最終話 女
ライブ配信中に自殺を図ったあの男は、本当に死んでしまったのだろうか。
毎晩欠かさずに行われていた配信は、あれからぷっつりと途絶えてしまっていた。そのせいで、俺は深い喪失感を味わっていた。男の監禁生活の結末がどうなるのか気になって仕方がなかったのに、あんなにもあっけなく最期を迎えてしまうとは、予想していなかったのだ。
男の配信を観ることはもうできないのかもしれない。だが、一体誰が、何のために男を監禁していたのかという大きな謎は残されたままだった。男が「奴ら」と呼んでいた、何か組織のようなものが背後にいるような気配はあったが、今となってはその正体を知る手掛かりもなくなってしまった。
男は本当に死んだのか。そして、男を監禁していた組織の目的は何だったのか。それらを知りたいという好奇心のようなものが、俺の中でずっと消えることなくくすぶり続けていた。だから俺は、あの日から毎晩ずっと、「監禁中」というキーワードでバズライブの配信を検索して、何か動きがないかどうか確かめ続けていた。
そんなある日、俺はふと思いついて、グーグルの検索窓に「バズライブ 監禁中」と打ち込んでみた。すると、あの男に関するまとめサイトができていることに気づいた。そのサイトでは、男が自分の首に串を突き刺すショッキングな動画と共に、そこに至るまでの経緯について詳しく説明されていた。おそらく、男の配信をずっと観続けていた誰かが作成したサイトなのだろうが、それがSNSや掲示板などで拡散され、ネット上でちょっとした話題になっているようだった。
男が最後の配信を行ってから一週間ほど経った頃、俺はいつものように「監禁中」というキーワードでバズライブを検索した。いつもなら「検索結果は0件です」と返ってくるのだが、その時は、ライブ中の配信が1件だけ表示された。「おや?」と思い、サムネイルを確認すると、そこには例の白い壁の部屋が写っていた。人の姿は何も写っていないのだが、配信タイトルは確かに「監禁中」となっている。俺は、はやる気持ちを抑えながら、そのサムネイルをクリックした。
配信画面に切り替わると、白い壁の部屋が映し出された。奥の方には、小窓のようなものがあって、確かにこれはあの男が監禁されていた例の部屋だ。だが、男はもうここにはいないようだった。やはり、男は死んでしまっていて、その死体はもうこの部屋ではなく、どこか別の場所に移されてしまったのだろうか。
画面右上に表示されている現在の閲覧者は1名。つまり、俺だけだった。こんな、人の動きが何もない退屈な配信を観ている者など他に誰もいないだろう。
それでも俺は、しばらくその画面をじっと睨み続けていた。男がもういないのだとしても、なぜ今頃になって再び監禁部屋からの配信が始まったのだろう。
しばらくして、しびれを切らした俺は、何かコメントを打ち込んでみることにした。
『すいません、誰もいないんですか?』
反応は何もなかった。それでも俺は、ひたすら配信画面を凝視し続けていた。左下の配信経過時間を確認したが、終了までにはまだかなりの時間がある。
すると、しばらくして画面に動きがあった。下の方から、ゆっくりと人影が起き上がってくる様子がカメラに映し出された。
長い髪。女だ。
俺は虚を衝かれた。まさかこの画面に、女が出てくるとは思ってもみなかったからだ。
女は、ぼんやりとした表情でカメラの方を向いていた。カメラの前で座りこんでいるのだろうか、画面には上半身しか写っていない。白っぽいブラウスを着ていて、目鼻立ちのくっきりとした、髪の長い綺麗な女だった。
俺はその女に向けてコメントを入れた。
『あなたは誰ですか?』
女の目線と表情に変化があった。どうやら俺のコメントを目にしたようだ。
「え、これなんなの?ここ、どこよ…」
そう呟くと、女はあたりをぐるりと見回した。そして、顔を真後ろに向けて、床の方に視線を飛ばした瞬間、肩を震わせて「ひっ!」という小さな悲鳴をあげた。
しばらくして、カメラの方に向き直ったが、顔から表情が失われていた。唇が少し震えている。
俺は続けてコメントを打ち込む。
『どうしたんですか?』
そのコメントを目にした女が、ゆっくりと絞り出すように声を出した。
「後ろに誰かが倒れてるんだけど、その人の首のところに何か突き刺さってて、血もたくさん出てて…」
俺は驚いていた。女が話しているのは、おそらくあの男の死体のことだ。あれから一週間経っても、まだこの部屋の床に放置されていて、あろうことかそこへ新たな監禁者が連れ込まれたということなのか。
一体何がどうなっているのかわからなくなってきた。と同時に、俺の心の中に新たな好奇心の種がふつふつと湧き上がってくるのを感じていた。
『その人、もう死んでますよ。一週間ほど前に亡くなったんですよ。』
「死んでるって…どういうこと?っていうか、あなた誰なんですか?」
この女は、まだここに連れてこられてきたばかりなのだろうか。自分の置かれている状況が全く飲み込めていないようだった。
『監禁されているんですよ、あなたは。』
「監禁って、どういうこと?」
『どうやってその部屋に入ったんですか?』
「…さっき仕事が終わって、家へ戻ろうとして道を歩いていたところまでは覚えているんだけど。何か突然後ろから首元に衝撃が来て、その後、気がついたらここにいて…」
『誰かが、あなたをここへ連れてきて監禁しているんです。』
女が、眉間に皺を寄せて、とても理解できないという顔をしていた。確かにそんなことを突然聞かされても、すぐに理解できる方がおかしい。だが、俺はさらに説明の難しいことを女に伝えなければならなかった。
『で、そっちの部屋の様子が、ネット上でライブ配信されているんですよ、今もずっと。』
「え、今も?この部屋がネットで誰かに観られているっていうこと?」
『バズライブっていうライブ配信サイトで観れるようになっているんですよ。僕は今、そのサイトで、あなたの顔を見ながらこのコメントを入れています。』
「ちょっと待って。どうしてそんなことになっているの?」
『それはわかりません。ただ、あなたの前にも、その部屋で監禁されていた人がいて、その様子がバズライブでずっとライブ中継されていたんですよ。その人は、一週間ほど前に、そこでの監禁生活を苦にして自殺を図りました。今、あなたの後ろで倒れている男性が、たぶんその人なんですよ。』
女は、後ろを振り返ろうとして、やはり止めて前に向き直った。人の死体と一緒に密室に閉じ込められ、その様子をネットで配信されるという異常な状況に置かれて、正気を保つのに精一杯といった様子だった。
「ねぇ、あなた。警察に連絡して、今すぐ。」
『駄目ですよ。今のこのやり取りも、あなたを監禁している連中がずっと監視していて、もし警察のことなんか話題に出したら、この配信はすぐに打ち切られてしまいます。そうなったら、もう外の世界とのやりとりはしばらくできなくなるんです。前に、その部屋に監禁されていた男性が、そう言ってました。』
「じゃあ、どうすればいいのよ。このままずっとここに閉じ込められたままでいろっていうの?」
俺はコメントに詰まった。つまりはそういうことだ。出口はどこにもないのだ。
俺は話題を前向きな方向に切り替えようとした。
『配信中に投げ銭が貰えると、それに応じて食料が提供されることになっているみたいですよ。』
「…どういうこと?」
『バズライブの仕組みで、閲覧者から配信者に対して投げ銭を送ることができるようになっているんですよ。その金額に応じて、おにぎりやパンなんかの食料が、そこの後ろの壁についてる小窓から投げ込まれるようになってるらしいですよ。』
女が、何かを考え込むような顔つきになった。
「私、バズライブじゃないんだけど、別のサイトでライブ配信をやってたことがあるから、仕組みはわかるんだけど…。要するに、注目を浴びるようなことをして、それで閲覧者から投げ銭を受け取ることができれば、何か食料がゲットできて、空腹はしのげるっていうことね。」
『その通りです。ライブ配信をやったことがあるんですか?』
「自宅で、顔にメイクする様子を配信したりしてたの。あまり人気は出なかったんだけどね。」
『お化粧配信っていうやつですね。』
女の顔つきはとても整っているので、この顔をベースにメイクすれば、さぞかし化粧映えするだろうなと俺は思った。この女は、自分の美しさを充分認識していて、なおかつそれを他人に向かって上手くアピールする術を持っているのだろう。そしてそれを、ネットを通じて世界中に向けて配信しているというところから考えて、おそらくこの女は、自らの美貌を周囲に誇示することに快感を覚えるタイプなのだろう。自己顕示欲と承認欲求の塊だ。
面白くなってきたな、と俺は思った。この女が、これからどんな配信を観せてくれるのだろうか。
「私、ちょっとこの部屋調べてみる。どこかから出られたりしないかな。」
女はそう言うと立ち上がり、カメラの前から姿を消した。しばらくして、そこかしこからコンコンと壁を叩くような音が聞こえてくる。どこかにこの部屋から脱出できる出口がないか調べているのだろうが、そんなことはあの男が今までに散々調べていたはずだ。おそらく、その行為に意味はないだろう。
ふと、画面右上の閲覧者の人数に目を向けると、14人と表示されていた。俺以外にも、徐々に閲覧者が集まり始めている。少し多いな、と俺は思った。バズライブでは、若い女性が顔を晒して配信していると、それなりに男性の閲覧者が集まってくる傾向がある。むさくるしい男がやっていた時とは違って、これからさらに閲覧者が増えていく可能性があるということか。
女がまたカメラの前に戻ってきた。少し怯えたような、それでも何かを考え込むような難しそうな表情をしながら、カメラに向かって話し始めた。
「ねぇ、後ろで、その、亡くなってる男の人のことなんだけど…」
女はそこで、後ろを振り返った。一呼吸置いて、こちらに向き直る。
「この男の人、私知ってる。多分、知り合いだと思う。」
女が意外なことを言い始めた。
「昔の、学生時代の頃の知り合いだと思う。」
『本当に知ってる人なんですか?』
「大学の時に、同じゼミにいた人だと思う。もう10年以上会ってないんだけど、面影は変わってないから、間違いないと思う。」
『どういう関係だったんですか?』
「ただの、友達だったんだけど…向こうはそう思ってなかったみたいで、何度か告白されたんだけど、その度にお断りして、っていう、そんな感じかな。」
妙な話だ。どうして過去にそんな繋がりのある男女が、続けて監禁されているのだろう。
女が眉をひそめながら話を続ける。
「それで、卒業してからは全然接点がなかったんだけど、最近フェイスブックで、この人から声をかけられて、しばらく交流していた時期があって…」
『つい最近まで、やりとりしていたんですか?』
「ええ、フェイスブック上だけの付き合いに留めてたんだけど、『会いたい』とか言い始めて、それでブロックしたのよ。」
男は、よほど女のことが好きだったのかもしれない。何度も好意を伝えても、決して相手にはされない悲しみがこちらに伝わってくるようだった。「貧困と孤独と退屈」という男の言葉が脳裏をよぎる。おそらく男の人生は、これまでずっとその3つの言葉に象徴されるような闇の中にあったのだろう。そこに差し込んだ輝かしい一寸の光が、この女の存在だったのかもしれない。
「そしたら、なんか、ネット上でストーカーみたいなことをされるようになって。教えていないメールアドレスに、この人からのメールが届いていたり。お化粧配信している時にも、閲覧者として現れるようになったりして…怖かった。」
女の顔が、嫌悪感に満ちあふれていた。綺麗な女が、こういう表情をするのはあまり見たくないなと俺は思った。
それにしても、不可解だった。どうしてそんなに長期に渡って確執のある男女が、続けて監禁されているのだろうか。何の意図があって、そんなことが行われているのかがわからない。
画面右上の閲覧者数は、上がり続けていた。もうまもなく50人に到達しようとしている。女は、芸を披露するようなことは何もしていないが、それでもこれだけの人数が集まってきている。おそらく、男の自殺騒動がここ一週間ほどネット上で話題になっていたことから考えて、この配信に世間からの注目が集まっている可能性がある。今、ネットで話題の監禁配信だということに気づいた人々が、一気になだれ込んでこようとしているのかもしれない。ぽつぽつと他の閲覧者からのコメントも入り始めていたが、そのほとんどが『はじめまして』『大丈夫ですか?』など、特に意味のないものばかりだった。
女は話し続けている。
「この人、働いてなくて生活保護受けてるって自分で言ってたし、何考えてるのかよくわからなくて…なんか気味悪かったな…」
だんだん男が気の毒になってきた。どうして死んだ後になってまで、ここまで酷いことを言われなければならないのだろう。
少したしなめるような内容のコメントを打とうとしてキーボードに向かったその時、画面に映し出された女の背後に、なにか影のようなものが映っていることに俺は気づいた。
モニタに顔を近づけて、注視してみる。
人影だった。女の後ろに、誰かが立っている。
そんなはずはない、と俺は思った。その部屋には、女以外に誰もいるはずかない。しかし、他の閲覧者も異常に気がついたのか、コメント欄がその内容で流れ始めた。
『うしろ!うしろ!』
『後ろに誰かいるよ』
『逃げてー』
女がコメント欄の様子に気づいたのか、背後を振り返ろうとした。だが、それよりも一瞬早く、女の背後から手が伸びてきて、後ろから女の長い髪を鷲掴みにした。
女が、「痛い!」と叫んで、その顔が苦痛に歪んだ。女の顔の横から、にょきっと別の顔が突き出されてきた。女の髪を背後からつかんでいる、その人物の顔。ニタリと満面の笑みを浮かべながらカメラの方に視線を向けたその顔が誰なのかわかった時には、俺は信じられない気持ちになっていた。
あの男だ。死んだはずのあの男が、さっきまで死体として床に転がっていた男が、起き上がって、女の背後から髪を掴んでニヤニヤと笑っていた。
「お、閲覧者が100人を超えてるじゃねぇか。すっかり人気配信者だな!」
男はそう言うと、女の髪を掴んだ手をカメラの方に押し付けた。もう片方の手には刃物のようなものが握られている。そのことに気づいた俺は、思わず「やめろ!」と声に出して叫んでいた。
「俺がお化粧してやるよ!」
男が刃物の切っ先を、女の額に当て、すっと横に引いた。女が「ぎっ!」という声を上げた。同時に、血しぶきがあがり、それがカメラの方まで飛んでくるのがわかった。俺は思わず目をそむけた。
「おらよ、みんなに観てもらえて幸せだろう!」
額から血を流し続ける女の顔が、恐怖を通り越して絶望の表情にまみれている。
男が刃物を女の首筋に当てた。女が絶叫する。男はそのまま、刃物をゆっくりと力強く横に引いていく。女の首筋がゆっくりとざくざく断ち切られていく様子が見えた。絶叫していた女の声が徐々にかすれて、ひゅーひゅーという苦しそうな音色に変わり、やがて途絶えた。切り裂かれた首筋から、ゴボゴボと鮮血が吹き出してくるのが見えた。
そのまましばらくして男は、女の髪から手を放した。女はその場に崩れ落ち、どさりという音を立てて、カメラから見えなくなった。
男は、尋常ではないほどの返り血を浴びていた。顔に飛び散った血しぶきを手で拭いながら、カメラの方に向き直る。
閲覧者は100人以上いるにもかかわらず、もう誰もコメントを書き込む者はいなかった。
「さっきまで死んだふりしてたから大変だったぜ。この女もだが、お前らも見事に騙されてたな。」
男はそう言って、ニヤリと笑った。楽しくて仕方がないといった顔だった。
「ていうかよ、最初から最後まで全部、俺の一人芝居だったってわけさ。俺の自殺配信で世間からの注目を浴びておいて、そこにあの女をひっぱり出してきて、復讐してやりたかったのさ。」
男のその言葉を聞いて、俺は全てを悟った。
なんらかの組織によって監禁されているようにみせかけていただけで、実は最初から最後まで全て男の仕込みによる一人芝居に過ぎなかったのだ。そして、配信中に自殺するという衝撃的な動画をネット上で拡散させ、世間からの注目を集めた。その上で、個人的に恨みを抱いていた女を監禁し、大勢が観ている前で彼女の美貌を傷つけ、最後には命まで奪った。
「お前ら閲覧者は、俺に利用されている駒の一つに過ぎなかったんだよ。ありがとな!」
そう言って、男は「はははは!」と高らかな笑い声を上げた。
その笑い声が途切れると同時に、画面が暗くなり『配信終了』の文字が表示された。
配信が終了した後も、男の笑い声が耳に残り続けていた。俺は、ただただ脱力して、目の前の画面をじっと見つめ続けることしかできなかった。
(了)
監禁中 さかもと @sakamoto_777
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