1 風と雷と陰陽師と魔法使い

 9月。学生にとっては夏休みの終わりと共に秋口に入り、学園祭の雰囲気もあって多少浮かれた空気が残る。

 特に藍明守は学園都市のため、市街規模でお祭りをする。祭は来月だが、その準備がそこかしこに見られる。

 出雲総司いずもそうじにとっては、藍明守祭は初めてのことだ。自宅テラスマンションに同棲している地元っ子な年下の彼女から聞くしかない。聞いたところで何だかよく分からないが。

 それもそのはず、総司は祭の類と馴染みがなかった。彼は4月に藍明守に来るまで、関西にいた。不良の頭を張って、好き放題していた。ゆくゆくはスジモノかというクズぶりで、両親によって藍明守に連れてこられたのだ。不動産成金の子の総司としては、知らない土地で臆することはなかった。

 総司の強さを支えるのは、もちろん異能だ。電気を操ることができる。基本的には接触発動だが、1メートルぐらいなら放射することもできる。

 この能力によって、それまでの彼は対人戦においては無敵だった。不良同士のケンカだ。おいそれと遠距離攻撃も出ない。仮に出てきたとしても、前面のみになるが電気バリアを張ることで物理的な攻撃は防ぐことが可能だ。

 だから彼は暴れ回ることができた。両親も、彼を諫めるためにはこの街しかないと決めるわけだった。

 さて、現在高校2年生の彼が屋外廊下に出ると、このマンションではあまり見かけない同年代の男の子が総司と同じように登校しようとしていた。

「ありゃ」

「ん、ああ」

 総司はとっさのことで声が出ていた。男の子はそれに気づいて、総司を見て会釈した。

 総司と違い、黒髪黒目の真面目そうな子だった。身長は同じくらいの170前後だろう。太すぎず、痩せすぎず。シャツの半袖から見える腕の筋肉は、無駄なく付いてるように見えた。

「転校生?」

「まあ、ね」

 学園に制服はない。学園寮生は校内服が支給されており、それを着て登校しているのがほとんどだ。総司も、そして彼も寮生ではなく通学なので、学園生活を送る上で適当な普段着だ。

 もっとも総司はシャツの前を大きく開けて胸板が見えてしまっている状態で、下のショートパンツもいわゆる腰パンだ。染めるのをやめたくすんだ金髪混じりの黒髪をしていて、チンピラに間違えられても仕方ない格好をしている。

「出雲だ。出雲総司。よろしくな、お隣さん。」

「九狼。九狼神威くろうかむい。よろしく。」

 総司の風貌に少しも怖じ気づくことなく、にこりと笑って自己紹介してくる。その顔つきはそこそこの美少年ぶりだった。学園の面食いたちが黄色い声を上げること間違いないだろう。それ自体気取っているわけではないように感じた。

「僕は先に行かないといけないから」

 と、神威は先にエレベーターへと向かってしまう。総司は声を掛けようとしたが、総司の部屋が中から開けられて、タイミングを逸した。

 出てきたのは1つ年下の後輩の少女だ。総司と一緒にいるには不似合いな小柄で清楚そうな美少女。いわゆるトランジスタグラマーで、服の上から分かる豊かな胸部や、少々短いスカートから覗く白い太ももは並の男の視線を誘う。

「準備完了。行きましょ、お兄――ん、どうしたの?」

「隣に引っ越してきたのが学生だったんだ」

 お兄ちゃんと言いかけていた彼女が怪訝そうにしたので、総司はおどけて言う。小柄な体に似合いの可愛らしいリアクションをする彼女に、小さな出会いのことは吹っ飛んでしまった。

「じゃあ夕方挨拶できるかも。かっこいい人だった?」

「爽やかなイケメンって奴だな」

「お兄ちゃんが言うと期待しちゃうな。惚れちゃうかも。」

「アホぬかせ」

 総司をお兄ちゃんと呼び慕う彼女の悪戯っぽい言葉に気を悪くすることなく、総司は無遠慮に、慣れた手つきで、髪型を崩すことなく頭を撫でる。

 彼女は伊達暦だてこよみ。付き合いは5ヶ月。同棲自体は夏休み直前から始めた。彼女は通常ならチャラくて不真面目の塊である総司とまるで接点はない。彼女の姉、優貴ゆきが総司のクラスメートであることに起因する。

 総司が優貴に言い寄ったが、なしのつぶてで、優貴を落とすなら妹に近づこうとしたのが発端だ。おかげさまで、今ではお互い本気だ。優貴と暦で姉妹仲が悪かったのが同棲の原因だ。そのせいもあって、彼女は総司を先輩というよりお兄ちゃんと呼ぶ。

 ただこれも家の中だけだ。外で、とりわけ学園の中では誤解しかない。特に総司は風貌や生活態度で問題児に属している。総司はともかく、学園のアイドルの妹という箔がある彼女に煩わしいことにしたくなかったからだ。

 彼女はどうでもいいと言うが、そこは説得をして了解してもらった。すぐバレることだが、総司とて何もしないまま彼女を風評被害に晒したくない一心であった。

 そんな関係だから、彼女が冗談めかすと嫉妬心が湧くよりも、彼女への保護欲が増した。

 ちなみに夏休み中のみならず、付き合ってから、彼女とは一通りやることをやっている。そもそも、優貴を落とすため体目的で暦に近付いた。最初はほぼ無理矢理だ。今思うと恨まれても仕方ない。総司自身負い目もあったが、休み中に氷解してしまった。

 姉の引き立て役にさせられていた故に鬱屈していただけで、本来とても感情豊かで、底抜けに明るい少女だったのだ。

「あっ、もっかい挨拶した時、その人が私のどこを見て、頭の中で私を汚すのかは興味あるなあ」

「健全な少年にそのおっぱいは目に毒だろ」

「不健全なら?」

「連れ込めそうな物陰を探す。この俺のようにな。」

 冗談のような本当の話だ。今でこそギャグでしかない。

 暑いのにべたべたし合う少年少女の登校時間。少しずつ他の学生が目についていく中、不釣り合いなカップルに並行して歩いてくる少年がいた。

「朝から幸せそうで何よりだ」

 嫌味か皮肉めいた言葉。鞄を小脇に抱えた蛇のような、切れ長の目付きの男子。

「おはよー、時明院のお兄さん」

「おはよう、暦ちゃん」

「俺に挨拶は無しか」

「挨拶するほど目線のレベルは同じじゃない」

「はあ?」

 彼は総司相手にまったく物怖じしていない。かと思えば、暦相手ならにこにこと挨拶ができる。

 彼は時明院秋人じみょういんあきひと。藍明守の北側、高級住宅街から通学している総司のクラスメートだ。こんな口調だが、味方や友達のいない総司にとっては、中立寄りの味方だ。悪友とも言う。

 時明院家というのが、術使いの家柄で、秋人は3人兄妹の長男だ。彼の弟と妹は二卵性双生児で、暦とはクラスメートだ。とはいえ、総司が成金の家柄とはいえ、昔からの貴族の彼とは接点がないように思える。

 ただ総司が普通に生活していても、時明院秋人は無能の長男、と大っぴらに噂されているのを聞く。そのせいで明らかに他のクラスメートと壁があるため、問題児である総司とつるむのは無理からぬ話であったのだ。

「お前たちの仲がいいと、あいつらの渋い顔が目に浮かぶ。それは胸が空く。」

「はーやだやだ。こうはなりたくないぜ。」

「2、3ヶ月前はお兄ちゃんもそんなだったよ」

 秋人の恨みがましい言葉に、総司が引くが、暦の言う通り、彼らは同じ穴の狢だった。

 あいつら。彼らのクラスにおける多数派を従える品行方正な男女のことだ。女は暦の姉の優貴のこと。男のほうは、魔法使いのゼフィス・エントクロマイヤー。幼なじみ同士で、ゼフィスは彼女の騎士とも言える振る舞いをしている。だから、優貴にちょっかいをかけようとした総司は、ゼフィスに手酷く返り討ちにあった。

 自分が強いと思っていた総司にとって惨敗で、ケンカというレベルにすらならなかった。

 今もまだ、レベルの差は埋められていない。それでも守られているから優貴を奪い取りたい気概が湧いていたが、暦越しに見る彼女の真実の姿を見たときに、彼らは総司の中で相容れない相手になった。

 暦と付き合うことが今できる抵抗であるなら、喜んでするということだ。無論、そんな利害だけで彼女と一緒にいるわけでもないのだが。

「ところでよ、ウチの隣に九狼神威って奴が越して来たんだよ」

「ん、そうか」

 秋人という少年は嫌な奴だ。彼の妹の話を暦から又聞きする限り、弟を弄って遊ぶとか。総司も多少なり付き合って、人の不幸を楽しむタイプだと記憶している。

 他人に間接的に嫌がらせをして楽しむようなサディストじみた人間が、初見の人間に面白みがなさそうな態度はしない。

「その反応、知ってるのか?」

「父の仕事の知り合いの子だ。子供の時に会ったことがある。だから話もたまに聞く。相手が名前を知れば俺だと分かるだろう。俺も見れば分かる。」

 秋人は口数こそ多いが、歯切れの悪い言葉を連ねる。神威と出会った時の印象は、普通のイケメンである。だが、秋人はどのように思ってるのだろうか。

「何かあるのか」

「転校してくるなら特科クラスだろう。つまりウチのクラスだ。神威は風使いだからな。ただ本来、アイツはこんなお子様の檻に入ってくるようなガラじゃない。」

「そこまで言うか」

 お子様の檻という嫌味すぎる例えについついツッコミを入れてしまう。しかし、神威も異能持ちということで、普通に見えた総司の目は大外れだったわけだ。

「俺の父はAAAで幹部をやっている。アイツの親父もそうだ。そしてアイツは子供の頃からAAAで訓練を受けているエリートなんだ。最年少の部隊長なんて言われてるそうだ。ゼフィスなんかと比べようもない、ホンモノのハズなんだ。」

 所詮チンピラに過ぎない総司にはAAAは縁遠い話であった。だが犬猿の仲になったゼフィスはAAAに入隊資格を得ているそうで、だからケンカにも負けるのかと思ったほどだ。その考えからして、AAAでエリートでホンモノなど、どのような存在なのか予測がつかない。

「つ、つまり」

「超スゴイってことね!」

「そうだな、スゲェな!」

 総司が言葉を詰まらせたのを察して、暦がフォローする。それにしたって語彙が少ないが、総司としてはオウム返しになるほど的確であったようだ。

 バカップルの返しに、秋人はため息を一つ吐く。

「ま、どの道、クラスの派閥なんてものにこれっぽちも関係のないヤツに違いない」

 秋人の言葉は、自分たちの敵にも味方にもならないという評価だった。色々とスゴイ奴であるらしいが、総司は秋人の評価を信用している。秋人は傍観者の如くいつも他人を見ているせいか、その人間に刺さる言葉で評してくる。総司自身も言い当てられたことがある。

「深刻に考えすぎることでもない。お前の今後の身の振り方に比べればな。」

「うん?」

 九狼神威について、それほど脅威ではないことが分かったので、秋人の言葉はもはや話半分だった。総司は他愛なく暦とじゃれていた。

 校舎の玄関で暦と別れた男2人は自分らのクラスの教室に入る。入るまではざわめいていた教室内が、ふっと静まり返る。露骨な疎外の雰囲気に、総司は舌打ちしつつ、自分の席に進む。

「ちょっと」

「ンだよ」

 教室の後方の席に先回りして、優貴が立っている。暦の姉だが、そこまで豊満ではない。長い黒髪を持つスポーティーな美少女だ。身長は160くらいで小柄にも見えない。その彼女が腕組をして仁王立ちで、総司を待ち受けていた。

「あなた、ウチの暦に何をしたのよ」

 そら来た。総司は分かってはいたことだ。秋人もこのことを言っていたのだ。

「夏休み前に急に荷物をまとめて、あなたのところに行くって。

普通ありえないでしょ、そんなの。」

「何でありえないんだ」

「あんたみたいな悪ガキが、ウチの暦に手を出す理由がないでしょ。私以外にさ。」

 彼女とて、多少は考えたらしい。それはその通りであって、今は不正解でもある。

「だが、暦のお袋さんは別に反対しちゃいないんだろ。

なら別に問題ないじゃねぇか。」

 暦が押しかけ同然に総司と同棲を始めたのは事実だ。夏休みだからという言い訳も苦しかったことだろう。彼女の父親は海外の仕事が多く、ほとんど家を空けているらしい。暦の家は女性しかいない。その事実は、数ヶ月前の総司を燃え上がらせたが、今の彼は女性を暦しか見ていないので、親御さんが心配しないのか、と当時は真っ当に考えた。

「ええ、そうね。ママは心配してたけど、毎日ちゃんとご飯食べてるようだから安心しちゃったわ。休み中ずいぶんと暦を連れ回して遊んでたみたいね。」

 遊ぶために宿題がんばったよなぁ、と総司は表情を変えずに思う。彼は転校してくる以前の勉強はほとんどしていない。学力が小学生並と言われても仕方なかった。

 1学期の中間テストで惨憺たる結果だったので、秋人にバカアホと罵られながら自習し、途中からそれに暦が入ってきた。秋人に教えられるよりは頭に入って来たし、彼女に教えてもらうといい感じにお互い発情できた。とても悪くない思い出もあるのだ。

「結局のところさ、あなた、暦の優しさにつけ込んだんでしょ」

 そう言われると総司は痛い。物凄く痛い。反論などしようもない。

 総司は優貴の妹という暦のおとなしさや優しさにつけ込んで、欲望のまま襲い掛かった。その事実は総司の中で消せない。言い訳ができない。

 だから、素直に頷いた。その行動が彼女の姉に対してどう映るかなど、考えもしなかった。

 総司の顔の動きを見た優貴の怒りが頂点に達した。彼女自身、妹を引き立て役にしていたのは事実だ。その妹が家を出ていく際、はっきりと優貴を嫌悪し、このチンピア風情に好意を言ったのが許せなかった。

 嫌いな相手にいい様に使える妹を奪われたのと、妹への苛立ちが入り混じって、彼女は総司に手を出した。甲高い乾いた音が教室中に響いた。

 優貴の平手打ちに、総司は特に怒りもしなかった。彼女がどう思うと、打たれる覚悟はあったのだ。

「気は、済んだかよ」

 総司は精一杯の煽りで応えた。悔いのある事実が消せないとしても、今好き合っている事実のほうが勝っている。反省こそすれ、謝罪の必要性を感じない。

「だが、お前が卑劣な手段を使ったことには違いないだろう」

 平手打ちした後もにらみつけてくる優貴の隣に、ゼフィス・エントクロマイヤーが現れた。黒い短髪の少年だ。眼鏡をしていて、いかにも優等生らしい振舞い。ただこれでも学力は中の上というのが、少々見掛け倒しである。

「お前が言うとなんかムカつくな。ケンカ売るダシに自分の彼女使うなよな。」

 優貴相手に凄んでも仕方ない。だが、ムカつくゼフィス相手に凄むのは別に構わない。

 ゼフィスは、そういう反論のされかたをするとは予想していなかったらしく、一瞬目を丸くした。そして、鼻を鳴らしてから優貴の腕を引いて総司の席を離れる。

「いやぁ、よく爆発しなかったなー!」

「成長したなお前」

「お前ら」

 一緒に教室に入ってきたくせに終始傍観状態だった秋人。それに加え甲高い声で輪に入ってきたのは近藤緋芽こんどうひめ。片目を眼帯にした少女だ。総司の古い馴染みで、彼が転校してくる際、生活監視役として彼女も付いて来た。実際には、監視などほとんどしていなかったし、抑止力として働いた様子もない。秋人とコンビで総司を傍観するのが日常になっていた。

「俺がここでキレたら暦が困るだろうが」

 総司としては至極まっとうな思考から導き出された論理だ。バカップルらしいとも言う。とはいえ、緋芽はその言葉に感動したらしい。

「いい、いいわ、総司! 人間らしい愛の力を感じる!」

「愛はケダモノを人間にしたな」

 以前の総司をどのように思っていたのかよく分かる言葉を吐く二人。ムカつくが、総司はキレたりしない。キレたら思うツボだ。嫌味な男も、別に病気でもないのに眼帯をする女も、総司を面白がっているに過ぎないからだ。

「やかましいわ。息ぴったりのお前らこそなんか愛を表現してみろや。」

「フフン。なら超パゥワーで、呪いをかけてやりましょうか。」

 総司の軽口に、簡単に乗る緋芽。ここらへんは馴染み故か。

「やらんぞ」

 秋人は乗らない。ありもしない力を主張して、根拠の薄いハッタリをかますのは彼女の常套手段である。幼稚とも言うが、彼女の怪しげなファッションセンス故に、真に迫ることもたまにあるからだ。

「えーっ、ポーズ練習したじゃないですかー」

「たまに変なメッセージ画像送られてきたけど、お前らマジ仲良いな」

 昔馴染みで同郷ということで、緋芽の撮った謎の写真が総司の端末にたまに送られてくる。特に、『休み中、泊りに来ました』というメッセージと共に秋人と腕を組んでピースする緋芽の写真があった。照れくさそうに秋人が目線を外しているのがとても印象的だった。

 あれ、こいつらいつのまに付き合いだしたの、と総司は衝撃を受けたものだ。

 総司から言うのも妙だが、近藤緋芽は変人の類である。病気でもないのに年中眼帯をしており、別に眼帯をする目はどちらでも構わない。あとファッションセンス。ゴシックロリータ風というのか、夏でも暑苦しそうなレースのある服を着る。

 もっと涼しそうな服を着ろと言ってみたことがあるが、ノーブラノーパンだから涼しいです、と返されたことがある。その方が問題がある。

「仲良いですよ。ねえ?」

「まあな」

 いつも嫌味ったらしい秋人が観念したようにため息をついている。そんな彼に自然に腕を組むようなポーズをする緋芽。それを見て総司は素直に感心する。

 そんなトラブルもあったが他愛のない会話をしていると電子音のチャイムが校内に響き渡る。ホームルームの予鈴だ。静か目だった教室が途端にざわつき始めて、各々、席に付いて行く。

 この学園に始業式はない。終業式とて、期末テストの終了と学期終了の挨拶が校内放送で校長が短く語るだけだ。学園の生徒にとっては常識だが、数ヶ月前に来たばかりの総司や緋芽は驚いたものだった。体育館や校庭に生徒を集めるには多すぎて、整列に時間がかかるとかなんとかで、ずいぶん前からそういう形式になったらしい。

 本鈴が鳴る前に、教室に入ってくる小柄な女性と、それに比べて長身の女性。そして遅れてやってくる少年、あの九狼神威だ。

 小柄な女性が担任。こども先生とアダ名される教師だ。長身のほうは今年が1年目の新任教師で、副担任をしている。

「はいこれから新学期。ですがその前に、今期の新人の紹介よ。」

 転校生の紹介には不適切な言葉の羅列だが、ツッコミを入れる生徒はいない。4月の転校生がアレだったからなぁ、とでも思っているのだろうか。

「九狼神威です」

 人の好さそうなイケメンが口を開いて自己紹介すると女子を中心にざわつく。思った通りである。

「これまでAAA本部で学んでいましたが、専門施設のほうが良いと薦められ、こうして留学してきました。これからよろしくお願いします。」

 彼は軽く会釈し、微笑む。なるほど、秋人の言う通りAAA関連施設にいたのは間違いないようだ。登校時間に会った時は普通に見えた微笑が、今はなぜか嘘に見えた。根拠はなく、勘に過ぎない。

「それじゃあ、後ろの空いてる席に座って。そこの不良、速攻でケンカ売るなよ!」

「売らねーよ!」

 非常に不名誉な話だが、問題児扱いなのは担任からもだ。それ自体、文句を言える立場ではない。素行悪く生きて来た総司が悪いのだ。これからは心機一転、暦に迷惑のかからない男になろうと決めてきている。

 とはいえ、売り言葉に買い言葉は普通にする。

「よ、席もお隣さん」

 鞄を手で持つ神威が席に座れば、総司は手を軽く挙げて今日からの同級生に声をかける。

「奇遇だ。お手柔らかにね。」

 と、神威は笑みを崩さず返してくる。その顔つきにまた違和感。既視感のような引っかかりがあった。

「それじゃあ、皆さんこれから5分後にお楽しみの学期始めのテストの時間です。粛々と準備なさい。」

 特科クラスは異能持ちだけを集めたクラス。だからといって、学力を試さないわけでもない。通常のカリキュラムは当然行われる。主要科目だけだが、総司には試される時間がやってきてしまった。


                 *****


 総司の学力、それを全て出し切った。とはいえ、慣れない時間の連続は体力を大きく削がれる。彼は暦と一緒に寝るより疲労していた。テストの結果は明日出る。今日の所はこれで終わりだ。ウチに帰って暦とテストの反省会というところか。

 そこでふと思いつく。

「そうだ。お前、この近所に土地勘ねぇんだろ。それに一人で飯食うのも面倒だろ。ここは協力しねぇか?」

 隣人に対する自然な提案。まったくの他意はない。机に寝そべった総司の言葉に、汗一つかいてない神威は興味のなさそうな顔で虚空を見つめていた。それが一瞬で微笑に変化し、総司に目線を向けた。

「それは助かる。でもいいのかい。誰かと二人暮らしなんだろう? 邪魔しないだろうか。」

「なぁに夕食だけさ、問題ねぇ」

 暦といちゃつくのは決まって食事の片付けや勉強が終わった後だ。神威が夕食に加わったところで、二人で気にすることはない。

 気になるところはそこではない。

「ただ、あの時会ったのは俺1人だ。なんで二人暮らしだって知ってんだ?」

 総司は学力こそバカだが、鈍くはない。ただのチンピラのケンカ屋だが、強さの嗅覚ぐらい付いている。神威の様子のおかしさも含めて、入れるべきツッコミは言葉に出していくのだ。

「それは、君、会った時、誰かを待っていた感じだから、なんとなく、だよ」

 苦しい言い訳のようにも聞こえるが、分からないでもない言葉だ。焦って疑いをかけるべきではない。

「ふーん。ま、いいや。じゃあ帰ったら買い物してから一通り周りを案内してやるよ。」

 総司は早々に疑いを諦めた。あまり絡むと余計な横槍も入れられそうだった。



 ともあれその日は2学期の実力テストのみで終わり、生徒たちはまばらに帰宅する。藍明守祭があるので、一月前から準備をするところもあるのだ。

 総司は部活に所属していない。バイク部でもあれば良いかと思ったが、それよりも悪名が広まり、勧誘されることはなかった。

 端末のメッセージで暦に神威のことを伝え、夕食のブツを提案し合う。まとまったところでちょうど帰宅だ。

「夕食内容は決まったから買い物しに行く。付いて来いよ。」

 『疑い』はひとまず置いといて、総司は爽やかな笑顔を神威に向けた。


                ******


 神威は総司とともにスーパーへ買い物し、コンビニを回りとりあえずの地理を知る。その後荷物を自宅に置いてきて、『案内する場所がもう一つある』というので、彼の案内に応じて上に長い階段がある場所まで来た。

 少々難儀する長い階段の上には立派な神社があった。閉まっているが休憩所らしい喫茶店も併設されている。

「静流神社。同じクラスのエントクロマイヤーって奴の実家だ。それとは別にそこの店は、マンションの管理人が同じくオーナーでな。最近俺がバイトしている店だ。」

 なるほど、小高い丘の神社。藍明守のランドマークというところだろう。ならば案内するのも頷ける。

「縁日以外じゃ昼間でも静かなもんでな。多少騒いでも邪魔は入らない。」

 不穏な言葉の後に総司の周囲に稲光のような光が走る。彼は神威に振り向くなり、右ストレートを打ち込んできた。

 神威はとっさに右へ動き、ストレートをさばき、いなしながら警戒態勢をとった。

「顔に貼り付けたような猫かぶり、気に入らねぇ」

 彼はその風貌通りのバカみたいな論理を向けてくる。理解には程遠い感情論だ。

「てめぇが何しにここに来たのかは知らねぇが、俺はその見下した知ったような顔の奴が大嫌いなんだよ」

「下らないな。好き嫌いでケンカをふっかけて。痛い目を見る生き方だ。」

「それがてめぇの本音か!」

 神威の冷静な言葉に、再び感傷的になった総司の手から再び光が走る。その光は地面をこすって火花を散らし、神威に襲い掛かる。

 それを甘んじて受けるわけはない。光の乱れ撃ちを右へ左へステップして避ける。

(帯電体質能力。多少波形はあるものの直線方向にしか電撃を放てないのなら、避けながら間合いを詰めればいいこと)

 力の差を見せ付けなければこの手の人間は分からない。神威はカウンター攻撃を決め打ちし、器用に間合いを詰めていく。

 そして電撃を放った直後の総司の懐に飛び込み、ファーストアタックとなったジャブを放つ。総司はそれを右頬で受け止めてしまう。

 AAAの現役隊員の重みのある拳をモロに食らってフラつかない者はいない。むしろ普通は一撃で終わる。

 だが、総司は踏みとどまり神威の拳を右手で掴んで顔から離れさせ、引っ張り込む。また同時に総司の手から直接神威に電流が流された。

「があああああああ!!」

 1秒ぐらいの電気ショックで神威は悲鳴を上げ、崩れ落ちた。その時、神威は藍明守に来た原因を走馬灯のように思い返していた。


                 *****


 一月前。大陸中央砂漠の遺跡に、神威ら小隊は任務に来ていた。

 九狼神威は10歳の頃から任務に出てきている。父親のコネ、はもちろんあった。だがそんな縁故も並の大人顔負けの戦闘力で実績で塗り替え、AAA最年少部隊長という形で前線に出向いてこれた。

 彼は2年前から共に任務を受けている戦友にして親友と共に、この砂漠へ来ていた。視界は不良の荒れ模様で、あまり良くなかった。

 任務自体は、一般の学者たちを護衛するものだ。大陸の東側は東アジア連邦として統一されるも、直近の外国は世情不安があった。その対策のための護衛で、神威らの他にいくつか小隊が参加していた。

 だというのに、何者かに護衛小隊は襲撃された。整った装備からしてどこかの秘密結社が相手だったのだろう。その正体は、依然として本部が掴めずにいる。

 ともかくその襲撃で、神威の小隊も全滅した。親友との見回り中に襲撃され、親友は神威を庇って銃撃された。

「生きて」

 その短い言葉が遺言になった。若く、戦友の死を経験したことのなかった神威は激昂して、視界不良の砂嵐を自分の風の力で一時的に吹き飛ばした。

 それで見つけた襲撃者は2人。体格の大きい男と、神威よりも多少背の高い男。いずれも顔つきは大人に見えず、神威と同じくらいに見えた。

 怒りで鈍った頭で復讐を遂げようにもすぐさま入った横槍によって妨害された。

 倒れ伏す神威の視界に黒いアームスーツのような姿を見た。そして、それを追って現れた男の姿も。一般の学者たちを専属護衛していた伊達洸耶だてこうやだ。

 洸耶さんは彼らと何かを言い合い、そして連れて行かれた。アームスーツの方が常に神威達を狙って銃のようなものを向けていた。それだけで、神威達が洸耶さんにとって人質になっていたことが分かる。神威は立ち上がろうにも銃撃され体が動かなかった。

 黒いアームスーツのようなもの、2人の襲撃者の姿、洸耶たちの言い合いの中で聞けたヘルメスという言葉、それぞれを憎悪を募らせる脳裏に深く刻み込ませた。

 結果として、伊達洸耶は行方不明となり、神威だけが唯一の生存者となった。体を治療し、原隊復帰しようというところで、他でもない神威の父親から待ったがかかった。

 父親は、神威が精神不安定として任務を受けさせないようにした。神威が襲撃者について証言をボカシたことについて見透かし、復讐心を募らせていることを察しているかのようだった。

 結果として、神威は頭を冷やすよう言われ、父親の知り合いの伝手で藍明守のテラスマンションへ一人暮らしをさせられ、行く必要のない高校へと入学させられてしまったのだった。


                 *****


「突っ張ってもどうにもならねぇんだよ。めちゃ強いと思ったけどな。

俺の力はナメてる奴には強いぜ?」

 格下と思っていた。神威は半信半疑だった。通常ならば負けるはずがない。単純な能力頼りの相手など。だが、神威はそれで油断を生じさせた。格下と思い込んで不用意に間合いを詰めた。掴まれたら電気ショックを確実に受けるという危険性を忘れて。

「過信して、傲慢に見下して、甘いんだよ、アホが」

 見透かされている。総司は星空を背に雄雄しかった。小手先の電気放射は全て囮。神威を飛び込ませ、密着距離での一撃必殺を狙ったのだろう。冷静に考えていれば、神威には見切れていたはずだった。それも分からないほど、頭に血が上ってしまっている。これでは復讐など夢また夢であろう。

「立てよ、負け犬。そろそろ帰ろうぜ。」

 言って彼は神威に手を差し出した。

「なぜ」

「俺は別に本当に嫌いだから手を出したわけじゃねぇ。騙されてるんじゃねぇかっていうヤな感じを振り払うためにやったんだ。」

 えげつない追撃を覚悟していた神威は総司の行動が分からなかった。だが話を聞けば、神威のその場しのぎの演技について、鼻に付いていたのが理解できた。

 この街で過ごしながら復讐相手の情報を集めたり、準備をしようと決め込んでいた。総司の提案も、利用できそうだ、という独りよがりな計算からでもある。

 痺れに慣れていく中で、恐る恐る神威は右手を出すと、総司はその手を力強く握り、神威を引き起こした。貼り付けた笑顔も今はなく、悔しさや無力さが入り混じって今にも鳴きそう神威の顔を見て笑うことなく、自分の肩を貸した。

「まあ、悪かったな」

「いや、僕は、本当に甘く見ていた。謝らなければ、ならない。」

 たどたどしく、言葉を紡ぐ。その謝意に対し、彼は肩を軽く叩いて返した。

「いいんだよ。これからダチってことで、水に流そうや。」

 それは総司の他愛のない軽口だったが、神威にとっては、感動を呼ぶものだった。

 神威にとって、友達と呼べるのは死んだ戦友のニールぐらいしかいなかった。同世代の部隊長なんかいなかったし、周囲はいつも年上しかいなかった。父親の知り合いは神威に優しかったが、それ以外の目線はいつも奇異と疑惑だった。実力で跳ね返したこともあったが、心無い噂はいつもついて回っていた。

 だから本当に同世代の人間から友達と認めて貰ったのはこれが初めてだったのである。

「お前が何してここに来たのかは黙ってればいい。そんなの友達付き合いに関係ないだろ。」

 しかも、神威のことは詮索しない。ここで神威は、総司について180度評価が変わった。チャラいバカから男気のあるバカだ。しかしだからこそ、心を許せてしまうと。

「ありがとう。助かる。」

「へへ、いいってことよ」

 肩を貸された状態で、あの長い階段の下りは無茶そうだったが、総司はすぐに神威を背負い、息をしながら階段をさっさと下りていった。下まで降りれば、すぐさま下ろされ、また肩を借りた状態まで戻った。

 神威は背負われるなど、父親にもされたことはない。このヤンキーもどきについて、心惹かれるまであった。

 神威が自分一人で歩けるまで過ごしながら時間がかかったが、日が沈む頃には自宅へとたどり着けていた。

「ただいまー」

 総司が神威を連れて自宅へ戻ると、玄関に見覚えのある男物の靴があった。総司には見覚えがないようだ。彼の後に続いてリビングに入ると牧師という表現が一番当てはまる祭服を着た男がテーブルの席に着いて待っていた。

「もうお兄ちゃん、いつまでかかってるの!?」

「えっ!? いや、すいません」

 男が反応するよりも先にキッチンでそばを茹でようとしている小柄な女の子が怒ってきた。総司は素直にもすぐ謝った。

 神威には男のほうを知っていた。昔から父親と仕事をしていて、神威とも面識のある知り合いの大人だ。

「羽山、さん」

「やあ神威。出雲君も、ちょっとお邪魔しているよ。」

 羽山修はやましゅう。カトリック教会から長らくAAAに出向している神父だ。表向き藍明守学園で倫理学の講義を受け持っている。

「君たちを待っていたんだ。そうじゃないと蕎麦なんて延びるだけじゃないか。」

 至極まっとうな理由を吐く彼だが、神威にはいい意味には聞こえなかった。不穏な神威に釘を刺しに来た、と取れるタイミングの来訪であったからだ。

「いやはや出雲君も女子高生の天ぷらで蕎麦を食べられるなんていい生活をしているね」

 自分の身内に行動を見張られた気がして、蒼白な神威をよそに世間話を続ける羽山。

「誰だっけ?」

 そんな中、総司は自分が通っている学園の教師について忘れている状態であった。



 蕎麦をずるずるとすする。少々冷えはしたが、未だパリパリの天ぷらを頬張る。生徒3人と現役教師1人の奇妙な夕食が続く。

 総司は暦のツッコミでようやくおぼろげに教師のことを思い出した。倫理学の授業は1週に1回しかない。その上ほとんど寝ていた。覚えていないのも無理はないが、向こうはしっかり総司のことを知っていた。

「宗教だの倫理だの、僕も同じ年頃の時はどうでも良かったよ。あの女の子、どうやったら口説き落とせるかなあって普通は考えるじゃない。」

「だよな!」

 何より羽山神父は生臭坊主だった。結婚はしていないものの、口を開けば女の子との話ばかりだ。そのおかげで、総司は話せるヤツだとすぐに心を許してしまった。

「いやあ、引っ越してきて隣人があの電撃問題児の出雲君ってことで心配だったけど、全然杞憂だったねえ。」

「え」

 蕎麦を一人前平らげた羽山は、さらっと教師間の総司の風評を流しながら、神威への心配を口にした。

「君たちも神威を頼むよ。この子、昔から大人の中にいたから友達いないんだもん。」

「いやぁ、カッコいいから女の子には困らないと思う」

「まぁそれは嫉妬するほどに。だから男の子の友達ができにくいんだけど。」

 暦の素直な感想に、羽山は苦笑しながら答える。その態度は、神威を心配しているだけに見える。

「神威にとっては少し退屈だろうけど、何、すぐ慣れるさ。それじゃあ、今夜は御馳走様。また授業でねぇ。」

 教師にしては距離感が近く、また軽い態度で挨拶し、勝手に1人で帰っていってしまう。

 玄関を出た音が聞こえた後で、神威は深く嘆息する。通り雨が過ぎ去ったかのようだ。

「お前も問題児ってわけだな」

 総司としては嫌味ではなく、素直に出た言葉だ。ただ神威には小さく頷くことしかできなかった。どれだけ大人びても、大人からすれば自分は子供にすぎないと再確認もできた。

「こんなんで、ちょっと迷惑かけるかもしれないけど、宜しく頼むよ、総司。それと、暦、ちゃん。」

 総司に対しては自然に挨拶できる。暦に対してはまだ慣れない。伊達暦。神威にとって、自分のせいで連れ去られた伊達洸耶の娘の1人だ。AAA内で彼が行方不明になっていることは箝口令が敷かれている。彼女も父親が行方不明になっていることは知るまい。

 だからこそ気後れするが、彼女が自宅を離れ総司と同棲していることも含め、慣れなければならない。

「なぁに、迷惑をかけるのは俺の方だ」

「私もそうかもね!」

 カップルが笑いながらそう言う理由が思いつかなくて、神威は恐る恐るそれを質問する。その悪気のない質問に対して、屈託なく答えた2人の惚気とも言える状況に、神威は苦笑しきりだった。

 ただそれら付き合いが神威にとって初めてで、新鮮で、楽しさしかなかった。



 翌朝。昨日と同じ時間に神威は部屋を出てきたが、総司と暦は、すでに玄関を出て神威を待っていた。神威は驚いたが、それはすぐに安心感に変わった。

「む」

 2人との通学路に時明院秋人が加わる。神威は彼を知らないわけではない。神威の父や羽山神父にとって、秋人の父親は仕事の先輩だ。秋人の父親には、何度も顔を合わせたこともあるし、彼から長男の話を聞くこともある。そもそも、数年前に正月の行事か何かで顔を合わせている。

「うーんと、ひさし、ぶり?」

 神威としては慣れない挨拶をすると、神経質そうな嫌味っぽそうな眉間に皺を寄せた顔つきをしていた少年は一度俯いて嘆息した。

「こいつらと何があったかは知らんが、普通に関わっているなら俺から何も言うことはない。拍子抜けしただけだ。」

 鞄を小脇に抱えた少年は、総司の後に付いて歩いていく。

「嫌いなタイプなんじゃないっけ?」

「混ぜ返すな。印象が変わっただけだ。」

 総司の軽口に、彼は反論する。神威も、彼の父親から話を聞く限り、嫌われそうだなと思っていた。長男でありながら、跡継ぎになれない人間。神威とは真逆の境遇にある。神威は自惚れるが実力は確かだ。秋人は才能を絶望視されている。ただ、神威は父からAAAで働けなどと言われたことはない。逆に、秋人の父から、周囲に認められずとも、秋人に時明院家を継いでもらいたいと彼の父はよく話していた。

 立場上、公言できなくても、彼の父なりに彼の才能を認めているということだ。それを彼は気づいているのだろうか。

「俺は、俺の才能が今の親族で認められないだけだ。俺自身が無能だと思ったことは一度もない。でなければ、実の弟をいじめ倒し、妹に愛を囁くなどと並べ立てるかね。」

「俺は自分がクズだとは思うが、お前は開き直ってるからサイテーだと思う」

魅冬みふゆちゃん、それが普通のことだと思ってるからねえ」

 ドン引くようなエピソードが飛び出し、あの父親にして、この息子ありと確認できる。

 暦の言う魅冬というのは秋人の妹のことだろう。恐らくは彼女の親しい人間なのだろう。

「引くだろ?」

「まぁ、ね」

 総司が呆れ顔で同意を求めるので恐る恐る頷く神威。

「ま、こういう俺らだから」

「目下、あいつらが鬱陶しくてたまらない」

 悪い人間2人がため息を吐く。昨夜、総司と暦の事情を聞く限り、彼がクラスで阻害されていることに起因しているのは明白だ。

 ただそれは秋人も同じく思っているようだった。


                 *****


 伊達優貴とゼフィス・エントクロマイヤー。伊達洸耶の長女と『無限の魔法使い』とあだ名されるロフィス・エントクロマイヤーの息子とのコンビ。いずれもAAAの大物で、親友同士でもある。彼らの子供が幼馴染であることは必然であったろう。

 ゼフィスの方は、この夏にAAAの戦闘員資格を優秀な成績でパスしている。彼がクラス内で抜きん出た実力を持つのは間違いない。そして、それを鼻にかけるのは仕方ないことなのかもしれない。

 ただ優貴のほうは解せない。美少女であるとか優等生であるとかは抜きにして、彼女自身何か秀でているわけではない。暦の話からして、多少腕っ節は強いものの、所詮は同世代の女性としてだけだ。ものすごい怪力や超能力を持つわけではない。伊達洸耶自身が先天的な能力を持たないためだ。

 彼は修行によって格闘技で魔法を無効化する滅茶苦茶な人間なだけであり、それを他の人間が真似することは到底不可能だからだ。

 彼女が謙虚な人物であれば、偉ぶったりしないはずなのだが、2人とも当然偉いように振る舞っている。

『お姉ちゃんはちやほやされるのに慣れて、それが当然だと思ってるんだよ』

 昨夜の暦の話の中での言葉を思い出す。

 人間はぬるま湯に浸かり始めると抜け出せないものだ。彼女らがそうであるなら、誰かがきっかけを作らないといけない。

 それは大人気ない話だが、神威が適任だった。


                 *****


 朝の高等部校舎の各階掲示板に張り出された実力テストの結果発表に人だかりができていた。

 二年生の階での結果発表には一位タイで神威と秋人の名前があった。すぐに実力を出し、ビジュアルもいい神威が注目の的になるのも致し方ないことだった。

 ただ、その注目の男子が問題児な総司と一緒にいなければ、もっと注目されていた。

『出雲総司と目を合わせてはいけない』

 二年生の生徒で、そのルールができたのはすぐのことだ。それだけ、当初の総司は迷惑がられていたのである。

 この総司が、学年一位と馴れ馴れしくしていることは憶測や悪評を呼ぶに違いなかった。

「九狼君、転校から大した活躍じゃないか」

 そして、ゼフィスもまた黙ってはいない。相変わらず結果は中くらい。偉そうに話しかけるのも恥ずかしい。

「そんな君がそこの不良ワルと一緒に登校? 何かトラブルでも抱えてるのかね?」

 教室にたどり着いた総司たち。神威は奇異の目線を周囲から受けながら、ゼフィスに話しかけられた。

 明らかな憶測で話す彼に、神威は非難の眼差しを向ける。

「ヤツは数々の騒乱を起こし、授業を妨害した悪人だ。君と付き合うにふさわしい人間ではないよ。」

「まーたそれかよ。お前それで秋人コイツに無視されて、逆ギレして、秋人に反撃されたのもう忘れたのかよ?」

 もう前科があったらしい。それもそのはず、ゼフィスからすでに魔力の波動を感じる。威嚇のつもりだろうが、教室内で魔法を使うことに躊躇いがないようだ。

「AAA憲章第二条二項。現代社会において異能を恫喝、威力証明の手段として使ってはならない。」

 神威は条文を暗唱しながら、ゼフィスの左手を制し、総司への射線を遮るように体を滑り込ませながら言った。

「これは正義として行っている行動だ。脅しに見えるかもしれないが、みんな正当だと評価するだろう!」

 多数派を嵩に着て、力を示すことを結果的に恫喝というのだが、言い訳といい幼稚に過ぎる。AAAの初期免許は実力を計るもので、資質については上級試験に伴う。ゼフィスのような人間も時たまいることは、認めるほか無い。

「君が将来的に悪ならば、ここで制裁を加えても構わないな?」

 と、神威は左手の掌をゼフィスの前にかざした。すると、瞬間的な空圧が発生し、彼を廊下へとすっ飛ばす。

「っ!?」

 あまりに唐突な出来事に、声もなく、驚愕している。いつも通り傍観を決め込んでいた秋人は目を見開いている。総司は口笛を吹いていた。

「おとなしくしていれば君は!」

 ターゲットを総司から神威に切り替え、ゼフィスは廊下から教室内へとすっ飛んで行こうとするものの、彼はそれらの境界で止まる。

「か、風の壁!?」

 局所的に作られた空気の壁に阻まれ、ゼフィスは教室に入れなくなった。彼はすぐさま自分の魔力で壁を破ろうとするものの、周りに影響の出ない半端な魔法は、空気の壁の魔力干渉に阻まれ、破ることはできない。

 無詠唱で魔法を公使できるというゼフィスには哀れな姿であった。たかが空気の壁に対して、自分の力でなんともできないというのだから。

「ちょっと貴方」

 彼氏のピンチに優貴が前に躍り出る。神威にとっては身が竦む瞬間だが、二度目なので怖れは少ない。

「貴方、あんなチンピラの味方になるわけ?」

「確かに総司はしょうもないクズだったのかもしれないが、それがいつまでも続くわけではない。悪人が改心する時は君たちに従属した時なのか。」

 気になる節はあるが、総司は黙って事の成り行きを見守る。

 神威の正論に、彼女はたじろぐが、反論すべく口を開く。

「そいつが私の妹を弄んでいることには変わりない!

そいつは最低な奴で、今すぐにでもここから出ていくべき奴よ!」

 彼女は感情を露呈させる。だがそれは結局、本音ではないだろう。

 神威が客観的に見る限り、総司と暦に確かな絆を感じるし、彼が彼女と遊んでいるという事実は見受けられない。彼女が現況を頻繁に家族に送っていることから、姉が把握していない、ということではないだろう。

「暦ちゃんは総司と上手くやっているよ。君はそれが認められないから、事実を歪曲して、総司を責めているのではないか?」

 優貴の行動を疑惑に持っていく布石だ。暦の言う通り、クラスの中で認められるために総司を攻撃することが正義だと思っているなら、周囲も彼女を疑い始めるだろう。むしろ、彼女やゼフィスの雰囲気にはついていけない人間も、もういるかもしれない。

 人間はぬるま湯を良しとする。抜け出さなければならないと思っても、居心地の良さを捨てられるほど、普通の人間は強くない。居心地が悪くならないと、人間は動かない。

「逆に奴を信じられる要素は何!? これから暴れないとでも!?」

「僕は昨日からの彼しか知らない。それに友達なら、そうさせないよう止める。」

 優貴の揺さぶりに、神威は真っ向から答えた。

 そう友だ。復讐心くすぶり心がすり減っている神威にとって、心のスキマを埋める友ができた。総司がクズでバカなのはどうしようもないことだが、それを言うなら神威とて反論できない。彼も自分の力でしか個性を示すことのできないバカなのだから。それらは友達同士で乗り越えられると、神威は少なくとも信じている。

「俺からも、いいか」

 成り行きを見守っていた総司が口を開いた。優貴が警戒して身構えるが、総司の雰囲気は穏やかだ。というより、思う所があるというところだろうか。

「今まで絡んで悪かったな。皆にも迷惑をかけた。謝罪する。」

 総司は謝罪の言葉を口にし、頭を軽く下げた。

「そ、そんなことで」

 予想だにしなかった謝罪に優貴は次の言葉が思いつかなかった。

 優貴はともかく周囲もびっくりし、そして落ち着く。空気は変わった。もはや、彼女やゼフィスが正義の雰囲気ではない。

 そんな折、予鈴のチャイムが鳴る。実力テスト結果の返却もあるだろう。

 こども先生たちは早めにやってくる。

「はいはい、席に着いて。テスト返却して、各種データを発表するわよ。」

 先生たちが来た以上、話は終わりだ。散々壁に阻まれたゼフィスは、ようやくここで教室に戻れたが、もはや遅れを取り戻すことはできなかった。



「出雲、成績は改善の余地が見られたから、これからその調子で精進するように!」

「うーい」

 総司は名指しで結果について言われ、やる気があるんだかないんだから分からない生返事をする。昨日の困憊ぶりから見るに、前はかなりヒドかったことが容易に見受けられる。

「それでは、今日から通常のカリキュラムがスタートします。藍明守祭があるとはいえ、浮かれて勉学を疎かにしないように。では次の授業準備をして待ってなさい。」

 小柄な背格好から繰り出される力強い言葉。しかし、クラスは慣れているのか、まばらに返事する。担任と副担任が教室から出ていくと、教室内に騒々しさが戻る。

 成績を比べたり、答案を比べたり。学生らしい会話ばかりだ。

 その中で、優貴やゼフィスらはもう神威たちに絡む気はないようだった。ゼフィスが話しかけようとしていたが、彼女が睨みつけて拒否するほどだ。

「まぁ、状況は好転したな」

「いやぁ、びっくりしました。謝罪なんて。」

 ここぞとばかりに秋人や緋芽が話しかけてくる。目下の脅威が過ぎ去ったからとはいえ、現金なものだ。

「ま、土下座しろとまで言われたらアレだったが、頭ぐらい下げる。学校で大っぴらに暦に会いにいけないのが一番辛いしな。」

 隙あらば惚気る。彼らが強い絆で結ばれていることはよく分かるが。

「ただそれでも問題は次から次へと、だけどな」

 マジメになりつつあるチンピラは深くため息をつく。

 疑問符を浮かべる神威に対し、総司は手を合わせて拝むように、もう一度頭を下げた。

「勉強教えてくれ下さい」

「俺に教師の才はなかったらしい。頼めるか。」

 何事か、と思った神威は、秋人の言葉も含めて、苦笑して肩をすくめたのだった。


                  *****


 時明院家の屋敷は藍明守北部高級住宅街でも有数の一等地にある大きな屋敷であった。純和風で洋風の類はトイレ以外に存在しない。当主の持明院刹那じみょういんせつなが妻のために拘り、静かな余生を暮らすためということでもあった。

 当主刹那はほぼ隠居の状態にあった。静流神社への札の納入の仕事は魅冬や春樹に任せているのでなおさらだ。

 だから兄妹らとも妻、綸花りんかと一緒の時しか会話を交わすことはない。長男が一対一で話をしにくるのは珍しいことであったのだ。

「お前が私に話とは珍しい。どうした。」

 刹那は40を越えているが、未だに若々しい。隠居する年頃ではないだろう。黒髪はいささかもハゲてはいない。藍色の作務衣に着流しを羽織っているのは、少々ジジ臭いが。

「その前に母上の容態は」

 刹那の長男というのに何の才もなかった秋人。この才とは、神や霊を呼ぶ力のことだ。退魔士の家系ということで、呪術や魔術に関わる召喚による降霊や交霊を重視する。

 秋人はこれらの才能がまったくもって無い。霊の類を視ることはできるが、召喚術はまったくできないのだ。

「母はいつも通りであるよ。いつ急変してもおかしくはない。」

 綸花は元々神聖な巫女として退魔に長けているが、それ以上に悪霊を引き寄せやすい性質をもっていた。

 それで元々体が弱かったのが災いし、3人の子を産むと寝たきりとなった。彼女は体内で悪霊と戦い体力をすり減らしている。刹那は彼女が急変しないように看病することが日常になっていた。

 そんな状態であるからなおさら息子娘たちはどうすることもできない。秋人はどうにかしようと考えてはいたが、後継者に選ばれもしない彼が突如としていいアイデアを思いつくことはなかった。

 どちらにせよ秋人は凡庸であることで時明院家の居場所をなくしつつある。努力で取り返すということがそもそも不可能な分野であるため、無力であった。

「父から見て、私をどう思われますか。母上が命を懸けて生んだ長子というのに不甲斐のない息子でしょうか。」

「私は没落しつつある時明院家の希代の天才だと言われた。それ故窮屈な思いをしたし、満足に友人も選べなかった」

 刹那にも気の置けない親友がいる。今も交流のある友だ。その友は、九狼神威を長いこと指導していたAAAの教官である。

「制限された毎日の中で、優秀な血を残すためだとしても彼女と出会えたことは幸運であった。しかし彼女も、力あるせいで不自由を強いられていた。おかげで心で通じ合う初めての、そして永遠の伴侶となりえた。私にとってはそれが幸福で、彼女の望みであるお前たちがあることに何の悔いもない。」

「とはいえ、私は不肖の息子です」

 刹那は求めずとも力があった。その力が秋人にはない。力があろうとなかろうと不自由となるとは刹那も思ってはいなかった。

「秋人、お前は私や綸花にはない力を持っている。今まで持明院家にはない自由な発想の元の術の数々。私はそれを否定することはない。お前がいきなり不安事を口にするのだ。最近面白いことがあったようだね。」

 新学期のこの時期、どうやら秋人を刺激する者が現れたということだろう。刹那とて噂として聞き及んでいる。それが予想通りの人物なら、彼に対し息子を宣伝していた甲斐もあったということだ。

 持明院の親戚は秋人を無能とし、次男春樹を後継者とするよう動いている。もはやその流れは止められない。だが父として、秋人の知力や広い視野は評価している。退魔士に縛られなければ、秋人だけの力になるだろうと思っていた。あとはそれに気づくか否かに賭けていた。

「負けないことだ。今はお前にしてやれることは少ない。お前なりの道を進むといい。」

「はい、ありがとうございました」

 親に対しては礼儀を重んじる秋人。礼をして、茶室から退室していく。

「綸花にいい話ができそうだな」

 冷め切った茶を啜って、秋人の将来を祈ることにした。

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