第14話 奪 還
鶴岡八幡宮へは近づけなかった。
興奮した馬のいななきや慌てた武士の鎧の音が溢れ、さんざめく人の声に包まれていた。
「そこのお侍さま、ちとお伺い申す。曲者は何処へ消えたのでしょうか」
晴隆は、街路警護に立つ武士に声をかけた。
「何だ、おまえは。邪魔だ、どけどけ」
「公暁が逃げたのは、海ですか? 山ですか? 私は実朝さまの仇を取りたいと思っている。陰陽師の安倍晴隆です」
「陰陽師だと。それでは自分で占え。おれに聞いても分かるもんか。雪ノ下の方へ逃げたというが、何時までも同じ所にはおるまい」
(雪ノ下? 北谷だ。備中の阿闍梨の家がある)
備中阿闍梨は、公暁の後見役だ。全てに無関心になっていた晴隆だが、密かに爺さまの安倍親職屋敷を訪れ、公暁について調べていた。腐っても安倍晴隆も陰陽師の端くれ、由比ヶ浜で会った大男が不振でならなかった。
暮れてなお白い雪の中を晴隆は走った。
「誰だ? 何処へ行く?」
誰何の声に晴隆の足が止まる。
「あっ、おれは、実朝さまを……」
「うっ、実朝さまだと? 怪しい奴。おまえ、公暁か?」
「いや、おれは公暁ではない」
「ええぃ、面倒だ。殺してしまえ」
「よせ、よせ、おれは……」
「問答無用」
晴隆は、公暁ではないかと声をかけられ、震え上がった。思わず走り出す。降り続く雪に山道は、ほの明るく追っ手の足音が迫って来る。
晴隆は雪に足を絡ませ、崖下に滑り落ちた。
「待てぇー、公暁」
探索兵の叫び声に、雪の中から白い包を抱えた男が現れた。
「おれに用か?」
「えっ、貴さまが公暁?」
「いかにも、おれは公暁だ。次期将軍であるぞ。控えよ」
「ええぃ、かかれぇ、切り殺せ」
声を引きつらせ武士達が殺到する。
「おまえ達のようななまくらに、討ち取られてなるものか」
崖下に落ちた晴隆の頭の上で、切り合いが始まった。
激しく戦う男達の息遣いまで聞こえてきて、身動きが出来ない。息を殺して目を瞑った。
雪の冷たさを感じる間もなく、凍えた。手も足も頭も動かない。このまま死んでしまいそうだ。
激しい応戦の音に耐えられず開けた目の前に、丸い包みが転がり落ちて来た。
受け止めた晴隆は悟った。
(実朝さまだ。実朝さまがおれの手の中へ逃れて来たのだ)
「公暁の首、討ち取ったりー」
探索兵の勝ち鬨の声が上がった。
武具の音が躍っている。
「将軍さまの
息を弾ませ、焦る足音が雪を踏みしだく。
頭をブンブンと震わせ、凍えた手を足を励ました晴隆は、気付かれない様にゆっくりと身体を滑らせ、実朝の首を抱かかえて走り出した。探索兵の群れを避け、山林を駆け抜け、由比ヶ浜を目指す。
白い世界を駆け抜ける晴隆を吹雪が襲った。
降る雪は、小降りになったはずなのに、突風と共に白い唸りが晴隆を巻き上げ巻き上げ、ふいに止まる。晴隆は地面に叩きつけられ息もつけない。
それでも、実朝を胸に抱え必死に耐えた。
しばし沈黙の中に身を横たえた。
吹雪は止んだのかと、吐息を吐き出せば、目の前に吹雪が高々と身を捻り、まるで晴隆を見下ろすようだ。渦巻く白い柱を見上げたまま、そろそろと立ち上がり後じさる。
白柱が悪ふざけをする様に、じわりほわりと迫って来る。
晴隆は、身を翻し駆けた。吹雪に負けてなるものかと両脚を必死に振った。雪に足を取られながらも駆けに駆けた。
もう直ぐ、町中に至る裏道まで下り、晴隆はよろよろと膝をついた。
心臓がバクバクと跳ね、呼吸が出来ない。喉の渇きに耐えかねて、実朝の首を抱きしめ大きく口を開けた。吹雪の破片が、ここぞとばかりに喉の奥に突き刺さった。
苦しさに目を開ければ、白い柱の一部が晴隆の口の中に爪を伸ばして浸入してくる。
両目をむき出し、大口を開けてゲボゲボと吐き出すが、無数の冷たい棘が身体の内側から外に向かって生えた。全身が切り刻まれて行く痛みに気が遠くなる。
白柱の上からギラリと光る双眸が降りて来るのが、失神寸前の晴隆の目の端に止まった。
(なんだこいつは? 雪嵐ではないのか? おれを阻む魔性の物か?)
その
白虹に違いないが、もちろん晴隆は知らない。
白い光と意思しか持たない虹は、善意の象徴なのか、常に邪悪な白龍に敵対心を抱いた。しかし、いくら善を振りかざしても身体のない白い虹は、悪の権化となり切った白龍に勝つことが出来ないのだ。
白龍が何枚の鱗を持っているか知らないが、その一つ一つが悪の意思を反映し蠢く。白虹は、天外で善の意思を持て余したまま煌くことしか出来ない。
天外にぽつんと生まれ、初めて鎌倉を見下ろした時、あれが男であれが女と認めた。
女の(子が欲しい)という願いを叶えてやり、自分を睨み上げた男に反発を覚えながらも人間の身体に憧れた。人の世の争いを収め、みなみな飢えることなく生きて行く支援をするためには、天外で瞬いても詮無いことだ。人として共に生き、共に苦しんで、援けなければならない。なぜ、そう思うのか分からないが、ぽつんと瞬いた時には、そう思っていた。
あれは何か? あの鋭く光る目から晴隆をかばってくれたのは、あの白い光だ。
しかし、もう考えることも出来ない。ヘロヘロだ。
由比ヶ浜の砂浜に降りる前に、松の根本の雪をすくって口に入れた。
少ししょっぱいがそれが心地良い。
ヨロヨロと朽ち果てた船に近づいた。あれからまだ二年は経っていないはずだ。
しかし、贅を尽くした大船は、哀れを誘う姿を晒している。
少し躊躇してから紛れ込んだ船の中を、何かが素早く走り抜けて行く。
「おっ、蟹かよ」(蟹なんか居るかよ、こんな寒い‥‥‥ ああ、寒い)
ビクリと肩を震わせ晴隆は、足を踏み抜かない様にそっと進んだ。
美しく飾り立てられた船首の龍頭が首をかしげ、漆喰の壁は無残に崩れかけていた。
将軍の座る
頬を流れ落ちる涙に、気付かむままに目を閉じくずおれた。
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