煙突掃除夫の抗議活動に関する撮記(下)
三〇年の暮れに起きた煙突掃除夫および力織機監視職工の大規模な抗議活動を見たことがあるだろうか。直に現場を見ておらずとも、回転
議事堂前に人の津波が押し寄せているこの写真は、抗議活動を写した有名な一葉だ。
この写真は抗議活動が危険で違法なものであったという印象を与えるのに一役も二役も買った。
現場を切り取っただけの写真に異を唱える気はない。
だが、空撮写真は実際には他に数十枚以上も撮影されており、とくに最初の数枚は抗議活動の初期の状況をよく捉えている。
最初のうち、人々は整然と並び立っていた。彼らが議事堂に向かって自分たちの現状を訴える声が今にも聞こえてきそうだ。人の津波などとんでもない、植樹された苗木のようにきちんと整列しているではないか。この写真を見れば、当初はどれだけ平和的であったのか、抗議の理念をうかがえよう。
議事堂前の
最終的に集まった数は八千とも一万ともいわれている。
これだけの数を一ト月ほどで集められたのも、氏の卓越した弁舌あってのものだ。
高山氏は過激な活動を勃発させたかったわけでない。
活動に参加する者を起点とし、記者や野次馬を通じて、社会の目にとどまりやすくさせるのが目的であった。抗議の声を周囲にも伝播させ、新聞社に取り上げさせ、社会に自分たちの行動を注目させる。声を増幅させ、そして大きなうねりを引き起こす。それが氏の意図するところだ。
「一人で足らぬ声ならば二人であげればいい。二人で足らぬならば三人で、三人で足らぬならば四人で、五人で。人間は素晴らしい。集団として人間の感情をしっかり訴える、それはけして衆愚にならずどこまでも人間に終始できる」とは氏の言葉。
そんな狙いが通じていたのか、当初、警察は広場の抗議活動を遠巻きに見ているだけであった。声を張り上げ主張の唱和を繰り返す行為を黙認したのだ。盗みを働く浮浪者は取り締まるが、集団で主張を唱える浮浪者には手を出さない。現場の警官がどのような通達を受けていたのか、資料が非公開であることや証言する警官がいないことも相まってわからないが、少なくとも現場は抗議を積極的に封殺しようという意識は持っていなかったようだ。
その黙認が原因かどうかはわからないが、人々の間には「参加しても捕まらない」という認識が広まっていき、平和的な抗議の参加者は増えていった。
「煙突を追われた掃除夫に職を!」
「我々も社会の一員に戻してほしい」
「保護は求めぬ! 支援を求む!」
この時が彼らの絶頂期だった。
悲しきかな、『人間は素晴らしい。だが人間は大衆という集団に成り上がった途端に衆愚と化す。』というスカウクラフト卿の言葉は抗議の一団にも当てはまってしまう。
いくら氏の手腕が卓越していようとも限界もある。抗議の人々は氏が統制可能な限界をゆうに超え、八千、九千、一万、……、際限なく空気を送りこまれる風船のように増えていった。
風船は割れる。
割れた風船の表面、ちぎれた被膜は真っ先にどこかに飛んでいく。集団において無法を犯すのはだいたいこの被膜の部分といってよい。抗議活動に当てはめれば暴徒と化した連中となる。連中は抗議すれば魔法のようにすぐに変化がやってくると思っていたのではないだろうか。ちょっと考えればわかるが、たとえ抗議活動をしたところで彼らを包む環境がすぐに変容するわけがない。だが焦れた者はお行儀のよい抗議はすぐ結果に結びつかないから無駄だと行動を放棄し、今までと変わらぬ行動をとってしまう。
一人では略奪者、複数では暴徒だ。
そうなると警察は当然これを取り締まらなければならない。
これが介入の端緒となる。人々の中には特高の内偵が暴徒を煽って手を出させ、取り締まりの口実を作ったという者さえいるが、さすがに穿ちすぎであろう。特高ほどの知恵があるのならば、数の増えた抗議集団が自壊するのを見越していちいち手を出しはしない。
さて、割れた風船の空気はたちどころに拡散し、周囲の空気と混じりあってしまう。暴徒に感化された空気は集団の性格を著しく変容させる瘴気と化す。抗議などしてもすぐに変化しないという倦怠は徒労とともに周囲へ伝染し、主張はたちどころ精彩を欠く。
社会に声を張り上げる人々はその瞬間、浮浪者の集団に戻ってしまった。
衆愚へ成り果てたのだ。
『人間は素晴らしい』が、倦怠と徒労の瘴気が漂う中にあっては、『人間に終始できる』わけもない。
警察はすでに取り締まりに動きだしている。
暴動とまではいかずとも、あちこちで小競り合いが起こる。
烏合の衆と化した集団は一斉に瓦解した。
やにわに九重皇宮広場の人々が入り乱れる。先の二葉はこのころの状況を撮影したものである。
もしも高山氏に手違いがあったとすれば、飛んでいく風船の被膜を真っ先に回収しなかったことだろう。
前衛の警官に殴られ、捕まり、連行される者たち。封鎖をくぐって逃げる者たち。諦めて座りこむ者たち。刑務所に行けば飯が食えると進んで暴れる者たち、……。
人々はまったくもって衆愚になってしまった。高山氏の青写真はまったくの夢想になってしまった。
警察の連携は見事なもので、かつて一つの理念に寄り集まっていた人々――その時点ではすでに理念さえ吹き飛んでしまっているただの衆愚――を適切に切り崩していく。
一万を超す蜘蛛の子が散るさまを見たことがあるだろうか。
連続する空撮写真がよくとらえている。
九重皇宮広場に接する
抗議の集団は帝都中に霧散していく。
二度と集合することはなかった。
自分では人々をまとめきれないと理解した高山氏は、自ら警官の前へ進み出た。
「あの時にわかってしまった。彼らを人間に終始させられなかった自分の無力さが。あの時に折れてしまった。自分では社会を変えていける力がないのだと」
そう語った氏は消沈しきり、その身はすっかり痩せさらばえていた。どういう取り調べを受けたのかは聞かなかった。ここに長くいれば、社会に混乱をもたらした者に対して行われる取り調べの内容など聞かなくてもわかる。
それからは冒頭で述べた通り。高山氏は集団扇動罪で捕まり、更にあれこれの罪名を付加されて、弁護人さえ認められないまま裁判に立たされ、刑は執行された。
裁判の状況をここで記すのは避けたい。それはもう司法手続きの処理以上の意味を有しない。それに、会話の断絶している二者を記したところで誰かの心を動かせるとは思われない。
高山氏は、彼ら掃除夫の行動は何をもたらしたのだろうか。
最後にそれを見ていこう。
煙突掃除夫がもっとも多かった西部市では、抗議活動を生み出してしまったというちょっとの反省と罪悪感、抗議の矛先がもしかしたら自分たちへ向けられていたかもしれないという多大な恐怖をぬぐうため、企業同士が連合して日雇労働支援事業所なる組織を立ち上げ、無職の就労支援を行うようになった。
企業とて無償の奉仕でこの事業をはじめたのではない。
日雇いを労働の調整弁にしようという思惑が透けて見える。工場での生産の多寡に合わせて増減の自由がきく日雇いは都合よく使いやすいのだろう。
この支援事業はある程度の無職者を吸収できているそうで、大きな不満は出ていない。
いまのところは。
支援事業所の周辺に格安の食堂や配給所、簡易宿泊所なども整備して、直接の雇用以外の面を充実させているのも不満を出させない点に大きく貢献しているだろう。企業は政府よりも人を飼うのに慣れている。失職者がすっかり飼い慣らされているというひねくれた見方もできるけれど、就労者にさしたる不満がないのならば
他方、大本営統帥府はどうか。
連中はあれから抗議活動というものにすっかり敏感になってしまった。
抗議活動は官庁の認可制となったのだ。事前に届け出ずに抗議活動を画策しただけで捕まってしまうという有様だ。ときどき届け出て、九重皇宮広場(抗議活動はここしでか認められていない)で抗議活動をする集団もいると伝え聞くが、周囲を警察に護送されての抗議はどこか偽物臭い。
統帥府は届け出なしの抗議の取締り強化は治安維持活動の一環だという。
『違法な抗議行動は世情を不安ならしめ国家を転覆させかねない』と。
高山氏が行ったような抗議活動は西欧ではデモンストレイション(示威行為)、縮めてデモというが、僕にはこの「デモ」はデモクラシイ(民主制)のデモであるようにも思われてならない。その「デモ」を取り締まる統帥府は民主制であるのに、いったい何を恐れているのだろうか。
少なくとも帝都にあぶれる浮浪者や、企業に不満を持つ者が結集して起こすデモそのものに対する恐れではないようだ。高山氏の抗議活動も警察だけで鎮圧できたのだから、恐れる理由などあろうか。
何かもっと大きなものを恐れているように見える。
……と、これはただの話好きが好奇心を膨らませた推測だ。真に受けないように。
ああ、看守が来た。今回の手記はここまでだ。西部市の煙突故障に起因する機関工場爆発事故だって、桃田型煙突が開発された経緯だって、この抗議の遠因なのに。
僕はここを出られるかどうかわからないからね。
ここで人々の話を聞き、どこの誰に届くかもわからない記録を続けることだけが僕の責務といえる。
だからどうか、これを読む者には考えてほしい、学んでほしい、顧みてほしい。
そしてこの世界で起こっている出来事をその手にとらえてほしい。
今日はここまでだ。また機会があれば思い出して書き記すとしよう。
むろんこの抗議活動に関連する出来事ばかりを記したいわけではない。
僕には他にまだまだたくさん記すべきことがあるのだ。
次は何にしようかな。
三三年一月一六日
煙突掃除夫の抗議活動に関する撮記 蒸奇都市倶楽部 @joukitoshi-club
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