5 それぞれの未来

 学生らしい夕食の後、思い思いの話をして、部屋に戻り、部屋の中でも盛り上がる。おそらく寝静まるまで遅いことだろう。とはいえ薄い壁を通して声を張り上げるものは居ない。それに声を抑えれば、隣に声が聞こえるわけではない。

 そういう中で秋人は寝巻きに着替えるわけではなく、逆に厚着していた。

「何してますの」

 どう見ても外にこれから行こうという格好である。ただこれに関しては緋芽も同じである。多分そうなると思って、緋芽も出る準備はできている。

「不審者は神隠しに遭ってしまうのでは?」

「ふっ、そんなことあると思うか?」

「話とは違うじゃないですか」

「まぁな。聞いてると思ったけど丸聞こえか」

 外は相変わらず吹雪いている。こんな時に外に出るなど普通はどうかしている。神隠しに遭う前に遭難するのが関の山だろう。

「ここはそういう所なんでね。昔話ついでに一緒に来てみるか?」

 その言葉は夜のデートの誘いにしてはあまりにも不似合いなシチュエーションであった。

 同級生たちに出会うことなく、秋人は屋敷の戸を開くと、猛烈な吹雪が吹き込んでくる。やはりこの状況下で外に出るのは無謀すぎる。

 だというのに彼は、まったく意に介さず外に出て行こうとする。緋芽は彼の手を手袋越しに握りしめ、吹雪の中を進む。ちなみに傘で顔を防御したりしない。あっても一瞬で壊れてしまうこと請け合いだろうが、前を進む男は迷いなく進んでいく。

 時間の感覚がなくなり、前が見えないせいでどれほど歩いたか分からない。急に前を進む秋人は立ち止まり、緋芽の頭が彼の背中にぶつかる。

「抜けたか」

 秋人が呟いている。まだ吹雪いている風の音が聞こえるのに何を言っているのか分からない。

 そこで気付く。風と冷たさが目の前にないことを。

「眼帯をはずして、ちゃんと見てみろ」

 緋芽の片眼は虹彩異常、つまり、オッドアイである。緋芽の右目は黒眼に対して、左目は紅い。遺伝異常、何らかの事故の後遺症でこういった身体異常があるのだ。

 ただ彼女の眼はそういう異常の類ではない。彼女もまた能力者であった。

 秋人に言われたとおり、ここまで歩いてきた後ろを両目で見ると、出てきた屋敷が目の前にある。

「ちょっと」

 時間の感覚が薄れていたとはいえ、1分以上歩いたはずだ。目の前に屋敷があるはずは無い。十数メートル距離が開いてないとおかしいはずなのだ。

 そんな違和感の中で、左目を瞑ると屋敷が遠く離れたように見え、さらに周囲が揺らいでいるようだった。

「屋敷の周囲のみ空間が歪んでいる。入り込んだ侵入者を閉じ込めて出させなくする簡易的な幻術結界だ」

「結界?」

「夜の住人が自由に闊歩するような世の中でも地方に隠れ住む仙人やあやかしの類は存在している。この結界は後者の方で、今から話をつけに行くというわけだ」

 ここに着いた時と同じ、寒さはそれほどでもなく、強い風もないことから、緋芽は手袋をはずす。

 秋人は当然だが普段から色々見える人間であった。家系的な部分もあるが、色濃く受け継いでしまったのだろう。弟の春樹や妹の魅冬は霊感は出来ても普段から霊視が出来ないのだ。

 何かと緋芽と気が合ったのはそういうところだ。もっとも緋芽の眼帯は、見ないようにしたのとファッションのためなのと二重の理由だ。秋人は似合っていないと思っている。

 今度は手袋越しでなく、手をちゃんと繋ぐ。手は冷えていないが、お互いの肌の温かさが今は心地よい。

 進もうとしている先の山道は妙に霧が漂って奥が見えなかった。一応、片目を閉じて確認すると、道は無く林があるだけであった。

「この握っている感覚を信じろ。自分の感覚はあまりアテにするんじゃないぞ」

 そう言って強く握り、手を引いてくる秋人に、緋芽は頷く。

 連れ添って山道を歩く。まるでデートみたいだが、霧の中を歩いているため先がよく見えず、今自分がどこをどう歩いているのかさえ定かではない。

 そういう状況で、進む先から人影が見えてしまうとつい確認しようとして立ち止まってしまうのだった。

「立ち止まると付いて行きたくなるぞ」

 隣で秋人が言う。彼にも見えているのだろう、鈴の音を鳴らしながらやってくる一団が。

 古めかしい和服を来た二列の一団。列の半ば、着飾って俯いた女性が乗った輿がよく目立つ。

「狐の嫁入りだ。人によっては普通の人間に見えたり狐顔の人に見えたりするらしいが、遭遇してついて行ったりするといわゆる神隠しに遭う。あんまり見れるものでもないんだが、眺めてると自分がどこから来たのか分からなくなって、反射的について行ってしまうから見ないほうがいいんだ。」

 そう言って、一団が二人を通り過ぎる前に秋人は緋芽の手を引く。ついてきた身分なので、気にはなりつつも彼女は彼の手を引く方向に歩き始めた。

「俺の母はこの地で生まれた。元々山間だったこともあって、完全に閉ざされた村だった。あやかしの類が闊歩して屋敷の者以外は人間かどうかもよくわからない状態だったらしい」

 濃霧を進む中、件の昔話を語り始めた。それは今の時代なら、多少は理解できるものだが、それでも完全に理解するには少々超常的な話であった。

 秋人の母、綸花は生まれながら強い清めの力を持っていた。その力を持って村の邪気を祓う役割を幼い頃からしていた。

 しかし、その役割に加え、その力を分けてもらおうとした村人や屋敷の者たちとの交わりもしていた。

 彼女が心を保っているのはギリギリで、そういう時に青年の刹那はやって来た。遠縁の分家の娘という話を聞きつけた刹那は、あやかしを全滅させ、綸花を村から連れ出すことで彼女を救ったのだという。

 母が居なくなった村はやがて誰も居なくなったそうだ。

「皆、神隠しにあっちまったのさ。それまでするべき信仰を母に全て任せてたから、いなくなってやり方も忘れて罰が当たったわけだ」

 秋人はその言葉で締めて、立ち止まった。

「初めまして、■■■様。時明院刹那と綸花の息子が一人、秋人と申します」

 彼の力ある言葉は霧の中に吸い込まれていった。緋芽はいつのまにか秋人の手どころから腕まで自分の腕に絡ませている状態であったことそこで気付いた。

 そのせいか、彼が言った言葉も聞き取れない発音があった。

『血族か?』

 声がどこからともなく響いた。声の方向は霧でよく分からないが、秋人にはどこから聞こえているかわかっているようだった。

「はい、長らく参れなかったことのお詫びを代理にて」

『我らには短きこと。二人は健勝であるか?』

「父は、母の体で手一杯で。それが来ることのできなかった理由でございます」

『巫女が保っているのが良き事か』

「ですが、今のままでは永く持ちませぬゆえ、お願いがございます」

『そなたに、それができるか?』

「それを試すためにも結界を張ったのでしょう」

『そなたは刹那にも綸花にも似ておらぬな。よかろう、参るがいい』

 声との会話が終わり、周囲の霧が晴れていく。そこは古びた神社のようで、目の前の社の扉が手招きするように開け放たれていた。

「しばらくここで待って、って何でそんなにくっつく」

 緋芽はがっちりと離さぬように秋人に密着していた。

「ちゃんと理由も話さずにこんなところまで連れてきて。色っぽい話もできないんですか、貴方は。」

「ちょっと1人で中に入ってくるだけだ」

 言って秋人は一番上に来ているスキーウェアを脱いで、緋芽に押し付けることで密着状態から抜け出した。

「戻ってきた時に返してくれ」

 そう一方的に言って社の中に入ってしまった。社の中は闇があり、奥がまったく見えない。

 謎の声の主と中で何かあるのは間違いないだろうが、状況を考えて下手に進むことも戻ることも出来ないはずだった。それでも扉の中から足音が響き、止まる。

 底知れぬ闇を覗き込んで足を踏み外すことを恐れ、霧の濃い境内に座り込んで待つことしか彼女はすることがなかった。

 座して待つこと数分、再び足音が響いてくる。

「待たせたな」

 その数分で秋人は戻って来る。

 いくらなんでも早すぎる。緋芽は現れた秋人を見て、口をあんぐり開けた。

「その顔、本当に10分もたってない顔だな。俺は中で1時間は試練を受けてたはずなんだが。」

「世の中にはまだ分からない超常現象があるのね」

「そういうことにしておけ」

 言われても意味が分からない。なので緋芽は考えるのをやめにした。秋人は苦笑する。

「そういえば列車の中では将来のことをあまり決まってないと言ったな」

「そうですね」

「これでやっと道が見えたような気がする。実家にとって無能でもこの力を有効に使える場所がある」

「そうですか」

 いつのまにか自己完結されている。置いてけぼりにされていないが、されてしまったようで緋芽の返事はあまりにも薄い。

「前から言おうと思っていたんだが、眼帯止めないのか?」

「眼帯付けてたほうが格好いいじゃないですか」

「眼鏡のほうがいいと思う」

「ふふん。何と言われようとやめませんよ。」

 このファッションには自信有りと、彼女は胸を張る。

 彼女は、出雲総司の婚約者の体で、彼の監視のため転校してきた。その時からこの眼帯姿だから、敬遠されて友達はできなかった。総司の観察のため、という目的が一致していたからこそ秋人と行動を共にするようになったのだ。

 似た者同士だったが、お互いそれを理解していなかった。

「それにしても、家にも血にも縛られない自由の道、か」

 秋人は時明院家という家に血に縛られていた。それを基本に考えてしまっていた。だが、社に入り、祀られたモノと対峙して、時明院秋人という人間としての生きる道を見つけた。

 新天地を発見したような彼の前向きさに、緋芽は一歩引いていた。腐れ縁みたいな関係性に甘えていたこともある。

「一緒に来ないか?」

 いつになく優しい顔に、緋芽は不覚にもときめく。ちゃんとしていれば、この男は顔がいい。そうでなくても普段は陰のある顔つきをしている。この顔を独り占めにしていることを彼女は自覚していなかった。

「それじゃあまるで私と結婚したいみたいですよ?」

「それもいい」

 秋人のナチュラルな告白と、抱き寄せに緋芽の心臓はバクバクだ。

「旅館に帰る前に、すべきことをするか?」

 言って、彼は緋芽のスキーウェアのチャックに手を掛けた。びっくりするが、嫌じゃない。嫌じゃないが、流石にブレーキは踏む。

 秋人の手を緋芽自身の手で止め、指を絡ませる。

「ここでは許しません」

「ここでは?」

「そう、ここでは」

 そう言うと彼女はぎゅっと秋人を抱き締めた。

 秋人にしても密着されて悪い気はしない。

「多分、露天風呂に入れるぞ」

「どんなに私を脱がせたいんですか。とにかく戻りますよ。」

 来た時とは逆に、緋芽が秋人の手を引く。戻る道に霧は無く、静かなものだ。雪の夜道は月明かりに照らされ、幻想的だった。

 吹雪の結界がなくなった旅館にはまだ灯りが点々と灯っている。入口の引き戸に手をかけて中に入った途端、見計らったように秋人が抱き着いてくる。

「まだダメですよ」

「いつならいいんだ?」

「私が眼帯をはずしたら、です」

「それはいい」


                 *****


 秋人達が温泉旅行に出かけた次の日の朝、藍明守の持明院家の屋敷では。

「ふむ、今朝は調子が良さそうだな」

 早朝、刹那が綸花のために繕った清めの床の間に入り起き上がっている彼女を目にして驚いていた。

 普段の彼女は青白い肌で顔色が悪いが、今日の彼女は調子良さそうな肌具合をしている。

「ええ、不思議な夢を見て」

「夢、か?」

「体の中の邪気を秋人が取り払ってくる、そんな夢を見ました。やっぱり旦那様の子供ですね。私を連れ出した時の旦那様の背中とそっくりで」

「私はお前に似ていると思ったのだが」

「旦那様の方でしょう?」

「両方に似ているなら、なおさら時明院家のしがらみに納まってられない、か」

 しみじみと思う。刹那も時明院家という家がなければ親友とつるんで遊んでいられただろう。内心、家を継ぐのがたまらなく嫌だったが、親類の協議で決められる結婚相手などは更に嫌だった。

 遠縁に今の妻の綸花がおり、閉鎖的な村に拘束されていると知って会いに行き、あわよくば彼女と家から逃げようと思ったこともある。

 刹那も綸花も力あるために縛られなければならなかった。それは呪いの様なものだから逃げたとしても後で何かしら降りかかってくると考えた。

 やがて、子供が生まれ、家のしがらみは長男ではなく次男の方を選んだ。逃げていればそれだけでは済まなかったかもしれなかっただろうし、今の彼女もなかっただろう。

 次男の春樹は継ぐことに不安はある。むしろ、恐れを抱いている。今の時明院家の基準では計れない実力を長男、秋人が持っていることを知っているからだ。

 だから刹那は秋人に何も言わないのだ。刹那や綸花にも無い才能を秋人が持っているから。

「それにしても本当に調子が良さそうだな」

「なんだか心に余裕ができたみたいですっきりしています」

「まさか秋人が本当に」

 妻の顔色がいつもより良く、むしろ邪気に囚われる前の美しく儚い表情に戻っていることから、刹那はある考えが思い浮かんだ。

 綸花に根付く邪気そのものを喰らうほど格の高い神を秋人は調伏させてしまったのではないかということである。

「早い親孝行をするものだ」

 綸花についていなければならないので出来なかったことを秋人が成し遂げた。

 しかし、自分ができることを秋人が出来るとは限らないとまで彼は考えていた。つまり刹那の考える領域に秋人はもういないのだ。

「久しぶりに一緒に外に出てみるか?」

「ええ、そうですね」

 もはや叶うこともなかっただろう妻との外出。彼女の笑顔に癒されながら、彼は温泉から帰ってきた息子をどう迎えようかと考えるのだった。


                *****


 目が合えば険悪に火花を散らし、競い合いすぎてトラブルを起こす。以前の問題児である総司が止めに入って、返って問題が大きくなる。こうした神威と優雅の問題は担任教師が問題視していないわけがなかった。

 特に優等生かと思っていた神威の行動は目に余る。出雲総司の悪影響が酷いのかと思うほどである。

 九狼神威の変化が、一体どういうことなのか。聞き取り調査をすべく時間を取り、彼の住むマンションへ出向く。

 担任教師、相川瑞樹はちびっ子先生とあだ名されるほど小柄で、ナメられることも多い。しかしこれでも学園卒業生であり、学園理事長ポナパルトからの信頼篤い女性である。

 春休み中というの中の貴重な時間を使い、神威の部屋を訪ねると、戸を開けたのは伊達暦。

 別にそれはいい。彼女は出雲総司に公然と付き合っているし、総司は神威の部屋の隣に住む。彼氏と共に部屋を訪れていることは予想の範疇だろう。不純異性交遊など、もはや古いルールである。

「おかしい! なんかおかしい!」

 玄関から丁字の廊下の奥から神威の声が聞こえてくる。

「いやあ、大丈夫だろ。でも強くしないほうがいいぞ。」

「そ、そうです。あっそこは!」

 リビングに来た教師は目隠しをした神威が、ラミア・エントクロマイヤーの乳を後ろから揉みしだいているとしか映らなかった。

「あっ」

「あって何!?」

「んくう」

 状況の最悪さを見られたと気づいた総司が、瑞樹を見て声を漏らす。ラミアはそれでも喘いでいる。どうも嫌ではないようだ。

 実は改造されている神威が日常生活可能な力加減を特訓すべく、目隠しで色んなものを壊さず掴む練習をしていたのだが、総司がふざけて、遊びに来ていたラミアを巻き込んだのだ。

 だからといって、知らない第三者が見ればふしだらな遊びに興じているとしか見えない。

 教師生活10年以上。チビっ子と言われながらもベテランな彼女はナメきった彼らを説教するべく一度深呼吸した。



「えー、迷惑を掛けた反省の色が見えないということなので君たちにボランティアミッションを言い渡します」

 藍明守で一番大きい屋敷の前で羽山修がやる気なく言う。トラブルの中心、神威、総司、優雅が集められている。

 相川瑞樹の家庭訪問の明くる日の朝に呼び集められた。季節は春だというのにまだ肌寒い。

「ちなみに出雲君、ここが誰のお屋敷か知ってる?」

「道楽趣味人チャコードザート家の屋敷」

 やはりやる気なく欠伸をしながら総司は答えた。

「その通り。学園都市藍明守やAAAの理事の一人ディレイフニル。夜の住人ナイトストーカーの中の有力吸血鬼、チャコードザード家の当主です。」

「夜の住人、か」

 羽山の説明に優雅は表情を変えない。夜の住人と言われても外見はほとんど人間が多い。

 実際に強力であるところや満月の夜に変身しているところなどを見ていないためよく分からないのだ。戦場でも相対したことのない相手だ。

「昼間堂々と出歩くし、逆さ吊りだってなんのその、空だって飛ぶ」

「ほう」

 やる気がないせいで何やらおかしいが、優雅にはなんとなく伝わったらしい。

 神威はディレイフニルが人間に協力する変わり者としか聞いたことがない。先の騒乱において、持明院刹那の号令により協力を申し出たという。AAAの結成の弾みとなった古参メンバーである。

「今回、彼の屋敷のお手伝いさんである妹さんたちが揃って休暇などで家を空けてしまい、中がほったらかしの状態です。家中とは言わず、玄関や通路などを掃除する、というのがミッションの主な内容です」

 屋敷のメイドさんが妹、というのも何ともな話であるが、彼ら夜の住人たちは力ある者に仕えることが大変名誉な社会感覚なので特に問題ではないのだ。

「それじゃ1日がんばれよー」

 電気掃除機と雑巾がそれぞれに渡される。

 言うまでもなく今日は平日。羽山は学園の唯一の神父とはいえ、毎日いるほど生真面目でもない。教師として多少なり人気もあるため教会に欠かさず行く生徒もいるが、それは放課後の話。彼は大体重役出勤なので、本心ではこうして朝から不良生徒のボランティア活動に構いたくはないのだ。

 そして、やる気がないのは3人も同じことである。屋敷の大門を開いて正面玄関まで50メートルをとぼとぼ歩く。

 特に優雅は巻き込まれた感がある。不埒な事をしていた神威のせいとは知らずに、とりあえず言われたことをしようと進んでいた。

 屋敷の大きさはちょっとした学校ほどのものだ。

 個人一人で住むならば大きすぎるだろうが、金持ち屋敷ならこれぐらいじゃないかと、思い込む。

 正面玄関も正門と同じくらいの大きさで、不必要さすら感じてきた。そんな重そうな玄関扉が訪問客に気づいたのか勝手に手前へと開いた。

 金持ちらしく自動ドアでも搭載しているのだろう、ともはや考える気すら起きない3人組である。

 屋敷内は外ほど寒くはないが、それでもひんやりとしていた。日が差し込んでおらず薄暗いためであろう。

 洋館のロビーらしく2階への階段が正面にあり、途中の踊り場メイド服の人影が一つ。

「おーい、紹介されて来たんだけどー」

 総司はそのメイド服の人影に向かって声をかける。しかし、反応がない。暗さに目が慣れて、よく見るとメイドは背を向けており、若干頭が垂れている。

「聞こえてないのか?」

「というよりも、さっき、使用人はほぼ出払っていると言ってなかったっけ」

 そんな風に話しているとメイド服の人影は振り向いた。それで頭が垂れている理由が分かった。

 古くなった玩具の人形のように頭髪がボロボロであることもさることながら、首が長く、そしてそれが明らかに異常なほど曲がっているため後ろから俯いているように見えたのだ。

 そう、それは人間ではなく、等身大の人形そのものであったのだ。

『オキャクサマ』

 くぐもった女性風の機械音声。静かで涼しい屋敷内でその声は異様なほど響き、そして恐ろしく聞こえた。

『ゴ奉仕イタシマスゥゥゥゥゥ!!』

 明らかに発狂した様子でそのメイド人形は踊り場を飛び、空中で両腕から鈍く光る刃を出した。

「散開!」

 神威が叫ぶ。今までやる気がなかったが、異常さは理解できる。彼は着地するメイド人形から距離をとり、玄関扉を背にする。そして扉を押すがビクともしない。

(閉じ込められた!?)

 大きな扉ではあるが、それほど分厚い扉ではない。大の大人が押せば開かないこともないはずなのだが、それが開かないとなるとロックをかけられたということだ。

「神威!」

 総司の声に反応して前を見ると、メイド人形が神威に目標を定めて走りこもうとしていた。神威は扉を諦め、人形の飛びかかりを横に抜けて、総司に合流する。

 人形は空振りした刃を扉に刺して抜けなくなってしまった。

「玄関は開かないみたいだ。破壊する必要があるかもしれない。」

「あんなのを外に出すほうがよっぽど危険だって」

 扉でもがいているメイド人形を見据え、扉を破る方法を一瞬考えるも総司の声で思い直す。神威が別の方法を思考しようとした時、新しいメイド人形が二つ、2階から飛び降りてくる。

 もがいている奴とは違い、骨格はしっかりしているもののメイド服があちこち破れていたり、目や手首が欠損していた。

『オテツダイダイダイダイ』

『イタシマスイタシマスイタシマス』

 一様に壊れて暴走している点では共通している。しかし、先のメイド人形とは違い武器らしい武器はなく、代わりに異様な動きをする男性器を模したような物体が握られていたり、股間からそれが生えていたりした。

「あんなもんで何を手伝うつもりなんだよ」

「何だろう?」

 この前死線を潜ったにしては恐怖を隠し切れない総司。神威は真面目に考えるのが馬鹿らしくて、ため息を吐く。

「とにかく逃げよう!」

 神威が叫び、2人は回れ右してその場を撤収したのだった。



 とにかく見えた扉を開き、出た廊下から適当な部屋へと飛び込み扉を閉める。先ほどのシュール…もとい恐怖のシーン。間違いなくこの屋敷内で何かが起こっている。

「ここにいるはずのディレイフニルさんと合流しないと」

「事情を聞くならばそれが一番だろう」

「うん、一体あの人形は何なんだろう。完全自律戦闘用オートマトンを配備した部隊がある話は聞いたことあるけど。」

「機械兵士か。少々ボロいが、油断はできないな。」

 ダウンライトを点灯させているだけの薄暗い廊下。神威の隣には優雅しかいない。

「えっ?」

 隣にいるのが総司だとばかり思っていた神威は、本当は優雅だと気付いて動きが止まる。

「屋敷内の掃除が敵性機兵の掃除とは上手いことを言う」

「違う違う多分違う」

 優雅が大真面目であることは確かだが、さりとて突っ込まざる得ない。しばらくして、出入り口の近くの部屋の扉が勢いよく開かれた。

 そこから比較的綺麗な見た目のメイド服が現れた。

『ターゲット確認。カクニン。カクニン。』

 先ほどのオートマトンとは違い多少流暢ではあるもの、やはり狂っている。なぜか男性と女性の合成機械音声であった。



 息を切らせて比較的広めな部屋へ飛び込む。彼を追跡してきた卑猥な装備のメイド人形もまたその部屋へと進入する。

「もらった!」

 出入り口が一つしかない以上、一人ずつ入るぐらいのスペースしか用意されていないことになる。

 それなら入り口の側で待ち伏せすれば、数の不利を覆すことができる。こういうことに関して総司はお手の物だ。

 律儀に一体ずつ押し入ってきたところで先頭の人形を掴み、後ろに押し付けて、最大電圧を流し込む。

 元々暴走していたメイド人形はそれで完全に機能を停止させた。

「なんとか、だな」

 人形が動かなくなったことをよく確認し、彼は息をついた。

「神威、これからどうする」

「やあ」

 今まで気付いていないが、神威や優雅はここにはいない。総司は彼らと反対方向へ走ってしまったのだ。だから部屋の中には総司が一人だけ、のはずであった。

 彼が意見を求めて横を向くと、見知らぬ青年がいた。銀髪で赤い目、具合が悪そうな青白い肌。おおよそ、人間ではない雰囲気だ。

「誰だお前はー!?」

 なんとも馬鹿馬鹿しい話だが、彼は叫ばざる得なかった。



「いやはや、掃除しに来てもらったのにすまないねぇ」

 部屋にいた青年、彼こそがディレイフニル・チャコードザード。見目麗しいものの青白い肌のせいで妖しい印象が強い。

「僕も多少なりと掃除をしなくてはとガラクタ置き場で掃除用具を漁っていた時、昔知り合いと一緒に作ったオートマトンを誤って起動させてしまってね。モノがあれだから粗大ゴミに出すわけにもいかなくてね? 今まで放置された分の恨みを晴らしたいのかあのような惨状というわけでさ」

「ダッチワイフを捨てるのに困ってるみたいに言うな」

 照れくさそうに言うものだから総司が妙なツッコミを入れる。

「防犯のために玄関を自動ドアにしたのに、そういうセキュリティを彼女らに軒並み掌握されてしまって、仕方なく自分の部屋に逃げ込むしかなかったんだ」

「そう言ってる割に困ってないな、アンタ」

「長く生きてるとこういうトラブルぐらい日常茶飯事だからねぇ。どちらかというと楽しいかな?」

「かな?じゃねぇよボケェ!」

 通常ならばコミカルかもしれないが、状況はそれを許さない。総司は巻き込まれているから、ディレイフニルの態度に腹が立った。

「まぁ、落ち着いて。正午前にお花屋さんが花を配達しに来る。玄関は来訪者を出迎えるためにロックを解除するはずだ。それを利用して脱出しよう」

「窓から脱出できないのか?」

「いやぁ、無理だね。最近、耐核シェルターとして改装したから窓開かないし、防弾ガラスだから今の装備じゃびくともしないよ」

「あんたは一体誰と戦うつもりだ」

「ふふ、聞きたいかね?」

「どうでもいいわ!」



 薄暗い食堂。テーブルクロスがずり落ち、椅子が倒れまたは壊されて散乱しており、酷い状態であった。

「っ!!」

 かく乱用の身代わり人形を無視してナイフが優雅に襲い掛かる。動きが読まれているのか、偽者と本物の区別がつくのか。

 恐らくは後者。相手が人間ならば混乱を呼べるだろうが、心を持たぬ人形ならばダミーでしかないものに惑わされない。

 彼は投げられた1本のナイフを避け切り、新たな対処法を頭の中で想像する。

 今まで一番真新しいメイド人形が、両手に大小のナイフやフォーク、スプーンをあるだけ持って優雅との間合いを詰める。

「こっちだ!」

 神威が奥にある倒れた食器棚から皿を2枚手に取り、フリスビーの要領で人形に投げつける。人形はそれに対し、人間にはできないような身のひねり方をしてかわしてしまう。

「器用なヤツ!」

 相手が人間ならばまだしも、オートマトンが相手となると神威も優雅も苦戦せざるをえなかった。効果を望めそうな総司ははぐれたまま。

 破壊するのは簡単である。神威も優雅も変身すればいい。しかしお互い『こんなことで変身することもない』として、不意打ちの格闘攻撃で逃げの一手を打っていた。

『ターゲット捕捉』

 出方を見ている二人に歩み寄っていたメイド人形は機械音声を呟いて足を止める。

 直後、屋敷内にドアの呼び鈴が響き渡る。何者かがやってきたらしく、人形もそれに気付いたのだろう。薄暗い部屋の中を器用に飛び移り、一瞬のうちに食堂を出て行ってしまった。

「追うんだ、これ以上犠牲を増やしては!」

「上手くすれば総司と合流できるか」

 神威と優雅は少し遅れて食堂を出た。廊下を走り、メイド人形に追いつこうとするが、玄関ロビーへと出る前にそこから銃声が鳴り響いた。



「ここに刺さってた奴がいなくなってやがる」

 玄関に刃をめりこませてもがいていた一番醜いメイド人形の姿はここにない。扉に無残な傷跡が残るのみである。

 やがて訪問者が来るというので総司とディレイフニルは危険を承知でロビーに戻ってきていた。

「俺がさっき壊した2体を含めて何体いる?」

「全部で10体だよ」

「その中にあの壊れかけとあと7体か。全然頭数足りねぇじゃねぇか」

 総司の力が効果的だとしても戦力差は如何ともしがたく、彼は舌打ちする。そんな中でロビーに呼び鈴の音が甲高く鳴り響いた。

「うぉわ!?」

「屋敷中に響き渡らせるとなるとこれだけ音量を高くせざるえなくてね」

「おい、それじゃあ残りの人形にも聞こえたってことじゃねーか」

「そうかもしれないね」

 さっきからというものこの男は緊急事態だというのに緊張感がない。総司がイラつくのも仕方の無いことであった。

 1秒もたたない内に東西1階の廊下から、2階から次々とメイド人形が現れる。あの壊れかけたメイドもいるし、デッキブラシと掃除機を持ったメイドや食器を持つメイドなどもいる。

 殺傷力があるものないもの様々だが、一様に持ち物を武器にしているのが共通点である。それらが合計8体、このロビーに集まった。

「どーすんだよ」

「自分が作ったものだから壊すのには惜しくてねぇ」

「言ってる場合か!?」

 残念なことにディレイフニルには根本的な誠意が無いようだ。総司が総ツッコミするのもむべなるかな。

「花の配達だ」

 白髪頭の無愛想な男が外から入ってくる。営業文句を言っているが、屋敷内の異変にいち早く気付き言葉を切る。

『イラッシャイマセェェェェェ!!』

 花束を持った男を認識したと同時に跳ぶメイドたち。それに身構える総司と、懐からゴツイ銃を取り出す店員、外へと逃げ出そうとしているディレイフニル。

「てめぇ逃げんな!」

 総司が文句を言ったと同時に、店員が発砲し、そのまま彼は横へ走る。走りながらもさらに発砲し続ける。銃弾は上手いこと頭を粉砕したり、胴を撃ち抜いたりする。

 ロビーの端へとたどり着いたときには6発の発砲を終えていた。1発ずつメイド人形を仕留めており、総司が放電して片付ける分がなくなってしまっていた。

 それでもあと2体残っている。無事なのは両手にナイフやフォークで武装したものと、首が曲がった一番不良品な人形である。

 2対2。これならば負けはしなかった。それぞれ店員と総司へ目標を定め、動き出そうとするも撃ち抜かれ、あるいはショートさせられ、その機能を停止させられた。

「いやぁ、見事見事」

「お前のせいなんだが!?」

「納品書だ。それじゃあ毎度。」

 何もせずに隠れていたディレイフニルが拍手をすると、総司はすぐさまツッコミを入れ、白髪の花屋店員は伝票を出した。

「間に合ったか」

「えっと、終わってる?」

 呼び鈴を聞いて急行してきたのだろう、神威と秋人が走ってやって来る。人形たちはもう動いてはいなかった。



 花を届けにきたナイティエイルの店長が帰り、壊れた人形を片付けた後、ディレイフニルが詫びのための出前の寿司で昼食となった。

 神威は店長の顔は知っていた。

 ヴァイスレット・ナイティエイル。フリーランスの傭兵チームの隊長である。

 西区住宅街に店を構えていて、そこの店長をしている。見た目はいいから、彼見たさに花を買ったりするファンが多い。

「花屋が銃所持するのかー」

 総司はからかうように言っている。

「元々、連邦政府の汚れ仕事を請け負ってたけど、お上の派閥争いで組織消滅。藍明守に逃げて来たみたい。」

 流石に関係者という感じで、神威が話している。総司は深くツッコミはせず、寿司を口の中に放り込んだ。他人の金で食べる寿司は美味い。

「強い奴でも、花は好きなんだな」

 呟く優雅の言葉は風に消えていく。その時点で彼の真意を知る者は誰もいなかった。


                *****


 それは何の変哲も無いショートケーキである。

レシピに書かれていた食材も全て市販で手に入れられる代物である。もっとも作るに当たって、多少味の良いものや質の良いものを使っているだろう。

 フォークを入れた時の弾力感、口に入れたときのスポンジのふわふわさ、クリームの上品な甘さなどは予想しなかったことである。

 美味である。

 驚きなのは優雅がこのケーキを作っているとは思いもしなかった。

「これを何ホール売ってるって言ったっけ?」

 味と優雅のイメージのギャップに眩みそうになりながら神威は口を開いた。

「3ホール限定で、お1人様3ピース限定! 授業サボって買いに走っちゃった!」

「限定にほどがあるし、何やってんだ暦!?」

 神威が総司の隣人になってから初めての春。総司にとっては二度目の春。それはいつものように、総司のアパートの部屋で夕食の相伴にあずかった後のことだった。

 デザートとして出されたショートケーキが3ピース。それを食べての感想であった。

「学校から帰宅して次の日の分を1人で作ってるからそれぐらいしか売りに出せないんだって。魅冬が言ってた。あと今度取材入るらしーよ?」

 暦は下品にも成型ビニールに付いたクリームを残らず舐めとりながら言う。

「でもそれだけしかないのにどうして客が集まるんだ?」

 この総司の言葉は少し傲慢でもある。彼が普段休日でだけやっている神社の喫茶店も、今では人気スポットとして紹介されている。アオリ文句はイケメン&キュート店員のいる売店!である。味は?

「ということなら様子見に行くしかないよねぇ?」

 そう言って暦はにんまり笑った。



 喫茶店シルバーウルフは、美人マスターが趣味でやっている店である。そこに男が転がり込み、今度は優雅がバイトしに来た。

 変化が現れたのは少しずつだ。地味だった店先が綺麗なガラス張りに変えられ、使い古したようなビニールの軒先も新しいものに変わってる。

『いらっしゃいませ!』

 双子らしい美少女が2人、来店の挨拶を唱和してくる。小柄なので年齢は正直見た目では分からない。黒髪の美少女たちだが、学園では見たことはない、と総司は記憶している。

 店内はほぼ満席。神威、総司、暦の3人はカウンター席に座って、前に来た時はなかったカフェラテを注文してから、ひそひそ話す。

「めちゃくちゃ様変わりしてない?」

「ウェイトレス目当ての客だけじゃないな。女性客も多いぜ。」

 女性客は、カウンター裏でコーヒー系飲料を作っている少年を見ている。多分、学園の新入生だろう。

「ここのコーヒー、美味いんだよなぁ。ちゃんと豆選んでるから。」

 総司は常連というわけではないが、前は結構通っていた。秋人が、緋芽とやけにイチャつくようになってから、来るのが疎遠になっていたのだ。

 優雅の姿は店内にはない。ちなみに今日の限定ケーキは売り切れ御免となっていた。いつも開店と同時に売られ、正午をまわる前に売り切れてしまうらしい。

「やれやれ」

 一杯ずつ飲んだだけで店から出る3人。ケーキがなければコーヒーを飲むしかない喫茶店であるが、待ちが数グループいる。少々人気が出過ぎだ。

「一時的に当たってるだけだよ。それほど重要視することじゃない」

 先程はいなかった男が言う。店先を箒で掃く動作をやめる、白衣姿の男。

「今来てるのはミーハーなオキャクサマで、常連さんじゃないからな。すぐに飽きるさ。材料たって、知り合いにあたって安く仕入れられてるだけさ。」

 こちらを値踏みするような目つきで彼は言う。不健康そうな顔つきかつ猫背で、顔は悪くないが客ウケはしそうにない。

 神威はこの男が以前資料で見た男だと気付いた。現在、蔵人重工に所属する研究者。元ヘルメスの研究者で、20年前の騒乱で目撃もされた監視人物だ。現在はツァイスと名乗っている。ライザードシステムの考案者だ。

「ケレン味がある腕だな。センスは悪くない。」

 神威の左腕を眺めて、彼は言う。神威の左腕は今サポーターに見える紫のグローブに覆われている。

「もっと強くしたければ、ウチに来い。改造してやる。」

 ツァイスは不気味な笑みを浮かべる。悪魔の微笑み。総司の目から見ても、そう感じた。だから神威の前に出て、彼を陰に隠す。

「んなら、そっちのいっぱしのパティシェの美少年にシクヨロ」

 牽制しながら言伝をするとツァイスは含み笑いをして振り返り、また辺りを掃き始める。

「フフ、分かった。伝えよう。」

 白衣の青年は言伝を頼まれると再び店先を掃除し始めた。総司たちが来た時はいなかったのだが、一体どこから現れたのだろうか。

 店からある程度離れてから総司は呟く。

「ほとんど何もせずに終わっちまったな」

「ウチと違って趣味的なんだねえ」

 暦は自然に神社の休憩所が自分たちの店だと言う風に言う。もうそれで違いないのだろう。休憩所のオーナーは総司に経営権を移す気でいる。総司自身もAAAのエージェントをしながら、表ではこの藍明守で不動産業を営むのも悪くないと考えている。

「心配いらねぇよ、神威」

 自然に下を向いて歩く神威に総司は声を掛け、肩を軽く叩く。

「可能性って奴は無数に存在する。あいつも、挑戦していこうと思ってるんだろ。」

 総司は爽やかに笑ってそう言うが、神威の表情は晴れない。神威はエージェントの道を進もうとしている。埋め込まれたライザードシステムを使っていくなら、その道しかありえないからだ。

 つまりは、自由を決められる優雅に、嫉妬している。その嫉妬が、神威にとって醜く感じられるのだ。

「お前だけにしかできないことは大切だと思うぜ?」

「うん」

 総司の思いやり、励ましがとても心に響く。その言葉で、神威は前向きになれた。



「試作品だ」

 伊達家のリビングのテーブルにショコラケーキの1ホールが置かれる。チョコクリームが生地に塗られている以外、飾り付けされていないケーキである。以前も、試作といってショートケーキを持ち帰ってきた。

 優貴にとっては、優雅の一挙一投足が怪しく見えていた。自分のことを喋りたがらないのに、両親に歓迎され、普通のことで褒められる。品行方正で生きているつもりの彼女にとって、優雅を認めたがらなかった。

「んー、美味しっ!」

「すごいな、お前は」

 母、華夜が切り分け、口にし、父、洸耶もケーキを口に入れる。彼らは前回と同じように褒め言葉を口にする。

「そうか」

 優雅は短く言うだけだ。表情が変わるわけではない。優貴にとって、それが傲慢に映る。ゼフィスなら大仰に声を張り上げ、胸を張る。それが逆に懐かしく思えるとは思わなかったが。

「でも、こういう職人には興味がないと」

「そうだな」

 父は夕食後とはいえケーキの2ピース目に手を出し始めながら言う。優雅は、食べられるケーキを見ながら言った。彼自身はケーキを食べない。

「味を見る、味を変える。それに楽しみはなかった。他人の笑顔などにも興味がない。精密機械のようだと言われた。」

 優雅は指示されたことを疑問を持たずにできる。そこにアレンジや目分量は存在しない。レシピ通りのことをして、モノを作れる。

 ただそれはロボットのようであると彼は表現した。本来はそれだけ大きな進歩である。彼は今まで何も知らなかったし、何も分からなかった。それを自分と普通の人とで区別できるようになったのだ。

 それは違いを理解し、を学習しているいい傾向である。優雅には日常に慣れたいという欲が出てきたとも言える。

「可能性なんてものは、実にあやふやなもんだ」

 洸耶は言う。その目は優雅よりも向こう側を見つめている。

「俺がお前くらいの年の頃は、世のため人のため拳を正義に使い、平和を守り、みんなと過ごす、そんな風に考えていたよ。」

 洸耶もかつては学園生だった。ギガントマキアー騒乱という大事件のただ中にいた。その時、一時の別れを経験している。仲間と共に生きていくという考えは大人になり、それぞれ家庭を持つようになって変わった。それが間違いだったことは一度もないのだが、急に懐かしさを感じることはある。

 この場に暦はいないが、別にそれついて不快だと思ったことはない。総司の父、利休りきゅうは学園時代の同級生でケンカ友達の1人。母親のマリーは華夜の親友である。両家納得の間柄なので、むしろ同棲してくれているほうが気を利かせなくて済むと思っている。

 ロフィスの息子、ゼフィスはとても残念だが、今は休む他ないと考える。ロフィスの暴走はかつての騒乱でもあったことだ。そういう時期なのだろうと納得するしかない。

 多感な優貴が己と見つめ合うことができれば、恐らく優雅と夫婦にもなれるだろうとも考えていた。

「お前は人ひとり守ることも困難であることを知っているはずだ」

 洸耶は優雅を見つめ直して、言う。

「だがそれでも己の道を決めて、その道に逆らわない、諦めないとしていくのは、さらに難しい。だからこそ、可能性が残る。」

 洸耶も一人でも正義を守ろうとして生き足掻いた。それを諦めたつもりではないが、やはり取りこぼすものはできる。後悔はいつまでも尽きない。

「可能性を信じるなら、お前はしたいようにすればいい」

 そう言って、父親はケーキの3ピース目を頬張った。

「ああ」

 その言葉がどの程度心に響いたのか分からないが、優雅は頷いてから席を立った。

 優貴はそれらを見つめていたが、自分には関係ないとばかりに欠伸をして、ケーキを1ピースだけ頂いた。

「普通じゃない?」

 彼女には、その味がどのような手間をかけて出しているかまでの想像がまるでなかった。


                 *****


 この年の天青雲祭も無事開催され、同時に高猛流道場主催の闘技会も開催された。本来は毎年開かれる、伊達洸耶への挑戦権を競うトーナメントだが、今回はいささか毛色が違った。

「優雅に勝てば、即挑戦権確定?」

 総司が掲示を読み上げる。

 学内特別野外リングと屋内予選会場があるエリアの出入り口受付に電光掲示板が流されている。それによれば、本戦にも出場する伊達優雅を倒せば、挑戦権を得ると確かに流れている。

 つい2ヶ月前の夏休みに優雅は優貴を連れ出してもらい、総司は暦を連れて、藍明守東端にある神代ウォーターランドに行った。それでようやく姉妹の溝をそこそこ修復できた。優雅と優貴の婚約が決まったのはその後のことだった。

 トーナメント優勝ではなく、優雅を負かせればいいということは、道場や伊達洸耶の後継者として優雅を据えようということに他ならないのではないだろうか。

「あまり関係ないかな」

 神威は呟く。彼の目的は、もとより優雅とルールの決まった舞台で戦うことだ。

 あれから1年。体育祭で爆破しあったり、二人とも泳げなくてプール通いしたり、馬鹿は散々あったが、今日は真面目である。

 恣意的なことに、予選・本戦ともに武器を使わなければ変身行為をOK、刃物じゃなければ術もOK、とするルールが明示されている。

「変身する必要があるかどうかは分からないけどね」

「まあ必要な時はあるんじゃないか?」

 話しながら本戦控室に入る。控室には見知った顔が多い。ゼフィスのみならず、秋人がいる。

「お、ゴローちゃん久しぶりー」

 総司が別口の知り合いらしいスジモノに挨拶しに行ってしまう。

 神威の方は秋人の元に向かうしか無い。ゼフィスはこちらを一瞥するとすぐにそっぽを向いて無視を決め込む。

「どういう風の吹き回し?」

「失礼な。俺だって力を見せたい時ぐらいある。」

 嘘を吐いている時の声色で彼は言う。何か別に真意がありそうだが、あえて突っ込んで聞こうとは思わない。

「変身されると勝てそうにないから、やめてくれよな」

「目当ての戦い以外使うつもりはないよ」

 戯ける秋人に、神威は肩を竦める。神威の目当ての戦いは準決勝第3試合。

 どういうわけか歪なトーナメント表になっており、本戦からの出場の優雅はシード選出の選手を3連戦しなければならない表になっている。その連戦相手にはゼフィスもいる。神威はその連戦後に優雅と対戦する予定だ。優雅が勝ち上がって来ないなんてあり得ないとも思っている。

 その証拠に連戦は優雅が一撃必殺で終わらせた。ゼフィスの魔術障壁をも打ち砕き、一点集中の衝撃を打ち込む、寸勁。いわゆるワンインチパンチだ。

「高猛流基本にして究極の技とも言える。優雅はこれをタイミング、タイムラグ、力加減を精密に行う。当たればアウト、だ。」

 実況席から解説役の洸耶が解説する。優雅が高猛流を使ったのは初めて見たが、それ以上に尋常でない正確さで打ち込みをしてくる。バカの一つ覚えかもしれないが、必殺技というのは元来そういうものであろう。

「おうおう、こちとら強い奴と戦いに来たんだがなあ!」

「今日は泣いて帰って、暦ちゃんに慰めてもらいな!」

 意外な死闘になったのが、総司と秋人の対戦だ。総司の範囲と接近戦を巧みに使い分ける雷撃と、秋人の符術による全方位攻撃とが真っ向からぶつかった。

「いやにマジじゃねえか、おいてめぇ!」

「こちとら卒業後は就活でな。実績が欲しいんだよ!」

 秋人の言い分がどこまで本当かは分からないが、本気であることは確からしく、どの攻撃も手を抜かない。ただそれは総司も同じこと。彼も1年前よりもレベルアップしていることを見せつけた。

 ただその結果、ダブルKO。引き分けとなった。ルール上、どちらも敗北という形になる。

 その戦いの次が、神威と優雅の対戦だった。

 1年ぶりの、そして両者万全の状態での対戦。能力的には機械化されている神威に分がある。ただ、その性能差というものを彼は良しとしなかった。

「この日をずっと待っていたかもしれない」

 神威は感慨深く言う。彼の中の復讐心は消え去ったわけではない。今はそれに勝る気持ちがある。その気持ちは優雅にもある。

 お互いが年を経て、再戦し、勝負を着けたいと考えていた。それは、性能差などで決まってほしくはない。だからこそ、彼らは左腕を掲げる。

『変身ッ!!』

 優雅の腕輪が、神威の左腕が、それぞれ起動して黒と白のアームスーツへ展開される。

「変身! まさに変身です! ルール上にはありましたが、本当に変身する選手が出てくるとは!」

「俺も初めて見た。優雅は見せてくれって言っても、軽々しく見せるものではない、と頑なに拒否してなあ。」

 いつの間にか実況席に座っているのが普通に見える緋芽が叫んでいる。驚くことに優雅はライザードの姿を洸耶に見せていないらしい。本当に、ライザードを頼りにしない毎日を送っていたようだ。

 変身完了した2人だが、戦いはすぐに起こらない。お互い様子を見ている。

「静かになってしまいましたね。これは、先に動いたら負けという奴でしょうか?」

「それもある。恐らく変身中なら同スペック。最大の必殺技での勝負とするために最大パワーを発揮できるようにしているのだろう。」

 洸耶の解説の通り、お互いのライザードはエネルギーチャージをしている。小手先の勝負で決着を着けても満足などできない。初めて遭遇したあの日と同じように、お互いの意地と意地、マキシマム・ブレイクで勝負を着ける。

 思えば数奇な運命だったかもしれない。出会いこそ、神威の友達が死んだからだ。そして1年前、総司が協力して、一時は優雅を打倒した。だが、優雅も組織の冷酷な判断により、唯一とも言える兄弟を失った。それでお互い『お前がいなければ』と憎み合った。

 きっかけとなった洸耶が立ち会い、憎み合いを抑える出雲総司は今でも共通の友人である。1年程度では、悪かったな、とはお互い言えないが、不毛な意地の張り合いは終わりにしてもいいと思っている。

 ここで誰が上で、誰が下かは問題ではない。やることは意地の張り合いだ。全力を賭して、この1年のもやもやしたストレスの全てに決着を着ける。まるで示し合せたようにお互いが思っていた。

 優雅は、この1年間、何を考え過ごしていたか。学校の勉強にしろ、パティシエの真似事にしろ、高猛流道場の過ごし方にしろ、やれと言われれば適応したが、自由裁量のもとやった。

 文字は読めなければ、本を元に習得した。料理のレシピは読めば作れる。道場では特別に技を教わってはいない。寸勁は、障壁破りの拳撃を元に自分なりにアレンジしたものだ。

 優雅に上手くできなかったのはひとえに、優貴との関係構築だ。彼女は良くも悪くも普通の女の子だ。それに、自分を引き立てる者であれば誰でも構わないという手合いだ。そんな彼女に、浮世離れした優雅は合わなかった。特に、優雅が来てからというもの、彼のほうが両親に可愛がられるのが拙かった。優貴のプライドが大きく傷つけられた。

 それなのに、両親は優雅と優貴との婚約を決めた。今更ゼフィスにチャンスがなかったのもさることながら、洸耶が優雅を気に入ってしまったことのほうが大きかった。

 今の決戦の場に優貴は来ていない。一番の女故に、優雅も一番の男に違いないということらしい。ワガママな話だが、だからこそ優雅に勝ったら洸耶への挑戦権獲得なんて話になっているわけである。

 話を決戦の場に戻す。

 お互いのライザードの背中のフィンが同時に展開し、ブーストする準備が万全になる。

 神威の白いライザードの左腕が自動で展開し、辺りに強風が吹き荒れる。

 優雅の黒いライザードは左腕を右手でゆっくりスライドさせ、全身が赤熱化していく。

「観客席バリアを突き抜けて、強風が吹き荒れます!

皆さん、傘は畳んで下さい! 壊れます!」

「親父の若丸は、風なんて使ってなかったんだが、この世代はずっこいなあ」

 実況席の緋芽の髪が吹き荒れまくっている。彼女は実況しながら、髪をひとまとめにする。器用な子である。

 洸耶の方は冷静だ。能力があることが普通の世代を羨ましく思うのは余裕とも言えるのだろうか。

 そして、お互い同時に動く。

『マキシマム・ブレイク!!』

 限界までチャージされたエネルギーを開放しながら、黒い拳と白い拳が真っ直ぐに衝突し合う。その衝撃たるや、何度も観客席のバリアが発動している。ライザードの力で増幅される神威の風は台風のように吹き荒れている。

 お互い一歩も引かず、相手を倒すという意地をぶつけ合っている。

 今この瞬間だけ、信じるものは自分自身である。その信念が正しいと思って、ただただ前へと突き進む。

 ぶつかり合うエネルギーは行き場を失い、爆発し、閃光が膨れ上がっていった。

 

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