カルミラの記憶

 ──人間の興隆に取り残されれば、カルミラの民はゆるやかに滅びゆくだろう。

 ──それを回避するため、新たな生存圏を確保しておくべきだ。


 アーサーの言葉は正論だとわかっている。彼は間違ったことなどなにも言っていない。

 だが、感情が追いつかない。ヴィオレットにとって大切なのは、『未来』ではなく、『現在』だった。平穏な現在がなければ、平穏な未来も訪れ得ない。

 今現在起こっている大事を捨て置いて、未来だけを見つめるのは、あまりに愚かしい行為ではないだろうか。


 思わずアーサーへ懐疑的な目を向けてしまったが、偉丈夫は決して瞳を揺らがせず、厳めしい面持ちでゆっくりと口を開いた。


「今回、フィリックスとやらが企てていることも、儂は否定せん」


 ヴィオレットは絶句し、次いで湧き上がった感情のまままなじりをつり上げた。しかし対面の古豪こごうは怯むことも怒ることもせず、いわおのように構えている。


「奴のしていることは利己的で残虐な行いかもしれぬが、そこには種族を前進させるための意志がある。成果が実らず、いずれ誰かにちゅうされるとしても、だ。――人間の歴史も、同じだろう? 異端だと弾圧され、処刑された者の意志が後世ではとされていることも多い」

「わ、私は決して是としません。多くの同胞も同じでしょう。罪なき人々が犠牲になっているのですから」

「人類史上、無数にあった戦禍で犠牲になった者の数のほうが遥かに多いだろう」

「その通りですが、それとこれとは違います。同胞が犯した罪は、同胞の手で裁くのが道理でしょう」

「ならばお前がやればよい。我が子どもたち、そして石榴館せきりゅうかんの者たちと協力してな」


 突き放すようなアーサーの言葉に、ヴィオレットはうっと押し黙る。

 ヴィオレットは、今回の事件の解決をアーサーに一任し、自分は屋敷に引きこもって安穏と過ごしたかった。それがどんなに身勝手で卑怯な考えかはよくわかっているが、アーサーがひと声上げさえすれば、大勢の同胞が結束するに違いないのだから。


 力ある者こそが陣頭指揮をとるべきだ。それがもっとも合理的。

 しかし、自ら行動を起こす気のない者が、それを口にしていいはずがない。


 ヴィオレットが、『私も精一杯協力します』と言いさえすれば、眼前の偉丈夫を動かすことができるかもしれないが……。


「ところでヴィオレットよ。儂と共にエメルゴに来ぬか?」


 白々しいほど唐突に話題を変えたアーサーに、ヴィオレットは深い悲しみを覚えた。


「なにを藪から棒に……」

源祖カルミラ始祖ラウラの血を継ぐ者として、先んじて新天地へ移り住め」

「おじさま……。失礼を承知で申し上げますが、私はの地にこれっぽちの魅力も感じません。先住民を迫害して広げた国土になど……」


 非難がましさを隠さず言うと、なぜかアーサーは口角をぐいっと上げて、さも愉快そうな態度をみせる。


「ヴィオレットよ、それは、お前自身の考えか? それとも、お前の中に在るカルミラの記憶がもたらす感情か?」


 突如として突き付けられた問いの意味がわからず、ヴィオレットは眉根を寄せて首をかしげた。

 だが、卒然と思い至る。


 ――この御仁ごじんの言う通りかもしれない、と。


 動揺を隠せず、震えながら口元を押さえる。

 ヴィオレットの中には、間違いなく源祖カルミラの記憶がある。それは断片的なものに過ぎなかったが、理解が追い付かないものや強烈なものもあり、戸惑うことは多々あった。しかし、うまく折り合いをつけて生きてきたつもりだ。


 けれど、勃然ぼつぜんと湧き上った感情に心を支配され、意に添わぬ言動を取ってしまうことが稀にあった。それは、気まぐれで感情的な己の性格に起因するものだろうと思っていたが、まさか……。

 アーサーの指摘が、心にずしりとのしかかる。


 一つだけ、確信していることはあった。ヴィオレットが男性よりも女性を好んで吸血するのは、ヴィオレット自身の嗜好ではなく、カルミラの影響だということを。


 ヴィオレットは顔をくしゃくしゃに歪め、血を吐くように答えた。


「確かなことは申せませんが……。カルミラの記憶がもたらす感情である可能性は、あります……」

「そうか……」


 アーサーの口元から、挑むような笑みが消えた。打って変わって、哀切を含んだような眼差しをヴィオレットへ向ける。


「残酷な問いかけをして、まことすまなかった。だが、自覚は必要だと思ってな。お前はお前なのだから、カルミラの意思にまれてはならん。もちろん、時と場合によってはカルミラの意思を受容することも必要だろうが、無自覚に流されるままではいけない」

「はい……」


 アーサーの物言いは優しいものだったが、ヴィオレットは悄然と肩を落とす。そうしながらも、頭の中にあるカルミラの記憶の一部を引っ張り出してみた。それは、とてもとても辛い記憶だった。


「カルミラは博愛主義だったようですね。人間という生物を愛していた……過剰なほどに」

「その通りだ。の御方は、すべての人間を救おうとしていた。戦禍や天災、圧政、貧困、差別、あらゆる不幸、あらゆる不条理から……」

「ええ……」

「あの御方にいかに人知を超えた力があったとはいえ、土台無理な話だった。……しかし、あと数千年早くこの地に降臨なされていたのなら、今の世で救世主と仰がれているのはカルミラだったかもしれんな」


 アーサーは遠い過去をかえりみながらも、真っ直ぐヴィオレットを見つめていた。ヴィオレットを通して、亡きカルミラのことを想起しているのだろう。まさか、『代わりにお前が救世主となれ』と言わんとしているわけではないと思いたい。


「お、おじさま。私はやはり、生まれ育った故国アルバスを捨て、新大陸エメルゴへは行きたくありません。ましてや、おぞましい事件の頻発しているこの時期にそんなことをすれば、同胞中から白眼視されることでしょう」

「そうかぁ、残念だのぉ」


 意を決して思いを伝えると、アーサーは道化どうけた調子で頭を掻いた。話を戻すなら今だ、とヴィオレットはすかさず畳みかける。


「おじさま、今一度お願い申し上げます。どうかあなたの偉大なお力で、アルバスをお救いください。ウィルヘルミナがフィリックスの子を身ごもったことはご存知なのでしょう? おじさまにも決して無関係ではないはずです」


 ミナの件を持ち出してみたが、アーサーはただ頭を横に振っただけ。


「だが儂は決めた。たかだか四百年程度・・・・・・・・・の歴史しか持たぬ、カルミラの民という脆弱な種族の未来ためにこそ尽力しようと。万人を救うことなど決してできはしないのだから、取捨選択をせねばらなん」

「取捨選択……」


 言葉尻を繰り返しながら、ヴィオレットはきつく目を閉じ、苦悩する。


「どうするヴィオレット。哀れな者たちをすべて救う力は、カルミラにさえなかった。だから、ラウラだけを守って――死んだ。お前はどうする。救国の乙女のように、祖国の同胞を救うか。もしくは、愛しい者だけを守るか」

「それは……」


 ただ目先の享楽だけを追い求め、放縦ほうじゅうに生きてきただけのヴィオレットには、あまりに重い選択だった。

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宵闇の女王は二度目の愛を誤らない~拾った青年に血と寵愛を捧ぐ~ root-M @root-m

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