第15話 變小秘法
起きているのか、寝ているのか分からない。凍えていく身体は、もう生きていないのかも知れない。
もう寒くもなく、痛くもなく、意識もないはずの耳が、近づいて来る音を捉えた。石ころを踏みしめるようにも聞こえる。賽の河原を歩む音か。もうおれは、向こう岸は彼岸の河原に辿り着いてしまったのか。
いや、いや違う。慎重に踏みしめる音は、船板と人間が起こす音だ。物の怪ではない。
しかし、人間はもっと危険な存在だ。起きなくては、まだ戦いは終わっていないのだ。実朝さまをお望みの安住の地にお連れしなければ‥‥‥ それがおれの役目なのだ‥‥‥ 起きなければ‥‥‥
姿を消した主人を探しあてた佐助が小さく微笑む。
「わか、こんな所で寝てはなりませぬ」
赤子のように身を丸めた晴隆を激しく揺すり起こした。何時も騒動を起こす愛弟は、佐助の悩みの元であり、生き甲斐でもある。
「ああ、誰だ? 佐助かぁ。脅かすなよ」
ほわほわとあの世への道を歩み始めた晴隆は、乱暴に此の世に引き戻され、機嫌悪く微笑む。
じわりと温もりを伝える佐助の顔が晴隆の後ろに注がれている。
「若、こ、これは?……」
「うん、実朝さまだ」
「‥‥‥」
「どうしたら良いだろう」
「幕府にお届けしましょう」
即座に応えた声が震えている。
「佐助! おまえ、御首を届けて、手柄を立てようというのだな」
「はい、若さまの手柄でございます」
「嘘を云うな。貧しいとはいえ、おまえも侍の子。鎌倉幕府に仕えたいのであろう」
「いえ、わたしは、決してそのような…」
言葉を詰まらせる佐助に、晴隆の興奮は高まっていく。
「佐助は、小さい頃からおれを憎んでいたんだ。おれが乳母殿の胸に武者ぶり付く時、何時も目をそらせて俯いていた」
「若、今更なにを…… 若がそう思うなら、わたしが実朝さまをいただきます」
素早く動いた佐助の手に実朝の御首があった。
朽ち船を震わせて佐助が走る。
晴隆は追ったが、力が戻っていない。あの白い柱との戦いが殊の外、堪えている。
「待てぇー、佐助」
暮れてしまえば、波音ばかりの由比ヶ浜だが、今夜ばかりは、松明が鬼火となって蠢き、鎌倉の主を探し回っている。
「何者だ。何をしている」
走る佐助の前方から探索兵が数人駆けて来る。
「あっ、まずい」
「佐助!」
晴隆も兵に気付き、慌てた。
「おまえ、何を持っている? 見せろ」
「いや、これは私のもの」
「變小、變小、 ……」
(あっ、消えてしまった)
急に軽くなった包を抱え、佐助は立ち止まる。
「その抱えている布切れを見せろ」
佐助は、布が巻き付いた両手を差し出した。
「何だ? これは。ただの布切れか。つまらぬ物を抱えて走るな」
申し訳ありませんと佐助は、丁寧に頭を下げた。
晴隆が、父から授かった呪文で小さくした御首を素早く佐助から取り上げ懐に隠したのだ。
探索兵は佐助から取り上げた布切れを振って、不審な顔をしている。
佐助は目を見張って晴隆を振り返った。
晴隆は、口元を小さく捻って尋ねた。
「ご苦労さまでございます。実朝さまの御首は見つかりましたか?」
「うるさい。子供がとやかく云うことではない。こんな所で遊んでいないで早く家に帰れ」
喘ぎながら夜道を急ぎ、屋敷に帰り着いた晴隆佐助主従は、死んだように眠った。
寝息は、三つだ。
小さくなった
翌朝、晴秀に叩き起こされた。
佐紀が「殿さま、若さまの様子がおかしゅうございます」と、注進したのだ。
「裏庭へ来い」
晴秀の声が何時にいなく尖っている。
「何があった。子細に話せ」
「色々ありまして、長くなりますが‥‥‥」
「晴隆、実朝さまが儚くなられた日まで、そなたは遊び暮らしていたのか。なさけなや」
「いえ、殿さま、若は決して遊んでいた訳ではございません」
「佐助、口を挟むな。そなたの苦労は知っている。だがな、庇えば良いと云うものではない」
うなだれる佐助の隣で晴隆は、胸の辺りをまさぐって落ち着きがない。
晴秀の目が鋭く光り、その左手を差し出した。
晴隆は、逆らうことなど出来ない。
そっと、懐からその手のひらに収まるほどの塊を取出し父に差し出した。
「これは?」
「実朝さまの御首でございます」
「なぜ、小さくした」
「探索の武士に追われ、その、あの、隠すために‥‥‥」
「變小したと?」
晴秀は、御首を恭しく両手で掲げ、頭を下げた。
「御所では、お探しだ。どうしたものか?」
「父上、泰山の祭りを行って下され。この晴隆の命と引き換えに実朝さまを蘇らせて下さい」
しばし息を呑んだ晴秀は、幾らか目元を緩めた。
「ほんにおまえは、お調子者よ。だいたい『泰山の祭り』とはなんじゃ。泰山とは中国の有名な山。その神が府君さまだ。陰陽道の最高神霊でおわす。森羅万象を司る神さま故、確かに、人間の生死をも司る神でもある」
「父上、細かいことは後にして、早く実朝さまを生き返らせて下さい」
「晴隆、ほんにそなたは」
大きなため息は、隠しようもなく竹林を這い上っていく。
「己の命を差し出すと云うのか。死ぬとはどう云うことか分かっているのか」
頷く晴隆に晴秀の目が潤み、またしても小さなため息がもれる。
「しばし、しばし待て‥‥‥」
晴秀は、背を向け竹林に向かって歩を進めた。
「父上‥‥‥」
残された晴隆は呆然と立ち尽くし、佐助は地面に伏して肩を震わせた。
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