本能寺の燃やし方

萬朶維基

本能寺の燃やし方


 自動車産業の関係からか東海地方はブラジルやペルーなどの南米出身の外国人労働者が多く、あたしも含め高校のクラスメイトは、親と一緒にサンパウロから、リマから、リオデジャネイロから来た奴らが半分を占めていた。なので必然的に教室のおしゃべりもポルトガル語かスペイン語かという感じなのだが、その中で日系アメリカ人の留学生であるアンの存在は目立った。彼女は英語と日本語以外をほとんど喋れないのである。

 だからといってアンを爪弾きにするほどうちのクラスの奴らは心の狭い連中じゃない。一緒にバスケしたりソシャゲしたりカポエイラ道場行ったりしてよく遊ぶし、特に親父がリオの大学で日本語研究者やってたあたしとアンはよくつるんで共通語の日本語で放課後なんかにダベることが多かった。

 今日もあたしらは高校近くのハンバーガー屋二階の一席を占拠して、七月あたまに迫った期末テストをどうするかについて、とりとめのない会話を垂れ流していた。

「ムグムグムグ、そんで記憶系は一夜漬けで何とかなるんだけどよ、数学みたいな応用ものになると、ちょっとひっかけ出されただけでお手上げになっちまう、そこを何とかしてぇのよ~」

「さいですかさいですか」

 フィッシュバーガーを頬張りつつ繰り出すあたしの愚痴を聞き流しながら、アンはテーブル中央に広げたポテトを左手でつまみつつ右手で掲げた本を読んでいた。親父の優秀さをあまり受け継がなかったあたしと違って、頭のいいコイツは印刷された日本語の本をつねに学生鞄のなかに入れているのだ。だからといって会話の途中で本を読まれると若干腹が立つ。

「この本? 面白いよ。元はウェブ小説なんだけどね」

 わたしの睨めつきを本への興味と解釈したのか、聞かれてもないのに本の解説をし始めた。こういうときにアンの顔は輝き出すのだ。

 よく見ると、表紙ではゴツいちょんまげで半裸のおっさんと、これまた半裸で筋肉質なチビのガキが睨み合っていて、〈マーシャルアーツ最強の俺が戦国にタイムスリップして日本を救うって!?〉という文字が踊っていた、キャッチコピーはともかく、タイトルはどこにいったのだろう。

「その長文がタイトルだよ。アメリカで格闘技最強のティーンエイジャーが、ひょんなことから戦国時代にやってきて、織田信長と戦うっていう、まぁタイトル通りの内容なんだけど」

「ノブナガぁ?」

 さすがに織田信長ぐらいは知っている。なんたってここ東海地方の出身じゃ一番の有名人だ。尾張のショーグン、戦国の覇者。駅前にゃデカい銅像が立っている。

「信長、そんなゴツい顔じゃないだろ。もっとゆで卵みたいな頭してたろ」

「ゆで卵じゃあ倒しがいがないじゃない。ネット小説界隈じゃ、最近こういうのが流行ってるんだよ。シェフや軍人や高校生が、ひょんなことから戦国時代の信長のもとにタイムスリップして歴史を好きに変えちゃうってやつ」

「ほーん……」

 ポルトガル人と最悪の出会いを果たしたブラジルのそれと違って、室町に戦国、桶狭間に長篠と、こっちの16世紀では戦乱政変、しかしどこか牧歌的なイベントが多く発生している。その後の17世紀と違って、そのサムライとニンジャが紡ぐ時代のうねりのダイナミズムに魅せられる奴は多く、あたしもよく映画になってるそのへんの時代が結構好きな方なのだが……しかし、それにしてもだ。

「ていうか、戦国で歴史改変って縛りで全員で同じ話書いたら、内容かぶったりしねぇのか」

「そりゃあかぶるね、モロに。でも作者ごとの小手先の変化を楽しむジャンルだから、こういうのは」

「悪役令嬢ものみたいなもんか……」どうもそういうのの面白さがわからない。「でも変えるって、どういうふうに? 個人の力じゃいろいろ限界あるだろ」

 その質問を待ってましたとばかりにアンは身を乗り出した。

「私が好きなのだと……タイムスリップしたスナイパーが、杉谷善住坊に成り代わって信長の銃撃を成功させるっていうのがあるね」

「すごいけど地味そうだな。マーシャルアーツのほうがまだいいや」

「確かにこれは地味だね……一国一城の主になって戦国姫のハーレムをつくる、っていう主流から比べたら特にね。あと結構共通してるのが、明智光秀か徳川家康の家臣に一時期なるってところ」

「どっちも反逆者じゃん」

「そりゃあ、戦国史を大きくいじるなら信長を天下統一の前に死なせるのが一番じゃない。歴史を一度だけ変えられるなら、本能寺の乱を成功させて信長の大陸進出を止めたい、っていうのが日本民族の血を継ぐ人の、共通した思いじゃないかな。環太だのオホーツクだのに関わらず」

「でもよ……」あたしはフィッシュバーガーの紙袋を折りたたみながら、「大陸進出をやめたら領土欲は満たされないぜ。戦国の話としてそれでいいもんかな」

「内政チートにも楽しみがあるの。その後の歴史をなぞるよりましじゃない」

 願望がデカいの小さいのかわからん話だが、確かに17世紀まで話を進めると事態がタイムスリッパー一人の能力を超え始めるというのは確かである。その後の歴史、ていうのが、ちょうどいま歴史の授業でやっていて今度テストになる範囲なのだ。

 1910年にイエズス会と手を組んで中国の南半分を征服した織田信長の勢力は、新たに「信」という王朝を築き上げた。

 楽市楽座を発展させた経済政策などで出だしは順調に思えたのだが……1630年代に地球が小氷河期に突入すると、その制度が一気に崩壊した。

 終わりなき戦争によって栄養失調のまま肥大化した帝国は、蔓延する飢餓や疫病に何の手立ても打てなかった。信長は天賦の才であったが、信長以降に天才は現れなかったということだ。

 そもそも巨大な植民地を運営するという経験のなかった島国に振り回され、抑圧と叛乱と虐殺が大陸を支配した。ようやく小氷河期が終わったと想ったら、今度は戦乱による冊封体制の崩壊に乗じてアジアの奥深くまで入り込んだオランダ・イギリスとスペインが新旧キリスト教の代理戦争を開始し、信長当人によって天皇制が遥か前に廃止された島国を否応なく巻き込んだ。そこに新興国アメリカとドイツが参入し……。

 あたしは窓の外を見た。

 英米太平洋戦争の空襲で破壊を免れたコロニアル様式の建造物があちらこちらに残っていて、ハンバーガー屋の二階からそれがいくつか見てとれた。環太平洋連邦東海地方は19世紀に何が何でも紅茶が欲しい英国によって静岡の茶畑ごと植民地にされた黒歴史がある。オホーツク社会主義共和国にしても中華連邦領九州にして、かつて日本と呼ばれた島の17世紀以降にはろくな思い出が残っていない。

 かつて世界を支配した元王朝と同じく、信王朝の滅亡もまた惨め極まりないものだった。400年の戦乱の歴史のなかで、日本民族は同族間の内ゲバと漢民族の叛乱によりほとんど滅亡し、今では少数民族だ。日系アメリカ人のあいだの言語復興運動で日本語はかろうじて生き残っているというものの……。

 そんな歴史に思いを馳せる沈黙があたしたちの上に降りた。

「やっぱりあたしは好きじゃねーな、そういうの」

 アンの機嫌を損ねてしまうのを覚悟であたしは言った。

「別にアンの趣味をどうこういうつもりじゃないんだけどさ、あたしの心的にさ、ここう、歴史を選んでしまった責任もなしにいじくりまわすっていうのは納得いかないというか、なんというか……」

 頭を掻いて言葉を見つけようとするあたしを見て、アンはンフフと笑った。何かいいことがあった時に出すいつもの笑い方だった。

「ま、私もアメリカのネットの流行りっていうから印刷してもらったんだよね。日本語の練習も兼ねて」

 アンはううんと背伸びをすると、ポテトの最後の一切れかっさらって口に放り込んだ。そして本を鞄にしまうと、

「もう日が暮れちゃったし、帰ろうか。今日は私のおごりでいいよ」

 店を出ると、確かにもう夕日が街を赤く染めてる頃合いだった。さまざまな人種の入り乱れる人混みのなかを、近くのバス停まで二人で歩いた。

「しかし絶滅寸前の少数言語で会話してる女子高生ってかなり異常だね」

「アメリカのウェブ小説をわざわざ業者に頼んで印刷してもらってる異常なおまえと一緒にすんなって」

 バスはすぐにやってきて、信語と英語とスペイン語でアナウンスが流れた。

 あたしはそれに乗り込みアンと別れた。信号が変わるとともに手を振るアンはどんどん遠ざかってゆき、やがて人混みに紛れ見えなくなった。

 さっきアンに言おうとしたけど上手く言葉に出来なかったことが、まだ頭の中で渦を巻いている。車窓を流れる景色を見ながら、再びあたしは思った。

 もし1582年に織田信長が本能寺で命を落としていたら、歴史はどうなっていただろうか?

 この、かつて日本という名だった島嶼国家の歴史は、もうすこし良くなっていただろうか?

 あたしは首を振った。物語とは違う、それは起こらなかったのだ。だから話はそれでおしまいだ。この世界以外に現実などありゃしない。あたしは今日の夕ごはんは何かということに思考を切り替え、前を向いた。

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