海辺の風景

雨世界

1 ……ずっと、昔の物語。

 海辺の風景


 本編


 ……ずっと、昔の物語。


「あ、そのままでいいよ」とかもめのお母さんは言った。

 テーブルの上には大きな画用紙が一枚あり、そこにクレヨンで書かれた絵はその四角い画用紙を飛び出してテーブルの上にまで伸びていた。クレヨンを手にしているのは小さな男の子だ。

「少しくらいははみ出してもいいよ。そのままで行こう。ね?」

 かもめのお母さんはにっこりと微笑む。

 すると男の子はすまなそうな顔をしたまま、こくりと黙って小さく頷いた。

「うんうん」かもめのお母さんは言う。

「枠におさまらないっていうのは、大切なことだよ。かもめくん」

 そう言って、かもめのお母さんはかもめの頭を優しく撫でてくれた。


 ある夏の日。

 ……穏やかな海辺にて。


 その日は、とても暑い夏の日だった。

 かもめは夏の白くて大きな雲の浮かんでいる青空の下を、かもめお母さんと手をつなぎながら歩いて、家の近くにある海を見るために出かけて行った。

「いい天気だねー、かもめくん」にっこりと笑ってかもめのお母さんが言う。

 かもめはこくんと黙って頷いた。

 二人は人気のない浜辺にカラフルなシートを引いて、そこにひまわりの柄の入ったパラソルを立てて、そこに座って、二人で一緒に穏やかな海の風景を眺めた。

 ……ざー、ざー、と言う優しい海の音がして、波が寄せたり返したりしている。

 そんな風景を見ていると、かもめの横にいるかもめのお母さんはなんだかとても眠たそうな表情になった。

「綺麗だね」かもめのお母さんが言う。

 そんなかもめのお母さんの着ている白いワンピースの裾をかもめは軽くくいくいと引っ張った。

「うん? どうしたの? かもめくん」お母さんが言う。

 かもめは少し浜辺を歩きたいとかもめのお母さんに主張をする。

「わかった。いいよ」

 かもめのお母さんはかもめと一緒に浜辺を歩くためにシートから立ち上がろうとする。だけど、そんなかもめのお母さんの動きをかもめは手で抑えた。

「かもめくんは一人で浜辺を歩きたいの?」

 かもめのお母さんはすぐにかもめの気持ちを察してそう聞いた。そんなかもめのお母さんの言葉にかもめはこくんと頷いた。

「……うん。わかった。いいよ。じゃあ私はここで少し寝ているから、……でも、かもめくん。あんまり遠くに行っちゃだめだよ」

 かもめは頷いて「わかった」と言う意味の言葉をかもめのお母さんに伝える。

「うん。いってらっしゃい」

 かもめのお母さんはにっこりと笑ってかもめに言う。

 それからかもめは大好きな地元のチームの赤い野球帽子をかもめのお母さんに頭にかぶせてもらって、それから一人で歩いて、誰もいない美しい浜辺の上を歩いていった。


 それからかもめがしばらくの間、波の近くにすぐに消えてしまう足跡を残しながら、綺麗な浜辺の上を歩いて行くと、「やあ。こんにちは」と突然、誰かに声をかけられた。

 驚いたかもめがきょろきょろと辺りを見渡すと、海岸の近くにある岩場の上に一人の『かもめと同い年くらいの子供』が座っていて、そこからかもめのことをじっと見ていた。

 かもめがじっと、その子供を見ていると、にやっとその子供は笑って、それから岩場を下りてかもめのすぐ近くまでやってきた。

「君の名前はなんていうの?」

 子供はかもめにそう言った。

 かもめは自分の服につけていた『かもめ』と自分の名前が書いてあるバッチをその子供に見せた。

「かもめ? それが君の名前なの?」

 ……そうだよ、という意味を込めてかもめはこくんと頷いた。

「かもめ。かもめか。……かもめ。かもめ。……うん。いい名前だね。君によく似合っている」とその子供は言った。

 自分の名前を褒められて、かもめは少しその顔を赤く染める。

「僕はペンギンっていうんだ。よろしく」

 そう行ってペンギンはかもめに片手を差し出した。

 その手をかもめはしっかりと握った。

 それから二人はお互いの顔を見て、にっこりと笑い合う。

 そして、二人は友達になった。


 かもめとペンギンはそれから二人で海辺の岩場の辺りを移動して、海の中にいる貝やカニなどを取って遊んだりした。

 かもめはペンギンと遊んでいる間、ずっと楽しくて笑顔で笑っていた。

 ペンギンも同じように笑っていた。

 それから楽しい時間はあっという間に過ぎていって、だんだんと太陽の位置が低く(そしてやがて赤く)なった。

 そろそろ帰らないといけない。そんな太陽を見て、かもめはそんな意味のことをペンギンに主張した。

「そうだね。うん。わかった」

 ペンギンは言った。

 二人はそこでお別れをすることになった。

 かもめは、また会える? という意味のことをペンギンの手のひらに指で書いて、ペンギンにそう聞いた。

 するとペンギンは「会えるよ。絶対に会える」とにっこりと笑ってかもめに言った。

 ペンギンがそう言ってくれたので、かもめはすごく嬉しくなって、にっこりと笑って、それから初めてペンギンと出会った岩場のところでペンギンと名残惜しいけど、手を降ってさよならをした。

「さよなら!! かもめ!!」と、帰り際、岩場の上のところからペンギンが言った。

 さよなら、と口だけを動かして、大きく手を振りながら、かもめはペンギンにそう言った。

 かもめは最後まで泣かないつもりだったけど、ペンギンの姿が見えなくなると、だんだんと悲しくなって、やっぱり泣いてしまった。

 ずっと我慢していた分、その量は思っていた以上に多かった。

 かもめはぽろぽろと泣きながら、今頃ペンギンも僕と同じように泣いているのかな? とそんなことを考えたりした。

 それからかもめがかもめのお母さんのところに戻ると、かもめのお母さんはまだパラソルの下でぐっすりと眠っていた。

 かもめのお母さんは、すごく疲れているようだった。

 かもめがお母さんの白いワンピースの裾をくいくいと二回、引っ張ると、かもめのお母さんは少しして目を覚ました。そしてかもめの顔を見て、「……おはよう。かもめくん」とにっこりと笑ってかもめに言った。

 それから二人はパラソルとシートをたたんで、二人で手をつないで綺麗な浜辺の上を歩いて、海から離れて、自分たちの家に帰った。

 その帰り道、屋台のラーメン屋さんが出ていたので、夜の薄明かりの中にあったそのラーメンの屋台で、二人はラーメンを食べた。チャーシューメンと味噌ラーメン。そのラーメンはすごく美味しかった。


 その日の夜は、とても月の綺麗な夜だった。


 かもめは次の日、ペンギンに再び会うために、かもめのお母さんに頼み込んで、昨日と同じようにかもめのお母さんと一緒に海に遊びに行った。

(かもめがわがままをいうことは珍しかったので、忙しかったけど、かもめのお母さんはなんとか時間を作って、かもめを海に連れて行ってくれた)

 だけど、かもめはどこにもペンギンの姿を見つけることができなかった。

 それからかもめは休日の日に暇を見つけては、(かもめのお母さんにお願いをして、かもめのお母さんと一緒に)海に出かけて行ったのだけど、結局かもめは、それからペンギンと再会することは一度もできなかった。

 かもめはペンギンと会えなくて、悲しくてよく泣いてしまった。

 そんな日は、かもめはかもめのお母さんの大きな胸に抱かれて、「よしよし」と頭を撫でられながら、慰めてもらったりした。


 ……そして、かもめがペンギンと会えなくなって、そしていつの間にか、ペンギン、という名前の自分の友達のことを忘れてしまってから、数十年の月日が流れた。


 かもめはかもめのお母さんのおかげで、立派な大人になり、でも、その代わりに、ずっとそばにいてくれた優しいかもめのお母さんは、かもめのそばからいなくなってしまっていた。

 かもめは、かもめのお母さんの残していったいろんな物たちを一人で整理整頓して、それをダンボールの箱に詰めていた。

 そんな作業をしていると、かもめはふと『あるもの』を見つけた。

 それは、かもめのお母さんがいつも愛用してた、『小さなペンギンの人形がくっついている携帯電話のキーフォルダー』だった。

 かもめは、そのキーフォルダーを見つけて、久しぶりに子供のころに一度だけ出会ったことのある友達のペンギンのことを思い出した。

 そして、その日、かもめは一人で、孤独なベットの中で、かもめのお母さんが風邪をひかないようにとかもめにプレゼントしてくれたあったかい毛布にくるまって、小さく丸くなって眠って、かもめのお母さんがいつも愛用していたペンギンのキーフォルダーをぎゅっと(まるでなにかのお守りや、あるいは十字架のように)握りながら、……ずっと、ずっと、ただ静かに泣いていた。

「……、ありがとう。お母さん。今までいろいろと、ごめんなさい」

 小さな声で、かもめは言った。

 すると、『……どうしたの、かもめくん? なんで泣いているの? なにかとても悲しいことでもあったの?』と、ずっと遠くの世界から、かもめのお母さんがにっこりと笑って、あの、とても、とても優しい声で、……いつものように、かもめにそう言ってくれたような気がした。


 海辺の風景 終わり

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