第18話 サラリーマン陰陽師 完

 街道を晴隆が行く。

 その後ろには、もちろん佐助の姿があった。母親と云う枷衣かせを脱ぎ捨てた佐助の足取りは軽い。

 佐助が差し出した木刀が、晴隆の背に触れる。以前は考えられなかった戯れだ。

「うるせぇ、おれに構うな」

 小さな声で叫んでいるのは晴隆ではない。

「變小呪文」で小さくなった白龍が、晴隆の墨染の背に必死にしがみ付いている。

 ちょっと大きい竜の落とし子の紋所だ。

「なあ、晴隆、おれを元の大きさに戻せ。そしたら、おまえに仕えよう。元に戻れば、宋の医王山などひとっ飛びだぞ」

「うるさい。いやなら付いてくるな。誰が、背中に乗っていいと云った」

「な、な、晴隆殿、宋の先には沢山の国があるのだぞ。金色の髪に青い目の女もいるぞ‥‥‥」

「おれは、おれの足で歩いて行くのだ。船に乗り宋の海岸が見えたら波に乗るんだ。実朝さまも父上もそれを望んでおられる」

 実は晴隆、遠めがねを大きくしようと「變大呪文」を試してみたが成功していない。

 まあ、何とかなるさと、この野生児は悩まない。

 佐助の木刀の先が、また、からかいに伸びて来る。

「佐助、てめえ、許さねえぞ。元に戻ったら食い殺してくれる」

 ハハハハハハァ、元気な笑い声が二つ街道に響いた。

 春に向かう相州の街道は、海風を受け機嫌よく旅人の背中を押す。

 若者二人の後から、様子の良い白い狩衣姿が、徒歩が苦手なのか馬に乗って付いて来る。

 白龍を背中に載せた若い二人は、足音軽く西へ向かった。


 将軍を失った鎌倉は、灰色の霧に包まれて湿っている。

 陰陽師安倍親職あべのちかものは、実朝を喪い、目覚めても目覚めても沈んだままの気持ちを朝から持て余す。それでも(がんばれ親職)とグズグズ云う己の両脚を叱咤し、地面に落ちている目線を拾い上げ、主を失った職場へ出勤する。

 そんな親職に、「陰湿な噂がありますよ」と囁いた同僚がいた。

 今更、実朝の死にまつわる噂など聞きたくもない。黒幕は誰だと浜の童も声を潜める。

「親職どの、そなたさまにまつわる噂でございますぞ。これを放っておいては、今後の出世に響きますぞ。変わり者の晴秀どのと、えーっ何と云いましたかな、波乗り上手のお孫さま。その親子が将軍の首を持ち去った張本人だと‥‥‥」

 親職は、下役したやくの様にへらへらする同僚に、いかにも驚いたていで目を剝いて見せた。

 将軍が殺害された翌日に、晴秀が消えたことを稲村ケ崎が報せて来た。そして、一旬した頃、孫の乳兄弟の佐助が訪ねて来て「若君と二人で旅に出ます。お許し下さいませ」と頭を廊下に擦り付けた。訳は云わない。親職は、何かにさとされる気分で「そうか」と短く応じた。訳など知らされては、今後の生き様に影響を受けてしまうだろう。懐に収まるほどの砂金の袋を与え、(晴隆を頼む)と無言で伝えた。

 尼御台北条政子は、息子の死を悲しむ間もなく、次期将軍の選定に心奪われる。京都と鎌倉の間を何度も早馬が疾駆した。

 二月二十日、そんな忙しない政子に書状が届いた。存じ寄りの公卿が京都から送ったものである。

 将軍実朝の御祈祷を行っていた陰陽師らが全ての所職を停止されたとの内容だ。

 後鳥羽上皇は実朝惨殺の凶事を予見出来なかった陰陽師に激怒し、鎌倉下向中の陰陽師の職を停止したのだ。

 すごすごと帰京する陰陽師の中、この鎌倉に骨を埋めようと決心した親職は戻らなかった。心躍る人々がいなくなった鎌倉だが、京に戻っても己の生きる道はないと判断したのだ。

 残った陰陽師は、三年を待たずに起こった承久の乱(1221年)勝利の後、幕府内における身分を確立する。

 乱以前は、将軍のお側に仕え、もっぱら祈祷や呪術を行う「御筒衆」という身分であったが、以後はその身分を保障される実務系官人として、先例の調べや土地の実測など技能をもって奉仕する職能者となった。


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鎌倉陰陽師 千聚 @1000hakurin

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