セルロイドの腕とグリースのヒゲ
「アンシェ、『チリヤー』ってのは?」
「ああ、あの自動人形オートマタの名前さ、ヴェンガヴィルの言葉で『鳥』という意味だよ」
亮介の質問に、アンシェが先を行く自動人形を指して言う。思いのほかなめらかな動きでチリヤーは石造りの廊下を歩いて行く。ゴム底の編み上げブーツのおかげだろう、足音も静かなものだ。
一歩ごとに歯車の回るかすかな金属音が廊下に響き、時折、吐息のように気体が排出される音がする。蒸気路面車スチームトラムの機関士人形とはなにかが根本で違うようだ。
「で、シェリーは彼女になんて?」
「ベースに戻れと。チリヤーの待機場所はほら、そこの使用人の食堂」
アンシェの声が聞こえていたかのように、チリヤーが扉の前で立ち止った。王宮付けの儀仗兵のように、かかとをあわせて立ち止まり、左足を一歩引いてクルリと九十度その場で回る。
「ああいうところは、機械っぽいな」
「そうだね、オマケにあの型はあまり難しいことはできないから、値段に見合うかと言われたらどうだろう」
自動人形が食堂の大きな扉を開くと、食堂のなかから談笑する声が聞こえてきた。そのうち一人の声には聞き覚えがある、多分メイソンだ。
「あ、まってリョウ。一度ドアを閉めさせないとダメなんだ、その辺は融通が効かないから」
チリヤーの後に続いて扉をくぐろうと、走りだした亮介をアンシェが呼び止める。
「なるほど、鉄帯の制約プログラム通りってやつか。ところで歩く距離とかドアノブの位置はどうやって認識してるんだ?」
「ああ、それなら」
そう言ってかがむと、アンシェは廊下にしゃがんで床面を指さした。
「んん? ああ、なるほどね」
立っていると見えないが、床に顔を近づけて斜めからすかしてみればかすかに見える。透明なニスのような物で幅二インチほどの線が廊下にひいてあるのだ。
チリヤーが立ち止まってターンしたあたりには丸印が書いてあり、よく見ると丸の中にアルスターの文字で「7」と書かれているのがわかる。
「ドアノブもほら、上に印が描いてあるだろう?」
「たしかに、つまり彼女はこれを見て自分の場所を把握してるのか」
「多分ね、詳しいところは僕にもわからないけれど」
小さくうなずいてアンシェが立ち上り、廊下をなめるように見つめる亮介に手を差し伸べる。
「外でお使いしてる自動人形はどうなってんだろうな」
「それは学校で教授にでも聞いてみたらどうかな? ほら行こう」
女の子にでもするように、紳士然と差し出されたアンシェの手を取って亮介は立ち上がる。
なるほどそつがない、これはモテる、さすがマダムキラーだ。そういえば忘れていたが始業式の件は後でシェリーに言いつけておいてやろう……。
「はいるよ」
ノックした後、声をかけてアンシェは食堂の扉を開いた。ザッ! と靴音を立てて中にいた三人の男達が立ち上がる。まるで軍人みたいだなと思いながら、亮介は中の男達に軽く会釈した。
「どうされましたか? サー」
この中ではリーダー格なのだろう、メイソンが直立不動で手を背中の後ろに組んだまま、アンシェを見て口を開いた。
「やあ、メイソン。お客さんが自動人形オートマタの見学に来ただけだから、皆も楽にしてくれて構わない」
身振りで座れと皆に示しながら、アンシェがさらに奥にむかって歩いていくチリヤーを指さした。
「彼がアレを見にきたお客様だ。お嬢様の学友のリョウスケ、リョウスケ・タカナシ」
「よろしくお願いします」
集まる視線に、亮介は照れ隠しにニコリと笑う。
「運転手のメイソンはもう知ってるよね? 彼は庭師のヘンリー、こっちは守衛のベンジャミン。話は後にしよう、君が見たいものを見逃すと行けないからね」
ほらほら、と先に立ったアンシェにせかされ、亮介はもういちど皆に会釈してチリヤーの後を追った。
「なんだい、この凄いのは」
「持ってきた機械技師はたしか『揺りかごクレイドル』と、呼んでいたけれど」
揺りかごと言うものの、風体は大きな長座椅子といったところだ。興味深く観察する亮介の前で、チリヤーが器用に靴とメイド服を脱ぎ始めた。
あちらこちらに銀象嵌の入ったセルロイド製のボディは機械を感じさせつつ、どこかエロティックなラインを見せる。
茜が付いてきていたら、飛びついて亮介の目を覆たに違いない。そんな艶っぽい風景だが、亮介はそんなことよりチリヤーの機械的な美しさに心を奪われていた。
「制作した技師が言うには、人と共生する機械は美しくなければならないと。変わった人でね」
「へえ、会ってみたいな」
肩口、肘の上、手首、腿と膝と足首。それぞれに空いた親指ほどの穴に、揺りかごから伸びたアームがカチリとはまり、カチカチカチカチと聞き慣れた音がし始める。
「ゼンマイ? ゼンマイ仕掛け? 蒸気ではなくて?」
「僕も同じ事を質問したよ。屋敷の中だけで使うのなら、その方が美しいから……だそうだ」
「へぇ……」
揺りかごクレイドルの周りをぐるぐる回りながら観察していた亮介は、チリヤーの背にパイプが一本接続されているのを見てそっと手を伸ばす。
「あ、それは」
「熱っつ!」
火傷するほどではなかったが、思ったより熱せられていたパイプに触れて亮介は慌てて手を引っ込める。
「熱いから触るなと書いてあるのに……リョウはほんとそそっかしいね」
「え?」
言われてから揺りかごに「注意、圧縮機は熱いので触らないこと」と書かれていることに気がついて苦笑いする。
「蒸気の代わりに圧縮空気で解析機関からの命令を送ってるそうだ、ラッチと摩擦独楽の調整も空気圧」
「……すげえけど頭オカシイだろ、これ作った奴」
「僕もそう思う」
各部のゼンマイを巻かれ圧縮空気を補充されたチリヤーは、十五分ほどで起き上がり、メイド服を着込んでキッチンの広間に戻って行く。
「終わりましたか、サー?」
「ああ、終わったよ」
チリヤーの後を追って食堂に戻った二人を見て、メイソンが声をかけてきた。
「ヘンリー、チリヤーのベッドが空いたそうだぞ、ちょっと借りて右腕のネジ巻かせてもらえ」
「こいつ、親指と人差し指が上手く動かないんだよな、最近」
「俺のと違って、部品が細いからな民生品は」
ぼやくヘンリーにそう言って、メイソンは大きな身体に見合った鋼の塊のような左手を、ガシャリガシャリと握ったり開いたりしてみせる。
「ドラグーン・マークⅣ、そんな重たい軍用義手を戦後も普段使いしてるのは君ぐらいだよ、メイソン」
「とはいえ、丈夫なのは美点ですよ、動かなきゃ意味がない」
茶化すアンシェの言葉に、メイソンが野太い声で笑う。庭師のヘンリーはと言えば、難しい顔でチリヤーの手にも似たセルロイド製の指がついた機械義手を見つめていた。直そうとしたのだろう、外された腕の周りにはいくつか工具が転がっている。
「お嬢様にお話して、新しいのを用意してもらいましょう」
「いや、でも……これは」
口ごもるヘンリーの肩に、隣に座った守衛のベンジャミンが同情したようにそっと手を置く。
「あ、あの、よかったらそれ、ちょっと見せてもらっていいですか?」
よくわからないが、きっと大事な物なんだろう……。そう思った亮介はヘンリーの前に座って笑って見せた、ゼンマイ仕掛けの義手なら祖父と一緒になんどか触ったことがある。仕組みはそんなに変わらないだろう。
§
「と、いうことで、リョウがヘンリーの右手を修理していたら、遅くなりました」
「そう、それで直ったの?」
遅くなった理由を尋ねられたアンシェが、冷や汗をかきながらジト目のシェリーに報告する。
なにがどうなって、そうなったのか……長椅子に腰掛けたシェリーの膝に頭を乗せた茜が、狐耳の後ろを掻かれながら気持ちよさそうに細めていた。
膝枕で髪をなでられて、ふさふさの尻尾をふぁさりふぁさりと動かしてなかなかに機嫌の様子だ。
「ええ、驚きました、あまりに鮮やかな手並みで。 妻と娘から買ってもらった義手とかでヘンリーも喜んでおりました」
眼前に広がる、なんだかイケナイ風景は見なかったことにしたのだろう。アンシェが淡々と報告に徹する。
「使用人がお世話になったようで、お礼をいいますわ」
「よ…よせやい……っていうか、うちのがなんかご失礼しまくっているようで」
「あら、いいのよ。ふわふわでとっても可愛らしい」
いや、そういう事でいいの? ねえ、アンシェ? 素知らぬ顔でアンシェに視線を受け流されて、亮介は鼻の下を人差し指でこすった。整備に使ったグリスと、部品を磨いたときについた金属粉の匂いが鼻をくすぐる。
「あら……」
「?」
その顔を見て、シェリーがくすりと笑った。
「主さま……おひげが、おひげが……くふ」
「ね、ヒゲがはえましてよ……ふふ」
膝枕されたまま茜が亮介を指さして笑う、つられてシェリーが声を上げて笑い出した。助けを求める亮介の視線に、アンシェがポケットからハンカチを出して涼介にさしだしながら、自分の鼻の下を指差して見せる。
「え? なになに? って、いっけね」
皆の様子に、壁に掛けられた大鏡を見た亮介は、鼻の下に油汚れが一文字の口ひげを描いているのを見て、べチリと頭をたたいて苦笑いする。
「茜、リョウはいつもあんなですの?」
「機械触ってるときはだいたいあんな」
「そう……ちょどいいわ、リョウ、茜から仕事を探してると聞きましてよ」
鏡の前でゴシゴシと鼻の下を拭いた亮介は、それを聞いて渋い顔で振り返った。
「あーかーねー?」
「ひゃん」
亮介の声にクルリと回ると背を向け、シェリーに抱きつくと茜が顔を隠す。
「日曜日にチリヤーを作った人形技師のところに、メイソンが新しい自動人形オートマタを引き取りにいくのを手伝ってあげてくれないかしら?」
「え? マジで? いや、うんそれは行く、行きます行きます」
あれを作った技師に話が聞けるなら、行かない手はない。変わった技師には違いないが、あの自動人形には、そうさせるだけの魅力がある。
「ちゃんと報酬はだしますわ、それに夕食も」
「ごはん!」
間髪いれずに響いた茜の声に一瞬固まってから、みなが声を上げて笑い出した。
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