ヒゲの紳士と褐色の二人
さて、ここで話は二ヶ月ほど前にさかのぼる。
「ちょちょ、おーい! まったあ!」
出発を知らせる汽笛が短く二度響くのを聞いて、亮介は手を振りながら声を上げる。早く乗れと親指で後ろを指す運転士に笑顔を返し、動き始めた
「ふっへ、あぶねえ! 初日から遅刻は
蒸気仕掛けの
「しっかし、毎日これに乗るのか、もうちょっと近所に住みたいねぇ」
新市街と呼ばれる城壁の外は、建物こそ新しいものの基本的には労働者の町だ。産業革命は持てる者と持たざる者の差を大きくしつつ、ルドウィックの人口はここ百年で五倍にまで膨れ上がっている。
「はいはい、ちょっと失礼、ごめんなさいよ」
客車の中央、上に飛び出したようにつけられている運転席には目もくれず、亮介は人込みをかき分けて
「お、動いてる動いてる」
「動力は背中に背負ったあれか……」
鉄道職員の制服を着た自動人形は、軍用ザックほどの箱を背負っていた。石炭を精製した乾留ガスを燃焼させるそれは、高圧の蒸気を各部に送り込み油圧シリンダーを駆動する。
「あれは……蒸気を分けてもらってんのかな?」
機関車のボイラーから伸びたフレキシブルパイプが、背中の箱に刺さっているのを見て、亮介は首を傾げた。
『
「ええ、あのパイプはなんですかね」
アルスター語で話しかけられたその言葉に、
「あれは機関車のボイラーの蒸気で、ランドセルの水を予備加熱しているんだよ、水が熱くなっていれば燃料が節約できる」
『ああ、なるほど』
山高帽にスリーピース、片メガネの紳士が流ちょうな
「機械工学院の学生かね?」
「亮介、高科亮介です」
「トーマス・トレビリック。機械技師だ、よろしく少年」
差し出された大きな手を握り返す。仕立ての良いスーツのわりに、その手は職人のようにごつごつとしていた。
「機械技師?
「どちらかというと専門だ」
「すごいですね」
言いながら、亮介はボイラーに石炭をくべる
「ひとつ疑問があるんですがミスター・トーマス」
「なにかね?」
「あんな単純作業、なんで
亮介は言いながらトーマスに視線を戻した。
「ふむ、質問の主旨を聞き直していいかね?」
立派な口ひげをつまんで、トーマスが片方の眉をあげて亮介を見る。
「ああ、すみません、えーと、石炭をくべるだけなら人の形をしている必要はないのでは? 自動で動くシャベルとか、機械式のベルトとかでも……」
「なるほど、いい着眼点だ」
亮介の答えに相好を崩したトーマスは、せっせとボイラーの釜に石炭を放り込む
「
「ええ、話だけは」
うなずいた亮介に、トーマスは両手の人差し指と親指で何か薄い物を引っ張るようなジェスチャーをしながら言葉を続ける。
「そのプログラムは、極薄のスチールベルトに刻まれ、判断分岐ごとに別のスチールベルトに切り替わって動作する」
「自動オルガンみたいですね?」
「まあ、似たようなものだ、少々精密だがね。で、その精密さが問題となる」
ニコリと笑って、トーマスが右の眉をひょいと上げた。さあ、その先は自分で考えろと言わんばかりの笑みに、亮介は腕組みをする。
「精密過ぎる機械に単純作業をさせる理由ですか……」
「ふむ」
「精密、精密……精密過ぎれば耐久性が下がる……」
「それで? そんな精密で高価な機械にアレをやらせている理由はなんだと思う?」
――可動部が多いのは関節だけではなく、機械式計算機である
「耐久テスト? 関節とベルト、それに解析機関そのものの?」
亮介の答えにパチンと指を鳴らし、トーマスがうなずいた。
「なかなか良い線だ」
「実家が織機を作ってるんですよ、あれも延々と動きっぱなしで、壊れない軸受け作るのに酷く苦労したと祖父が言っていたので同じかな? と」
八洲は昔から絹織物が盛んな国である。高科の家は、開国後にいち早くそれの機械化に取り組んだ機械技師だった。なんの因果か、曾祖父は有名なからくり人形氏でもある。
「タカシナか、なるほど、実に面白い。さて、降りなくていいのかね?」
「あっ、いっけね」
どうやら降りる駅は同じだったらしく、人混みをかき分ける亮介の後ろにつくようにして、トーマスも
「ありがとうございました! じゃあ」
「急ぎたまえ、初日から遅刻は格好がわるいからね。ちなみに、たばこ屋の裏路地を抜けると早いぞ」
詳しいなと思いながら軽く頭を下げ、亮介は一目散に駆け出した。学校の時計塔を目印にして、言われたとおり路地裏を走り抜ける。
「よっしゃ、五分前って、おいい!?」
セーフと思ったのもつかの間、レンガ造りの門をくぐろうとした亮介は、ハルバートを握りしめた
「えーと? 話が通じる相手ではないな、これどうやって通るんだっけ? ってあぶねえ!!」
その時、門の前で悩む亮介に蒸気自動車が突っ込んできた。転がるようにしてかろうじて避ける。まるで亮介など居ないかのように、降りてきた運転手が黒塗りに金象嵌という金持ち趣味丸出しの車のドアを開けると、中から褐色の肌の男女二人組が降りて来た。
「シェリーお嬢様、お急ぎに。初日から遅刻では色々と」
「ほんと、優雅さに欠ける国ね、せかせかしすぎて目が回りそう。あら丁度良いわ、そこの貴方、重いからこれを持って頂戴」
ものすごく自然体で差し出されたカバンを思わず受け取ってから、いやそうじゃないだろ……と、心の中でセルフ突っ込みを入れながら亮介は口を開く。
「うん、荷物を持ってあげるのはいいや、まあ百歩譲ってよしとする。でまあ、代わりにここの通り方教えてくれるとありがたいんだけど、お嬢様」
「ですって、アンシュ、教えて差し上げて」
褐色の肌に長い黒髪を一本お下げに編んだ少女が、けだるげに言ってあくびをする。
「ああ、もう、すみません。どなたか知りませんがご迷惑をかけます。で、シェリーお嬢様? 学生証はドコに仕舞われましたか?」
「さて、どこだったかしら? ええと、そうそう
「亮介、高科亮介」
ふむ、と少し考えるような顔をしてから、シェリーが思い出したように手を叩いた。
「リョウの持ってる鞄の、ほら……そこ、持ち手に下げてあるわ、学生証」
なるほど、確かに金属カードの角に付けられたネックストラップで、カバンに結わえられている。
「ではそれをこちらに、その守衛の胸のスリットに挿せば通してもらえますから」
亮介がストラップをほどいてシェリーに手渡す、アンシュの言うとおりに守衛の胸に開いたスリットにカードを通すと、守衛が一歩後ろに下がった。
「意外と面白いわね、こういうのも」
そう言いながら、少女が門をくぐって……。
「さっさとしなさい、二人とも。初日から遅刻は良くないわ」
その言葉に、亮介とアンシュがやれやれと目くばせした途端、閉門のチャイムが鳴り響いた。
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