歯車都市の電子妖精 ~ダンス・インザ・ギアリングシティ~

尾野灯

機械工学院にて

プロローグ 白狐と自動人形

「おっさん! 窓!」


 異変を感じた亮介が叫ぶより早く、両開きの窓が爆発するように吹き飛び、黒い影が二体、室内に躍り込んできた。


「おっさん言うんじゃねえ! メイソンだ!」


 先にとびかかってきた小柄な影を、メイソンが鋼鉄の義手で殴り飛ばした。


「どうやってきたんだよ、ここ三階だよな!?」

「化け物相手に人間の常識なんぞ通じるものかよ」


 六フィート半はある筋肉ダルマのメイソンに殴り飛ばされた吸血鬼が、亮介の横をすっ飛んでゆき、背後の石壁に当たってゴキリと嫌な音を立てる。

 すかさず飛びかかってきた大男と両手を合わせ、メイソンが手四つで組み合う。吸血鬼相手に五分の力比べをする彼に亮介は舌を巻いた。

 吸血鬼の眷属けんぞくとなってリミッターの外れた肉体は、常識はずれの力を発揮する。それが眷属の眷属の、そのまた眷属の眷属でも……だ。


「後ろの奴、まだ生きてるぞ、気をつけろ!」


 メイソンの声に後ろを振り返った亮介は、見覚えのある顔をみて眉をひそめた。


 ――昼間に見かけた酒屋の爺さんじゃねえか……。


 なるほど、吸血鬼は招かれたことのない建物には入れない。ならば入れる奴を襲撃者に選んで、眷属にすればいいという事か。人の出入りが多い宿に泊まった自分たちが迂闊うかつだったということだ。


「首折れてんぞ、これで生きてるとか丈夫すぎんだろ!」

「そっちはリョーが何とかしろ、こっちは手一杯だ」


 首の骨をヘシ折られ、顔が明後日の方向をむいたまま老人が立ち上がる。亮介は手にした短刀を左手にスイッチして、腰のホルスターからパーカッション・リボルバーを引き抜いた。

 バードクリップの短銃身、女性向けの護身用のそれを、抜き撃ちに構えて撃鉄を起こした刹那、人間離れした速度で老人がとびかかってくる。

 すかさず発砲、心臓を狙って放たれた銀の弾丸が、わずかにそれて吸血鬼の右胸に当たる。銀に焼かれた傷口から黒い煙が吹き上がった。


「くそっ」


 三歩半の間合いを一瞬で縮められ、亮介は毒づいた。首筋を狙って振り下ろされた鉤爪を、左手の短刀で受けとめる。

 老人が躊躇することなく短刀の刃を握りこむ、鋭利な刃に肉を斬るがお構いなしだ。予想はしていたが、愛刀を引けば指ぐらいは切り飛ばせると踏んだ亮介の誤算は、その力の強さだった。


「まじかよ、ビクともしねえ」


 腰だめに構えたリボルバーがもう一発、乾いた銃声を響かせた。銀の銃弾が再び吸血鬼の内臓をえぐる。


「シャアアアアア」、


 悲鳴とも雄たけびともつかない声をあげ、空いた方の手で銃身がグイとつかまれる。両手の武器を握りこまれて身動きが取れなくなった亮介の首筋に、牙を突き立てようと折れた首がぐるんと回った。


「流石にそれはキメェだろ!」


 叫びながら、ままよと後ろに転がる。巴投げの要領で老人を蹴り上げ、潔く武器を手放した。リボルバーと短刀を両手に握りしめたまま、小柄な吸血鬼が飛んで行く。


「おっと! リョウ、ナイスだ」


 飛んで行った先でメイソンと組み合っていた相手にぶち当たる。大柄な吸血鬼の服にも見覚えがあった、深緑のフロックコートは市場で会った宿のコックだ。

 足下に老人がぶつかった拍子にバランスを崩して片膝を折った機を逃さず、メイソンが丸太のような腕の筋肉を盛り上がらせ力任せに抑え込む。


「おかげでこっちはピンチだよ!」


 ぶつかった反動でバランスを取り戻した老人が、亮介から奪った武器を投げ捨てニヤリと笑った。ブラリブラリと折れた首が動く。


「だから怖いって、その首」


 軽口をたたきながらも、亮介はジリジリと後ろに下がる。吸血鬼と言え生き物だ、銀の弾丸、聖別された武器、マナの塊みたいな真祖でもない限り、傷つけることも殺すこともできる。

 だが、使い捨てのコマに過ぎない末端の連中でも、その怪力と打たれ強さは到底亮介の細腕でやりあえる相手ではない。


「主さま? ぬーしーさーまー?」


 その時、脂汗をかきながらじりじりと後ずさりする亮介の耳元で、いたずらっぽい女の声が響いた。


「忙しいから後でな」


 後ろに下がりながら亮介はあたりを見回した。武器は部屋の隅に投げられている、頼れるのは自分の力だけだ。


 ――腕一本くれてやる気で行けば、目ぐらいはつぶせるか?


 このレベルの吸血鬼なら、噛まれても吸血鬼化するほどのマナは持っていないだろう。知能すら下がっていて、生きている死体に毛が生えた程度だ。

 だが、そんな知能ですら勝利を確信したのだろう。この上なく邪悪な笑みを浮かべた吸血鬼が、飛びかかろうと身構える。


「ねえ、食べられちゃうよ? きっと痛いよ?」


 ――命あってのものだねか……。


「わかった、降参、バンザイだ。助けてくれ」

「お供えは? ご褒美は? 七日七晩?」

「俺を殺す気か、せいぜい二日二晩だ」

「むぅ」


 不満そうに小さくうめく声に、亮介は言葉を付け足した。


「頼むよ、いい子だから」

「うきゅう……、仕方ないなあ。二日二晩だからね約束だから。呼んで、ほら呼んで」


 ――これで齢三百を超えるというのだから、まったく。


「来い、茜っ!」


 ぐいと襟巻を引きむしり、老人めがけて投げつける。


「はいな!」


狐の襟巻が声を上げ、くるりと空中で一回転。大型犬ほどある白狐が現れた。


「おさん狐が一番弟子、茜、参る!」


 茜が名乗りを上げるのと、老人がとびかかってくるのがほぼ同時、白い稲妻と化した白狐と吸血鬼がすれ違い、そのままの勢いで亮介にぶつかってくる。


「おいおいおい」


 歩みを止めずにまっすぐに向かってくる老人に、亮介は思わず足を出す。先ほどまでグラグラと気味悪く揺れていたその首は、茜の口に咥えられてこちらをにらんでいた。


「おいしくない!」


 頭を振ると、ポイと茜が老人の生首を放り出す。それを合図にしたように、駆け寄ってくる首なしの胴体を蹴飛ばした亮介の足が、そのままズボリと死体に突き刺さった。


「うわっぷ!」


 灰化した吸血鬼の死体が、半ば砕けながら勢いのまま抱き着いてくる。右手で振り払ったたとたんに粉々に舞い上がり、頭からつま先までグレーの煙につつまれた。


「わあ! 主さま、ばっちい」

「げほっ、うるせえ、メイソンは?」

「しらない、大丈夫じゃない?」


 灰を浴びて痛む目をしばたかせ、メイソンが組み合っていた方向に目をやる。のんきな茜の声を証明するように、メイソンの義手に仕込まれた十二番ゲージが咆哮をあげ、銀の一粒玉スラッグが吸血鬼の心臓を穿って大穴をあけた。


     §


「シルヴィ、ミルドレッド、無事か?」

「旦那様ですか? いま開けます」


 平坦なシルヴィの声に、メイソンはため息をついて首を振った。最優先でミルドレッドを守れと命令したのは自分だ。

 小型化された解析機関と極薄のスチールベルトで出来たプログラムテープ、普通の自動人形オートマタならば……だが。


「こちらは以上ありません、勝率を計算した結果、援護は必要ないと判断しました」


 一体何でできているのか、見た目はほぼ人と変わらないシルヴィが、そう言って髪を揺らすと小首をかしげる。

 流れるような長い銀髪にグレーの瞳の自動人形オートマタが、表情を変えずにこちらの目を真っ直ぐに覗き込む。レースとフリルの効いたブラウス、ボディスにスカート、どれも見事に真っ白で、おとぎ話の妖精のようだ。


「そうか、無事ならいい」


 ――自分で判断する自動人形オートマタか……。


 叔父の残したこの遺産は、全くもって得体がしれない。まあ亮介の人語を話す狐も大概だが、何度か命を救われている以上、文句が言える筋合いでもない。


「ミルドレッドは大丈夫か?」


 ベッドの上で、毛布をかぶって小さくなっている依頼人に、首を傾げて肩をすくめて見せると、メイソンはポケットから安タバコを取り出した。


「うん、大丈夫……だと思う」

「とりあえず、今日の日課は終わりだろう」


 時計を見てメイソンは小さく笑った。


「そう……」


 部屋の隅で毛布を被って膝を抱えたミルドレッドが安堵のため息を漏らす。


「シルヴィは引き続き彼女の護衛を頼む」

「了解しました、マスター。ところでマナの残量が少ないのですが」

「嘘をつけ、一昨日おとといやったばかりだろ」

自動人形オートマタは嘘はつけません、休眠時間なしでは、お腹もすきます」


 ――ああ、もう好きにしてくれ。


「控えめで頼む、俺の血も無限じゃない」

「大丈夫です、次はミルドレッド様からいただきますので」

「だとさ、お嬢様」

「ひっ」


 シルヴィアの冷たく細い指が、一つ一つ俺のシャツのボタンを外していく。腕に噛みついても良さそうなものだが、この自動人形オートマタはいつだって肩口か首筋に噛みつこうとするのだ。


「いただきます」


 亮介が食事のたびに唱えるせいで覚えてしまった謎の一言を唱え、シルヴィアが遠慮がちにメイソン肩にかぶりつく。


「つっ」


 痛みをこらえようと、右腕でシルヴィアを抱きしめた。


「もう、レデイになんてもの見せるのよ」


 赤面するミルドレッドが、そう言うと毛布をかぶってベッドに転がる。なるほど、なかなかに蠱惑的エロティックな風景には違いない。


「全くだ、早いとこ会社に合成生命源シンセ・マナの手配を頼む、ミルドレッド」


 肩にささる小さな牙が抜かれるのを感じながら、メイソンは冷たい自動人形オートマタを抱きしめた腕を放した。


「旦那様のほうが、美味しいです……よ?」


 無表情に、だが寂しそうにそういうシルヴィアの額を、人差し指で小さく小突いて、メイソンは笑いながらシャツを着直す。


「人をスコーンみたいにいうんじゃない、シルヴィ」


 今度は甲斐甲斐しくボタンを留める彼女をみながら、まったくもってひどい話だ。そう思

いながらメイソンはタバコに火をつけた。


「宿の主人が怒鳴り込んできてるぜ」

「リョウ! 怪我はない?」


 亮介の声を聞いて、バサリ、と毛布からミルドレッドが顔出す。


「ああ、大丈夫」

「むー、主様の浮気者、女たらし、駄目人間」


 亮介の横をするりと抜けて部屋に入ってきた白狐が、ブーたれながらスンスンと鼻を鳴らす。


「どうした? 茜、って痛ってぇ!」


 しきりに匂いを嗅ぐ茜の様子を見て、怪訝な顔をする亮介の手に、がぶりと噛みついて茜がプイと横を向く。


「ふん! なんでもない、主様、遊びに行きたい、なんか食べたい」

「こんな時間に店なんて開いてねえよ」


 いつも通りのやりとりに、メイソンはやれやれと肩をすくめた。


「……とりあえず、宿の親父を何とかしないとな」

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