第5話 六月燈

 翌る日の夕べ、多佳はふみたち三人を誘うと、彌五郎を荷物持ちに従えて一ノ宮まで祭りに連れ出した。赤々と雲を燃やして夕陽が山の端に沒もうとするのを左手に見ながら、五人で歩いた。いつも多佳の側に附き従う彌生は、今日は伴を弟に任せて自身は皆の夜食を用意して待っている。

 さすが領内一の祭りとあって、続々集まる人びとのざわめきが道々に溢れ、まだ鳥居をくぐらない前から囃子の音が聴こえてくる。常と違う人群れの響きに、樹上に羽根を憩めていた百千の鳥たちが警戒の啼き声をさかんに上げた。


 参道から境内にかけて並ぶ屋台は既に客を集めて、赤い陽の残光を横から浴びていた。屋台の入口あたり、唐人が開く座興の賭場に、威勢のよい声が上がって人だかりができている。芋を焼く甘い匂いがどこからか漂ってくる。子供たちや若衆たちの上げる声がいよいよ騒がしい。

 一行は屋台で買った水菓子を摘まみながら境内を漫ろ歩いた。歩くうち急速に祭りは夜の景色へと装いを変える。

 と、狭依と話していた多佳がふと立ち止まった。その視線の先を見ると、十歩ばかり先にふたり連れだって歩く侍はふみにも見覚えがある。

「虎!」

 多佳の呼びかけに振り返った虎之介はそれまでの笑顔をそのままに固めて、挨拶に上がるかそれとも逃げるかを心中で計った。だがどう考えても逃げるのは後に祟る。観念して虎之介は多佳の方へ歩きだした。


 重たい足どりで近づく虎之介をにらんでふみは、正面に出て伊吉と狭依とを背中に庇おうとする。だがそのふみの肩に手をかけ伊吉がぐいと前に出た。

 虎之介は伊吉とふみの様子へは一分の興味も示さず、

「なんですか多佳姉」

 と恐る恐る言った。主家とはいえ又従兄弟にあたる多佳や豊相とは姉弟同然に育ってきた虎之介は、多佳と親しい口をきいても許される間柄ではあるのだが、幼い頃から染みついた癖でつい多佳の前では緊張する。

「今日は豊は一緒じゃないのね」

「豊は……町に用事があるって言ってたな」連れの侍に確かめるように言う。

「ふうん。ま、いいけどね」野暮用と察して多佳が皮肉な目でわらった。「虎ととしは用事なかったの?」

 虎之介と連れだって多佳の前に立つ羽目になった侍は、名を歳二郎。一族でこそないものの、累代の重臣の家に生まれた彼も幼い頃から多佳たちと野を駆け回った仲だった。

「おれたちはねえよ、豊のようには行かない」

「そんなことないわよ、お前たちもいい男になったわ」

 多佳の返しに初めて、豊相の用事の内容を白状したようなものと気づいて虎之介は顔を朱くした。それにしても豊相は、その貌だち、振る舞いが人を惹きつけて已まないうえ、城のお世継ぎとくれば、城下の娘たちに愛されないわけがなかった。天から豊かに与えられた資質を豊相は自覚して、しかもそれを存分に利用することを悪とも思わず人生の春を楽しんでいる。


「ところで、この子たち、判るわよね」傍らのふみたちを目で示して、「妾が預かることにしたから。お前たち、妙なちょっかいかけるんじゃないわよ」

「かけないよ」

 すぐ激情に駆られて暴れるきらいはあるが、後には引きずらない虎之介は、一昨日の騒ぎを根に持つことなく本心からそう言った。だがいまはそう思っていても、また新たな悶着が起これば容易に激してしまうのが虎之介であって、多佳はそこを注意したのだった。


 多佳の心配をよそに虎之介は、ふみと狭依の盾になるように立つ伊吉を凝っと見た。伊吉は背丈こそ大人のなかに並べても抜きん出るほどに育ったが、貌つきは未だ少年から脱け出ていない。その印象を、まだ肉の乗りきっていない腕や脚の細い線が裏づける。一方の虎之介は背は多佳より低いほどだが、すっかり男になった剽悍な貌につづく躯から湯気が立つかというほど全身に筋肉が詰まっている。

「おいお前。伊吉と云ったな」

 大きく見開いた目で伊吉を見据えて言う虎之介に、喧嘩ならば買う気満々のふみが前に出ようとするのを押し留めて、伊吉がにらみ返した。虎之介が腕を伸ばして伊吉の肩を掴むのを、あわてて多佳が制めようとする。


 だが続いて虎之介はこう言ったのだった。

「お前強いな、感心したぞ。だが此間こないだのは俺の油断だ。俺の力はあんなもんじゃねえからな、勘違いするなよ。次は本気でまたやろうぜ」

 喧嘩でも売るような表情に見えるが、これでも笑顔になっているらしい。

「そうだ、侍になれ。お前なら戦場できっと活躍するぞ」

 言われて伊吉は首を傾げた。

「おれは刀を持ったことがないし馬にも乗れないぞ」

「あっお前最初っから馬に乗るつもりでいるのか? 図々しい奴だな。まずは徒士からだ、それで手柄立てて出世すりゃそのうち馬にも乗れるようになるさ」何がうれしいのか明るい大声をやたら撒き散らしては、掴んだ伊吉の肩を揺する。「刀のことは心配するな、おれのを分けてやる。使い方なんか簡単だ、おれが鍛えてやるからそう思え。お前ならすぐ強くなる」


「侍か」呟いて隣のふみに目を遣ると、伊吉を見上げるふみが不満げな目をしている。そこへ虎之介がたたみかけた。

「早速明日から稽古をつけてやるからな。辰の刻に二ノ丸だ、いいな?」

「明日は修練は休みの日だぞ」折角の休みを巻きぞえで潰されることを警戒して歳二郎が言うのを、

「なに言ってんだ、次の戦にはこいつを連れてくんだ、一日も無駄にはできねえ」真剣な顔で唾を飛ばして、歳二郎をげんなりさせる。

「虎、そのぐらいにしときなさい、この子たちびっくりしてるじゃないの」

 自分の考えに夢中になっている虎之介に冷や水を浴びせると、多佳は伊吉に苦笑いしてみせた。

「虎の言うことなんか聞かなくてもいいのよ、まあ侍になるのは妾もいい考えだと思うけどね。そうすりゃずっとここに住めるわよ」


「寝過ごすなよ、明日辰の刻の太鼓が鳴ったら二ノ丸だ」

 そう勝手に決めつけ念を押す虎之介と別れて一行は、多佳の案内で境内の奥へと向かっていった。屋台は姿を消し、人びとの声もなにかを憚るように小さくしめやかなものになる。

 社殿の前には幾条いくすじもの綱がめぐらされ、そこに数えきれないほどの燈明が吊るされていた。燈明に導かれて死者の霊は此岸の家族の許へ会いに来るのだと、盆地の人びとに信じられていた。この一年で新たに霊となった者どもが無明の闇から這い出そうとするのを、亡くなった者の家族は燈明を道標みちしるべに掲げてすすんで共犯になろうとしている。世の理に手向たむかう亡者の跳梁を、一ノ宮の神域のなかに限って神々は許していた。


 たもとから銭を出して、ふみは小さな燈明を一つ買うと墨にひたした指で「眞名」と記した。いかにも幼児の書く金釘流のたどたどしい手蹟ではあるが、そもそも文字を読める者さえ稀な南端の地にあって、山深い谷から出てきた鄙な童女が字を書くこと自体が驚きであって、多佳はますますふみに興味をそそられた。

 ふみは燈明に火を燈して伊吉へ渡し、吊り下げる場所を探し出すと目で指し示した。

「あそこにかけるんだよ、伊吉。眞名まなからも明かりが見えるようにね」

「母ちゃに?」眼の高さにある綱に難なく燈明の紐を結びながら、幾本もの燈明に照らされた顔を伊吉はふみへと向ける。

「そうだよ。死んで間もないから、まだあの山のあたりにうろうろしてるかもね。どうせあの子、ひとりじゃあの世への行き途も分からないだろうし。ここに来ればきっとほかの霊と一緒にあの世へ連れてってもらえるよ」

 そう答えるふみの表情は、童女には不似合いな寂れた色を湛えた。

「母ちゃが来るの?」無邪気に言いかけて狭依は、首を傾げた。「でも母ちゃ、字が読めないから燈明見ても判らないんじゃない?」

「いいんだよ。お前たちだって字は読めないけど、これが母ちゃのだって判るだろ? あの子にだって判るさ」

 そう言うとふみは、眞名の降りてくるのを待ち顔で夜空を見上げた。つられて伊吉と狭依も見上げる夜空は、無数の燈明に明らんで星は常より疎らに見える。


「そろそろ帰ろうか。彌生がごはんを用意して待ってるわ」

 多佳がふみの手をとって引き寄せようとするのをふみは足を踏ん張って、

「もうちょっとだけ。少しだけあの子を待たせてちょうだい」

 眞名の燈明から目を離さずに言った。仰向いたまま不動の石像のようになったその顔を多佳が覗き見ると、口を真一文字に結んで食いしばっている。

「なんだってこの世は、碌でもない奴が長生きするくせに、あんないい子が若く死んでしまうんだろうね」

 ふみの言葉に伊吉が涙を零したとき、眞名の燈明が大きく揺れた。

「ごらん、あの子が来たよ」

 そうふみが言うのに導かれて、多佳の目にも死人の彷徨い歩く影が映った気がした。

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