海が太陽のきらり

佐倉奈津(蜜柑桜)

銀のきらり

 その夏は、たいそう暑い夏だったそうな。じりじり照る太陽のせいで蜃気楼があちこちに見えたとか。あまりに暑くて浜に出る者も珍しかったと言われておる。


 その数寄者というか運の巡り合わせというか、まだ若い青年がおった。この浜にはとんと来ない都会の子でなぁ、歳は十七と言うが。なに、自らこの片田舎に来たと言うわけではない。都会で毎日面白くなさそうにしているのを見兼ねた親に連れられて来たという。

 まぁ所詮そんなものは口実で、両親が自分らの夏休みの旅行先にここを決めただけ。青年には面白味の無い辺境よ。親に付き合うのも疲れて浜を歩いていただけであったよ。


 ぺったんぺったん、砂が指の間に入るのをなんとはなしに感じながら、やどかりが足元を行くのなぞをぼんやりと見て歩いていた時であった。海の波が妙に揺れ、ぱしゃぱしゃと音がしておるのに気付いたようでの。青年は音のする方を見てみたとな。


 はて、見えたのは一人の娘であった。水の中を遊んでおる。実に気持ち良さそうに泳ぐこと泳ぐこと。さながら動物のようでのう。


 青年は我知らず見惚れていたようで。気付いたときにはその娘が目の前に立っておった。


 ——ねぇあなた、あなたはどこの子? お名前は?


 娘は日本と海向こうの国との合いの子だろうか。光を透かして煌く銀髪に、輝く金の瞳をしておった。歳はわからぬが実に美しい。青年は茫然とした心地で出自と名前を答えたものだ。


 ——へぇ、海斗というのね。え、わたし? ようこよ?


 さながら太陽の子のようだと言うと、娘はころころと笑った。


 ——陽子、それも良いわね。


 その笑いこそ太陽の光のように眩しかったとな。


 娘に誘われるままに、青年は海へ入った。次の日も、また次の日も。泳ぎは得手ではなかったようだが、娘の手解きに助けられて、それはそれは楽しい時を過ごしたようだ。この田舎を出る前の日まで浜に来ると約束するほど、夢中になってしまった。どうであろう。それが海にかもしれぬし、娘にかもしれぬ。名前しか知らぬ子である。苗字も家も歳も教えてはくれぬ、不思議な子であった。

 その身から溢れる言葉にし難い魅力を感じては、そのようなことどもは全く取るに足らぬこと。心惹かれるとは理屈ではないものよ。青年には、その娘とともにおるだけで十二分であった。



 明日は街に帰るという日、ちょうど夕焼けの空に月も出るころ。娘は青年の手を引いて岩と岩の間を抜けて行った。軽々と跳ねるさまに青年はついていくのでいっぱいいっぱいであったよ。ごつごつした岩場でよくもまぁそんなに身を翻して跳べるものよ。

 喜々とした背中に青年は息も絶え絶え、ようよう聞いた。何処へ行くのかと。秘密の場所といらえして、娘は先をく。


 着いたのは丈高い岩の上であった。


 下に見える海は濃くなる夕紅に染まって輝いておった。


 ——ここに飛び降りるの。


 娘が誘うのに、青年はなにゆえかと問うた。またも太陽の如く笑うて娘は言う。まじないがあると。聞くと、水の中で口付けすれば、またここで必ず逢えるというではないか。


 もう此度こたびが最後と思うておったのだ。青年は迷わず飛び込んだ。


 夏の生温い水に肌を優しく包まれて、青年は上を見上げた。昼とは色を変えた太陽が波の向こうで光り、まるで水面が焔のようにちらつく。その禍々しいほどに美しい朱色を背に、娘の銀髪が広がる。その後ろで泡も小魚も踊った。束になって娘の後ろ、金に揺れるのは日暮れの色を映した藻だろうか。


 ああ、これをまた見られるのなら。青年はまじないに縋る思いで娘をいだき、唇を重ねた。

 娘の笑みはこの上なく嬉しそうに見えた。さよなら、と去る姿すら、この世のものではないと思うほど麗しかった。


 次の日も青年はやって来たが、娘はおらぬ。しかし青年は恍惚として海を眺めておった。夕暮れに焼かれた波を見ておった。娘の姿は、青年の脳裡に焼き付いて離れなかったのである。



 ***


 また季節が巡り、秋が去り、冬を超え、春も過ぎ、夏が来た。


 青年は娘の言うのを信じて、まじないを信じて、またくだんの岩礁にやって来た。

 娘はおらぬ。しかれどもまじないがあるではないか。


 一縷の望みを胸に、青年は海に飛び込んだ。


 まとわりつく水の中で青年は紅の光を見上げた。娘はおらぬ。青年は焦がれる思いで前の夏と同じ焔の如きそれに呼び掛けた。娘の名を、胸の内で。



 するとどうであろう。朱く煌めく波はゆらゆらと揺れ、その中に金の瞳が現れる。周りの水まで銀に光りながら分かれて何やら形を取る。茫洋とした輪郭は次第にくっきりと変わり、青年の眼に露わになるようだ。



 そしての金の瞳が、銀の輝きの中でにたりと笑うた。



 青年が目を見開き、水中に泡が立つのと、その身が銀糸に包まれるのとは同時であった。



 ***


 ところで、この寂びしい岩礁にある丈高い岩は「妖狐岩」と呼ばれておるとな。その謂れはこうである。見たものはわずかと言うが、幻と目を擦るほどに美しい銀の狐が、夕暮れ前、気まぐれに姿を現し、少しばかり戯れをすると伝えられておる。


 いやなに、心配することはない。ただの悪戯好きの愛らしい娘っ狐に過ぎぬ。その証拠にまじない遊びの前にはしっかり、得意の泳ぎを指南するとも聞いておるよ。


 ——おしまい

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海が太陽のきらり 佐倉奈津(蜜柑桜) @Mican-Sakura

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