海が太陽のきらり ep.0
えーきち
一年前を忘れない
【あの、カクヨムを感動の渦に巻き込んだ自主企画から一年――
カクヨム界の異端児えーきちが描く問題作がついに始動!】
「アチッ……」
海水浴客もまばらな砂浜に座り、海斗はTシャツの襟ぐりを引っ張り遠く水平線の先を見据える。
柔らかく頬を撫でる潮風と、鼓動と重なる波の音と、それを消し去る耳障りな蝉の声と、肌を刺す暴力的なまでの射光と。
額に手を添えて庇を作る海斗の視界に、ひとり煌めく波と戯れる美しい少女がいた。
【『僕は……海に呼ばれていた』】
「私、君知ってるよ。浜島のおじ様の所の子でしょ?」
黒いビキニから覗く真っ白な肢体を惜し気もなく晒し、海斗に向かって満面の笑みを零す少女。海斗は耳までをも赤く染めて、パタパタと手で顔を仰ぎながら女の子から視線を逸らす。
「陽子」
「え?」
思わず振り返った海斗の瞳の中で少女は前屈みになり、触れれば折れてしまいそうな華奢な手を彼に向かって差し出す。そして、小さく首を傾げた。
「私、陽子。君は?」
【青く、きらりと光の滴が零れ落ちる穏やかな海】
バシャバシャと騒々しい音を立てながら、死に物狂いで水をかく海斗。傍目から見れば、まるで溺れているようにしか見えないその様子。
「泳ぐの下手だねぇ、海斗は。人並みになるのにかなり練習しないと」
海で大暴れする海斗の近くで仰向けになり、ぷかりぷかりと波に身を委ね空を仰ぐ陽子。そして、ふと大きく目を見開き、海斗を振り向く。
「ねぇ~?」
バシャバシャ、バシャバシャ……
「あ~?」
「いつまでこっちにいるの?」
「お盆過ぎに帰~ゴブッ!!」
腕をまわし水飛沫をあげ、一度海に消えた海斗はその口から水を吐き出しながら立ちあがる。そして、激しく咳込んだ。
「ゴフッ、ゴフッ……ベッ、塩っ辛!」
濡れた顔を激しく両手で拭い、「ブハッ」っと大きな息を吐き出す。
「ずっと、ここにいればいいのに」
「あ? 今何か言った?」
【忍び寄る、昏く暗く、深い闇】
海斗は陽子に手を引かれ、海岸沿いの道路を西の岬に向かってひた歩く。
「どこまでいくんだよ?」
「西の岬~! 私だけの秘密の場所~!」
「秘密の場所って……西の岬は行っちゃ駄目だって……ん? 何だあれ?」
海水浴場から少し離れた、潮が満ちると沈んでしまうような海面にほど近い岩場を人だかりが埋め尽くす。海斗は立ち止まり、背伸びをして大きく首を左右に揺らす。
そんな海斗の後ろに回り込み、彼の背中を強く押す陽子。
「いいから、いいから。明日には帰っちゃうんでしょ? 早く行こうよ」
海斗は何度も振り返り人だかりを気にしつつ、陽子に押されるがままにカクカクと足を進めた。そんな二人を追いかけるように、人だかりからあがる声。
「また仏さんが打ちあげられたぞ。西脇んとこの坊だ」
「まだ若いのに、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」
【遠い記憶の中の、セピア色した海辺の町】
「ねぇ、どうしたの? だいじょうぶ?」
腰を曲げ、横からスッと覗き込むような格好で、褐色の岩場で蹲り肩を振るわせる幼い少女を覗き込む少年。
「たいへんだ。ケガしてるよ。ぼく、ばんそうこうもってるから」
両方のポケットを慌てて弄り、少年は四角い絆創膏を取り出した。
目をまあるくさせて、そんな少年を見あげる少女。その瞬間、キラキラと光る滴が零れ落ち、岩に暗いシミを作った。
【『僕は、海に呼ばれたんだ』】
「陽子――君は一体……」
零れ落ちそうなくらいに目を見開く海斗の口をそっと両手で塞ぎ、陽子は弱々しく首を振る。
「帰るのなんてやめて、私とずっと一緒にいよう?」
ゴツゴツと隆起した岩場に広がるタイドプールを飛び越え、さらに深く抉れているであろう濃いエメラルドグリーンの岩礁の傍らで、背後から海斗の背中に白く華奢な腕をまわす陽子。
海斗はすぅっと目を細め、陽子の手に自分の手を重ねる。
「いい――な、それも。けど、駄目だ。帰らなきゃ。また来年も来る……」
次の瞬間、海斗の体は岩場から宙に舞った。
【絡み合う、現在と過去の螺旋】
「海斗、遊びまわるのもいいが、西の岬には近づくんじゃないぞ」
色褪せ、くすみ、古びた家屋の、それでも綺麗に掃除の行き届いた居間で、そんな雰囲気とは似つかわしくない薄型のテレビの前で、目だけをギョロリと海斗に向ける祖父。
真新しいバスタオルを頭にかぶり、海斗は小さく肩を竦める。
「何でさ?」
祖父は顔の皺を歪め、陽に焼けた太い腕を組む。
「出るんだよ」
「何が?」
「海の魔女が、だ」
【海が――】
ゴボッ……ゴボボッ……
生暖かい水が口の中に流れ込む。空気がまるで天の星のように海中に広がり、陽の光でちらちらと瞬く。
海斗は遮二無二、両の手足をバタつかせる。
『陽子が、突き飛ばした? いや、そんな筈、ない!』
昏く昏く、蠢き、絡まり、押し潰してくるような海の中で、海斗は死に物狂いで海面の日だまりに手をのばす。
『陽……子……』
ゴッポッ!
【太陽の――】
「私は海斗を連れてくの。ずっと、ずっと、待ってたの」
陽子の濡れた髪に陽の光が宿り、まるで金糸のように輝いていた。海斗は憑かれたようにその大きな瑠璃色の目に引き寄せられ、そっと唇を重ねる。
「海斗……」
陽子は指先で海斗の唇をそっとなぞり、彼の胸に縋りつく。陽子の頬を伝う一滴の涙が、海斗の胸を濡らす。
「だから、さよなら」
【――きらり】
陽の光に溶けていくように、岩場を走り去る陽子。
【『呼ばれていた――のに』】
追えない海斗。
【『僕は……
僕は……
僕は……僕は僕は僕は……』】
目に沁みる、透けるような青さの海中を漂い、海斗は揺らめく陽の光の中に陽子の姿を探す。そして、射し込む光を掴むように両手を翳した。
『陽子――』
【二人は現在と過去の狭間ですれ違い……】
『そして僕たちはきっと、必ずまた出会う……』
【海が太陽のきらり――】
そして少年は、海へ還る。
『海斗、忘れないで……また海で会いましょう』
【Coming Soon……
この秋、誰よりも早く、貴方の心は凍りつく】
ゴツゴツと隆起した岩の上で、向かい合い両手を繋ぐ少年と少女に、小高い岩影から顔を覗かせる陽の光が降り注ぐ。
「ねぇねぇ、かいとくん。おっきくなったらわたしをむかえにきてくれる?」
「うん、いいよ。ぼく、ようこちゃんすきだから」
女の子は男の子の言葉に、瞳いっぱいの涙を浮かべる。
「ぜったい、ぜったいだよ?」
* * *
部屋の隅でボンヤリと光る間接照明だけの薄暗い部屋で、黒にも見えるブラウンのカウチソファーに座り、テレビの光に身を晒しながら夏男は目をパチクリさせる。
「お待たせ~。何なに? 何か面白そうな映画でもあった?」
四角いトレーに乗せたドリンクと、トマトとバジルのブルスケッタの皿をソファーの前のガラスのローテーブルに並べる春子。
夏男は肩を竦めると眉をさげ、フルフルと小さく首を振った。
「あー、『海は太陽のきらり』っていう、女を追いかけられなかった男の話――なのかな?」
「何それ?」
フフッと笑いながら春子は夏男の隣に腰をおろす。それに合わせて微かに揺れる夏男の体。
夏男の瞳の中で、70インチのテレビから発せられる強い光を受けて、春子の幸せそうな顔が薄暗い部屋に浮かびあがる。
「夏男は私を追いかけてきてくれたもんね。そんなに私の事好きだったんだ」
「あ、あれは、春子がメールを……いや、まぁ、その……違いない」
夏男はバツが悪そうに肩を竦めると、テレビの光にきらりと輝くローテーブルの上のグラスを手に取り、春子の目の前であげた。
カラリとグラスの中の氷が転がる。
「私って、幸せ者だ~。あっ、始まるよ」
肩と肩が触れるくらい、夏男のすぐ隣に寄りそい、春子は何気ない幸せを噛み締めるように微笑むと、薄暗闇の中で明滅する大きなテレビを指差した。
神々しい光を放ち、テレビに映し出される映画のタイトル。
【明日の黒板】
―― To be continued.
海が太陽のきらり ep.0 えーきち @rockers_eikichi
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