廃墟探訪
烏川 ハル
廃墟探訪
「やっぱり、本物は迫力あるわね。
俺の左腕にしがみつく
セリフそのものだけならば、面白がっているようにしか聞こえないのだが……。もしかすると、彼女の心の中には、恐怖感も存在しているのかもしれない。
「ああ、そうだな」
当たり障りのない言葉を返しながら、チラッと彼女の方に目をやる。
スレンダーな体型に、不釣り合いにならない程度の豊かなバスト。艶やかな長い黒髪と、
今夜の
俺の大好きな
打ち捨てられた廃ホテルに電気が通っているはずもなく、元々の照明設備は使えない。それでも真っ暗闇ではないので、どこからか月明かりが差し込んでくるようだ。
窓もない廊下を歩いているのに……。少し不気味に思うが、壁や天井が破損して、夜空と繋がっている箇所がある、ということなのだろう。
「歩きにくいから、気をつけろよ」
「うん、わかってるわ」
薄汚れた絨毯は、かつては鮮やかな赤色だったのかもしれない。だが今は、埃や塵にまみれて、もはや見る影もない有様だった。
「それにしても……。崩れ落ちた壁とか、天井板の破片とか。そういうのをかき分けて進むのって、なんだか障害物レースみたいね。ちょっと楽しいわ」
面白がっているのは、虚勢を張っているだけ……。そのようにも聞こえて、内心で苦笑する俺。
また「ああ、そうだな」と返しそうになったが、全く同じでは心がこもっていない返事に聞こえそうだ。だから、別の言葉を口にする。
「障害物レースというより、二人三脚じゃないか? 今の俺たちの密着ぶりって」
「あら!」
さらにギュッと、俺にしがみつく力を強める。それが
ああ、腕に当たる胸の感触! 意識すると、少し興奮してしまう。
場違いな感情が、心の奥底から湧いてきた。それを拭い去るかのように、軽く頭を振りながら、俺は考える。
そもそも。
なぜ俺たち二人が、こんな廃ホテルの中を探索しているかというと……。
――――――――――――
発端は、一週間前の遊園地デートだった。
「やっぱり、作り物ってわかってると、あんまり怖くないわね」
あるアトラクションの出口で、
「えっ、怖くなかったのか?」
「うん、全然」
そこは、かなり大きめのお化け屋敷。『夏の恐怖体験!』と銘打たれており、掲げられた看板には、おどろおどろしいモンスターが描かれている。
別に俺は興味もなかったが、
「
「あら、それは違うわ。わっと驚かされて、びっくりしただけよ。驚愕と恐怖は違うもの」
「ああ、そういうことか」
納得の笑顔を俺が返すと、
「どうせお化け屋敷なら、こういう人工のお化け屋敷じゃなくて、今度は本物の幽霊が出るところに行ってみたいわね」
デート中なのに、次回以降のデートの話をし始める
いや『本物の幽霊が出るところ』なんて現実的な話とは思えないから、『次回以降のデート』というわけではないのかもしれないが……。
俺にしてみれば。
何しろ
一人暮らしの大学生同士が付き合うと、こうなるのが普通なのだろうか。
いつのまにか
そして、今夜も、そんな感じで寝るつもりだったのだが……。
「ねえ、たまには少し、夜更かししない?」
「夜更かし……?」
「そう。夜のドライブデート! ちょっと、これ見て!」
オカルトとか心霊現象とかを扱ったサイトらしく……。
その中に書かれていた一つ、廃墟となったホテル。そこに
とりあえずタイトルだけ、声に出して読んでみた。
「『連続怪死事件の舞台となったホテル』……?」
「ほら、面白そうでしょう? 本物の幽霊、見られるかも!」
連続怪死事件といっても、実際には立て続けに起こったわけではなく、ある程度の期間を置いた三件の事件。家族旅行に来たお父さんが入浴中に心臓発作、二泊三日で宿泊予定のカップル二人が二日目に崖から転落死、部下と上司の不倫旅行中に大喧嘩となり女が男を刺殺、の三件なのだが、問題は三つとも同じ部屋の宿泊客だったこと。
ホテル側では、以降その部屋は封印して、いわば開かずの部屋とすることで対応。どんな繁忙期でも絶対に使用禁止としたのだが……。
今度は、他の部屋でも怪死事件が起こり始めた。
こうなると「ホテル自体が呪われている」という噂が広まり、客が寄り付かなくなる。結果、そのホテルは潰れてしまい、今は廃墟となっているのだという。
「うーん……。読み物としては、確かに面白いだろうけど……」
「私、前に言ったわよね。本物のお化け屋敷に行ってみたい、って」
実際、
廃墟となった後、心霊スポットとして、多くの人々が探索に訪れており、幽霊の目撃談もある、と書かれていた。しかも、そうした人々の中には、そのまま行方不明になった者までいるそうだ。
そこまで書かれると、俺としては、少し眉唾に思えてしまう。箔を付けるために創作話が加わったとか、噂に
「その廃ホテルなら、ここから車で一時間くらいの場所よね? ちょうどいいと思わない?」
俺に同意を求めるような口調だったが、もはや
「それで、いつ行くつもりだ? 『たまには夜更かし』とか『夜のドライブデート』とか言ってたが、まさか、今から……?」
「そう、もちろん、今これからよ!」
そういえば。
一方、俺は、もう寝るつもりだったから、寝間着兼用のシャツと短パンだ。「いやいや。もう真っ暗だぞ。こんな時間に、そんな廃墟に行くのは……」
「暗い夜だからこそ、雰囲気が出るのよ、こういうのは! 幽霊だって、きっと昼間は出てこないわ!」
明るいテンションで、俺の言葉を遮る
まあ、肝試しは普通は夜間に行われるものだから、その理屈はわからないでもないが。
それでも俺が渋い顔をしていると、
「もしかして
「そんなわけないだろ」
俺は幽霊の存在なんて信じていないが、でも『廃墟』だったら、浮浪者やホームレスの根城になっている可能性はあるよなあ……?
それでも。
「じゃあ、決まりね! 早速、行きましょう!」
と、俺の腕を引っ張る。
「わかった、わかった。せめて服だけは着替えてから……」
彼女にベタ惚れの俺は、結局、
――――――――――――
そして今。
俺と
このホテルが客で賑わっていた頃には、宿泊客のために毎日きれいに掃除されていた部屋のはず。だが、もはや当時の面影もなく、荒れ放題になっていた。
壁紙が剥がれている部分は、まだマシな方だろう。壁そのものが壊れて、中の建材――黄色いウレタンのようなもの――が剥き出しになっているところもあった。
足元に目を向ければ、床に投げ出されているのは、ベッドから外されたマットレス。穴が空いて、螺旋状の金属が飛び出している。その先端は尖っており、刺さったら怪我しそうだ。寝心地を良くするためのスプリングも、こうなってしまうと、単なる危険物に過ぎない。
「やっぱり、本物は違うな……」
作られたアトラクションのお化け屋敷ならば、利用者の安全性には十分配慮がなされているはず。だが、ここのような自然の廃墟は管理されていないから、そうもいかないのだ。
だから、自分たち自身で注意しないと……。
そう思って、改めて気を引き締めた時。
懐中電灯の光は前方に向けたまま、軽く振り向いて尋ねる。
「どうした?」
「ねえ、
「怖いこと言うなよ、おい。ここには、俺と
俺にしろ
そもそも幽霊の存在なんて信じていない俺だったが……。
「いやいや。そんなはずないだろ……」
口に出して、その考えを否定しながら。
懐中電灯を動かして、一通り、部屋の中を照らしてみる。
すると。
「そういえば……。トイレの扉を開けるとお化けが出てくる、って都市伝説、あったわね」
と言い出す
たった今、光に照らし出されたもの。それが目に入ったのだろう。
候補は二つ。一つは、浴室へ通じる扉。もう一つは……。
「あれって、クローゼットよね?」
右手で俺の左腕を掴んだまま、
浴室ではなく、そちらから
そろりそろりと、二人でクローゼットに近づいていき……。
「いいな? じゃあ、開けるぞ」
確認の意味で
俺の手が触れるよりも早く、勝手に開く扉。
そして中から、白い影が――幽霊とは思えぬくらいにハッキリとしたそれが――飛び出してきた!
――――――――――――
若い男女の二人組が、部屋に入ってくる。
男の方は、黒のTシャツに青いジーンズ。女の方は清楚な白いブラウスと緑色のキュロットだが、髪が少し茶色がかっているのは、染めているのだろうか。
「ねえ、やめようよ。ほんとに何か出そうだわ……」
「大丈夫、俺がついてるさ!」
「でも、色々と事件があった、って噂でしょう? つい最近も、ここを訪れたカップルが、逃げ込んでいた強盗犯に刺し殺されたとか……」
「しょせん噂だろ、そんな話」
と、男が軽く返した時。
「いやあぁぁっ!」
驚きの声とは違う、甲高い悲鳴を口にして。
女は、部屋から飛び出していく。連れの男を、その場に残したまま。
少しの間、男は呆気にとられて、その場に突っ立っていたのだが、
「おい、待てよ!」
と、女を追って、部屋を出ていった。大きな足音を響かせて。
そんな二人の挙動が、新たな衝撃となったらしい。脆くなっていた天井の一部がさらに崩れて、人間の頭くらいの瓦礫が一つ、上から落ちてくる。その落下場所は、奇しくも、先ほどまで男が立っていた場所だった。
結局、後に残ったのは……。
「今回の二人組、特に女の方。結構、霊感あったみたいだな」
「そうだね。よっちゃんが頬を撫でたら、あの有様だもんなあ」
「
「『そっちは危ないぞ、近寄るな!』って、せっかく警告したのにね」
俺をからかう仲間たち。
当然、みんな生者ではない。死者たち、つまり幽霊だ。
そう。
今の俺は、この廃ホテルに漂う幽霊たちの一人になっていた。
先ほどの二人組の会話に出てきた、逃げ込んでいた強盗犯に刺し殺されたカップル。それが、俺と
幽霊を見に来て自分が幽霊になってしまうなんて、とんだお笑い草じゃないか!
しかも、最愛の
彼女にベタ惚れだった俺は、常々「死が二人を分かつまで」と思っていたわけだが、それは言葉の綾というもの。実際には『死が分かつ』ではなく、死んでも一緒のつもりだった。
それなのに……。
ああ、
そんな俺の胸の内を察したかのように、仲間の幽霊の一人が、ニヤリと笑う。
「それだけ、あんたの未練が強かった、ってことだよ」
「いや
「いいじゃねーか。未来永劫、ここで仲良くやろうぜ!」
慰めの言葉をかけてくれる幽霊もいるのだが……。
それで気が晴れるような俺ではなかった。
衣装戸棚に隠れていた強盗犯。
それが包丁を手に飛び出してきて、俺の胸を刺した瞬間。
俺は思ったものだ。
やはり危険な場所だった、と。
いくら
強い後悔。痛恨の念。死ぬ間際の俺の魂に、それが強烈に刻まれてしまった以上、残念ながら、もう成仏は出来ないらしい。
だから……。
俺たち幽霊に出来ることなど、一つしかない。
今日も俺は、仲間と共に、人間を
そう。
これ以上ここで、誰かが事件や事故に巻き込まれて、命を落とすことがないように。俺たち幽霊の仲間入りをしないように……。
(『廃墟探訪』完)
廃墟探訪 烏川 ハル @haru_karasugawa
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