第12話 暗 示

 物売りの声が、馬のいななきが溢れる小町大路の雑踏を佐助が駆け抜ける。

 若宮大路の東側を走る路で、鎌倉中の下町だ。大小の店が軒を連らね、筵を広げただけの店も多く賑わっている。


「勘弁して下さいませ。布を全部持っていかれては、商売になりません」

「この程度の布がなんだ。女ども皆にあげるには足りぬわ。金は払うのだ。よこせ、よこせ」

 酒に酔っているのか、大人びた晴隆の声が懸命に乱れている。

「ご無体な、お許し下さい」

「何だ、何だ。揉め事なら引き受けるぞ」

 野次馬が、楽しそうに寄ってくる。

「うるせぇ。馬の骨は引っ込んでろ」

 うっぷんを晴らす晴隆の口から乱暴な言葉がぽんぽんと跳ねる。

「何だとぉ。おめえみてえな若造に負けてたまるか」

「店先で喧嘩は止めて下さいませ。商売が出来ません」

「けんかだ。けんかだー」

 暇人が、浮かれて人垣を作っていく。


「わかー、若」

 佐助が、駆けつけた時は、すでに遅く、晴隆は三~四人の浮浪の者に、殴る蹴るの悪意を浴びて路傍に背中を丸めて転がっていた。

 慌てた佐助は、思わず刀の鯉口を切った。

「ちぇ、助っ人だ。あばよ」

「ううう、待てぇ、まだ喧嘩は終わっていない」

 転がったままに、晴隆は叫ぶ。

「若、喧嘩はいけません。こんなに泥まみれになって。口から血が出ています」

「うるせぇ。おまえは何時でもおれの邪魔をする」

 ため息を隠した佐助の目は笑っている。

「さあ、若。お屋敷に帰りましょう。昨夜もお父上さまが遅くまでお待ちでございました。母の佐紀も泣いております」

「佐助、おまえは、何時も佐紀どのを持ち出して、おれに説教する」

「さあ、ともかく行きましょう。由比ヶ浜に行きませんか」

 佐助に腕を引かれ、晴隆がよろよろ歩いている。


 町の喧騒が小さくなり、波音に混じるの鳴き声が何時になく耳障りだ。

「やっぱり、いやだ。おれはあの朽ち果てた船を見ていられない」

「いえ、しっかりご覧下さい。そして、ご自分のこれからをお考え下さい」

「おれのこれから…… そんなもんはねぇ。宋へ行く夢が破れたんだ。実朝さまに見捨てられたんだ」

「若、貴方はあの朽ち果てた船のようです。銭を持ち出し、悪所に出入りして女にうつつをぬかし、押し買いをして商人に迷惑をかける。若は腐ってしまったのですか」

「そうだ。おれは腐っちまった。もう何もかも、いやなんだ」

 晴隆と佐助は、滑川の河口から由比ヶ浜の砂浜を歩き出す。


 夕暮れていく砂浜に、一度も役目を果たさなかった豪華な船が首を傾げて泣きぬれている。

 波濤を超え、宋国医王山を踏破し、コブのある動物の背に揺られて天竺へ向かう砂漠の太陽と格闘しているはずの若い二人は、鎌倉湾の風になぶられ空きっ腹が小さく泣く。

 潰えた夢の幻覚か、二人を見捨てた行列がザクザクと夕陽の砂漠を去って行く。

 ザクザクと足音高く迫るのは、僧風情の大男だ。

「おまえ等は、そこで何をしている?」

「はっ、いえ何も。若、帰りましょう」

「おまえの名まえは?」

「先に自分の名まえを名乗れ」

 酔いは冷めたはずなのに、晴隆がここぞとばかり突っかかっていく。

「ふん。おれは坊主の公暁くぎょうだ」

「その坊主が、おれ達に何の用事だ」

「おまえ等は実朝に付いて宋へ渡ろうとしていたのか?」

「うるせぇ、それがどうした」

「あの船は、あの世への渡し舟。乗ったら命はないぞ」

「大きなお世話だ。大きな口をきいて、おまえは何者だ」

「わか、行きましょう。なにやら不穏な者、関わってはなりません」

 まだ、何か云おうとする晴隆を引っ張り、佐助は(公暁と云うのは、あの公暁さま?)と、思わず後ろを振り返った。

 二人の後ろ姿を眺めながら公暁は呟く。

「どちらにしても実朝は蜻蛉かげろうの身の上だがな……」


「若、あの御坊は実朝さまの甥御さまではございませんか?」

「ふーん、おれは知らん」

 これが、凶事の報せだとは、年若の二人は知る由もない。

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