第16話 出 立

 明けたはずの竹林から朝の気配が消えた。夜の影を引き戻し、静まっている。

 寒さを忘れた若い二人は、じっと何かを待っている。目を放しては、安倍晴秀の帰り道が失われてしまうのではないか。降りて来るまぶたを押し上げて気を張るが、若者二人はうつらうつらと心地よい境地に半分負けている。

 凍えていく身体が、わずかな暖を捉えた。

「あっ?」

 突然生まれた一条の光が竹林を貫いたのだ。

 やがて、その光がゆっくりと円形を描き竹林全体を蔽った。

「あぁ、父上」

 冬眠の心地よさを引き離した晴隆は竹林に駆け込み、佐助も後を追った。

 白く眩い光の中で両手を掲げた晴秀を認めた。

「父上、父上」と叫ぶ声が出ない。その足は鳥もちに捕らわれたように動かず、父の元に近づけない。

 晴秀の姿が、薄っすらとかすんで行く。

 竹林を包んでいた白い光の環は、ゆるゆると消え、突然、若者二人の意識を奪った。


 竹林には、まだ朝陽が届かない。

 小さな命から目覚め始め、ため息に似た覚醒が竹の葉を伝い広がり、若い人間へ辿り着いた。

 チョ、チョ、チョーベとメジロが遊び出した。

 佐助は、目覚めた。竹林も陽の光を迎え、霧が静かに昇って行く。

「若、わか、起きて下され」

 立ったままの晴隆が、ぱちりと目を開け、父を求めて操り人形の様に駆け出した。

 竹林の奥から立烏帽子の白い狩衣が現れた。

 整ったお公家顔に、華麗な立ち姿。

 が、その美しい顔は、佐助が見ると晴秀の面影を宿していたが、晴隆が見ると実朝似のような不思議な面立ちだ。

「晴隆、父上は行かれた」

 大人の姿をしているが、生まれたての幻のような人が口をきいた。

「えっ、何処へ」

「そなたの代わりに、実朝さまの元へ」

「えっ、それは‥‥‥」

 やんちゃな晴隆も、さすがに言葉をなくしている。

「実朝さまは、蘇えらないのですか」

 佐助の声がかすれた。

「実朝さまは、お望みではなかった。戻れば、また鎌倉の陰謀の中で生きねばならないとお仰せだった。源氏の血は狂いやすいのだとも。しかし、晴隆、そなたに頼み事をされたぞ」

「えっ、なんでございましょう」

「実朝さまは、宋の医王山へ行かれることをお望みだ」

「はぁ、しかし‥‥‥」

「これを」

 その人は小さな髑髏しゃれこうべを差し出した。

 それは、白く透明な美しい宝石たからいしと変わった実朝だった。

 晴隆は、震える手をなだめつつ恭しく受け取った。

 その人は、晴隆に頭を下げ、更に続けた。

「晴隆、済まぬことをした」

「何ですか? 実朝さまの希望なら、この宝石を持って宋へ渡れば良いのですよね」

「そうだ。実朝さまはお悦びになる」

「それなら、おれに謝ることはない。問題ない」

「そうではないのだ。晴秀殿は、我に希望された。晴秀殿と我が入れ替わり、宋に渡る晴隆殿を見守る役目を望まれたのだ。我は、今、人の姿をしてここに居る。つまり、泰山府君の祈祷により我はここに居る。と云うことは、晴秀殿は戻らぬと云うことだ」

「あなたは、誰です?」

 佐助の叫び声を無視したまま、その人物は竹林の中に姿を消した。

 その後ろ姿は、女人の様になよやかだと佐助は見とれた。


 鎌倉中は、大音声の経で満ちた。

 右大臣実朝さまの御葬儀が執り行われ、御家人が百人以上も髪を下ろし出家した。

 晴隆も密かに鎌倉を出る準備として髪を下ろした。

 出家した訳ではないが、実朝を慕っていた晴隆の丸坊主を誰も疑わなかった。

 街道は、晴れ渡っていた。

 良い日を選んで、旅立ちとしたのだ。

 小動岬こゆるぎみさきを過ぎると富士のお山が綿帽子を被って美人顔だ。

 江ノ島も機嫌良く笑っているようだ。

 シャリーンと錫杖しゃくじょうの音をさせ、晴隆はご機嫌で歩いている。

 頭を丸め、墨染の衣に身をやつした。

「若、わかぁ」

 駆けて来る足音は、佐助に間違いない。

「若、おれもお供いたします」

「おまえなんか知らぬ。付いてくるな」

「いえ、おれは若の傍を離れません」

「おまえは、首にしたはずだ。北条が牛耳る鎌倉幕府に仕えるがいい」

「いええ、若、おれは若が生まれる前から若の家来でございます」

「おれは、一人で行くのだ。乳母殿は、おまえに返す。もう佐紀殿の胸にすがって泣いたりなどせぬから、おまえは親孝行をしろ」

「母には、別れを告げてきました。少々ですが砂金もあります。若の好きなきび団子もありますぞ」

「ふん、みんなおれの企みを知っているんだな」

「若、墨染めの下から、美しい衣がのぞいておりますぞ。それは実朝さまのお形見」

「うん。新しい坊主は、この位かっこ良くないとな」

「ハハハハハァ、さすが若さま」

 妙に明るい佐助が笑いを弾けさせる。

 佐助は、旅のことゆえ、民と同じような服装に侍烏帽子だ。それでも佐紀の見立てで明るい色味の縞の小袖こそでに黒っぽいはかまが新品だ。腰には父親の形見の脇差と使い込んだ木刀を差している。成人男子の印である火打ち袋も下げていた。親子は、母離れ、子離れを果たしたのであろう。

「首の飾りも綺麗であろう。衣の袖で乳母殿が作ってくれたんだ」

 晴隆は、両手を広げトントンとんびになって自慢してみせる。

「いかにも、下着の衣とお揃いのお守りが若の呪文で小さくなられたあの御方の髑髏しゃれこうべとは誰も気がつきませぬ」

「宋の山並みが見えたら、海に飛び込み三人で波に乗ろう。実朝さまもお喜びになる」

 二人は、意気揚々を飛ぶように歩く。

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