第7話 若武者たち

 祭りの日から一週間が過ぎた。

 あれから伊吉は連日虎之介たちと行動を共にして、短い間にすっかり彼らの仲間入りをしたようだった。二ノ丸で行われる修練のたび躯に新たな生傷を拵えて帰ってくる伊吉を、ふみは心配した。

「なんだってそんな怪我ばっかりしてくるのよ。まさか虎之介の奴が意地悪してるんじゃないだろうね?」

 そのまま喧嘩に飛び出しかねない勢いのふみを押さえて、

「そんなんじゃないよ。おれも他の奴に傷をつけてるからお互いさまだしな。みんな熱心に教えてくれるんだ。おれずいぶん強くなったぞ」青痣のできた腕を誇らしげにまくって剣を振るふりをする。


 今日は虎之介たち若武者どもは午過ぎにふたたび集まって、山へ狩りに行くのだという。城下では近頃、日向平野に強盛な伊東氏が兵を真幸院へ進めているとの報に、戦の病に憑りつかれた若侍たちの顔色が俄かに活気づいていた。伊東氏とは過去百年以上にわたって幾度も日向、薩摩の領土をめぐって戦を繰りひろげ、特にここ十年は日向南部の要衝、飫肥おびを奪われるなど不倶戴天の間柄。仇敵伊東氏の動きに対して城下の隼人たちの心中には早くも鬨の声が轟き渡っている。

 だが前哨戦の小競り合いに百人にも満たない小勢が派遣されただけで、本格的な陣触れが未だなされない徒然に、逸る血気を発散する場を誰もが求めていた。


「豊相さまも行くの?」

「ああ、豊が言い出しっぺだ」

「いいなあ、あたしも従いていきたいなあ」

「悪いな、今日は男の集まりだ。また機会があったら連れてってやるから」

「男の集まりだとう? まだ子供のくせに」伊吉の言いように、ふみはその尻を勢いよく蹴った。「でも、お前に友だちができたのはよかったかな」

 それから狭依を振り向き、殊更に元気な咲みを見せた。

「あたしたちは多佳のとこ行って、お菓子でも招ばれるとしようか」


 城主の邸には、唐人や南蛮人の伝えた菓子がいつも用意されていた。舶来の砂糖をふんだんに使った菓子を用意できるのは、この町の繁栄と城主の勢威を証している。

「お前は山でも走り回ってきな、お菓子よりその方が楽しいだろ? あ! 怪我しないよう気をつけるんだよ」

「分かってる」

 短く言ったあとふいと首を振って前を真っ直ぐ見すえ歩み去った伊吉の、いつの間にか逞しくなったその貌つきをふみは眩しく見た。


 昨夜嵐が過ぎたばかりの空は青く晴れ渡り、山から立ち上る蒸気をあつめた雲が白く天に届こうとしていた。容赦なく照りつける夏の陽の下一行は、伊吉が馬に乗れないために徒歩かちで畦道を各々気儘に森へと進んだ。径沿いに伸びた草の上に青く色づくあざみの丸い花を右手の竹棒で無残に打ち払う虎之介のうしろで、歳二郎は稲穂に止まる蜻蛉を捕まえてはしばらく弄んだあとに放してやっている。左右に広がる田の稲穂は、朝は大風に薙ぎ倒されていたのがいまはあらかた起ち上がってふたたび陽の恵みを我勝ちに浴びていた。


「狩りでもなんでもいいのさ、外で気散じができれば」

 口笛を吹き止んだ合間に伊吉を振り返り歳二郎が言う。彌五郎の兄にあたる長三郎は汗を拭いながら、

「なにもこんな暑い日なかに歩かなくともよかったんじゃないか? ああ、笠を冠って来ればよかった」

「暑いからって戦場じゃ敵は待ってくれないからな。ちょうどいい修練だ」

 意地を張るように豊相が太陽へまともに顔を向け言うのを、

「なんだ、息抜きに来たと思ったらここでも鍛錬かよ。豊は真面目だねえ」茶化す歳二郎。

 喋ると癇癪が破裂しそうな虎之介は黙ったまま全身から汗を噴き出させ、かわごろもを羽織った伊吉も顔を朱くしている。ひとり宜阿弥ぎあみだけはその整った貌も涼しげに、如来のような表情をしていた。

「暑いと思うからなおさら暑いんだ。頭を空にすれば暑さも忘れるぞ?」

「そんな芸当できるのはお前だけだ」

 皆から一斉に反論されて頭をかく宜阿弥は、伊吉と並ぶほどの長身をゆったり動かす。その所作は誰の目にも優雅だ。



 この五人に伊吉を加えた面々は、二ノ丸で行われる朝の修練の常連だった。齢の近い五人は気が合うのか、修練の終わったあとも車座になって馬鹿話をしたり町へ繰り出したりと、なにかと行を共にした。近頃その輪に加わった伊吉は、山育ちの野鄙のためにまだ話が噛み合わない代わりに、躯で皆の問いに応えた。

 熊襲千年の末裔であるこの地の武者たちが未知の男に問うのは詰まるところただ一つ、お前は猛る者なのか? 富も名も生をも見返ることなく、ただ武辺をのみお前は只管ひたすらに求めるか?――

 その点、不器用に剣を振り突進する伊吉はまさに猛る者だった。修練の場に初めてあらわれたときは防禦する術も知らず散々に打ち据えられた伊吉は、日に日に剣の扱いを覚えて、ときに歳二郎や長三郎あたりに痣をつけるほどに上達していた。ただ未だに防禦を覚えず攻撃一辺倒の伊吉は、人につける傷の倍ほども自らの躯に傷を負った。


 少しは防禦も身につけろ。木刀でなく真剣なら死んでるところだ、と自身もよほど無鉄砲な虎之介が日に三度も注意しなければならないほど、伊吉は守りに無頓着だった。命が惜しくないのかと訊く長三郎に伊吉は、詰まらぬことを訊く、と怪訝な顔をした。命は惜しいに決まっている。だが闘いに夢中になると怖れは吹き飛び命のことも忘れてしまうのだ。山の暮らしでは自覚することのなかったそのことに、伊吉は最近になって気づいた。隼人たちは伊吉のその豪胆と直情を愛したが、同時に伊吉の短命を危ぶまずにいられなかった。



 先頭を歩く豊相がふいに空に向かって、「骨休めは今日までだ」と言った。

 その言葉を拾って虎之介が顔色を変える。

「やっとで陣触れか⁉」目を輝かせて右手の竹棒を無茶苦茶に振りまわすと、空に抛りなげた。



  ***



 その朝、修練に出る前のこと。朝の挨拶にあらわれた豊相に、朝食をとっていた時久は椀を左手にしたまま「いよいよ明日だ」と短く告げたのだった。

 その一言で真幸院への出兵のことだと、豊相にも、朝食をともにしていた多佳にも知れた。邸では嶋津からの遣いが昨夕嵐を衝いて駆けつけ門を敲いたのを迎えていたが、してみるとあれは祝言の打ち合わせではなく、戦の始まりを告げる使者だったのだ。待ち望んだ報せに虎之介でなくとも自然と拳に力が入る。ふと庭を見ると、昨夕の嵐の余勢は樹々の梢から花や葉をいまも舞い散らしている。そこへ父は思い出したようにつけ加えた。

「多佳の客の童、虎がえらく気に入っているようだな。此頃は二ノ丸の修練に参加させていると聞いたぞ。あれも連れていけるな?」


 父が伊吉を知っていることも意外だったが、まだ家中に召し抱えたわけでもない伊吉を戦に連れて行くというのに、なおさら豊相はおどろいた。おどろいたのは豊相だけではない。隣で聞いていた多佳も口に含んだ汁を思わず呑みこんだ。父の目を覗きこむと誰に目を合わせるでもなく正面に視線を向けるようでいて、抜け目なく豊相を視界の端に捉えている。

 跡取り息子の反応を見定めようというのか? 我が父ながら喰えない男と、多佳は心中思うが顔には出さない。


「なかなかに見どころのある奴です。刀は虎が与えましたが、さて、戦場に連れるとなると鎧兜を持たせなければ」

 面喰らって豊相が答えたとき、ちょうど朝の挨拶にあらわれた千鶴が口を挟んだ。

「ではわたしの、お祖父さまから受け継いだ鎧をお貸ししましょうか? 豊さまの見込んだご家来ならば妾も何かお力になりたいですもの」

 よくぞ申してくれた、と時久は手を拍って千鶴の申し出を褒めたのだった。

「叔父上の鎧で初陣とは果報に過ぎるかもしれぬが、此の度は伊東との大事の戦。叔父上も鎧となって参ずることができるとあらば、よもやお怒りにはなられまい」

 満足げに言う時久に、多佳はますますおどろかずにいられなかった。視線をうつすと今春拾七になったばかりの千鶴が豊相に婉然と微笑むのが目に映る。

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