第2話 男
次の日の夜、11時になると俺はパソコンでバズライブのサイトを開き、検索窓に「監禁中」と打ち込んだ。すると検索結果に、昨日の男の配信ページが表示された。今現在、ライブ配信中だった。俺はクリックしてそのページを開いた。
画面がライブ配信に切り替わる。画面中央に男が映し出された。少しカメラから離れた位置で、立ち上がった状態でこちらを向いている。相変わらずひどく顔色が悪い。しばらく観ていると、何か奇妙な踊りのようなものを踊り始めた。それに合わせて何かの歌も歌い始めた。
「おねがいーおねがいー傷つかないでー」
男の野太い声に合わせて、小太りの体が小刻みに揺れている。思わず俺は苦笑した。
画面右上に表示されている現在の閲覧者数を見ると「4人」となっていた。今現在、俺以外にこの配信を閲覧している人間が3人いるということだ。
どうやら男は、閲覧者が何人か集まってきたので、彼らからの投げ銭を目当てにして、なんとかして笑いを取ろうとしているようだ。
コメント欄に目を通すと、他の閲覧者からの投稿がいくつかされていた。
『つまんねーよ。』
『なんだよその踊り。歌もヘタクソだし見てらんねーよ。』
『なんかもっと面白いことやれよ。』
書き込まれているコメントのほとんどが野次というか、罵詈雑言のような文句ばかり並んでいて、俺は少し引いてしまった。
『なんかモノマネやれよ、モノマネ。』
また新たなコメントが投稿された。男がそのコメントを目にしたようだ。
「えー、モノマネのリクエストが入りましたので、今からモノマネやります。まずは、郷ひろみから…」
そう言うと、男は郷ひろみの曲を歌い始めた。しばらくその様子を眺めていたが、特に似ている訳でもなく、笑いを取るにしても中途半端な出来だった。
しばらくして、また他の閲覧者からコメントが書き込まれる。
『こいつ言われたことなんでもやるんだぜ。バカみてーだろ?』
『恥ずかしくないのかな?』
『本当に監禁されてんのかよ、こいつ。ぶっちゃけネタだろ。』
男を中傷するようなコメントが続いている様子を眺めていて、なんとなく感じたことだが、これを書き込んでいる閲覧者たちの年齢はずいぶんと若そうな気がする。もしかすると、学生くらいの年齢の閲覧者も混じっているのかもしれない。それに対して、配信者の男の年齢は30をいくつも超えているように見える。若い連中からこんなことを書かれて、つらい気持ちになったりしないのだろうか?
いつの間にか、男のモノマネが和田アキ子に変わっていた。どうやら曲の途中で、モノマネする人物が次々と入れ替わっていくスタイルの芸らしい。よくテレビなどで芸人がやっているようなネタの真似事だろう。
『ほんとくだらねーな。でもちょっと笑ってしまったわ。』
『しょうがねえな。100円投げといてやるよ。』
『まだまだこれからだぞ。明日も観に来てやるからよ。なんかネタ考えとけよ。』
一曲歌い終えた男に対して、彼を卑下するようなコメントがさらに書き込まれ続ける。
それらに目を通していると、俺はだんだん辛い気分になってきていた。
学生時代に、よく周囲からいじめられていた奴がいたが、その頃の記憶が蘇ってきた。スクールカーストで上位の奴らが下位の者に命令してバカなことをやらせて、それをクラス全員で眺めて笑っている時の記憶。当時の俺は、そんな風にいじめられている奴のことを気の毒に思いながらも、助けの手を出すこともできずに、ただただ傍観していただけだったのだ。
いつの間にかコメントの流れが止んでいた。ふと、画面右上の閲覧者数を見ると「1人」になっている。つまり、今は俺以外にもう誰もこの配信を観ている者はいないということだ。
俺は恐る恐る、コメントを打ち込んだ。
『こんばんわ、昨日初めて観に来た者です。』
「ああ、昨日の人か。今日も来てくれたんだな。ありがとう。」
男がニヤニヤと笑いながら答える。表情は笑っていても、目だけは絶対に笑っていない。それが、どこか不気味に感じられた。
『ずいぶんといじられてましたね、さっきの人たちに。』
「しょうがないよ。背に腹はかえられないからな。」
『食事とか、大丈夫なんですか?』
「ああ、腹減ったな。けど、今日はいくらか投げ銭が貰えたから、なにか食い物がゲットできそうだな。」
『そうですか…でも、そこにずっと閉じ込められてるっていうことは、今頃ご家族か誰かが心配されてるんじゃないですか?』
そうコメントを入れると、男は少し遠い目をしながらゆっくりと話し始めた。
「俺には家族はいないんだ。もともと貧しい一人暮らしで、生活保護を受けてたんだがな。一念発起してアルバイト始めようと思って、出勤してみたらこのザマさ。」
『アルバイトって、何のアルバイトですか?』
「一日中パソコンの前で行う軽作業って聞いてたんだがな。奴ら、俺が出勤した初日に無理やりここに俺を連れ込みやがった。」
『なんとかして、その部屋から抜け出す方法はないんですか?』
「俺だっていろいろ試したさ。けど、どうやっても無理なんだ。この部屋には、あそこの小窓以外に外の世界と繋がってる場所はない。壁は叩いても蹴飛ばしてもびくともしやしねぇ。」
俺はしばらく間をおいて、コメントを打ち込んだ。
『例えば、僕が警察にこの配信ページを通報したら、あなたのことを捜索してくれるんじゃないですか?』
「ダメだダメだ!やめてくれ!」
男が急に血相を変えて慌て始めた。
「この配信は、俺を監禁している奴らから常に監視されてるんだ。もし奴らがちょっとでも警察に通報されそうな気配を感じ取ったら、そこで配信は強制的に終了させられる。そうなったらしばらくは毎日の配信もなくなってしまって、おまんまの食い上げさ。」
なるほど、と俺は思った。つまりこの男は永遠にこの部屋に監禁された状態で、そこから毎日決まった時間に配信を続けるしかないということだ。生き残るためには、そうするしかない。だが、一体誰が何のためにそんなことをさせているというのだろう。どうもそこが解せない。
そんなことを男と話している間に、画面の左下に表示されている配信時間が29分を過ぎようとしていた。バズライブの仕様で、これが30分になると、自動的に配信は終了する。
『そろそろ終わりですよね。明日もまた観に来ます。』
「ああ、投げ銭もよろしくな。」
男のその言葉を最後に、画面が暗くなり『配信終了』の文字が表示された。
男の話のどこまでが真実なのかよくわからなくなってきた。昔のテレビ番組で、芸人をマンションの一室に長期間閉じ込めて、何かひたすら芸をやらせるという企画をやっていたことがあるが、あれに近いようなことがここでは行われている。だとすると、これは何かのテレビ番組の企画だったりするのだろうか。それとも、男が本当に何かの犯罪に巻き込まれて監禁されているのだとすると、警察やバズライブの運営に通報した方がよいのだろうか。
俺はどうすればいいのかよくわからなかった。
ただ、今の俺は、あの男に激しく興味を惹かれていた。これからどうなっていくのだろう。投げ銭が入らない日が続くようなことがあれば、そのまま餓死してしまったりするのだろうか。あそこから脱出できる日が来ることがあるのだろうか。まるで、結末の予測できない映画を観てハラハラさせられているような気分だった。
翌日からもずっと、俺はあの男の配信を観続けていた。
男は、相変わらず芸とも思えないようなくだらないことを、毎晩カメラの前で披露し続けていた。閲覧者は少なかったが、彼らから野次を浴びたり、たまに投げ銭を落としてもらったりするという流れも変わることはなかった。
俺は、男の配信を観始めた頃に感じていた罪悪感のようなものが、虐げられている者をただ傍観しているだけのあの後ろめたさが、日が経つにつれて徐々に薄れてきていることを感じていた。
むしろ、他の閲覧者と同じで、男のことを激しく嘲って笑い者にすることに快感を覚えるようになっていった。実際にコメントで男を中傷するようなことはしないが、男を観察するスタンスとしては徐々にそうなりつつあった。
この配信を観ている人間が、自分以外にほとんどいないということも、なにかしら俺の胸をときめかせてくる。この男を生かすも殺すも自分次第で、まるで他人の命を自分の指先ひとつでコントロールできているような快感と言えばよいのだろうか。つまりは、自分専用のオモチャを見つけたような気分だったのだ。
このままこの男の観察を続けて、どうなっていくのか最後まで見極めてやろう。そういう気持ちになっていた。
そんなある日の配信中のこと、俺以外に閲覧者がいない時に、男が俺に対して直接話かけてくることがあった。
「なあ、人間にとって一番つらいことって、なんだかわかるか?」
俺はしばらく考えたが、男が俺に何を答えさせたいのかよくわからなかった。苦し紛れに『空腹ですか?』とコメントした。
「違う。」
男は少し嘲るような表情になりながら、こちらに鋭い視線を向けた。
「貧困と、孤独と、退屈だ。その3つが人間を死に向かわせるんだ。」
なんだか哲学的なことを言い出したな、と俺は思った。その時の男の顔は、ひどくやつれて憔悴しきっているように見えた。まさに苦悩する哲学者といった風貌になっている。
「俺は、ここに連れてこられる前には、四畳半のボロアパートにずっと住んでいたんだ。ナマポ暮らしだった頃だ。金もない。友達も恋人も家族もいない。やることもない。貧困と孤独と退屈に押しつぶされそうで、毎日本当につらかった。」
男はそこでうつむくと、大きく肩を落として息を吐き出した。再びこちらを向いて話し始める。
「けどな、あそこで意味もなく目的もなく毎日ゴロゴロしながら過ごしていたのと、ここで監禁されている生活と、一体何が違うのかと思うことがよくあるんだ。」
俺はなんとコメントしてよいのかわからずに、ただ画面の中の男の顔をじっと見つめ続けていた。
「ここでの生活も、毎日食う物にも困っていて、誰とも接点がなくて、配信時間以外は何にもやることがない。けど、もしここから外に出られたとしても、結局はここと同じような生活に戻ることになるのかと思うと、もうなんの希望も持てないなって思うんだ。」
男の声のトーンが揺らいでいた。涙は流していないが、ほとんど涙声になっている。
「もう死にたいんだ。終わりにしたい。」
そう言って男は目を閉じた。どうやら、かなり精神的に追い詰められているようだった。
さすがにこれには俺も、何か手を差し伸べてやりたいという気持ちになってしまった。何かこの男を救う方法があるのではないかと真剣に考えを巡らせてみた。だがすぐに、男を救うことよりも、このまま男を放置して観察を続けてみたいという気持ちに抗えなくなっていく。
男の話を聞くにつけ、どうせこの男は、社会的にはもう死んでしまっているのと同様の人間だ。いまさら元の世界に戻る自由を手にしたところで、一体なんの意味があるというのだろう。そう思った俺は、結局何もせずに、このまま観察を続けることを決意していた。
ただ、投げ銭だけはいくらか落としておいた。男に餓死されては困るからだ。
その夜も俺は、いつものようにあの男の配信を観察していた。
閲覧者が何人か集まってきたところで、男は立ち上がった。カメラに向かって「それでは今日はダバンプを歌います。」と言って、くねくねとタコ踊りのような動きをしながらダバンプの曲を歌い始めた。
最初に男の配信を観た時から、もうかれこれ一ヶ月以上が経過しているだろうか。ろくに食事を取っていないせいなのか、初めて観た時には小太りだった男の体も、ずいぶんと痩せてきているように感じられた。
ひとしきり歌と踊りが終わると、いつものように『見苦しいぞオッサン』『もう見飽きたわ』などといった、野次コメントが乱れ飛び始める。
そんな中、男が唐突にカメラの方を向いて何かを話し始めた。大事なことを決意した時のようなすっきりした表情をしている。その姿に何か妙な気配を感じた俺は、男の言葉に耳を傾けた。
「僕の配信は、今日をもちまして最後となります。いままでお付き合いいただいたみなさん、どうもありがとうございました。」
そう言うと、男はズボンのポケットから、木でできたような鋭い棒状の物体を取り出した。それを見た俺は、焼き鳥の串みたいだなと思った。
男は、カメラに向かってまっすぐな視線を向けながら、その串をためらいもせずにずぶりと自分の喉元に突き刺した。
うぐぐっという呻き声と共に、男の喉元から血が吹き出してきた。男は喉元を両手で抑えながら、ゆっくりとそのまま崩れ落ちていく。そして、床に倒れてしまったように見えた。床の部分はカメラから外れてしまっているので、男がどうなっているのかこちらからは見えない。ただ、もう男は起き上がってこないし、何の物音も聞こえなくなってしまった。
『おい、こいつ何やってんだ?』
『さぁ、何かを喉に突き刺したように見えたけど。』
『まじかこれ、やばくね。』
閲覧者たちのコメントがざわついていた。
男が、自殺を図ったのだということはわかった。「もう死にたいんだ。終わりにしたい。」と言っていた男の声が、俺の脳裏に蘇ってくる。
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