくれない。

 肩で息をしながら、倉庫の壁を支えに、何とか立ち上がる。

 疲労困憊の身体の重さに、優雅は否応なく、彼を起き上がらせた少年の姿を思い出させた。自分のコンディションを見切った不思議な人間。戦場であるはずなのに、銃を向けなかった存在に、彼は混乱していた。

 戦場で自分に手を貸す存在を理解ができなかった。

 だが今は、ライザードシステムだ。たとえ混乱しようと、あれを使いこなすことが、優雅にとっては前に進む希望になっていた。

 獅郎の助けを呼ぶなどという考えも思い浮かばず、彼との合流地点に、優雅は這いずってでも進んでいった。


                 *****


 ゼフィス・エントクロマイヤーという男子は、さほど学力優秀な生徒ではない。魔術を道具無しに発動できるという点では、凄まじい力として評価されるが、体力的にも学力的にも普通としか言いようがなかった。

 彼を教室でのヒエラルキー上位に位置させたのは、親の七光りの異能と、伊達優貴と幼馴染であることだけだ。

 しかしそれも、もはや幻想の物となる。

「幼馴染だっただけよ。いつまでも一緒にいることはないわ。」

 神社に住む彼が、優貴を迎えに行き、共に登校しに来ることはクラス内では有名なことだ。今日もいつもと同じように一緒に登校してきた。

 登校してきた彼と彼女に取り巻きが集まることはいつものことだったというのに、今日はそれがまばらだった。特にゼフィスに集う者はいなかった。

 その様子を見て優貴が言い放った一言は、ゼフィスが言葉に詰まった。

 優貴にとっては自分がクラスの中心人物であることは明らかだと本気で思っていた。彼女にとってゼフィスはその一部に過ぎなかった。彼が人間として好まれない性質を分かっていて一緒にいたが、それはもはやこれまでということだ。

「もう毎日律儀に迎えに来なくてもいいわよ」

 優貴の彼に対する明確な拒絶。彼女は少なくなった取り巻きに上品な挨拶をしながら、固まったゼフィスから離れていく。

 その場面を見せられた隅っこの神威や秋人。驚くべきことに総司は見もしていない。目をつぶり、椅子に座って黙っていた。

「まあ、これで鬱陶しくはならなくなるか」

 思う所はあれど、秋人は小声で言う。クラスのアイドルと王子様などとからかわれたコンビの終焉は、呆気なかった。嫌いな類の人間の干渉ほど鬱陶しいことはない。彼にとっては平和の始まりだ。

「部外者が言うのもなんだけど、同世代ってこういうものかな」

「一生の縁切りというわけではない。打算ありきの関係は年齢関係無かろうよ。」

 半ば大人の社会で生きていた神威からしても、優貴の拒絶は哀れに見えた。

 ただ秋人にしてみれば擁護するべくもない。旧家の中では力のある持明院家が微妙なバランスの元に生きていることを考えれば当然の評であった。

「言葉にするだけ、マシだろう」

 秋人は嘆息する。

 彼にとって、他人事ではない。たとえ秋人自身がどれだけ気を張ろうとも、彼を評価する人間は少ない。彼に立てる悪評が大きく聞こえるのも無理からぬ話だ。それが伝聞であればことさらだ。

「周囲の風聞は自己評価の低い人間にとって猛毒だ」

「そうだね」

 秋人にとっては、伝聞で聞く神威の評判に苦しめられたこともある。父親の友達の同い年の息子であることがそれを強調させた。

 ただ同意した神威とて分からない話でもなかった。今の彼にとって、総司も秋人も輝いて見えた。自分のミスを厳しく叱られないだけで、惨めに思えていた。

 原隊を壊滅させた罪の呵責。ここしばらく悪夢に悩まされることがなくなったが、それでも重荷となっていることに変わりはないのだ。

「僕は君が大人だって思うよ」

「世辞はいい。俺はお前が羨ましいんだ。」

 お互いに本音を漏らす。お互いが事情を知らぬゆえの言葉である。横で珍しく黙って聞いている緋芽にとっては、『こいつら何言ってんだ』と首を傾げる始末である。

「まったく悩んでるのがバカみたく思ってくるな。おいバカ、黙ってないでなんか言え。」

 神威は冗談ではないし、秋人だって冗談を言ったつもりはない。ただなんだかばつが悪くなった秋人は照れ隠しに総司の椅子を足で小突く。

 しかし、総司は無反応だった。

「寝てるんじゃない?」

 アウトローな総司が珍しく神妙にしているかと思ったが、緋芽の言葉に秋人はハッと気づく。総司に近づくと寝息を立てているのが分かった。

「日雇いバイトで疲れてるとかって」

「もう授業だぞ、阿呆!」

 そう言って秋人は気恥ずかしさを紛らわすためにより強く総司の椅子を足の裏で突くのだった。

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