廃墟探訪

烏川 ハル

廃墟探訪

   

「やっぱり、本物は迫力あるわね。浩太こうたも、そう思わない?」

 俺の左腕にしがみつく玲子れいこの声は、少し震えているようにも感じられた。

 セリフそのものだけならば、面白がっているようにしか聞こえないのだが……。もしかすると、彼女の心の中には、恐怖感も存在しているのかもしれない。

「ああ、そうだな」

 当たり障りのない言葉を返しながら、チラッと彼女の方に目をやる。

 スレンダーな体型に、不釣り合いにならない程度の豊かなバスト。艶やかな長い黒髪と、細面ほそおもての顔立ち。くりっとした瞳に、すっとした鼻筋。恵まれた容姿の持ち主、と言って構わないだろう。やや厚めの肉感的な唇だけは、好みの別れるところかもしれないが、俺から見れば「色っぽい」ということで、それもチャームポイント。

 今夜の玲子れいこは赤いワンピースに包まれており、ペアルックというわけではないが、俺も彼女にあわせて赤いシャツを着て来ている。

 俺の大好きな玲子れいこは、外見的には、いつも通りの凜とした姿だった。それを確認してから、俺は視線を戻し、意識を周囲に向けた。


 打ち捨てられた廃ホテルに電気が通っているはずもなく、元々の照明設備は使えない。それでも真っ暗闇ではないので、どこからか月明かりが差し込んでくるようだ。

 窓もない廊下を歩いているのに……。少し不気味に思うが、壁や天井が破損して、夜空と繋がっている箇所がある、ということなのだろう。

「歩きにくいから、気をつけろよ」

「うん、わかってるわ」

 玲子れいこの返事を耳にしながら、瓦礫が散乱している足元を、右手の懐中電灯で照らす。

 薄汚れた絨毯は、かつては鮮やかな赤色だったのかもしれない。だが今は、埃や塵にまみれて、もはや見る影もない有様だった。

「それにしても……。崩れ落ちた壁とか、天井板の破片とか。そういうのをかき分けて進むのって、なんだか障害物レースみたいね。ちょっと楽しいわ」

 面白がっているのは、虚勢を張っているだけ……。そのようにも聞こえて、内心で苦笑する俺。

 また「ああ、そうだな」と返しそうになったが、全く同じでは心がこもっていない返事に聞こえそうだ。だから、別の言葉を口にする。

「障害物レースというより、二人三脚じゃないか? 今の俺たちの密着ぶりって」

「あら!」

 さらにギュッと、俺にしがみつく力を強める。それが玲子れいこの返事だった。

 ああ、腕に当たる胸の感触! 意識すると、少し興奮してしまう。

 場違いな感情が、心の奥底から湧いてきた。それを拭い去るかのように、軽く頭を振りながら、俺は考える。

 そもそも。

 なぜ俺たち二人が、こんな廃ホテルの中を探索しているかというと……。


――――――――――――


 発端は、一週間前の遊園地デートだった。

「やっぱり、作り物ってわかってると、あんまり怖くないわね」

 あるアトラクションの出口で、玲子れいこが呟いたのだった。

「えっ、怖くなかったのか?」

「うん、全然」

 そこは、かなり大きめのお化け屋敷。『夏の恐怖体験!』と銘打たれており、掲げられた看板には、おどろおどろしいモンスターが描かれている。

 別に俺は興味もなかったが、玲子れいこが「入ってみよう」と言い出したのだ。実際に入ってみると、暗い中を恋人と二人で歩き、時々恋人が俺に抱きついてくるというのは、なかなか楽しい体験だったわけだが……。

玲子れいこちゃん、何度も『きゃっ!』って言ってなかったか?」

「あら、それは違うわ。わっと驚かされて、びっくりしただけよ。驚愕と恐怖は違うもの」

「ああ、そういうことか」

 納得の笑顔を俺が返すと、

「どうせお化け屋敷なら、こういう人工のお化け屋敷じゃなくて、今度は本物の幽霊が出るところに行ってみたいわね」

 デート中なのに、次回以降のデートの話をし始める玲子れいこ

 いや『本物の幽霊が出るところ』なんて現実的な話とは思えないから、『次回以降のデート』というわけではないのかもしれないが……。

 俺にしてみれば。

 玲子れいこと二人で遊びに行けるのであれば、行き先はどこでも構わない。それくらい、俺は玲子れいこにベタ惚れだったのだ。それこそ「死が二人を分かつまで」と宣誓したいくらいに。

 何しろ玲子れいこは、女性と縁のない十代を過ごした俺が、二十歳はたちを過ぎてようやく出来た、生まれて初めてのカノジョだったのだから。


 一人暮らしの大学生同士が付き合うと、こうなるのが普通なのだろうか。

 いつのまにか玲子れいこは、俺の部屋に居着くようになり、彼女自身の部屋へ戻るのは、一週間に一度か二度くらいになっていた。着替えなどの私物も、俺の部屋に持ち込み済み。夜は一つのベッドで抱き合って眠る、という状態だが、欲情するような『抱き合う』ではなく、穏やかな幸せに包まれるような『抱き合う』の方だ。

 そして、今夜も、そんな感じで寝るつもりだったのだが……。

「ねえ、たまには少し、夜更かししない?」

「夜更かし……?」

「そう。夜のドライブデート! ちょっと、これ見て!」

 玲子れいこが俺に見せたのは、インターネットの不気味なサイトだった。

 オカルトとか心霊現象とかを扱ったサイトらしく……。

 その中に書かれていた一つ、廃墟となったホテル。そこに玲子れいこは関心を持ったらしい。

 とりあえずタイトルだけ、声に出して読んでみた。

「『連続怪死事件の舞台となったホテル』……?」

「ほら、面白そうでしょう? 本物の幽霊、見られるかも!」

 玲子れいこの言葉を聞き流しながら、黙って続きに目を通してみる。


 連続怪死事件といっても、実際には立て続けに起こったわけではなく、ある程度の期間を置いた三件の事件。家族旅行に来たお父さんが入浴中に心臓発作、二泊三日で宿泊予定のカップル二人が二日目に崖から転落死、部下と上司の不倫旅行中に大喧嘩となり女が男を刺殺、の三件なのだが、問題は三つとも同じ部屋の宿泊客だったこと。

 ホテル側では、以降その部屋は封印して、いわば開かずの部屋とすることで対応。どんな繁忙期でも絶対に使用禁止としたのだが……。

 今度は、他の部屋でも怪死事件が起こり始めた。

 こうなると「ホテル自体が呪われている」という噂が広まり、客が寄り付かなくなる。結果、そのホテルは潰れてしまい、今は廃墟となっているのだという。


「うーん……。読み物としては、確かに面白いだろうけど……」

「私、前に言ったわよね。本物のお化け屋敷に行ってみたい、って」

 実際、玲子れいこと同じようなことを考える人は、結構いるのだろう。

 廃墟となった後、心霊スポットとして、多くの人々が探索に訪れており、幽霊の目撃談もある、と書かれていた。しかも、そうした人々の中には、そのまま行方不明になった者までいるそうだ。

 そこまで書かれると、俺としては、少し眉唾に思えてしまう。箔を付けるために創作話が加わったとか、噂に尾鰭おひれが付いているとか、そんな感じだ。

「その廃ホテルなら、ここから車で一時間くらいの場所よね? ちょうどいいと思わない?」

 俺に同意を求めるような口調だったが、もはや玲子れいこの心の中では、行くこと自体は決定事項なのだろう。俺が反対するはずもない、と顔に書いてあった。

「それで、いつ行くつもりだ? 『たまには夜更かし』とか『夜のドライブデート』とか言ってたが、まさか、今から……?」

「そう、もちろん、今これからよ!」

 そういえば。

 玲子れいこが着ているのは、赤いワンピース。近場へ遊びに行く時に好んで着る服であり、間違っても部屋着などではなかった。

 一方、俺は、もう寝るつもりだったから、寝間着兼用のシャツと短パンだ。「いやいや。もう真っ暗だぞ。こんな時間に、そんな廃墟に行くのは……」

「暗い夜だからこそ、雰囲気が出るのよ、こういうのは! 幽霊だって、きっと昼間は出てこないわ!」

 明るいテンションで、俺の言葉を遮る玲子れいこ

 まあ、肝試しは普通は夜間に行われるものだから、その理屈はわからないでもないが。

 それでも俺が渋い顔をしていると、

「もしかして浩太こうた、怖いとか危ないとか思ってるの?」

「そんなわけないだろ」

 玲子れいこが少しニヤニヤ笑いを浮かべながら言うので、反射的に、そう返してしまった。「怖い」とは思わずとも「危ない」という考えは確かに浮かんだのだが。

 俺は幽霊の存在なんて信じていないが、でも『廃墟』だったら、浮浪者やホームレスの根城になっている可能性はあるよなあ……?

 それでも。

 玲子れいこは、俺の言葉を真に受けて。

「じゃあ、決まりね! 早速、行きましょう!」

 と、俺の腕を引っ張る。

「わかった、わかった。せめて服だけは着替えてから……」

 彼女にベタ惚れの俺は、結局、玲子れいこには逆らえなかったのだ。


――――――――――――


 そして今。

 俺と玲子れいこは、廊下の探索に続いて、廃ホテルの一室に入ってみた。

 このホテルが客で賑わっていた頃には、宿泊客のために毎日きれいに掃除されていた部屋のはず。だが、もはや当時の面影もなく、荒れ放題になっていた。

 壁紙が剥がれている部分は、まだマシな方だろう。壁そのものが壊れて、中の建材――黄色いウレタンのようなもの――が剥き出しになっているところもあった。

 足元に目を向ければ、床に投げ出されているのは、ベッドから外されたマットレス。穴が空いて、螺旋状の金属が飛び出している。その先端は尖っており、刺さったら怪我しそうだ。寝心地を良くするためのスプリングも、こうなってしまうと、単なる危険物に過ぎない。

「やっぱり、本物は違うな……」

 玲子れいことは異なるニュアンスで、似たような言葉を口にする俺。

 作られたアトラクションのお化け屋敷ならば、利用者の安全性には十分配慮がなされているはず。だが、ここのような自然の廃墟は管理されていないから、そうもいかないのだ。

 だから、自分たち自身で注意しないと……。

 そう思って、改めて気を引き締めた時。

 玲子れいこが緊張を強める気配。それが、しがみつく腕を通じて伝わってきた。

 懐中電灯の光は前方に向けたまま、軽く振り向いて尋ねる。

「どうした?」

「ねえ、浩太こうた。なんだか、視線を感じない? 誰かにジーッと見られているような……」

「怖いこと言うなよ、おい。ここには、俺と玲子れいこしかいないじゃないか」

 俺にしろ玲子れいこにしろ、霊感なんて持っていないはずだ。たとえ幽霊がいたとしても、俺たち二人には、わかりっこない。

 そもそも幽霊の存在なんて信じていない俺だったが……。玲子れいこにそう言われてしまうと、場所が場所だけに、少しは「何かがいる」という気分になってきた。

「いやいや。そんなはずないだろ……」

 口に出して、その考えを否定しながら。

 懐中電灯を動かして、一通り、部屋の中を照らしてみる。

 すると。

「そういえば……。トイレの扉を開けるとお化けが出てくる、って都市伝説、あったわね」

 と言い出す玲子れいこ。何を見てそう思ったのか、推測は難しくなかった。

 たった今、光に照らし出されたもの。それが目に入ったのだろう。

 候補は二つ。一つは、浴室へ通じる扉。もう一つは……。

「あれって、クローゼットよね?」

 右手で俺の左腕を掴んだまま、玲子れいこが左手で指し示したのは、壁に内蔵された衣装戸棚だった。周りの壁が崩れかけている中、そこの戸板には大きな裂け目もなく、ほぼ無傷のクローゼット。かえって周囲から浮いて、悪目立ちしていた。

 浴室ではなく、そちらから玲子れいこは視線を感じたのだろう。俺にはよくわからなかったが、それでも、彼女に対して一つ頷いてみせてから。

 そろりそろりと、二人でクローゼットに近づいていき……。

「いいな? じゃあ、開けるぞ」

 確認の意味で玲子れいこに声をかけながら、俺が扉に手を伸ばすと。

 俺の手が触れるよりも早く、勝手に開く扉。

 そして中から、白い影が――幽霊とは思えぬくらいにハッキリとしたが――飛び出してきた!


――――――――――――


 若い男女の二人組が、部屋に入ってくる。

 男の方は、黒のTシャツに青いジーンズ。女の方は清楚な白いブラウスと緑色のキュロットだが、髪が少し茶色がかっているのは、染めているのだろうか。

「ねえ、やめようよ。ほんとに何か出そうだわ……」

「大丈夫、俺がついてるさ!」

「でも、色々と事件があった、って噂でしょう? つい最近も、ここを訪れたカップルが、逃げ込んでいた強盗犯に刺し殺されたとか……」

「しょせん噂だろ、そんな話」

 と、男が軽く返した時。

「いやあぁぁっ!」

 驚きの声とは違う、甲高い悲鳴を口にして。

 女は、部屋から飛び出していく。連れの男を、その場に残したまま。

 少しの間、男は呆気にとられて、その場に突っ立っていたのだが、

「おい、待てよ!」

 と、女を追って、部屋を出ていった。大きな足音を響かせて。

 そんな二人の挙動が、新たな衝撃となったらしい。脆くなっていた天井の一部がさらに崩れて、人間の頭くらいの瓦礫が一つ、上から落ちてくる。その落下場所は、奇しくも、先ほどまで男が立っていた場所だった。

 結局、後に残ったのは……。


「今回の二人組、特に女の方。結構、霊感あったみたいだな」

「そうだね。よっちゃんが頬を撫でたら、あの有様だもんなあ」

浩太こうたたちの時なんて、二人とも霊感ゼロ。俺たちが肩を叩こうが足を掴もうが、全く気づいてもらえなかったからなあ」

「『そっちは危ないぞ、近寄るな!』って、せっかく警告したのにね」

 俺をからかう仲間たち。

 当然、みんな生者ではない。死者たち、つまり幽霊だ。

 そう。

 今の俺は、この廃ホテルに漂う幽霊たちの一人になっていた。

 先ほどの二人組の会話に出てきた、逃げ込んでいた強盗犯に刺し殺されたカップル。それが、俺と玲子れいこのことだった。

 幽霊を見に来て自分が幽霊になってしまうなんて、とんだお笑い草じゃないか!

 しかも、最愛の玲子れいこは、今ここにいない。地縛霊になった俺とは異なり、玲子れいこはアッサリ成仏してしまったのだ。

 彼女にベタ惚れだった俺は、常々「死が二人を分かつまで」と思っていたわけだが、それは言葉の綾というもの。実際には『死が分かつ』ではなく、死んでも一緒のつもりだった。玲子れいこさえ一緒ならば、地獄だって極楽気分のはずだった。

 それなのに……。

 ああ、玲子れいこ! なぜ俺を残して、君だけ先に成仏してしまったのか!

 そんな俺の胸の内を察したかのように、仲間の幽霊の一人が、ニヤリと笑う。

「それだけ、あんたの未練が強かった、ってことだよ」

「いや浩太こうたの場合、『未練』とは少し違うような……」

「いいじゃねーか。未来永劫、ここで仲良くやろうぜ!」

 慰めの言葉をかけてくれる幽霊もいるのだが……。

 それで気が晴れるような俺ではなかった。


 衣装戸棚に隠れていた強盗犯。

 それが包丁を手に飛び出してきて、俺の胸を刺した瞬間。

 俺は思ったものだ。

 やはり危険な場所だった、と。

 いくら玲子れいこの頼みとはいえ、来るんじゃなかった、と。

 強い後悔。痛恨の念。死ぬ間際の俺の魂に、それが強烈に刻まれてしまった以上、残念ながら、もう成仏は出来ないらしい。

 だから……。


 俺たち幽霊に出来ることなど、一つしかない。

 今日も俺は、仲間と共に、人間をおどかすのだ。肝試しに来た連中を怯えさせて、彼らが危ない目に遭う前に、この廃ホテルから追い返すのだ。

 そう。

 これ以上ここで、誰かが事件や事故に巻き込まれて、命を落とすことがないように。俺たち幽霊の仲間入りをしないように……。




(『廃墟探訪』完)

   

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