第17話 空 戦
藤沢を過ぎれば、直ぐに相模川。曰く因縁のある橋を渡るのだ。
この橋の完成供養に参加した源頼朝は、ここで落馬し、それが元で逝去したのだ。
それも誰かの陰謀だと噂が絶えない。
雲が湧いて大山の峰を霧が覆い始めた。美人富士は、すでに姿を隠している。
やがて、紙吹雪のようななごり雪が舞い始めた。
若者二人は、吹き付ける風をものともせず、めげることなく歩き続ける。
辺りには、二人の他に人影はなかった。先を歩く晴隆の身体が吹雪に巻かれた。
白い柱が晴隆を天空へと舞い上げたのだ。
「あっ、わか、若さま」
佐助の呼び声は間に合わない。
浮遊した晴隆は、冷静に己の境遇を理解した。あの時の柱だと気がついた。
元々、何事もなく鎌倉を出られるとは思っていなかった。
幕府の追っ手がかかるか、安倍一族の横槍が入るかと待ち構えていた。だから、
しかし今、晴隆の行く手を遮り、邪魔をしたのは、あの不思議な白い怪異だった。
晴隆は、錫杖を振り上げ叩きつけた。敵は身を捩りまんまと逃げた。
これは白い柱ではない。
鎌倉幕府の陰謀と策略と殺し合いのお先棒を担いだ愚かな魔物だ。
「おまえは、何者だ。何で何時もおれを付け狙う」
鋭い双眸が、グワッグワッと生臭い息を吐き出し笑った。
「おれは白龍。のんきなおまえが気に食わぬ」
声とも云えない低い音が晴隆の脳裏に響く。
(白龍? こやつは龍なのか? 江ノ島に巣くっていた暴れ者か?)
晴隆は、白龍のしっぽに巻かれ空中を上に下にと泳がされている。
息が止まりそうな晴隆は、白龍の右目を狙って錫杖を突き出したが僅かに届かない。
白龍の右手が晴隆の胸の飾りに伸びた。
その手に噛みつき、身体を捻った。その身体を掴み直した白龍がグワッグワッとおめき、晴隆の身体を放り出した。
晴隆は彼方の海へと落ちて行く。
何時の間にか顔を出した富士の高嶺から一条の光が射した。
身をくねらせて笑う白龍を円形に囲んでいく。
眩し気に身悶えた白龍が、はっしと上昇した。
「なんだぁ、おまえは白虹ではないか。何だ、その姿は人間に堕ちたのか」
円形の光の中心に狩衣姿があった。
「失せろ、白龍。負けはせぬ。わたしには、実朝さまと晴秀さまがお味方してくれる」
二つの怪しげな閃光は、相州国の天上を暴れ回った。悪と善の戦いであった。想いだけで戦っていた白虹は、晴秀の身体を借り、もう白龍の稚拙な悪意になど負けはしない。
頭から顔、首、胸、腹、手足と身体のすべてに正義の想いを宿し、正しく全身全霊で戦った。
佐助が海岸に打ち捨ててあった小さな漁り舟を漕ぎ出した。
「わかぁー、わかぁー」
海の左手には、くっきり晴れた三浦の岬が見えた。
漕ぎだす先の烏帽子の形の岩の向こうには、はっきり半島が見える。
舟を漕ぐ佐助の頭上だけ、曇っているのだ。時々、灰色の霧が降りて来る。
不信な佐助の耳に「おーぃ」と叫ぶ声が届いた。
「わかぁー、わかぁー」
晴隆の声を確信した佐助は、一段と力を込めて櫓を漕いだ。
波間に浮き沈みしながら、無鉄砲な若さが漂っている。何時も鼻っ柱が強く、尊大な態度で前を行く佐助の若君は、死にそうになりながらも諦めを知らない。沖に顔を向け、頃合いの波が来ないかと待ち構えている。小さな板切れもすでに確保し、波に乗って易々と生き延びようとしていた。
(偉いぞ、わが愚弟。それでこそ、おれの大事な若さまだ)
ギッコギコと近づく小舟を見極めて、大声が放たれる。
「ああ、助かった。やっぱり佐助は、おれの兄貴だ」
九ヶ月ほど年上の従者は、泣きそうな顔を歪めて笑った。
幼馴染の小波に押されて舟が浜辺に辿り着く頃合いに、突き刺さる様な激しさで白い柱が攻めて来た。
再び、晴隆の胸の飾りを狙い、その手を伸ばす白龍だ。またも晴隆は空中に飛ばされた。
「變小、變小 ‥‥‥」
晴隆に残された武器はそれしか無かったが、すでに晴隆は落下の真っ只中だ。
丹沢の山並みがグングン近づいて来る。佐助がどんなに走っても間に合わない。
(ああ、これでお終いだ)押し寄せる諦めに目をつぶる晴隆だ。
その身体を優しく受け止める腕があった。白い腕は少し冷たかった。
冷たい
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