吸血鬼の久藤せんぱい。

緑茶

・・・

 吸血鬼の久藤せんぱいにさそわれて、いつもあたしが連れられるのは、怪しい洋館とか、人気の少ない路地裏とか、そういう場所じゃない。


 ましてや血なんてせんぱいは吸わない。どうやらせんぱいは『しそ』とかいう、吸血鬼の中でもすごく寿命の長い種類の人らしくって、わざわざ首筋に噛み付くなんて手間のかかることをしなくてもいいらしい。ほうれん草とか、レバーとかで、鉄分を取るだけでも生きていけるのだそうだ。あと、日光はあまり好きじゃないけど、雨だって、濡れるし、好きなわけじゃない、とのこと。


 というわけでせんぱいは、ごくふつうに学校を終えて、ごくふつうに、後輩であるあたしと連れ立って出かける――みんなが、帰りにスイーツを食べるのと同じ気軽さで。


 あたしが連れて行かれるのは、いつもライブハウス。街の外れにある、ボロボロで小さなハコだ。


 せんぱいがその中で好きなのは……出演している人たちのなかでも、とりわけ、その……まずい演奏をするバンドさんだった。あたしだって音楽に詳しいわけじゃないけど、どう考えてもチューニングが狂ってるとか、歌詞カードが床に敷き詰められてるとか、そもそもMCの最中にドラマーが寝始めるとか、そういうのがおかしいことは分かる。というわけで、あたしと先輩が直立の姿勢を崩さないのをよそに、観客は暴徒になって、そのバンドは演奏中止に追いやられる。

 これも……何度めか分からない光景だった。


 やっとのこと演奏らしきものが終わり、からがら舞台から引き上げてきたバンドの人たちに、せんぱいは近づいた。そして、あのよく通る、澄んだ、歌うような、ぞっとするような声で……メンバーのリーダーらしい人に、言うのだった。


「見事ね。私の見たいものを、これ以上なく見せてくれる」


 ……人の良さそうな茶髪の人は頭をかいて、バツの悪そうに、言葉を返す。


「あんたはいつもそう言ってくれるけど……正直、俺達のどこを見てそう思うのか、分からないんだ。演奏はひどいし……今日だって逃げてきたようなもんで……」


「それがいいの。予定調和で『計算』された音楽なんて、私は求めていないもの。私が音楽として見ているのは、あなた達がドジだと思った部分、まさにそこなのよ」


 そうしてせんぱいは懐から、荘重な革ザイフを取り出して、お札を何枚か抜き取り、リーダーにわたす。その額は、大層なものだった。あれで購買のカレーパンがいくつ変えるかな、と思うと、おなかがなってしまって、恥ずかしかった。


「いや、受け取れないよ、そういうのは。それに君たちはまだ高校生だろ?」


「いいの。これは私からのお礼。受け取っておくのも、礼儀だと思うけれど」


 ……わーお。せんぱい、向こうはあなたのこと、年下にしか見えてないっすよ。


「しかしなぁ……」


 すると、せんぱいは……その人の顔に近づいて、その目を……じいっと……見つめた。

 透き通るような肌と、ルビーのように赤い瞳。

 そこに魅入られてしまえば、もうおしまいだ。せんぱいの『呪縛』がかけられる。


「あなたたちは、素晴らしい音楽を奏でた。だから、そのお金を受け取る。いいわね」


「……わかっ、た」


 魅入られたように呆けた顔をして、うなずいた。それから、お金を受け取った。

 それに満足して、先輩は身を翻す。ぼうっとしているあたしに声をかける。


「……帰るわよ、灯里」


「えっ、は、はいっ」


 ……後ろでは、リーダーとメンバーが言い争っているようだった。

 だけど多分、そのお金は受け取ったままにするだろう。

 そして、そのお金で機材を変えたりとか、そういうことはしないだろう。

 せんぱいは、そういうのを期待して――渡したわけじゃないだろうから。



「だから言ってるでしょう。古楽以降の音楽はほとんどクソよ。聴くに値しない」


 帰り道、夕暮れのなか。せんぱいにとっては過ごしやすい時間。その足取りは軽くて、水の上を歩いてるみたいだった。

 あたしはやや後ろを歩きながら、その独自の見解を聞いていた。


「でもせんぱい、あれ、多分一応、ロックバンドだと思うんですけど。今の時代の音楽は、全部だめなんですか?」


「全部駄目ね――ヒップホップを除いて」


 ……ヒップホップは、いいんだ。

 それもよくわからない。


 夕方の、藍色の混ざり始めた河川敷を、二人で歩く。先輩は足が少しはやい。だからあたしは、がんばってついていく。


「涼しくて、いい夜になりそうね」


「あっ、めっちゃ吸血鬼っぽい台詞ですね、今の。格闘ゲームみたい」


「何よそれ。褒めてるの?」


「めっちゃほめてます、ほめてます。吸血鬼、だいたい強キャラですから」


「ふーん」


 そう言って、あたしから視線を外して、前を向く。

 ……その瞬間に、その黒い長髪が風に揺れて、一瞬だけ切れ長の赤い瞳が空中に線をえがく。その軌道が、残響みたいに、あたしの視界にこびりつく。


「あ…………っ」


 ――そういうせんぱいの姿を見る度に、あたしの心はざわざわして、熱くなって、地面の下が全部なくなったみたいに感じてしまう。


 ……要するにあたしは、せんぱいのことが、これ以上なく……すきなのだった。



 あたしとせんぱいの出会いといっても、そんなにドラマチックなものじゃない。

 ある日のよる、買い出しで忘れていたものがあったからコンビニに行った帰り、あたしは野良猫に絡まれた。もうすぐ、全身に名誉の負傷を追うところだった。


 ――そこを通りがかったのがせんぱいで、日課になっている夜の散歩のまっただなかだった。


 猫と同じぐらいの奇声を発して格闘しているあたしのそばに近づくと、猫のそばに指を差し出して……何かをつぶやいた。

 すると猫は、小さく呻きながらうずくまり、上目遣いでせんぱいを見上げながら、完全にかしずいてしまったのだった。

 そしてせんぱいは、あたしを見下ろして、言ったのだった。


「……あなた。弱いわね」


 とりあえず。

 ――月を背景にしたせんぱいは、全身の輪郭が白く輝いているように見えて、本当に、本当にきれいだったということは、昨日のことみたいに、おぼえている。



 それからせんぱいは、どういうわけか、本当に、どういう手段を使ったのかは知らないけど、我が校の生徒だった。いや本当に、いつの間にか。多分あの指先から出るエロ光線みたいなのを使ったんだとおもう。それで、これもいつの間にやら……せんぱいとあたしは、一緒に帰ったりするようになった。まぁ、あたしは完全に先輩のことに惚れちゃってたから、まんざらでもないどころか、毎晩風呂上がりにベッドの上で悶絶しながらごろごろにやにやするレベルだったんだけど。


 で、ある日せんぱいに、聞いてみた。前から思っていることだった。


「せんぱいは、どうしてあたしなんかと一緒に?」


 ……するとせんぱいは、呆れたような顔をした。

 なんでそんなこともわからないの? というような表情だ。

 ああ、その顔もうつくしい……。


「……貴女は、私の予定調和を乱してくれるからよ」


「よていちょうわ……?」


「何千年も生きてきて、私の人生は全て、私の予想通りに動くようになっていた。どんなことがあったって、それは過去に起きたことの派生でしかない。ずっとその繰り返し。本当につまらない、灰色の人生……あら、人生なんて言葉、使うべきじゃないかもね」


 分かるような、分からないような。でもなんとなく、言おうとしていることは感覚で理解できた。

 そして、いま、せんぱいの生活が、灰色でないことをねがった。


「だけど、そこに至ってあなたは、何もかもが予想外なのよ。想像を絶するぐらいにドジだし、脈絡がないし。笑いのツボも意味不明だし。あなたほど欠陥が多い人間、これまで出会ったことがない」


「うぐっ……せ、せんぱい……致命傷です……」


「だけど……それがいいの。このまま、倦怠の海に沈んでいくばかりの私の中に、貴女が現れた。貴女は、私のこれからの何かを、変えてくれると思った。だから私は……貴女を選んだのよ」


 せんぱいは、そっけなくそう言って、また翻った。

 それからまた、どんどん遠ざかっていった。

 ――選んだ。

 選ばれた。あたしは、選ばれた。

 それは、うれしいことなのか。


 何も分からなかった。

 だって……本当のところで、せんぱいは、遠くへ行ってしまうから。



「あ、せんぱい。お花屋さんですよ。きれい……見ていきましょうよ」

「いやよ。花なんて、あったって枯れるだけじゃない。最悪。私は嫌い」

「ええー、そんな……」


 あたしは。ずっとどこかで、考えていた。


 あたしは……せんぱいのそばにいられるほど、上等な存在じゃない。

 あたしは、せんぱいに……絶対に、つりあわない。


 だって、せんぱいは、絶対に、それ以上のことを言ってくれないから。

 あたしは、せんぱいの名前いがい、ほとんどなんにも知らないから。



 だから今、あたしはこうして、廊下の隅に、追いやられている。


 いつからか、その嫌がらせが始まった。

 その内容は、まぁ、よくある感じのいじめ。

 でも、理由がわからなかった。じわじわと、だけど確実に、あたしを対象に始まったから。


 そして今日、あたしはその理由を知った。

 あたしの前には上級生が居て、あたしの足を、何度もふみつけている。


「あんたさぁ、何者なわけ。あんた、久藤のなんなわけよ。弱みでも握ってるの」


「……っ」


「黙ってちゃ分かんないんだけど。あのさ、あんたなんかが久藤と一緒に居られるわけないの。あんたみたいな脳みそ足りないウスノロがね。じゃあ理由があるってわけ。ねえ、あんた、そのまま久藤に媚び売って、何が出来るの。何が目的なの」


 ……こんなことになった理由。

 だいたい全部、説明してくれた。

 つまり……学園のトップクラスの人気を誇る、カースト最上位の美少女に、あたしみたいな落ちこぼれが近づいているその状況。それが、不愉快でならないということだった。そしてご丁寧にもその上級生は、それについての不満を持っているひとは、たくさんいるのだということを教えてくれた。あたしはそれで、何人かの友達にもそう思われていたことを知った。


「っ……」


 ――情けない、情けない。

 どこかでわかっていた。ひけめを感じていた。自分なんかがあの人と一緒にいるのは、絶対に間違っていたのだ、と。


 それで、それ以上に……自分は、あの人の気まぐれにもてあそばれているだけなんじゃないかと……今となっては、そうとさえ思えた。

 こわい……何もかもが、こわい。


「おい、こいつ泣き出したぞ」「こいつ……泣けば済むと、思って――」



「……何をしているの、貴女たち」



 ――声。

 せんぱいの声。後方から聞こえる。

 上級生たちがびくりと身体を震わせて、後ろを向く。


「く、久藤……」


「何をしているのと……そう言ったのよ」


 せんぱいは、上級生たちに歩みを進めた。

 それから、その目で……彼女たちを見た。

 みんなの足が震えだす。


「――去りなさい。ここからすぐ。今すぐ!!」


 術の効果は、すぐに出た。

 上級生たちはとたんにうつろな顔になって、よろよろとその場から立ち去っていった。もう、あたしのことなど覚えていないだろう。


「はーっ……はーっ」


 せんぱいは、激しく息をつく。

 日の出ている最中に『術』を使ったからだろう。

 そうまでして、あたしを助けてくれた。

 ……また、心の中がきしんで、痛む。真逆の2つの気持ちが、お互いを攻撃する。


「立てるわね……ほら。あんな連中、ゴミよ。気にしてはいけない。私の傍に居る以上は、貴女は何も――」


「ほんとうに……そうなんですか」


 顔を上げずに、そう言った。

 せんぱいは……虚を突かれたように、黙り込んだ。

 そんな反応、今まで、されたことがなかった。


「せんぱい……前、言ってくれました。あたしが、せんぱいの何かを変えるかもしれないから。だから、あたしを選んだんだって」


「灯里……」


「せんぱい。何か、変わりましたか。せんぱいはもう、灰色じゃないんですか。どうなんですか……答えてくださいよ。せんぱい…………全然なにも、教えてくれないじゃないですかっ!!」


 顔を上げる。たぶん鼻水でぐしょぐしょだろうけど、気にしている余裕はなかった。


「あたし……せんぱいがいつも遠い気がするんです。追いついても追いついても、どんどん先に行っちゃう気がする。だから嫌なんです。これ以上、せんぱいのことが分からなくなるのは……せんぱいは、あたしのことが、大事なんですよね。ここの誰よりも。そうなんですよね」


「そうよ……私は、そう言った」


「だったら……」


 制服の襟を掴んで、ぐいっと引き下ろす。しわくちゃになる。

 ……あたしは、言った。


「だったら、せんぱい。あたしの血を飲んでください。あたしが本当に、先輩の役に立てるように……」


「何を……」


「だって、じゃないとあたし、ずっとずっと、先輩に追いつけないっ、だから――」

「馬鹿なこと言わないでっ!!」


 ――声。

 ……拒絶。

 へたりこむ。

 向かい側で、せんぱいが、少し目を見開いた。

 自分の言ったことに、驚いているみたいだった。

 ――外は雨が降りだしていた。


「……もう二度と。そんな愚かなことは口に出さないで」


 壁に背中を押し付けて、腕を組んで……顔も見せず、せんぱいはそう言った。


「……」


「じゃないと……許さないから」


 それで、終わりだった。


「――っ!」


 もうそれ以上、その場に居ることはできなかった。

 あたしは、廊下から逃げていった……。

 せんぱい一人を残して。



 薄暗い、極彩色のレースで彩られた空間。

 古書がうず高くつもり、年代物のレコードが至るところに散乱している。

 中央には、大きな天蓋付きのベッド。


「……」


 始祖は、そこに横たわっていた。

 シーツにはシミ。傍には、転がったグラス。先程まで、血が入っていた。

 まずい、代用血。本当に、やけを起こしてこのざまだ……吐きそうだ。


「……灯里」


 自分が、このような感傷に浸ることも、異様なことのように思えた。

 だが、これも必然と思うと……結局はいつもどおりだと分かった。


 自分は吸血鬼で……あの子は、人間。

 その違い。結局はいつもこうだ。自分は得て、相手は失う。永劫その繰り返し。


 また……乾いていく。

 今度はどこが、灰色になるのだろう。新しいレースを買わなければならない。



 あたしはといえば家に帰ってシャワーを浴びて、布団の中で絶賛後悔中だった。

 あんなことを言わなければよかったということを何度も繰り返す、繰り返す。

 でも、駄目だった。あそこでああ言ってしまうのは必然のように思われた。


 だってそれは、ずっと思っていたことだったから。

 ではどうすればいいのか……わからない。あたしにはわからない。


「わかんないよ……わかんないよっ…………先輩の、ばか」


 外には雨が降っている。ザーザーという音。

 せんぱいは雨が好きじゃないけど、この音はきらいじゃないんだっけ。

 なんだっけ、街の中の余計な騒音をかき消してくれるとか、そんな理由だっけ。


 ……ふと、窓の外に、何かがとまっているのを見つけた。

 近づくと、それが何であるか分かった。


「……コウモリ??」


 まだ、夜にもなっていないのに。

 その黒い翼がはためいて、窓を隔てて目の前に居た。ふたつの小さな瞳が、こちらを見ていた。


 ……なんだか、招き入れなければならない気がした。

 それで、あたしは窓を開けた。

 こうもりは、多少の雨風とともに、部屋の中に入った。

 それからしばらくはばたいたあと、不意に……部屋の隅の天上にぶら下がって止まった。


「こうもりさん……? あたしの部屋なんかに、何の用――」


『始祖を馬鹿呼ばわりとは。確かに、彼女の言う通り……変わった子だ』


 ……目を、いや、耳を疑った。

 こうもりが、喋った。

 あたしは盛大にずっこける。


「ええええええ、ええええええっ……こ、こうもりが、喋って…………」


『驚くのも無理はないが……許してくれ。私はこの姿でしか日中活動できない』


 落ち着いた、低い男性の声だった。

 なんだかそれは、癒やしの周波数みたいなものを発しているような気がした。

 あたしは……言われたまま、許すことにした。

 その落ち着きが、せんぱいみたいなエロ光線のしわざじゃないことを願った。


「それで……あなたは、一体」


『私か。私は、始祖――君が”久藤”と呼ぶ吸血鬼の……いわば、仲間だ』


「ということは……あなたも、吸血鬼……?」


『そうだ。彼女と同じく、悠久の時を生きてきた』


 ……なんだか途方も無い話。

 せんぱいと、ずっと一緒に『居た』から、麻痺していたけど。

 吸血鬼というのは、人間とはあまりにもかけ離れているのだ。


「だから……一緒に、生きられないってことですね」


 ……ひざをかかえて、余計に落ち込む。

 あの廊下でのやり取りを思い出してしまう。どこまでも沈んでしまう。


「あたしは……あの人といっしょには居られないって。そういうことですよね」


『ふむふむ、なるほど』


 こうもりさんは、思案するような声を出して。

 それからしばらくして、分かったぞ、と言って、翼を少しはためかせた。


「なにが、分かったんですか」


『つまり君は――彼女のことを愛している。だが彼女は、君のことを遠ざけているように思える。自分の傍に置いているのに。それは矛盾しているように感じる、と。そういうことかな』


 ……図星だった。

 そこまで的中されるとこっ恥ずかしくなる。顔中が真っ赤になる。


「それも吸血鬼パワーですか……」


『済まない。もはや外敵も居ない、人類を食う必要もない現代となっては、こんな嫌がらせにしか私の力は使えないのだ』


「でも……いいです。だって……本当のことですもん」


 もうそれ以上顔を沈められないのに、更に膝の間にかおをうずめる。


「あたしが選ばれたのは、せんぱいの気まぐれだったんだ……だからもう……」


『君は、誤解をしているが。同時に、君が感じた矛盾は……間違ってはいない」


 ……こうもりさんは、そんなおかしいことを言った。

 あたしは、顔を上げる。

 すると、その風変わりな吸血鬼は、こう告げたのだった。


『彼女はね――君と過ごして得たものを、失いたくないのだ。だからこそ、君を遠ざけている』



 こうもりさんは、懇切丁寧に教えてくれた。


 せんぱいは、ずっと長い間生きてきて、世界のたくさんのことを知ってしまったのだと。だからこの先、どんなことがあるのかも、何があったとしても、何も感じないほどに、心が乾いてしまったのだ、と。そして何より……死ぬことすら、ろくに出来ない。血が飲めないからといって餓死することもない。事実上の不老不死。それは終身刑のようなものだ、と、こうもりさんは言った。


 そしてせんぱいは、これまで、何人もの人間たちを愛してきた。愛そうとしてきた。

 もしかしたらこの人が、自分の灰色の生活を変えてくれるのかもしれない、と。

 だけど――皆、去っていった。

 皆、結局は、せんぱいの吸血鬼としての魅力に取り憑かれ……おのずから眷属に成り下がることを懇願し、ただただ画一的な奉仕だけを望むようになっていった。

 誰に愛されようが、おなじことだった。最後にはみんな、予想通りのことをして、予想通りのものを、自分に求めてくる。

 ……自分は彼らを眷属にはしなかった。殺すこともなく、記憶だけ消して、永遠の別れを告げた。

 そしてそのたびにまた、心が乾いていったのだ。


 ――そんななか、せんぱいはあたしに出会ったのだった。

 せんぱいにとってあたしは、何をするかわからない、それこそこれまで出会ったことのないような存在だったから。だからせんぱいは、ふたたび希望を抱いた。抱いてしまった。もしかしたら今度こそ。今度こそ、この子が。自分を違う場所に連れて行ってくれるかもしれない。


 そう思うと、せんぱいの心に、色んな色が蘇ったらしかった。

 こうもりさんは、そのあたりの話を、本人から直接、いつの間にか聞いていた。

 あたしのことを話している時のせんぱいは、本当に楽しそうだったそうだ。


 だけど、だからこそせんぱいは――同じようなことを繰り返したくなかった。

 それはある意味、わがままだったけれど……ひとつの気遣いでもあった。

 あたしが、自分のせいでおかしくなるまえに、自分から離れて欲しい。あたしのことを思えば、あたしを一番だと考えれば考えるほど、あたしを遠ざけるのが一番の幸せだと、そう考えるようになったらしかった。

 

 だからせんぱいは……ずっと怖かったらしかった。

 あたしのことを大事に思っていても、そばにいればいるほど、あたしがあたしでなくなることを恐れたから。また、あの灰色の中に、あたしを入れてしまうことを、恐れたから。


 だからこそ……せんぱいは、あたしのほうを、振り向いてくれなかったのだ。


 それが、真相だった。



「なんですか、それ…………」


 あたしは再び頭を抱える。それから、うーうー唸ってみせる。


『辛いだろうが……これが真実だ。彼女の気持ちも、汲んでやってくれないか』


「っああ…………」


『君たちと我々には、絶対に超えられない壁が立ちはだかっている。それを突き崩すには……どちらかが、どちらかになるしかない。だから――…………」


「ああああああーーーーーーーーー!! せんぱいのばか!! おおばか!! それからええーっと、思いつかないけど…………おおばかーっ!!」


 やおら立ち上がって、叫んだ。

 こうもりさんはびっくりして引き下がって、もう一度天上にくっついた。


『い、一体どうしたんだ――……」


「そうやって、全部分かったようなこと言ってるくせに! あたしのこと全然分かってないじゃないですか、あの人……なんなんだ……せんぱいの、ばかっ……!!」


 そうして立ち上がる。

 とる行動は決めていた。


「こうもりさん……あたし、せんぱいと『仲直り』してきます」


『仲直り……??』


「あたし……知ってます。せんぱいの、好きなものと、それから……嫌いなもの。両方」


 あたしは、いつの間にか頬を伝っていた涙をぬぐって、こうもりさんにVサインを決めた。


『君は…………』


 すると、こうもりさんは……その瞳の奥で、笑ったようだった。

 そこには、蝙蝠ではなく……長身の男の人の姿が、一瞬、重なって見えた。



 再びやってきた、倦怠の海。

 その中に沈み込みながら、彼女はひたすら音楽を聴いていた。沈鬱なトリップ・ホップ。


 だが――その怠惰と諦観を切り裂くように、身体を貫く『感覚』があった。


 それは、吸血鬼にとって親しいモノに、何かが起きた時に働く悪寒。

 始祖は立ち上がり、呆然と――言った。



「……轢き逃げ? ――あの子が??」



 彼女は雨の夜空を駆けた、蝙蝠の姿になって、ビルとビルの狭間を飛びながら。

 心の中を、後悔が占める。

 ――ごめんなさい、ごめんなさい。私が、私がいなければ、こんなことには。



 雨の交差点に、彼女は横たわっていた。血だらけになって。

 ……電話で救急車を呼んでいる者たちも、近づいて来る者たちも居た。

 だが始祖は着地して彼女に駆け寄ると、皆、『力』で追い払った。

 そうして二人きりになる。


 ひどい出血だった。

 このままでは――確実に死ぬ。人間は簡単に死ぬ。救急車も、この雨では間に合わないだろう。

 始祖は、灯里のもとにひざまずく。懺悔するように。

 血の海が広がっていく……彼女は、まだ意識があった。目を開いて、始祖を見た。


「せん……ぱい……?」


「喋らないでっ――……やられたのね。車に。安心して……すぐに追跡した。その車はここから数メートル先で転倒した。私の術で。まもなく警察がやってきて逮捕するはず。貴女は――」


「せんぱい……そんなに、必死なせんぱい、はじめてみた…………」


 灯里は、力なく笑った。

 まもなく、消えてしまうような笑みだった。


「どうして……どうしてこんなことに」


「あたしが……悪かったんです。あたしが……飛び出していったばっかりに」


 ……始祖は、灯里の手をとった。

 彼女の、少し前までの記憶が、流れ込んできた。


 ――彼女は、家を飛び出した。

 それからすぐに、花屋へ行った。

 そこで、たくさんの、数え切れないほどの花束を買ったのだった。


 そして今……彼女の周辺に、その残骸が散らばっている。

 色とりどりの、色彩――……。


「どうして……――」


「あたし……せんぱいと、仲直り、したくって……それで、せんぱいが一番退屈しないことは何かなって思って……そしたら、あたしが、予想外のことをすればいいって、考えて……」


 ――ハッとする。いつぞやの自分の言葉を思い出す。

 ――花は嫌いだと、自分は、そう言った。


「まさか……」


「きらいなもの、あげたら……ヘンじゃないかなって……だったらそれが、せんぱい、喜ばせるんじゃないかなって……それで……――」


「……馬鹿っ、本当に馬鹿っ!!」


 始祖は――もはや、流れる涙を隠そうともしなかった。


「私なんかのために、こんな事する必要はないのよっ……私は自分が許せない、貴女を私のもとにいざなっておきながら、近づいたことが怖くなって拒絶して、それでこんなことに……私のせい、全て私のせい……っ」


「――ちがう。ちがうよ、くどうせんぱい」


 ……その手が、そっと、袖に触れた。

 そして、弱々しい力で、握った。


「あたしがせんぱいを好きなのは……せんぱいが、あたしを好きになったからじゃ、ない」


 彼女は続けた。


「せんぱい……あたしの目を、見て」


 そうして――また、流れ込んできた。

 彼女の記憶が。


「――……っ」


 それは。これまで、自分と過ごしてきた、彼女の思い出の全てだった。

 なにもかもが色づいていて、世界に色彩を放っていた。

 これが……これが、彼女の、灯里の世界だったのだ。

 そしてその何もかもに、自分が――吸血鬼『始祖』が、映っていた。

 つねに、共にあった。


 それほどまでに、彼女は……灯里に、想われていたのだった。


「ごめんなさい……ごめんなさいっ……私、あなたのことを、なんにも思っていなかった……私、自分のことを押し付けるばかりで…………」


「いいんです……だってせんぱいは、吸血鬼じゃあ、ないですか……」


 限りなく優しい声だった。

 もう死にかけているのに、命の灯火が消えかけているのに……自分のことを、気遣っていた。

 今、自分と彼女は――完全に、同じ場所に、隣同士に立つことが出来た。

 ようやくだった。数千年の彷徨の果て、ようやく彼女は……出会うことが出来たのだ。


 だが――もう遅かった。

 自分は吸血鬼で、その思いはエゴとなり、相手を食い尽くす。

 ……今、始祖の考えていることは一つだった。


 自分は、この子を死なせたくない。

 そのための方法は、もはや……ひとつしかない。


 それは、灯里にも通じていた。彼女は、泪に濡れる始祖の赤い目を見た後、ゆっくりとうなずいた。

 それから……その美しい相貌を、自らの首筋へと誘った。


 ……牙がむき出しになった。

 そこから、始祖の理性は消え失せた。

 灯里に覆いかぶさって……その柔らかな首に……かじりついた。


 ――その血は。

 これまでで一番、美味だった。

 しかし、今までで一番……飲み込むのに、時間がかかった。






「それで、あたしも。せんぱいの真似しようと思ったんで、聞いてみたんです。ヒップホップ。そしたら、やっぱり全然わかんなくって。やっぱりあたしは、おばあちゃんの演歌のカセットのほうが好きかなあーって…………せんぱい、聞いてます??」


 屋上で日傘を差して外を眺めながら、昼食をとる。

 隣りにいるせんぱいは、うつらうつらとしていた。そうしている、日中のせんぱいは、綺麗な容姿にもかかわらず、なんだか猫みたいでかわいいのだ。


「……聞いてるわよ」


「うそだ。完全に夢の世界でしたよね。そうですよね」


「煩いわね……半血の貴女よりも、日中は眠いのよ、私」


「うーん。なんかその話、都合よく使われてる気がします…………」


 ……そう言って、ミートボールをかじる。

 食生活について、特に変わったことはない。

 ほんのちょっと肉を食べる量が増えたけど、それは親から、部活に入る理由付けにされてしまった。回答は……いまのところ、保留中。


「どーしよう……あんまり怪我しない奴のがいいよなぁ。よだれ垂れたら嫌だもんなぁー……」


「……灯里」


 後ろで、せんぱいが、呼んだ。


「はい?」


「――そばにいてくれて、ありがとう」


 ……そう、言った。

 目が完全に覚めているのかどうか、分からなかった。

 だけど、そう言われて、返す言葉はひとつだった。


「当たり前じゃないですか。あと何年になるか分からないですけど、永遠に記憶の中にこびりついて、離れなくなってやりますから」


 そういうと――その人は、本当に美しく、目を閉じて、笑うのだ。


「ふふっ…………それは、楽しみね」

 

 ああ――やっぱりあたしは、この人が好きなんだ。

 背中から見ていても、気持ちは変わらなかったけど。

 今こうして、すぐそばに居られるようになったら、更にそれがはっきりと分かった。


 あたしは、せんぱいの隣に座る。そして一緒に、目を閉じる。

 肩にもたれかかる。手と手を、そっと重ねる。

 まもなく……微睡みがやってくる。

 このまま、眠ってしまおうか。

 それもいいかもしれない。


 だけど、授業に遅れちゃいけないから。

 起きるなら、あたしが起きていよう――。



「半血……?」


「そう。前代未聞のケースだよ」


 始祖の前で、白衣を着た少年のような容姿の吸血鬼は、そう言った。


「どうして、そんなことになったの」


「確定的なことは言えないよ。だけど、伝承の中ではこう語られている。『それは、その種が、吸血鬼の血の侵略を防がんとする意思を発揮する時に起きる』と……」


「言い伝えが頼りなんて……」


「でも、本当にデータが少ないからね。彼女は本当に、君からの血を受けて再生しながらも、祈ったんじゃないのかな? 『どうか、この人の傍に、眷属としてではなく、ただの人間として、居させてください』と……」


 ……その言葉を精査してみて、ほんの少し、違うのだと思った。

 たぶん、伝承が事実なら……彼女は、灯里は、こう祈ったのではないだろうか。


 ――どうか。どうかこの人と。吸血鬼も、人間も関係なく、互いが互いのために居られるための存在のままでいさせてください、と。


「だけど、本当に貴重な発見だ。これは我々の停滞した種としての可能性を、一気に加速させることにもなるかもしれない。代血の不足問題にも、光が当てられるかも」


「……買いかぶり過ぎよ、多分」


「そんなことはないさ。だってそれは、君が一番望んでいたことじゃないか? 彼女は文字通り、君の、そして僕たちの……『希望』となったんだよ」



「ああっ、やばい。次の授業、あたし当てられます。ビビっときました」


 灯里がやおら起き上がる。まどろみが打ち砕かれる。


「……予知をそんなことに使わないの。頭痛がするわよ」


「だいじょうぶです! あたし、授業で問題考えたら、どうせ頭痛くなるんで!」


「ああ、そう……」


「とりあえず、もう戻りましょう。お昼、終わっちゃいます」


 彼女はバタバタと立ち上がって弁当をまとめて、出口に向かって身を翻した。

 そこで、久藤に気付く。


「あっごめんなさい先輩、あたし歩くのはやくって……」


「……いいわよ。そのかわり」


 立ち上がって、隣に立つ。


「一緒に、歩きましょう。横に並んで」


 そう、言った。

 彼女は、ぽかん、とした表情を浮かべてから……。

 ぱあっ、と笑顔を咲かせた。


「はいっ!」


 そう――その笑顔だ。それこそが、彼女の世界に色をさす……。


 ……二人は、歩く。

 歩いていく。

 永遠など、もう、ないのかもしれない。

 だけど……その時まで二人は、おっかなびっくり、互いの速度を合わせながら、歩いていくのだ。



「そういえばせんぱい、あの花、どうしました」


「家に飾ってるわよ」


「ありがとうございます! じゃあまた持っていきますね! 今度はちょっとくさい、海外のやつ!」


「……それはやめて頂戴」




 

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吸血鬼の久藤せんぱい。 緑茶 @wangd1

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