錫――スズ――参
「この辺りには居ない!」
散歩でもしているのかと暢気に周辺を探してみたが、見つかったのはセツが持っていた水晶だけだった。
昨日の話を思い出し焦りが隠しきれない。
「ここで待ってろ!」
そう言ってカラスの姿になった俺は、低空から大事な龍の子を探す。
――誰にも渡すもんか。
シコクに言われて人気のない境界の森を探すと、馬を駆る二人組の男を見つけた。
眠らされ、運ばれているのはセツに間違いない。
相手が馬に乗っているので慌てて馬と進路を合わせてセツを嘴でつつく。
「なんだ、このカラス」
薬を盛られているのか反応が薄い。
「ん……あれ……カラス、さん?」
何とか目を覚ましたのを確認してから人間の顔の周りを飛んで馬を止める。
「鬱陶しいな。斬るか」
「おい、こいつ白いよな? これが白じゃないのか?」
「バカ言え。あれは迷信だっつーの」
「馬鹿はどっちだ」
思わず声に出していた。
警戒される前にセツを取り戻したかったので、仕方なくその場で人間の姿になる。
唖然としている男の一人をすり抜け、馬に乗っている方の男を引きずり下ろす。隙を突いたおかげで簡単に馬ごとセツを取り返す事ができた。
「なん……え?」
「驚いてねぇでカラスを掴まえろ!」
――しまった。
龍の子供だと知らない男たちにとって、セツにはただ綺麗というだけの価値しかなかったのだ。
二人の男の筋肉質な腕が俺を押え込む。
いつも都合よく生きてきた俺が筋肉質なわけもなく、俺の武器はいつだって口と逃げるための翼だったので喧嘩にも慣れていない。
「セツ、馬に乗れ! シコクが元の場所にいる!」
「分かった!」
さて、セツは俺を助けに戻ってくる気だろうがシコクは分からない。
馬もセツもいるのだし、俺はカラスなのだ。
セツを言いくるめ、来ない事を考えるだろうな。
そうなったら俺はどんな顔をしてセツたちの前に出ればいいのだろう?
セツに恩を売ることは出来たけれど、見捨てられたはずのカラスでは戻るに戻れない。
そんな事を考えている間に手足が縛られていく。
カラスになった途端に翼をへし折られそうで変わる事もできない。
――あぁ。腹が立つ。
憎らしくて恨み言を言いたくなる。
諦めて嘲笑う事なんて出来そうもない。こんな気分は久しぶりだ。
俺は誰に怒っているのだろう?
分からない。
心を持っている者は所詮、裏切るのだ。
「おめでたいねぇ。俺の意思でしか話さないし、姿も変わらないのにねぇ。それでどうやって金にする気だ? ただ目の色が違うだけの男をさぁ」
嫌味を言って焚き付けると怒りが癒される気がした。
「体が売りじゃねぇんだ。ちょっとぐれぇ傷があるからって値は落ちねぇだろう」
男の蹴りが鳩尾に入って得意の口もまともに動かなくなってしまった。
「カラスになられちゃ捕まえるのが骨だぞ」
「縛れるだけ縛って痛めつけとけばいい! 金だ……すごい金だぞ!」
下品な笑い声があまりにも耳障りで吐き気がする。
もしかしたら俺はここで終わるのかもしれない。
成す術もなく落ち葉の上に転がされ、枯れ始めた森に飲まれていく幻覚に溺れる。
森が受け入れてくれるのなら俺はその一部になるのだろう。耳を澄ますと落ち葉を踏む足音が聞こえる。
――足音?
痛い体をひねって確認するが、男たちなら俺の後ろに立って捕らぬ狸の皮算用にいそしんでいる。
それじゃあ誰だ?
「誰だ?」
聞いたのは俺じゃない。それはゲッパクの声だった。
「ゲッパク……」
助けてくれと言おうと思ったが言葉が続かなかった。見栄からではなく、自分の姿を思い出したのだ。ゲッパクは俺を知らない。
「お前は!」
しかしゲッパクは驚いた顔をしている。後ろから付いて来た女鬼のキョトンとした表情から察すれば、俺は間違いなく人間の姿をしている。
よく分からないうちにゲッパクは二人の人間に向かって行く。男たちは悲鳴を上げて腰を抜かし、呆気なく俺の縄はゲッパクに解かれた。
「お前の父はヤタガラスか?」
「あぁ」
ゲッパクはごつい手でそっと俺の頬に触れる。
「母はウツギという人間の女だな?」
「名前は知らないさ。母さんは、ただ母さんだったから」
「その顔は母似だな?」
「この顔はな」
深刻な面持ちでくだらない質問を繰り返すゲッパクに助けてもらったお礼も言わず、ちょっと驚かしてやろうと目の前でカラスの姿に変わってやった。
女鬼は銃を持ちだした男二人の相手をしていて見ていないが、ゲッパクは驚いたなんてもんじゃない。
口をあんぐり開けて目を逸らすことも出来ないで、短く声を発する。
「よぅ、ゲッパク。助かったよ。ありがとうな」
「お前……迷惑なカラス……」
「迷惑とは酷いな。どうせ嫌われ者の色なしカラスだよ」
助けてくれたゲッパクまでこれだもんな、と俺は余計に落ち込んだ。
しかし羽ばたく力もなく落下する俺を受け止めて、ゲッパクは泣き出した。
訳が分からないが、確かに顔をぐしゃぐしゃに歪めて泣いている。
「おい?」
「子がいたのか……」
「なんだよ」
「百年も前、俺がまだ人間だった頃にお前の母親に助けられたんだ。俺は切っ掛けの真っただ中に送り込まれた生け贄だった。口で言ったって伝わらねぇだろうが……死ぬのが怖かったんだ。けど戻れる道はない。姉さんが俺を見つけてくれなかったら、見つけてくれたのが姉さんじゃなかったら殺されていただろうな」
ゲッパクは十歳で生け贄として送り込まれ、帰れなくなっていた母さんに助けられた。母さんは、しばらくゲッパクを手元に置いて白の世界で生きる術を教え、友人である鬼に会わせて道を示したのだと、かすれ揺れる声で話す。
父さんと母さんは逃げながら暮らしていたので、争いに紛れて行方が知れなくなったらしい。俺が生まれる前の話だ。
「もう、生きて恩を返すことは叶わないと思っていたんだ……。けど、お前がいるなら、息子がいるならお前に返そう……」
俺はゲッパクが求める姿になってやる。
鬼の手を伸ばして俺を丁寧に抱きしめる。
「姉さん……」
百年も生きているはずは無いと、それでも会いたくて探したのだと言葉を溢れさせるゲッパクの心は、今も十歳の子供のままなのかもしれない。
女鬼が男たちを縛り上げて戻ってきた。けれど何も言わない。
こいつもまたゲッパクと同じだからだろう。
「カラス。お前、名前は?」
「……驚いたなぁ」
「何がだ?」
「名前を聞かれたのなんか何十年……いや、もしかしたら初めてかもしれない」
「お前……」
すまない、とゲッパクはがっくりうな垂れる。
あぁ、どいつもこいつも面倒だ。
けれど悪い気はしない。
熊とも互角にやり合うゲッパクが情けなく泣く姿に、初めて母さん以外の誰かに愛された気がした。俺じゃなく母さんを見ているのだとしても、それでもいい。
「スズだ」
「スズ。ずっと傍にいたのになぁ……ごめんなぁ……会いたかったんだ」
こんな感動的な雰囲気の中で、それでも少しの切なさを拭いきれないのはゲッパクを手放しで信じられない自分のせいだ。
「馬が来る」
女鬼が森の一点を見ながら男たちの持っていた銃を奪って構える。
「俺の後ろにいろよ、スズ」
ゲッパクはいつも素手だ。
いつでも始まりそうな状況の中、馬に乗って駆けて来たのはシコクとセツだった。シコクはすでに右手に抜き身の剣を握っている。
「待て!」
どちらにも向かって叫んだ。それでも女鬼の撃った銃弾が馬の足元に命中し、シコクがセツを庇いながら落馬する。驚いた馬は走り去り、シコクが俺に冷たい目を向ける。
「カラス……お前……白まで呼んで待ち伏せたのか」
「違う! こいつらは鬼なんだよ」
「何も違わないじゃないか」
せっかく俺を想って戻って来てくれたのに、嬉しいのに、困った事になった。
「ゲッパク。あいつらは俺が一緒に行動をする事になった人間で……」
話しながらシコクの向こう側に人影が見えた。気のせいか? と目を細めるとキラリと何かが光り、ミシミシとしなるような音がする。
ドシュっと音がして、ゲッパクに矢が刺さる。
――俺が居たから避けられなかったんだ。
そういう事かと、俺は一人で納得する。
わざわざ危険な場所に、俺の為になんか戻って来ない。
いつも俺はこんな事ばっかりだ。
そうだった。だから冷めた態度で生きてきたじゃないか。自分にそう言い聞かせてみても、どうしても怒りが抑えきれない。
シコクがセツを連れて木の陰に隠れ、女鬼が矢の放たれた辺り目がけて銃を撃つ。
ゲッパクは腹の矢を抜き取り、血が溢れだし、それでも俺の前から動かない。
「ゲッパク」
声を掛けると手で制される。
ドサリ、と向こうの方で何かの音がする。
「お前だって、あんなの連れてきやがって……」
「え? いや、あれは知らない!」
痛みでろくに動けない自分が惨めだが、それでも精一杯の声を張り上げる。
「ゲッパクは初めて俺の名前を呼んでくれたんだ! 母さんの子だからかもしれないけど、初めて俺を見てくれたんだ! ゲッパクだけが愛してくれたのに……」
怒鳴り声はだんだん情けなく掠れ、惨めに怒り泣く。
「カラス……」
「カラスじゃない! 俺は人間でも、白でも、カラスでもないんだ!」
シコクの一言にまた腹が立って声を荒げる。
俺はこんなに怒っていたんだ。たぶん、ずっと怒っていたんだ。
母さんが話すのを聞いていた時から、ずっと。
『日の出の彼方にまします白よ。
白き息吹は今も我らを清めてくださいますか?
黒き我らの祈りは届きますか?
お姿見えぬ悲しみに、言葉を交わせぬ今の世に、懺悔、懺悔とうたう歌。
白き風吹く陽のもとに、祈れや祈れ、届けや届け』
セツが歌っている。それは空を飛んでいる時に聞こえる風の音に似て、あるいは船の上で聞いた波の音のような、俺を受け入れて包み込む声だ。
龍とは似ても似つかない小さな人間の体なのに、その声には聴かせるだけの迫力や威厳のようなものがある。
それはあの時の龍神ハクジを思わせた。
「名前、教えてよ」
「……スズだ」
「スズ。助けてくれてありがとう。信じてるよ。だから信じてくれない?」
「……あぁ」
たったこれだけの言葉で俺たちの争いは止まった。
こんな華奢な子供でさえ、どこか強さを感じさせる。いったい龍とはどれほどの者なのか。
その理不尽なまでの責任を想うと居た堪れない。
――だからキナリが必要なのに。
信じないのだから仕方がない。こうなったら俺が何とかしてやるか。
「シコク。この二人が話していた鬼なんだ」
「そうか。少し考えれば分かったはずなのに、さっきは本当にすまなかった」
「とっさに撃ったのはアタシだ。ごめんなさい」
それから鬼の皮膚は硬いらしく、ゲッパクの傷は深くはなかった。
矢を放ったのは、ここで縛られて伸びている二人の仲間のようだとムクが言う。
「スズ。俺はどこまでも付いて行くからな。もう見失うのは御免だ。百年も経っちまった」
ヤタガラスの寿命は白の中でも長いほうで二百年だ。俺は混ざり者だから、あと何年くらい残っているのか分からない。
それでも俺たちはゲッパクとムクを仲間にむかえ、海路を行くことになった。
「どうして海なの?」
ムクが別にどこでもいいけど、と言う。
「人魚さんが拗ねちゃうから」
「人魚とも知り合いなのか。そりゃあ面白そうだ」
「人魚さんの名前も聞かなきゃね」
笑い声が重なり合い、黒も水色も風に流される。
俺とシコクで、おやっさんに船を借りたいと言いに行くと「死んだと思った……」と泣かれた。
不覚にもつられてしまう。
ゲッパクとムクを見られると面倒なので、夜明け前に船を出そうと話した。
酒を飲んで、シコクの泣き上戸に笑って、その朝だ。
何かが俺たちの間を走り抜ける。
トン!
颯爽と甲板に立ち俺たちを見下ろすのは、真っ白な毛並みを優雅に風に揺らし、堂々と朝日を浴びる龍の弟子だ。
「キナリ……」
「お前の様子が気になってな。来てみて良かった。そいつが龍の子だな」
混ざり者の俺と人間と、人間を辞めた鬼が二人と、龍の子と龍の弟子。
思いがけず顔ぶれが揃った。
「おい、人魚。あとはお前が船を動かしてくれるだけなんだけどなぁ」
俺が海に向かって言うと、水面がブクブクと泡立つ。
「何よ! 動かせないの⁉」
「やっと出てきたな」
人でも白でもない、俺が俺として生きるための船出だ。
「なぁ、人魚。お前、名前なんて言うんだ?」
極彩色の繋ぎ目 小林秀観 @k-hidemi
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