4 きっかけとスタートライン
復讐相手を見つけて、倒せばそれでいい。
九狼神威にはそれしかなかった。
AAAのエージェントに入るまでのスクールでは、最低限の倫理学の講義も試験もあったはずだが、それを前提にしての判断能力はなかった。
親友を殺した相手を見つけて、何らかの戦闘後で消耗した相手を殴ることはわけなかった。自分の風の能力を使う必要もない。ただただ恨みを晴らすために相手を殴りつけた。相手が仮に抵抗してきても、殴られる痛みが分からなくなっていた。
九狼神威は爽やかで、気分が晴れやかになっていた。それが卑怯で卑屈な、八つ当たりだったとしても、『お利口さんの優等生』『九狼司令の息子さん』『最年少エージェント』などとあだ名された姿はそこにはなく、ただただ自分の恨み辛みを相手に叩きつけていた。
これが醜いことだと、痛みを知らぬ前の自分は言うだろう。
これが卑劣だと、知る前の自分は思うだろう。
だがそれでも、九狼神威は復讐がしたかったのだ。
「優雅、逃げろ」
神威は後ろから大男に取り押さえられた。いきなりのことに神威は、組み付きに対して正直に反応する。
「お前、何をする」
力では対抗できないことが普通は分かるはずなのに、今の神威には分からなかった。
「優雅、はや、く」
神威を止めようとしか考えていない男に対し、神威は無駄な抵抗を続ける。
男が助けようとしている復讐相手、優雅は鼻血を出し、頭や唇から出血し、浅く息をしてその場から動かない。
「は、な、せ」
ヤツにようやくトドメを刺せる。おそらく、神威はそう思っていたに違いない。
銃声が1、2、3ぐらいか。神威を抑えていた男が撃たれたのであろう。男の力は急に脱力して神威ごと倒れた。
「ぐう」
力の無くなった組み付きから抜けて、背後を確かめる。すると最初に目に入ってきたのは黒服が3名と、白衣姿の女性が1名だ。黒服の内2名は拳銃を構えており、1名は倒れた総司を抑えている。
総司の意識を確かめようと声を上げるか上げないかのところで、銃声がもう一つ鳴り、神威の肩に衝撃があった。
撃たれた。
神威が直感的に肩を抑えると銃創は無く、代わりに注射針のようなものが抜け落ちるのが手にあった。
(麻酔?)
そう思った直後、神威の意識が遠のく。光がそこにあるのに、それを眩しいと思わず、思考力が途切れた。
*****
総司が目を覚ました時、最初に感じ取ったのは、身体の痺れの痛みだ。
「っ」
声にならず悶えながら、寝返りを打って眼を開ける。カビ臭いにおい、知らない天井、寝返りを打っても背中が痛み、冷たく感じる床。
「ここ、は」
痺れの残る手を使い上体だけを起こす、獅郎に捕まれた頭部は痛みこそないものの、気分的に重く、額を抑え、肩を抑えながら、軽く振る。
まったく知らない場所。ベッドはなく、簡単な洗面所と簡易式トイレしかない、ステレオタイプな牢屋だ。腕だけは通りそうな鉄格子と錠前が目の前にある。
「気分はどうだ?」
総司の視界に映っていなかった部屋の端に、優雅はいた。頭に包帯、手指に包帯、顔に青痣と、ダメージの治療は済んでいるようだ。ただケガ人が放り込まれていい場所ではないはずだが。
「手の拘束は無いし、お前の首を絞められるぐらいには回復してる」
「そうか」
ジョークとも煽りともつかないことを総司は言ったつもりだが、優雅は無関心だった。
「どのくらい時間が経った?」
総司は気安く聞く。優雅は嫌な顔をしなかったが、だからといって関心を向けた様子もなかった。興味がないわけもないし、話せないわけでもない。
ただ話しにくいだけだ。彼からしてみれば、あの場にいた逆恨み相手の仲間だ。良い感情を持つ方がおかしいだろう。
じゃあ総司はどうなのかというと、やりあったのはあの大男、獅郎だけである。倒そうとした相手と一緒にいて、つい先日出会ったばかりの優雅に対して悪感情を持っているというわけではない。彼として至って普通の会話だったのである。
答えない優雅に嫌な顔をせず、牢の錠前を確かめる。鉄格子から腕を通して、閉鎖状態を確かめ、ロック形式を手探りで考える。
「電気式か」
通常の鍵式であれば力づくになったが、電気錠であれば総司には開いているも同然である。何しろ、電気能力者には無駄なものだからだ。
「何で捕まったんだ、俺ら?」
「実験台、のつもりだろう」
今度は質問に答える優雅。自分への処置に不満があるのか、ないのか。彼の言葉が全てなのだろうと思う。
「出るならさっさとしろ。連れの奴、ここに押し込めないとなれば、どんな実験に付き合わされてるやら。」
「それを先に言え!」
優雅の捨て台詞じみた言葉に優雅は血の気が引いて、電気錠をショートさせて開く。一緒にやってきて、復讐戦に巻き込まれたものの、結果的に敵の実験台にされてしまったら、いくらなんでも目覚めが悪い。牢屋の扉を勢いよく開け放つと、さらに奥の扉を蹴破る。
扉を蹴破った先で、うたた寝していた見張りをスタンショックで昏倒させる。いきなりのことで、見張りの黒服は反応すらできず、小さく悲鳴を上げて倒れた。
出た先は長い廊下になっており、廊下の左右にはガラス張りの部屋が二つずつ。
それらは薬品を収めた棚のみ部屋であったり、歯医者の治療用椅子のような設備が内部にあったり、工作台によく分からないパーツが並べてあったり、だ。
それらのどこにも神威の姿はない。つまり、ここではない。焦りは消えず、廊下の先の扉も蹴破ろうとして、自動で開いたドアに足が空ぶって滑りそうになる。
開いた先は、先ほどの小部屋と同じような工作台や治療椅子のようなものが散りばめられており、SF映画で見るようなカプセルも数台見受けられる。
現実とは思えない空間に、数秒思考が停止するが、迷っている時間はないことを思い出す。
「出口は!?」
「そっちだ」
音もなく、後ろから付いて来ていた優雅が、行く道を指し示してくれる。総司はそれを疑いなく信じて、向かった。
優雅はそれを見送ってから、別の方へ向き直る。
「俺もあんたも、どうやら用済みらしいな」
呟いて、とある男が眠るカプセルの開封操作をしてから、総司の後を追った。
伊達洸耶。優雅と神威らに出会った場所で、本来目的となっていた男だ。
組織の目的として強力な兵士の促成生産として目を付けられた戦士。彼の遺伝子を使えば、多様な兵士が作れるというのが主流であったはずだ。
しかし、その計画はどうやら頓挫したらしい。元々、主流方針を決めていた研究者が移り気かつ、他人の功績を奪うのが普通であった。
神威や総司を捕まえたことや、変身システムが使えたことでその移り気が発生したのだと思う。悪く言えば、優雅はやりすぎたとも言う。
「チッ」
優雅は舌打ちしながら、少年の後を追って進むと、未だ片付けの終わっていない試合会場に戻って来れる。元の場所に戻って来はしたものの、会場の中央には見覚えのある変身態の姿がある。そして左端には倒れた獅郎の姿もある。
総司は来た道の出入り口に座り込んでいた。中央の奴にやられでもしたか。
そして獅郎。ここからでも背中に弾痕があるのが見える。出血はすでに乾いており、どう見ても生きてはいまい。撃ったのは組織の方だろう。
ここまで生きてきた少年兵でも、やはり用済みらしい。一応応急処置されて生かされたとしても、結局、優雅の持つ変身システムが今の所使いこなせるからであろう。
「ならば、抵抗するだけだ」
優雅は、中央の白い変身態を見据える。タイミング的にも、場所的にも、これは組織の実験でしかない。どこで見られているか知らないが、ここで勝たなければ脱出も叶うまい。
優雅は腕輪をスライドさせる。
「ブーストオン」
優雅の姿は黒い変身態へと変化する。そして、果敢に白い変身態へ立ち向かって行った。
優雅の拳は軽く裏拳でいなされ、左の拳も受け止められる。
当たり前だが、無表情な白い変身態の顔からは何の感情も読めない。とはいえ、この二撃で、強さは大体見えた。変身態のスペックはほぼ同等であると。
蹴りには蹴りで、跳びも、間合いを詰めるのも、同等。
つまり、このまま戦っていても決着は着かないということだ。それに、優雅の変身態はタイムリミットがある。そして連続変身ができない以上、長期戦は優雅の方が不利である。
こうした場合は変身態としての熟練度がモノを言う。
『マキシマム・ブレイク』
腕輪のスライドを戻してから、もう一度スライド。変身態へのエネルギーチャージが行われる。
この状態の変身態は、パワーが一段階上がる。そのスペックでもって、優雅は跳びながら間合いを詰める。勢いのまま出したニーキックは、白い変身態にまたもガードされるが、そのガードは両腕を使っての全力ガードだ。
そうまで防御してもよろめいてしまう。優雅は、さらにそのガードを踏み台に上へと飛ぶ。
『終わりだ』
マキシマム・ブレイクはエネルギーの収束と解放を任意に行う
跳び蹴りの状態でエネルギー解放となり、優雅は加速する。そのパワー解放キックをまともに食らった白い変身態は吹っ飛んで、変身エネルギーがオーバーロードを引き起こす。そうして変身解除された男は、優雅にも総司にも見覚えがある男、少年だった。
「神威」
いつのまにか腕回しをして立ち上がっていた総司が呟く。それに呼応するかのように、神威は咳き込みながら立ち上がってくる。変身解除後の反動は無いように思える様子だ。
それもそのはず、彼の身体は数時間前、優雅を倒した時と変わっていた。
「何だよ、それ」
神威の左腕は、金属製らしいパーツに置き換わっていた。優雅の変身用腕輪と似たような形のものが組み込まれているように見える。脚も胴も一部が金属製のように見える。
「夢じゃあないってことか」
神威は金属質の自らの左手を開き、握りを繰り返して確かめている。
「生体改造か」
優雅は変身を解除し、呟く。
体は重くなったが、過去の変身後よりはマシになった。とはいえ、心臓の拍動は緊張状態のままな気がする。
「この変身は体力をごっそり持ってかれる。連続変身や使用者の負担を軽減するために、むしろ変身者を変身の負担を無くさせるように改造する。難しい話じゃない。」
優雅の頭でも考えられるぐらいには簡単な話だ。
優雅が用済みにされるのも、不安定なシステムを少年兵に預けるようなことをしなくてもいいというのも、その方法で辻褄が合うからだ。
姿が見えないがオルガの指示ではないだろう。彼女は優雅の持つライザードシステムに拘っていた。
とすれば、実行したのは主任研究者、パーシアスの手によるものか。改造兵士よりも強い魔術使いを簡単に制圧できるからライザードシステムを即座に技術盗用、転用させる。本当にプライドの無い上層部だ。
「改造、改造か」
神威は言葉を繰り返している。生体機関を機械に置き換えられたサイボーグとでも言えば良いのだろうか。それは悲しみを持つのだろうか。そんな体になっても、優雅自身よりも感情を持つことができるのだろうか。
「たとえ、改造されても」
神威という少年の瞳は絶望してはいなかった。変わらない敵意を、優雅に向けていた。
怒りと殺意に関しては、結局何も変わらないらしい。
「神威」
「仕方あるまい」
優雅は、総司を手で制止する。その制止は、先日手を貸してもらった借りを返したつもりだった。それに彼に敵意は無い。
もはや優雅にも理由ができた。直接獅郎に手を下したのが組織の方だったとしても、射殺される理由を作ったのは神威の手出しのせいだと優雅は納得した。
「俺には憎しみが理解できなかった」
省みるように優雅は言う。
優雅には家族がいない。一番近しい身内は獅郎だけだ。他の少年兵が近しい人物だと思ったことは無かった。それらが使い捨てられる様を見ても、感情を持つことは無かった。獅郎が死んで涙は出ないが、神威から再び敵意を向けられて、感じ入ることはできた。
それは憎しみだ。あの目を向けられて、今初めて優雅は、
「お前がいなければ」
と、思ったのだ。
「獅郎の手向けだ。九狼…神威。」
「優雅ぁぁぁ!!」
優雅にシステムを使う余力はない。神威は変身能力を使う頭はない。
普通に考えれば優雅は力負けする。それでも彼は敵対を選んだ。神威は憎しみを露わにさせ、再戦の咆哮を上げる。
二人が地を蹴り、インファイトの間合いに入る頃、広間の端、獅郎の死体がある方向から轟音と煙が巻き起こる。
決闘の水を差された二人が状況を把握するより前に、閃光と音が部屋で爆裂した。
*****
藍明守祭は周辺地域も巻き込む。武藤ニュータウンも例外ではない。夜は盛り場の街も、今ばかりは昼でも喧騒に包まれていた。その様相を貸しビルの2階から見下ろす蔵人静流は電話の子機を手にしている。
「言いようは分かりますがね」
電話の相手は、私立探偵とは名ばかりの何でも屋である静流にとっては大口の相手だった。
「このお祭り騒ぎを逆に隠れ蓑にする連中の足取りを追うのは、むしろあんたがたが適任じゃないですか。俺に取るパイなんてあります?」
街中のみならず観光客でごった返す藍明守祭で人探しをするのは至難の業だ。運営方ですら年一ペースで行方不明になるというのに。
「あっ、ハイ。場末の俺に依頼しにくるんスからそうなんでしょうけどね。ねだるようで悪いんですが。」
電話しながら目が泳ぐ。ため息をつきたい衝動を我慢しながら、言いにくい話題を振る。面倒な仕事を、仕事をしたくないし、しにくい日に請け負うのだ。まともな会社なら休日手当があるはずだし、基本業務外手当等、手土産を用意されるのがスジというものである。静流のような何でも屋かつ自転車操業者は、それなりに依頼者の足元を見なければならない。
「それだけ頂けるのであれば」
電話口の相手に理解される、あからさまな猫なで声を出す。事務所内の事務席に座る静流の弟、蓮に対して、黙って満面の笑みを浮かべた。それに対する蓮の対応は、呆れ顔だった。
しかるべき報酬さえもらえれば問題ない。当然である。
「はーいハイハイ。お任せあれ。報酬に見合う仕事はさせてもらいますわ。提示している情報はしっかりと送信お願いします。では!」
途中までやる気なさそうに対応していた者とは同一人物とは思えない快活な対応で締めくくり、電話を切る。
「AAAからの仕事だぁー!!」
両手を上げて万歳のポーズを取る。
依頼内容は
藍明守祭中ということで休暇になっている弟の蓮が事務所に訪れているため、イクスペルシステムの整備・調整は万全である。
あとは目的の人物が面倒でさえなければいい。AAAが探すほどの人物に面倒かそうじゃないかなんてあるわけはないのだが、気分の問題である。
「ほい来た」
事務机のPC端末に来たメールを開き、写真を表示させる。あまり解像度のよくない防犯カメラ映像の静止画を元に作られた模倣図が3枚。20代前後の男が2人と、眼鏡の女性が1人だ。
「あれぇ?」
映し出された写真にマウスカーソルを当てて、蓮が首を傾げた。女はともかく、男二人を見たことがある。静流は、傍目から分かるウキウキ感を出して、PC画面を覗き込む。
「お前、こいつ見たことあんの?」
先ほどまで明るい声を出していた兄の声音が変わる。怒っているわけでも、悲しんでいるわけでもない。仕事モードの声色である。
「奇遇だな」
静流は画面を見下ろす形に、姿勢を正して見ながら短く言った。
「そりゃあ、ね」
蓮は椅子の背もたれに体重を預けながら、苦笑いを浮かべる。
映し出された人物の模倣図、あるいは防犯カメラの写真の人物。兄弟2人に共通して見たことのある人物とは、御剣優雅である。加えて蓮は、研究仲間であるツァイスと話している青年と大柄な男の方も目撃している。
「兄貴、秘密結社なんだっけ?」
「ヘルメスって言ったなぁ」
秘密結社ヘルメスが藍明守祭を隠れ蓑に兵器の研究開発や密売を目論んでいる。所属していると目される関係者の容姿を掴んでいるため、それを元に居場所の特定を依頼する。それが先ほどの依頼内容だ。別に倒して確保しろと言われているわけではない。
「こいつ、ライザードシステムっていうイクスペルに似たシステム使ってる」
「知ってる」
そもそも蓮の通報からライザードに遭遇したのだ。確認されるまでもない。
「ツァイスのおっさんが開発に携わっているっていうシロモノだよな?」
「らしいよ」
これまた、再確認する必要のないことをあえて確認する。情報の整理である。
「おっさんに聞いてくる」
「いってらっしゃい」
静流は手早く自らの身だしなみを整え、イクスペルシステムのケースを持ち出して、事務所を出た。
ツァイスの居場所は分かっている。彼は、このビルの1階部分にある個人コーヒーカフェ、シルバーウルフに居候しているからだ。
*****
爆発音と煙。それでいて、けたたましい防火装置は鳴らない。切られているのか、元々ないのか。ただそれも時間の問題だろう。音と煙が外部に出れば、誰かがそれを通報する。
状況の打開は時間の問題だが、それまでに神威、総司、優雅の3人が生きているかどうか。
この状況を引き起こした相手はゼフィス・エントクロマイヤーだった。彼の手にはベルトバックルのようなものがある。逆の空手からは魔術と思われる発光がある。
「てめぇ」
明らかに見下ろしてくるゼフィスに総司は敵意をあらわにする。殊勝にも助けに来たわけではないことは、いくらなんでも分かった。
「九狼神威、出雲総司、そして変身者」
ゼフィスは名を読み上げ、優雅だけは変身者と呼ぶ。その声色は正気のものではない。嘲るような、小馬鹿にしたような、敵意があるのは確かなようだ。
「ここでお前達を殺せば、全て変わる!」
わけの分からないことを言っている。誰かに何かを吹き込まれたのか、増長でモノを言っているのか。とにかく、逃げるのは得策ではない。ゼフィスのような魔法使いを相手に背を向けるのは自殺行為である。
「ははっ、ヒャハハハハハ!!」
何が楽しいのか、そういう薬物でも打たれているのか、爆笑する。ゼフィスはバックルを腰にあてがい、ベルトを展開して装着する。
するとバックルが自動的に変形し、変身態スーツが展開されていく。まるでライザードのように。
ゼフィスが変身したスーツは紫色を基調にしたアーマーである。いかにも砲撃できますという砲門を両肩に背負っている。
「やらせるかよ!!」
変身態のゼフィスが構えて砲撃を始まる前に、総司は声を上げて、前に出た。ライザードに変身できない生身の彼が、前に出たところで何もできない。彼の能力はある程度接近しなければ電撃が通らない。
それでも前に出たのは、このタイミングしかなかったことだ。
彼はその場で雷撃を力場展開し、守るために力を使った。
「総司!?」
総司がやったことに理解できず、神威が声を上げた。
「俺は復讐には何も言えねぇ」
総司が呟く。ゼフィスの砲撃を防ぎきりながら。
「お前達のどっちが正しいとか、ンなことは考えちゃいない」
総司のプラズマフィールドは陰りがある。彼の力は無限ではない。疲れが残っているならなおさらだ。
「だが一瞬でも俺はどちらにも手を貸した。その義理立てはしたかった。」
総司はどこかで引っかかっていた。友として神威に協力する。それはいい。
だが、知らぬこととはいえ、神威の復讐の相手に知り合い、手を貸してしまったことを、心の中でしこりにしていた。
自分の中でそれぞれの少年のためにできることはないかと考えていた。自己満足のようなものだ。理解は得られなくていい。
「ここでヤられるのは、本意じゃないなら、俺のせいにすればいい。た、の、む、ぜ?」
決意の、渾身の、頼みの、プラズマフィールドが、ついに解かれる。砲撃を全て防ぎきったものの、力を使い果たした後で巻き込まれた爆風に、総司は吹き飛ばされた。
弧を描いて飛んでいった彼は体から落ちたが、どこか切ったらしく、血を流し始める。
フラッシュバック。
親しき者への死に直面していた神威と優雅の血がたぎる。こうなった彼らには、繰り返さないことしか頭にない。
お互いの復讐心は関係ない。
神威の心は決まった。改造された力だとしても今は友を死なせないために使う。
優雅の心は不安定だ。迷いだらけでもある。しかし、共に育った獅郎のように別の誰かに友と呼んでくれた者を見捨てることはできなかった。
何より何度も変身すればどうなるか分からないことが分かっている。変身した瞬間、死ぬこともあるかもしれない。
死の恐怖を乗り越え、変身ブレスレットの起動に向かう。
『ああああああ!!』
言葉にならない2人の咆哮と共に、立ち上がる。同時に変身システムが起動し、スーツが展開される。
『変身ッ!!』
神威は意識のある状態での変身。痛みはないが強烈な光が体中に迸る感覚がある。感情が理性を上回り、目の前を破壊してしまいたい衝動に駆られるが、それを意志の力で抑え込む。目を見開き、目の前をしっかり見る。何をすればいいか、それをどうすればいいかの思考能力は残っている。
優雅は変身した時の自らの体の喪失感を味わっていた。消えそうな意識をどのように現実感にしがみついていたかは分からないが、事実として変身は完了している。ただし、体力はない。エネルギーも残り少ないらしく、甲高いアラームが鳴っている。うるさいと思うが、彼の限界状態が耳を遠くした。拳を握りしめ、歯を食いしばり、目の前をしっかり見据える。
変身する様子を終始余裕を持って傍観していたゼフィス変身態は、背中の砲門をパージする。そして両手から砲撃と同じような威力であろう魔力球を撃ち始める。
それがよーいドン!だった。同時に駆け出した2人は、魔力球の爆裂や直撃をものともせずゼフィスの下に走り込む。
神威も優雅もエネルギーは一撃分のみ。一撃必中。
『マキシマム』
『ブレイクッ!!』
エネルギー危険域のアラームが鳴り響く中、残り少ないエネルギー全てを拳に集中する。2人同時に拳はゼフィスの変身態の胴部に突き刺さった。途中魔力障壁があったような気がしたが、いとも容易く破ってしまった。
神威が気付いていたかどうかは知らないが、優雅には変身システムの弱点は分かっていた。許容量を越えたエネルギーに対しては、安全装置がかかり、スーツの強制解除が行われる。あえて残されていた欠陥である。その欠陥もコピーされていることに賭けたのである。
その勘は的中し、ゼフィスの変身は解除され、高負荷のかかったバックルはショートして弾け飛んだ。全力の拳を受けたゼフィスは壁に叩きつけられ、声もなく意識を失った。
賭けに勝利した神威と優雅であったが、勝利の余韻なく、二人とも変身が溶ける。神威はシステムのある腕から蒸気を上げている。膝から落ちて、前のめりに倒れゆく。
優雅は力を失い、背中から後ろに倒れる。呼吸はしているが全身に痛みがない。力がまったく入らず、寝返る気力がない。だがそれでも、力を振り絞って半身のみを起き上がらせる。
すると咳き込んで、血が出る。かなり危険な状態である。すぐそばに復讐の対象がいて、身を呈して友と呼んでくれた少年がいる。
どうすればいいか、頭の中で考えがぐるぐると駆け巡り、意識を失う直前、助けを願った。
*****
出雲総司が目を覚ました時、目の前には秋人がいた。白い、知らない天井と、殺風景な白い壁、白い床、カーテン越しに射す光。白い薄手の掛け布団、着た覚えのない病院服。
どこからどう見ても病室である。
「まったく、祭り中にお騒がせな奴だ」
迷惑そうに言うものの、彼の表情は呆れている。パイプ椅子から立ち上がり、退室していく。
総司のいる他にベッドが複数ある集団部屋だが、不思議と総司のベッド以外には空きがある。
祭り中と言っていたので、天青雲祭はまだ続いているらしい。
両手と頭に包帯が巻かれている。意識を失う直前、頭をしこたま打った気がする。それに両手の包帯は電撃火傷のためだろう。限界を超えて電気を放つとこうなる。滅多に使わない、守りのための能力の使い方をするとこうなる。
ヒリヒリする包帯のされた両手を開いて握って、深呼吸する。
多分間違ったことはしなかった、と自信なく思う。ちゃんと神威と優雅は戦えたのだろうか。その後で決着を着けてしまったのか。そんな想像が駆け巡る。
病室のドアを勢いよく開けて、一番に入ってきたのは先日見かけたコスプレよりは大人しいロングスカートメイド服姿の暦だ。彼女は、駆け寄りつつ泣いて、総司を抱きしめる。
「わああああん!!」
彼女の豊満な胸部がこれでもかと押し付けられるが、残念ながら総司の股間は反応しない。意識はあるが思ったよりも疲労が濃いらしい。
「心配したのよ。すごく。すごく。」
「悪い」
総司は短くそう言うしかなかった。戦いの時は暦のことを何も考えていなかった。死ぬつもりはなかったのだろうと思う。あの1日だけで凄まじい力を使ってしまった。
「悪いじゃないんだから」
感極まったらしく、彼女は総司に口付けする。彼はされるがままだ。今までこんなことはなかった。ただ、チュウチュウ唇を吸い合うだけにする。
「まだ全然体が動かねぇや」
唇を離して不満げな彼女に対して、彼はすまなそうに声を掛けた。恐らくは、筋肉疲労も凄まじいのだろう。足が固まったように動きにくい。握力はできても、物を持つのも苦労しそうだ。
「総司」
暦が落ち着いたのを見計らって、神威が入室してくる。彼も包帯を巻いているが、どちらかといえば、左腕にある異形の機械を封印するために巻かれている。
「どうなった?」
顔を直視できず、謝罪から入ろうとした神威に先んじて、総司は声を掛けた。
「ヤツは倒した」
「優雅は?」
「父上たちに確保された。探偵に依頼して、ヘルメス捜索をしていたようだ。だから、決着は着けれてない。」
「俺のせいだな」
ゼフィスを止められたことは言葉を濁し、起こったことを話す。その返答として、総司が答えたことは、神威にとって心外であったし、まったくの心得違いだった。
「そんなことはない!」
総司のほかに同室の病人がいないことで神威はついつい大声を出してしまう。
「君は何も責任を感じる必要はない。僕の身体は、報いだ。あそこで起こったことは所詮結果だ。君が傷ついたことこそ、僕のせいにするべきだ!」
神威は涙を流す。身体の半分以上が機械化しているが、涙は流せるらしい。
「なら、俺のやりたいようにやっただけだ。それでいいじゃないか。」
総司は、神威に責任を問わなかった。初めからするつもりはない。ただ、それで丸く収まるように現実は上手くできていない。誰に責がなくても、誰かのせいにしたがる。総司は力尽きるだけだった無力さを盾に、責を負わせてもいいと言っているのだ。
だが、神威にそれはできなかった。彼こそは自分の責任して欲しかった。今回のことは、自分のワガママである。巻き込んだのは神威自身である。そのせいで、身体をサイボーグ改造されたのは報いであると考えた。だから、結果として目的を達せられなかったことを総司の責にするのは筋違いである。彼が憎しみの誘導のために、彼自身を憎めと言わせている方が神威の心に来た。
「僕は再度査問会に掛けられる」
神威は組織の一員である。謹慎の一貫としてこの学園都市に来ている。だというのに、指示の無い勝手な行動を引き起こしたのであれば、詰問を受けなければならない。彼のキャリアに傷を残すことになるが、今更そんなことは関係ない。
「僕は君と共に戦えてありがとうを言いたかったんだ」
神威は泣くつもりはなかったのだが、涙した。感情のコントロールができず、目の奥が熱くなって目頭の液体が熱い。零れ落ちる涙を止めようと眉間に力を入れようとするが無駄な抵抗であった。
「お隣のダチなんだ。また同じメシを食べようぜ。」
「く、ううううう、うあああああ」
久しく感じていなかった感情の高ぶり。神威はその場で屈んで、声を上げて泣いた。別れなどではないのだが、共に戦った二人目の親しい友人が生きていて、本当によかったと神威は思った。
「やれやれ」
病室の外の廊下で秋人は嘆息した。側には緋芽もいるし、待ち合い席には別の男性も座っていた。
神威の顔つきの彫を深くさせたような、がっしりとした体格の男性。
彼こそが、神威の父、九狼若丸。AAAの戦闘要員の総指令を行い、方針決定に関わる三人の理事の一人でもある。
「心配する必要はなかったようだ」
若丸は立ち上がり、立ち去ろうとする。
「神威はどうなるんです?」
秋人の父、持明院刹那もAAAの理事だ。秋人は父を通じて、若丸のことは知っている。
「後方待機中の偶発的な事件。それ以外には何もない。」
秋人の問いに、若丸は背を向けて答える。
「あいつはもう立派な大人だと思っているよ」
そう言って立ち去る背中はなにやら寂しげだった。自分の子にはもったいない優秀な子であると言いたげだったのだろうか。
*****
神威が治療を受け、総司が入院する藍明守総合病院の個室病室で一つ、家族の再会があった。
伊達洸耶。半年ほど行方不明だった英雄が家族と再会を果たした。
ヘルメスによって監禁を受けていて、今回の事件の捜査中に救出された、そういう筋書きだ。
この場に、伊達家の美人姉妹の内、姉のほうしかいないが、洸耶はあまり気にしていない。むしろ気になっていたのは別のほうだ。
「若丸、神威くんは大丈夫だったか?」
黒髪の若々しい男はすでに元気一杯のようで爽やかな表情を見せている。かつて同じ学舎で学び、お互いライバルだと思っていた男から聞かれ、若丸は困った表情を見せる。
「無事だよ。お前のおかげでな。」
「でもあの子は仲間をやられてた」
若丸は父親として、洸耶が息子を特別視しているわけではないと思っていた。洸耶は助けたいと思って、自分の息子を助け、ヘルメスに捕獲されたのだ。ただ、そんなヒーロー気質の彼でも、息子の仲間を助けることはできなかった。あと一歩が遅かったのだろう。
「気にするなとは言えない。だが、もう大丈夫だ。あいつは、俺なんかよりもずっと友に恵まれたよ。」
九狼若丸は、かつて藍明守学園の前身である天青雲高校に転校してきた。今よりもずっと尖っていて対抗心ばかりだった彼は、洸耶に幾度となく突っかかっていた。そのおかげで、友情にはほとんど無縁だった。神威を産んだ若丸の妻は、かつては洸耶のファンだった女だ。そんな若丸に、友情を持っているのは洸耶だからできることだ。
「お前を捕まえていた例の組織は散り散りになったが、確保できていない構成員が多数いる。幸い情報協力する構成員がいたから、その情報を元にそれらを捕まえて、ようやく事件解決だ。俺はそれに奔走するつもりだ。今は休め、洸耶。」
「それは分かっている。だから提案したいことがある。」
伊達洸耶はAAAの英雄だ。戦士としての存在感が強すぎる。彼にばかり頼ってはいけないと若丸も常々考えていた。洸耶は一つ一つの問題解決に拘っている。彼が若丸と同じような位置で対処を考えてくれればいいのだが、そういう頭で考えられる人間ではないとして、現場に拘っている。
そんな彼がする提案は、おそらく若丸には想像がつかないことだろう。
「その協力してくれる構成員の身柄を俺に預けてくれないか?」
「なんだと?」
「えっ?」
予想通りだが、予想外の提案に若丸は聞き返す。おそらく無茶を言ったのだろう父親の言葉に、同室にいた優貴も驚いた。
*****
今回の一件の片が付くのは相当後になってからのことになる。特にヘルメスの最重要人物、リー・パーシアスの行方は情報協力者、優雅の情報を持ってしても追跡は困難となり、国際手配となって捜索が続けられるようになった。
まずゼフィス・エントクロマイヤー。
彼は精神暗示やライザードシステムの変身弊害により錯乱しており、長期の監視付き療養となった。ある程度まで回復し、次の年には復学したが、完全とは言えない。
彼にとって一番頭が痛かったことは、伊達優貴と疎遠になってしまったことだろう。後述のこともあり、彼を伊達優貴のパートナーであると誰も認識しなくなってしまったのが、彼のプライドに障った。
九狼神威。彼は、救出された伊達洸耶からの証言もあり、以前に受けた謹慎処分の罪状が消滅した。今回の一件も前向きに捉えられており、エージェント復帰で見直されている。しかし、本人はそれを固辞。心身を見つめ直すために、学業を続けることにした。そして同時に、自分に埋め込まれたライザードシステムを除去することは魔法でも使わなければ不可能だということも分かった。神威は自らに埋め込まれた新たな力と向き合っていくこととなる。
そして、優雅。彼はヘルメスの情報をAAAに渡すことに保護当初から協力的だった。そのため各地に点在する拠点が次々と摘発された。多くは放棄された研究施設であったが、構成員の残党も少なからず存在した。情報取引で安全を買った彼だったが、身柄そのものは対処しかねた。ライザードシステムを開発した、元ヘルメスの研究者、ツァイスと名乗る人物に預けることも考えられた。しかし、危険人物に危険相当の人物を預けることを危惧し、九狼理事と伊達洸耶の提案により、伊達家の養子となることとなった。
私物の類はなく、着の身着のままの姿で優雅は伊達家の家に招き入れられる。
「優雅、だ」
優貴と対面しても、彼女に特別な反応は示さない。静かに周囲を観察している。
日本家屋も、一般的な家族も、平和な世界ですらも、優雅にとっては初めてのものだった。彼という少年兵には身を置くことがなかった場所であった。
「ていうか、パパ、一つ屋根の下に男の子!」
「問題ない。ゼフィスで慣れてるだろ。」
実の父親だから、優貴のいい子ぶりっ子は通用しない。
「なぜだ」
「世の中、持ちつ持たれつだ」
優雅は疑問を口にする。それに対し、洸耶は微笑みながら言った。
優雅が研究所で洸耶を解放させたこと。終わった後で、助けを願った手に応えたのが洸耶自身であったこと。優雅自身に知る由もないことで、そしてそれを洸耶は語るつもりはなかった。
それになにより。
「俺もかつて大切な友達の為に力とは何たるかに迷った。君にも、そういう迷いがやってきたんじゃないかと思っただけだ。」
その言葉は正解だった。優雅は迷っている。唯一の兄弟関係とも言える獅郎を失ったとしても、新たにつながった友情というものに心動かされている。そのために戦いたい。だがどのように力を振るえばいいのかが分からない。
「変身だ、優雅。これからはその腕輪を自分の思うように使えるように変わればいい。」
「変身、か」
没収などされず、変わらずに優雅の左腕には腕輪がある。優雅はいつでも変身できる。彼には正義とか、正々堂々は分からない。これからどう生きるかも分かっていない。そのヒントが変身であるとするならば、まずは前を向いて行かなければならない。
天青雲祭が終わり、街が平穏を取り戻した頃、療養に入って休んでいるゼフィスと入れ替わるように優雅が学園に転校してきた。
伊達優雅。黒板に書かれた名前は、優雅の新しい名前だった。
この日、その時には神威が街に戻ってきて、通常の登校をしていた時のことである。神威のみならず、優雅自身も自分の年齢は知る由もないが、同級生となることは心底驚いた。神威が伊達家の保護下に置かれたことをこの日初めて知ったのだから、当然である。
優雅は転校挨拶で、よろしくも言わず、一礼だけして席に座る。
客観的に見ればミステリアスで無口なイケメンが伊達姓を名乗ってやってきたというところか。それが、優貴の口から養子でやってきたと分かれば、なおのことだ。
優等生、伊達優貴の面目躍如といったところか。ゼフィスがいなくなり、再び目立てるようになった。ただし、それも束の間だった。
「知らん顔をするな! ここでは集団行動だ!」
「うるさい」
神威が優雅に突っかかるようになった。それがどうも珍妙だ。
「ルールくらい予習してこい! 野球ボールを蹴り返してバックホームするな!」
「こっちのが早い」
兎にも角にも一般常識に欠ける優雅に神威が一番に注意しに行く。クラス長より委員長面している。神威も似たような常識に欠ける行動を以前にしていたにも関わらずだ。
「まぁまぁ、落ち着けよ」
なぜか総司が仲介して止めに行く始末だ。秋人は協力しない。どころか馬鹿笑いしている。
「総司、こいつに言って聞かせてくれ。何もかも突っ込んで来るなと。」
「言う事欠いて! 僕がどんな気持ちでお前の前に立っていると!」
「だーかーらー!」
傍目から問題児集団に絡まれている留学生。そんな小競り合いが年の暮れまで続き、冬休み、そして年末へと至る。
*****
優雅が学園に編入するなど短い3学期は一昨日の期末試験で終わった。
「貸切温泉、さらに雪山付きだと!?」
場末の喫茶店シルバーウルフに総司の声が響き渡る。彼ら以外に一般の客がいないことが幸いし、大声をウザがる者はいない。
「母親の生まれ故郷でな。昔から閉鎖的だったせいでゴーストタウン化して、屋敷は親類が管理しているだけだ。寒さが残る季節なら温泉はちょうどいいと思ったんだが、どうだ?」
試験が終わった後の秋人の温泉旅行の誘い。宿代がかからない魅力的な誘いである。
「当然、お前も誘っているのだが?」
わざわざシルバーウルフでこの話を切り出したのは、優雅もいたからであった。
彼は常連客ぐらいしか寄り付かない喫茶店でアルバイトを始めていた。
「興味が無いな」
「それは残念だな。神威もAAAに呼び出しくらって不在だし、仕方ないな」
そう、神威はいない。試験が終わり終業式の後からAAA本部へと行ったままだ。
「興味が無いと言っただけだ。その温泉とはどういうものだ」
「知らないかー」
クールぶって返答したと思いきや、本当に知らないらしい反応で総司は呆れる。
「地下から汲み上げた天然要素たっぷり風呂と言えば分かるな?
体の隠れた疲労を癒してくれる優れものだ」
「その説明で興味深くなったが行く理由が無いな」
「必要かー?」
再び総司のツッコミ。もっとも突っ込む必要があったかどうかは分からない。
「これは提案だから来てもいいし、来なくてもいい。集合場所は教えるし、道中の交通費もいらない」
優雅はそれに返答せず、秋人は勝手に集合場所を教えた。
「結局、来るのかよ!」
「別に嫌とは言っていない」
秋人が提案してから明後日、交通費も宿代も無料のお手軽温泉旅行にいつもの顔ぶれが集合した。
暦や緋芽はもちろんのこと、優雅、優貴、ラミアまで付いてくる。
「来るのか」
「同居人が謎の準備をしていて、温泉旅行に行くとなれば心配して付いて行くに決まってるでしょ!?」
「そうか?」
秋人は優貴が苦手だ。暦の方も、なんで来てるんだとばかりにばつの悪そうに他人のフリをしている。
「それより目的地は山の方だし、どうやって行くのよ!?」
優雅が漏らした場所を聞きでもしたのか、彼女は妙に怒りっぽく聞いてくる。
「コネのある車両で真っ直ぐだから乗り換えの手間もないぞ」
聞かれた秋人は事も無げに言い、彼の言葉を証明するように背後の駅に見慣れない大型車両が停止した。
「AAAの専用輸送車両、『ファジーネーブル』だ」
そう、秋人のコネの交通手段とは、他ならぬ父、刹那のルートのコネ。
そしてファジーネーブルとは、日夜日本列島を走り回っているシューベルハウト家出資の輸送車両であった。
今回、秋人達がこの車両に乗れたのは、AAAの訓練生の野外訓練があったので同乗できたからである。
「訓練生は村の空き家の方を貸してるから、こっちには何も問題は無いわけだ」
AAAの訓練生が別の車両に同乗しているとはいえ、この輸送車両、無骨かと思いきやそうでもない。内装は着飾ったように手が込んでいるし、席は柔らかく、座り心地のよいものだった。この車両だけでも相当金がかかっているように見える。
AAAの最大スポンサーであるシューベルハウト家が所有するので、オーダーメイドされた車両故である。
「同じ金持ちでもウチは成金だからな。やっぱり違うぜ」
総司の家は金持ちというか急成長した不動産企業である。資産家であるシューベルハウト家とはタイプが違う。
「その話に関連するが総司、お前は父親の後を継ぐのか?」
「ん、ああ。昔は、そう思ってたが、今は迷ってるな」
秋人は継ぐに継げない。親類同士で弟の春樹が家督を継ぐことになってしまっているからだ。
総司の今後に関しては、どうしても悪さしていた時代が付き纏うだろうが、家業を継ぐことは可能だろうと幼馴染の緋芽も考えている。
「迷う?」
「AAAのエージェントも悪かないと思ってる。神威は危なっかしいからな。」
総司は照れ臭そうに言う。彼自身生意気なことを言っているのは自覚している。
それについて優雅は何も言わない。黙って耳だけを澄ましている。
「総司自身がそう思っているなら僕はこれを渡すだけだね」
苦笑混じりにそんなことを言った彼の後ろから唐突に声が響く。それは紛れもなく神威のものだった。総司が振り向くとIDカードを手にした神威が見慣れない格好で歩いて来ていた。
「というか僕そんなに信用ないのかな」
「お前は見た目よりも直情的だからだ」
おどけた神威に秋人は微笑む。
「それよりも、そのカードは」
「エージェント仮免許ってことで相手とよく話し合って渡せと学園長、いやポナパルト理事に言われた。」
受け取ったカードには英語で名前とIDらしいコードが書き込まれ、学生証と同じ顔写真が入っていた。
「一連の事件を評価して、理事会が資格有りと判断してこのカードを渡すことになった。このカードで実務を1年受ければ正式なエージェント認定を受けることができる。もっともその実務を受ける配属先は僕のところなんだけど。」
種々の説明を行って、彼は苦笑する。
「その通達や今回の訓練カリキュラム同行のために本部に出頭していてね。藍明守の駅に着いた時、君たちが乗り込んできたから驚いたよ。」
そう言って、顔を引き締め、彼は優雅に向き直る。
「僕自身は渡したくは無いけど、そういう仕事だ」
そう呟いて、総司に渡したものと同じIDカードを優雅の前に差し出した。
「お前が納得してないのならば渡すこともあるまい。なぜ、出した?」
事情を知らない者は知る由も無いが、知っている総司には神威の態度が最大限の歩み寄りに見えた。許してはいないだろうが、神威は1つ過去を乗り越えようとしているように見えたのだ。
「洸耶さんの推薦なら断る術は持たない」
文庫本に目を落としていた優雅が一旦本を閉じ、顔を上げた。
「なら引っ込めておけ。俺はまだ考える。」
「そう、か」
拒否したわけではない。優雅も何かを乗り越えようとしている。それが分かっただけでも当事者は安堵する。神威はカードを引っ込めると再び総司たちの方へと向き直る。
「それじゃ僕は訓練生の面倒を見なきゃいけないからこれで」
言い残してこの車両区画から去っていった。優雅は何事もなかったように文庫本を開いて、読書を始めた。
「悩みなんてどこにあるのよ」
優貴は疑いの目線で優雅を見ている。彼女は一番近くにいて、未だ優雅を理解しようとしなかった。それどころか、最近は伊達の高猛流道場で父親と組手を始めていることも彼女にとっては煩わしかった。
「合理的じゃないことは分かってる。だが今は考える時間がいる、な?」
「違いない」
優貴の疑問に答えるわけではないが、分かってる風な言葉を呟く総司。秋人もそれに同意する。
「私たちは来年三年生だから進路を決めなきゃいけませんね」
「今、確固たる未来があるわけじゃないな。まぁ、決まってるのも稀だろうしな」
緋芽の言葉に、秋人は嘆息しながら思い返す。
神威はエージェントとしてこれからも仕事をしていくのだろう。
しかし、秋人は違う。家業は継げない。進学をすることもできるが、その先が結局思いつかない。手をこまねいているわけにもいかない。諦めかけていた別の道について、見出せるかもしれない。それがこの旅行の本当の目的だと隠したまま、ファジーネーブルに乗り続ける。
乗車して1時間程度。ファジーネーブルが目的地に到着した時は寒さもそれほどではなく、雪山ですぐに滑れそうな天気ではあったが、秋人達の宿である彼の母の生家に着いた途端、吹雪き始めてしまった。
吹雪の中、旅館に到着して旅館の中の温かさに落ち着いた頃。従業員と話していた秋人は悪天候を気にしている優雅を見つけ、珍しく話し掛けた。
「明日には晴れるだろうさ。そこまで心配することじゃない」
「この建物の強度が心配だが」
かなり猛烈に吹雪いていて、この屋敷への叩き付けの音が激しい。優雅は専門家ではないが屋根が飛ぶことだけは勘弁したかった。
「こういう地方は夏になるまで雪解けしないから、自然に寒さ対策、なかでも雪や風に強く設計されている。ちょいと古臭く見えるが、ちゃんと強度補強してる。親類が管理していると言ったろう?」
「自然か」
優雅は極端に寒い地方へ任務で行ったことは無い。かといって暑い地方は神威との一件の時ぐらいである。
「露天風呂に入らせてやれないのが残念ではある」
「ろてん、風呂?」
元はといえば温泉にせよ、風呂にせよ、優雅は入る習慣は無い。そもそも大衆が裸同士で風呂に入る文化など極東ぐらいなものなのだから当然であろう。
「屋外に大浴場がこしらえてある風呂のことだ」
「わざわざ外にも風呂を作るのか」
「開放的だからだろ」
納得できるのかできないのか良く分からないことを言う秋人。
「あの街といい、お前らの平和ボケさには呆れるな」
優雅は多少生活に慣れたがやはり元少年兵である。屋外娯楽施設などと、つい警戒してしまうのである。
「お前が心配するような不審者はここにはいないよ」
「どこにそんな保証がある?」
流石に無責任な発言として聞きとがめる優雅。それに秋人は困ったような表情を浮かべた。
「このへんは守られてるからな。そういう邪念みたいなのが外にいると誰も知らない所に行っちまうからさ」
「なんだそれは」
馬鹿馬鹿しい話である。子供を怖がらせるにしても陳腐すぎるし、だいたいこの時明院秋人ならもっと上手い怖がらせ方をするだろう。不可解ではあるが、別文化と受け取って、優雅は部屋に入って行った。
部屋割りは2人1組。カップル組はともかく、ラミアが1人余ってしまうため、優雅と優貴の一緒の部屋にしている。カップル扱いした優貴が苛ついたが、ラミアが入ったことで中和された。
そんな部屋割りだから、緋芽が秋人と優雅の会話を立ち聞きするのは容易だった。
(なんか変だな)
直感的にそう思い、それとなくマークすることにしたのだった。
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