異国の姫と鋼鉄の義手
「下がれ、下がれ! 立て直すぞ!」
曲がった剣をたずさえヴィジャヤ騎兵が、散兵線を食いちらかして押し寄せる。引き時を失って慌てふためく新米少尉の号令があたりに響いた。
「くそっつ! 遅いってんだよ! ベンジャミン、ヘンリー逃げるぞ!」
二人に声を掛けると、メイソンは剣を振り上げ向かってくるヴィジャヤ騎兵の馬めがけ小銃弾を食らわせる。大口径の旧式軍用小銃に胸を撃たれ、竿立ちになった馬がドウと倒れた。
「へいへい」
「了解!」
南の楽園で女でも口説けばいい。そんな気楽な考えで着任したアルスター王国の植民地マルガ帝国。だが、高度に機械化された産業を武器に、この国の仕事をあらかた奪ったアルスターへの恨みは、メイソン達が思っている以上に深かった。
「誰だよ、ヴェンガヴィルの藩王は友好的だから、ここは楽な任地だとかぬかしてた間抜け野郎は!」
「連隊長ですよ、たしかに間抜けです。殴ってやりたい」
「黙って走れ!」
ぼやく二人をどやしつけ、メイソンは腰の自動拳銃を抜いて走り続ける。マルガ帝国は十六の藩で構成された藩王国の集合体だ。
メイソン達が配属されたヴェンガヴィル藩は内陸国で、主な生産物は小麦と大豆。これらは土地が狭い割に人口が多い工業国アルスターにとって、喉から手が出るほどに欲しい物資だった。
「まったく、
「おえらいさんは食い詰めたことなんざねえから、わかりゃしませんよ」
ぼやくメイソンに、ベンジャミンが吐き捨てるように返しながら、振り返って手榴弾を放り投げる。
「ヴィジャヤにとって、俺たちは山賊団と変わらないってわけだ」
「法律で裁かれない分、私たちの方がタチがわるいんじゃないですかね」
ヴェンガヴィルとは逆に、ヴィジャヤの特産品である綿花と綿製品はアルスターにとって重要な物資ではなかった。マルガ帝国全土から原材料の綿花を大量に買い入れては、機械で加工した綿布が大量に輸出されている。
その結果、マルガ帝国内の綿製品価格は大幅に下落し全人口の三割が失業した。特に綿花栽培と手工業での製糸と織布を主な産業にしていたヴィジャヤ藩は財政が破綻するほどで、今やアルスターは憎むべき敵だと言うわけだ。
「見ろ! ヴェンガヴィル軍だ、助かるぞ!」
赤地に銀糸で縁取りされた獅子の紋章の王国旗を押し立て、稜線の向こうから現れた騎兵の一団を見てメイソンは自分を励ますように声を上げる。
ヴェンガヴィルにとってもアルスターは味方というわけではない、せいぜい高値で農産物を買ってくれるいいお客さんといったところだろう。
「グッ、ゴホッ! もっと早いこと来て欲しいところですね」
ゼェゼェと息を切らして丘を駆け上りながら、ヘンリーが毒づく。
「はぁはぁ、くそっ! ヴェンガヴィルから見ても、俺たちがロクでなしの集団なのは確かだろうさ」
「救われねえな、チキショウ! 軍曹! うしろっ!」
ベンジャミンの声にメイソンはとっさに頭を下げた。
風切り音がして曲刀が頭上をないでゆく。
「くそがっ!」
振り返りもせず自分たちを追い抜いたヴィジャヤ騎兵の背中めがけ、メイソンは自動拳銃の
もんどり打った敵兵と目が合う。髭面の男が不敵な笑みを浮かべるのを見て、メイソンはとどめを刺そうと狙いをつける。
「軍曹! 伏せろ! 爆弾だっ!」
ベンジャミンが言いながら腰のあたりに飛びついてきた。その声を聞いて、メイソンは初めて目の前に落ちている麻のカバンから、火の付いた導火線がついていことに気がつく。
「くそったれ!」
飛びついてきたベンジャミンに押し倒され、仰向けに倒れながら叫びごえをあげるのと、轟音と土煙が意識を埋め尽くしたのはどちらが早かったか、それは当のメイソンにもわからなかった。
§
「っつ……」
左腕の痛みで目覚めたメイソンは、薬臭いベッドの上にいた。
「どうやら気がついたようだな」
枕元で女の声がしてメイソンは首だけ動かして見上げる。赤を基調に銀糸の刺繍の入ったヴェンガヴィルの衣装を着た少女がメイソンを覗き込んでいた。
「ここは?」
「ヴェンガヴィル藩王宮、胡蝶の間だ」
「助かった……のか」
半身を起こしてあたりを見回すと、寝台がざっと二十ほど並べられた石造りの広間に負傷兵たちが寝かされていた。
「ああ、くそっ」
痛みに耐えかねてメイソンは自分の左腕に目をやった。爆弾で吹き飛ばされたのだろう、肘のあたりで腕が無くなっている。ただ、今は実際に目にしても今ひとつ実感がわかなかった。
心臓の鼓動とともに脳髄を叩くような痛みだけが、傷を負ったことを繰り返しメイソンにつげている。
「ベンジャミン! ヘンリー!」
「でかい声を出さんでください軍曹、傷に響く。ヘンリーなら俺の隣で伸びてまさ」
二つ向こうのベッドからベンジャミンの声がする。声のした方に目をやると隣のベッドは空っぽで、血染めのシーツだけがそこに居たであろう兵士の運命を告げていた。
「うちの部隊は?」
「腕をなくしておいて最初の質問がそれとは、なかなかの
大きな宝石のついた耳飾りをシャランと鳴らして、褐色の肌の少女が涼し気な目で笑う。この地獄の釜の底のような血なまぐさい広間で、そんな笑顔を見せる少女にメイソンは空恐ろしいなにかを感じて身震いした。
「アルスター軍で生き残ったのは、ここにいる九……いや、八名だけだ」
「八名……一個小隊が全滅?」
「うむ、増援が遅くなったことは父に変わって詫びよう。すまぬことをした」
――父と言ったか……ならこの娘は王女様というわけだ。
そう思いながら、首を振ってメイソンはドサリと寝台に体を投げ出す。左腕を失った以上、傷病兵として本国へ送還されるだろう。二年ぶり、なつかしのアルスターだ……と、目を閉じて故郷の街を思い出す。
「ああ、ついてねえな」
まぶたの裏に映ったのは煤けた街にあふれる労働者。そして、雀の涙のような年金で暮らす体の一部を失った傷痍軍人たちが居る風景だ。
ちいさな家が買えるほどの金があれば、高圧
§
それから一月ほど、メイソン達は王宮の広間に作られた病室で手厚い看護を受けていた。手厚すぎるほどと言っていいだろう。
「軍曹、腕の具合はどうです?」
「ああ、時々腕があるようで気持ち悪い……、俺をかばったおかげでお前は右脚か……ベンジャミン、すまん……」
「なあに、まだ俺なんていいほうでさ。ヘンリーの奴は利き腕ですからね」
窓際で静かに本を読んでいるヘンリーを指して、ベンジャミンが気の毒そうな顔をする。
「あいつ、確か」
「ええ、家は機械技師のはずです」
ヴィジャヤ騎兵の投げたカバン爆弾は、三人の体の一部をそれぞれ吹き飛ばしていた。メイソンの左腕、ベンジャミンの右脚、そしてヘンリーの右腕。
名誉の戦傷を負った傷痍軍人といえば聞こえはいいが、本国に戻っても待っているのは不自由な生活と雀の涙程度の年金だけだ。
「注目!」
入り口で衛兵の声が響いた。立てるものは立ち上がり入ってきた士官に敬礼する。足を失ったベンジャミンは、馬鹿らしいという顔で寝台に腰掛けたまま舌打ちして顔をそむけた。
新しく配属されてきたのだろう、見覚えのない若い少佐が入ってくる。そのうしろには一人の少女が続いていた。あれ以来会うことはなかったが、この間メイソンに話しかけてきた藩王の娘だ。
「ヴェンガヴィル藩王が御息女シュリー殿下から貴様らにお言葉がある、こころして聞くように」
どうぞ、と妙に格好をつけた少佐に、兵士達の冷たい視線が突き刺さった。生き残った八人のうちさらに二人が感染症で命を落とし、残ったのはたったの六人。そんな空気になったとしても誰が
「感謝を、少佐」
小さくうなずいてから少女が前に出る。そして、その小さく細い身体のどこからそんな声がでるのか不思議なほど、心に響く凜とした声で異国の姫が負傷兵たちに語りかけた。
「我が名はシュリー・メノン、ヴェンガヴィル藩王の第一公女だ。まずは勇敢な兵士諸兄に見舞いを、亡くなった兵士諸兄にはお悔やみを申し上げる」
兵士の目を一人ひとり見つめる鳶色の瞳に、いつのまにか皆が吸い込まれる。
「諸兄らが我が国のために血を流し、傷を負ったことに私は非常に胸を痛めている。また、諸君らが故国に帰ったのちの処遇を聞くにつけ、
――おいおい、誰だよ姫様に俺たちの待遇チクったのは……後で怒られるぜ……。
その言葉を聞いて皿のように目を剥いた少佐の顔をみて、病室の皆が小さく笑い声をあげた。畑でとれると揶揄される下っ端兵士の将来など、アルスター軍では誰も心配してはくれない。
それを考えれば、植民地に甘んじているはずの帝国の一藩王の姫様のほうがよほど人間らしいではないか……、そんな皮肉と自虐のこもった笑いだ。
「よって、諸兄の中で希望するものがあれば、ヴェンガヴィル藩王国が雇用したいと思う。不自由が無いよう最新の義手、義足も供与しよう。帰国希望者にはヴェンガヴィル銀虎章と、金一封を授与してよいと藩王陛下からの裁可もえておる」
おお! というどよめきが病室に響いた。国に残してきた者がいない上、貧困から兵士になった連中ちからすればこの上ない申し出だ。少なくとも、このまま国に帰るより扱いはいいだろう。
「殿下からのお言葉は以上だ、各位、明日までにどうするか考えておくように」
苦虫をかみつぶしたような顔で少佐が言うと、回れ右をして出てゆく。もう一度皆の顔を見てから軽く手を上げたシュリー王女に向け、兵たちの間から小さな歓声が沸いた。
§
結局、妻子持ちのヘンリーと傷は負ったものの軽傷だった少尉殿は勲章と金一封を手に帰国、残りの四名はヴェンガヴィルに残ることになった。
自分だって姫様の留学がなければ、まだあの南の国に居ただろう。メイソンはアルスターの煤けた空を仰いで思う。
「メイソン、何をボーッとしている」
「ああ、姫様」
「ふむ、大丈夫か? 具合が悪いならベンジャミンに代わってもらうがよいぞ」
「あ……いえ、問題ありません、マム!」
帽子をかぶり直して気合いを入れると、鋼の左手で液化石炭のバルブを握る。傷口に埋め込まれた増幅器が、流れるマナを読み取り
チチチとゼンマイが解けると手首が回り、燃料を貰った蒸気自動車のボイラーがごきげんな音を立てて圧力弁から蒸気を噴いた。
「アンシュ、遅いぞ」
「すみません、お嬢様」
アンシュ・ジェイン、彼女の幼なじみで藩王の家老の息子、二人がともに機械工学院に留学している理由をメイソンは知っている。
マルガ帝国を滅ぼした機械の力を学び、いつかこの国に逆襲するためだ。地獄の釜の底で涼しげに笑っていた少女は、いま静かに静かに爪と牙をといでいるのだろう。
「よろしいですか?」
「うむ、出すがよいメイソン」
「了解です」
自分の故国であるアルスターは、確かにあの国を植民地にしている。だが少なくとも俺たちは……帰国してから仲間になったヘンリーも含め、平民出身の五人はこの姫様に忠誠を誓うだろう、人というのはそういうものだ。
ホロを上げた蒸気自動車が寒空の下を走り出す。後席の足元に備え付けられたヒーターに蒸気を回してメイソンは速度をあげた。
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