第13話 仇 討

 建保けんぽう六年(1218)暮れも押し詰まった十二月。

 鶴岡八幡宮の別当べっとう公暁は、宮寺に参籠して全く姿を現さない。

 公暁は、将軍実朝の猶子ゆうし(養子)である。

 実朝と公暁は叔父甥の仲、実朝の兄にあたる二代将軍頼家の息子が公暁だ。

 だからこそ、公暁には恨みがあり、それを煽る不貞の輩が鎌倉を跋扈ばっこする。頼家の暗殺を画策したのは実朝だと告げ、実朝が死ねば、次の将軍は公暁だと頷いてみせる。


 陰謀渦巻く、鎌倉に不幸の種が届いていた。

 都の後鳥羽上皇は、実朝が望むと、子供に飴を与えるように「いいよ、いいよ」と、いくらでも官位を与えた。どんな思惑が隠れているのか、上皇自身も未だ自覚がない。

「宋へ行く」夢が砕けた実朝は、官位昇進を求めて止まなかったのだ。

 実朝は、たいした功労もないまま父頼朝の跡を継いで将軍となった。更には、中納言、左中将と階段を上るように昇進する。このまま昇れば身分不相応、世に云う『官打ち』となり災いを招きかねないと北条義時と大江広元が、諫言した。

「源家の名を後世まで輝かしく残したい」

 これが、実朝の応えであり、『官打ち』を知らぬ訳でもないのに、不幸へと向かって階段を上る。


「はるたかぁ、晴隆はおらぬか」

 大声を上げながら、晴秀の屋敷を安倍親職が訪れた。

「はーい、おれはここでーす」

 面倒くさそうな晴隆。

「おお、晴隆。目出度いぞ。御所さまが右大臣になられたぞ」

「えーっ、何が目出度いんです」

「右大臣と云えば、その上は左大臣さまだ」

「えっ? 訳わかんねぇ」

「晴隆、あれから二年も経つと云うのに、ずぐずぐと文句ばかり申して波乗りもしていないそうではないか。若者がそんなことでどうする。さあ、これを着て実朝さまのお祝いに行くのだ」

「何ですか、この派手な衣は?」

「もったいないことを申すな。これは実朝さまが御年二十二歳のみぎり、気鬱の病に見舞われた折り、お慰めしたわしが賜った絹物じゃ。実朝さまがお召の衣を脱いで、下されたものだ」

「えっ、実朝さまの衣」

「わが家の家宝だが、そなたに遣わす。これを着て、右大臣実朝さまをお祝いいたせ」

「はっ、はい」

「年明け正月の二十七日、実朝さまは右大臣就任のお礼に八幡宮にお参りになる。その時は、この衣でお見送り申せ」

 親職は、何処か自分に似ている晴隆が可愛いのだ。忙しい務めをぬって孫の心を高めに来たのだ。


 建保七年(1219)正月二十七日、朝方は晴れていたのに、午後から雪が降り始め鎌倉中を白に染めた。

 それは、実朝の右大臣昇進の祝いであるような美しい眺めとなった。


 稲村ケ崎の晴秀の屋敷も朝早くから賑やかであった。

 囲炉裏部屋は、旨そうな匂いに満ち主人の膳が整っていた。

 佐紀の声が廊下をすべる。

「若、若さま。仕度は整いましたか。まあ、まだ寝床の中とは。ささ、賜り物の衣を着て、八幡宮に参られよ。それはすごい人出とのことでございます。山向こうの老人や女子供まで右大臣実朝さまの晴れ姿を一目見ようと押しかけているそうです」

「さむーっ、雪が降り出したじゃないか。おれは、行きたくない」

 晴隆は、褥の中に頭を突っ込んだ。官位を上げ、更に離れて行く実朝の晴れ姿など見たくないと思うのだ。

「若、さあ出かけましょう」

 佐助の声も近づいて来る。

「ささ、若さま、もう時間がございませんよ」

「おれはやっぱり行かない。佐助、おれの代わりに行ってこい。おれの名代だ」

「母者、どうしましょう?」

 佐助が佐紀の顔を横目で見る。

 近頃、母子は必要以外の会話をしない。

「そなたは参れ。この乳母が今少し若君さまをおいさめ申す」

「それでは、わたしは参ります。若、気が変わったら来て下さいませ」

 部屋を出て行く息子を静かに見守った佐紀は、小さなため息を漏らした。

「わか」

「いやだ、いやだ、こんな雪の日に」

「まったくもう、そんなことでは外国とつくにへ行くなど、到底無理にございますな」

「うるさいなぁ。おれは寝る。独りにしてくれ」

 小さな吐息を漏らす佐紀の目が笑っている。

 息子佐助を見る目とか明らかに違う慈悲に溢れた眼差しだ。


 降り積もった雪を吹き飛ばし、大きな音を立てて竹林が腰を伸ばした。

 その後は、忘れられた茅屋ぼうおくのように屋敷の中は静けさに満ちていた。

 寝床の中で一日過ごした晴隆は、寝疲れて自らゴロゴロとのたうち回る。

「わかー、若……」

「何だ? うるさいなぁ…… 佐助、どうしたんだ?」

「実朝さまが、実朝さまが……」

「実朝さまがどうしたんだ? 行列は綺麗だったか?」

 佐助は、鼻をすすりあげながらうめき声を上げた。

「佐助、見苦しいぞ。何があったのか、早く云え」

「実朝さまが殺された」

「うっ、嘘をつけ。そんな」

「八幡宮の大銀杏の傍で、首を、首を切られてお果てでございます」

「誰がそんなことを?」

 晴隆の喉が鳴った。

「別当阿闍梨の公暁さまだとか? 私には真偽のほどは分かりません」

「あの前浜で会った公暁か? 実朝さまの甥御ではないか。それで掴まったんだな」

「実朝さまの首を持って逃げたとか」

「何処へ?」

「さあ、八幡宮の辺りは、探索兵で溢れかえり大変な騒ぎです」

 デングリと起き上がり、晴隆は叫んだ。

「実朝さま、何処ですか? 晴隆が今お迎えに参ります」

 坂道の雪を蹴散らし、ごろごろと転がった。

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