愁いを知らぬ鳥のうた
夢月七海
愁いを知らぬ鳥のうた
壁の代わりにはめ込まれた目前の液晶画面のリアルタイム映像はどこまでも広がるダークマター、そしてぽつぽつと浮かぶ星々だ。
掌で握れてしまいそうなほど小さく見える星は、私の入っている球体型人工衛星の何倍も大きくて、想像を絶するほど遠い場所にあるということは、子供でも知っていることだけど、こうしている間はそれも忘れてしまいそうになる。
ワイングラスを回しながら、ゆったりとその光景に見とれる。疑似重力装置が起動しているので、中身が浮いてしまうことはない。
今も仕事中だから、ノンアルコールワインだけど、どっぷりと雰囲気につかることはできる。
不時着した宇宙船からの救難信号を、この人工衛星でキャッチして、救助要請を人が住んでいる一番近い惑星へ送る。
AIでも対処できるのだが、遭難者の一番に人の声を聞きたいという気持ちを優先させて、私がずっと待機していることになる。こうやって、のんびりした時間を過ごしているように見えても、いきなり信号が届くかもしれないから、油断できない。
『ハカセ、お母さまから音声メッセージが届きました』
後ろから、AIであるJrの音声が聞こえた。
興を削がれた私は、眉をしかめたまま、小テーブルの上にワイングラスを置いた。
『再生しますか?』
「いいよ。どうせまた、帰ってきてとか、そういう無いでしょ?」
はっきりとそう答えた。お母さんから定期的に来るメッセージには参ってしまう。
……もう一年くらい帰っていないけれど。
『仕方ありませんよ。一人娘のハカセが心配なんですよ』
「まあ、そうだろうけれどねー」
なんとなく、口答えしてしまう。こういう時に、Jrの「ハカセ」呼びが癪につく。
改まって様付けで呼ばれるのは居心地が悪く、工学博士号を取っているという理由だけで、私はJrに自分のことを「博士」と呼ぶように命令していた。とはいっても、今は研究職についていないから、Jrの言う「ハカセ」にはちょっと侮蔑の響きが込められているような気がする。
『仕事は予備の方に任せて、そろそろ里帰りしましょうよ』
「うーん、でもなー」
この仕事が閑職だということはよーく分かっている。でも、もしもの時があるから、中々休めない。
……いや、私は自分好みにカスタマイズされたこの衛星の中に、他人が入ってくることが嫌なだけでもあるけれど。
渋い顔でそんなことを考えていると、突然前方のスピーカーから、電子音が流れ出した。
救難信号だ。椅子に深々と腰かけていた私は、はっと身を起こす。
「Jr、分析お願い」
『……完了しましたが、どの信号パターンとも一致しません』
「えっ?」
Jrの返答に、思わず自分の耳を疑った。
Jrにはあらゆる信号パターンを記録させているし、一時間前にアップデートさせたばかりだから、最新信号もわかるはずだ。
『言語分析にかけますか?』
「ううん。発信場所から割り出してちょうだい」
『かしこまりました』
Jrが分析をしている間も、救難信号は衛星内で鳴り響いていた。
信号は、一定のリズムにパターン化された音が上乗せされていて、電子音楽のようにも聞こえる。だんだん、この信号を流している相手が気になってきた。
『位置分析が完了しました。U-34522からU-34523の合間に浮かぶ、小惑星が発信場所です』
「ナンバー付けされていない小惑星? 無人探査機のAIからかしら」
宇宙船が降り立ち、ひと一人が立てるほどの大きさの持つ星には、救助がスムーズにできるようにと番号が振り分けられている。
AIからの救難信号も受け取ったことがあるけれど、どこか腑に落ちない部分があった。
「探査機の軌道も調べられる?」
『一つ、ヒットしました。どうやら、約十年前に、ブラックホールの位置を図るためのAI未搭載再探査機が、この近くを通り、消息を絶っているようです』
「ん? AI未搭載? それが何で救難信号を発するの?」
『コンピュータウィルスに侵されたため、予定の軌道を外れてしまったようです』
「えっ! これ、ウィルスからの信号なの!」
『そのようですね』
聞いたことのない事例に思わず大声を出した私に反して、Jrは結構冷淡だ。
こういう時に人間とAIとの違いを感じてしまう。
「これ、TEL電波を通して音声送受信用アンテナに届いた信号だよね? そのウィルスは、そういうことができるタイプなの?」
『いえ、探査機事故のデータによると、そのようなことはできないようです。ただ、ネット回線を通して探査機に侵入した後に、回線が届かない小惑星に不時着したのが原因だと思われます』
「えーと、ネット回線とつながれなくなったから、ウィルスが進化してしまったってこと? なんで?」
『ハカセ、地球で野生の鳥と、人間に飼われている鳥、どちらがより複雑なメロディーを歌えるのか、ご存知ですか?』
Jrがまどろっこしい言い回しの上に、地球動物学の成績が悪かった私を試すようなことを尋ねてきて、むっとしてしまう。
Jrは、私の実家のAIのデータをコピペしてこの人工衛星の搭載したのだから、私のことを何でも知っている代わりに、こういうからかいを言ってくるのが困る。
「多分、野生の鳥の方じゃない?」
『いいえ、飼われている鳥の方です。理由は、人に飼われていることによって、敵に襲われたり、飢え死にしたりする心配がないため、より美しい歌を歌うために労力を費やすのです』
「あー、なんか、その気持ちわかるかも。私も暇だから、ゲームならSSSクラスになるまで極めちゃうね」
『コンピュータウィルスも、ネット回線のセキュリティに消される心配がないので、「うた」を生み出すことに労力を注いでいったのではないでしょうか?』
「なるほどねー」
Jrの仮説に納得して、私は腕を組んで、何度も頷いた。
つまりは、この救難信号に対して救助要請をする必要はないということだ。このまま放っておいてもいい。
「……Jr、この『うた』を別のスピーカーから流せるようにできる?」
『可能ですが……気に入ったのですか?』
「うん」
私の満面の笑みをカメラアイで見たのか、JrはAIの癖に深いため息をついた。
このコンピュータウィルスが奏でる「うた」を私はかなり気に入っていた。元々ノイズミュージックとか好きだから、単調にも思えるリズムから曲調が常に変化するメロディーに魅了されていた。
今日はこのまま寝てしまおうかと思い、Jrに消灯を命令する。
壁の横から睡眠ガスが発射されて、私はゆっくりと眠りに誘われていった。その間も、ウイルスのうたは鳴り続けていた。
◇
コンピュータウィルスからキャッチした音声信号を衛星内に流し始めてから七日が経った。
スピーカーから聞こえてくる音が以前より小さくなっているが、Jrはスピーカーの音を絞ってはいないという。
『おそらく、無人探査機の電気バッテリーが切れかけているのでしょう』
「探査機なら、恒星光発電ができるんじゃないの?」
『不時着した位置が恒星の光が届かない場所なのかもしれませんね』
「うーん」
私が考え込むときの癖で、あごに右手を当てているのを見て、Jrは分かりやすいくらいに慌てた。
『まさか、どうにかしようと考えてはいませんか?』
「うん。そのまさか」
『よしてください。下手に首を突っ込んでも、悪い結果になるだけですよ』
「例えば、ネットアンテナ小型衛星をいくつか発射させたら、ここまで電波が届くんじゃないかな?」
『AIの話聞いてくださいよ……』
Jrは人間らしいことを言って呆れていたが、こうなった私を止められないことはよく分かっているようだ。
私があるものをテレポート便で注文するのも、止めようとしなかった。
それからさらに三日が経ち、私は準備を完了させて、作戦を決行した。
「小型衛星、発射ー!」
『……はい』
元気の良い私とは対照的に、Jrのテンションは低すぎる。
コピペ元のAIが「人間の感情に最も近いAI」を謳っているとはいえ、ご主人に対してこの態度は腹が立ってくる。
それでもJrはちゃんと仕事をしてくれて、軌道設定が異なる五つのネットアンテナ小型衛星を発射した。
これらがちゃんと配置につけば、ネット無線を通して、私のいる人工衛星までコンピュータウィルスが来ることになっている。
十分後、小型衛星が配置について、微かに流れていたウィルスからの信号も突然聞こえなくなった。
それからさらに十分が経って、私はそわそわと落ち着かない気持ちになった。
「そろそろ来たかな」
『はい、今、到着を
私が時計を確認していると、Jrの言葉が不自然に途切れた。
「Jr? 大丈夫?」
『 』
返答はない。不気味な沈黙が、背後のスピーカーから流れている。
AI回復のプログラムを発動させなければ。手元のタッチパネルを操作使用するが、まったく反応がない。
直後に、危険度MAXを知らせるランプが、赤く点滅しだした。耳を劈くようなブザーの音と共に、赤いランプ以外の照明がぶっつりと消える。
焦りのあまり、呼吸が浅くなってしまう。いや、もしかしたら酸素を薄くさせられているのかもしれない。
……今更になって、三日前のJrの忠告を思い返していた。
『ハカセ、なぜ鳥は歌うのだと思いますか? 趣味とかではないんですよ。求愛、ひいては繁殖のためです』
たとえ籠の中から出られないとしても、鳥はその本能にしたがって、求愛のうたを歌う。子孫を残そうとする。
それは、ずっと安全な場所にいたコンピュータウィルスでも、同じではないのだろうか……。
睡眠ガスが噴出された。意識が無理やり、眠りの淵へと引き摺り込まれる。
私の命令は無視してくれても構わない、せめて、Jrだけでも無事だったら……そう考えている間に、目を閉じてしまった。
◇
ぱちりと目が覚めた。
操縦席にもたれるように寝ていた私は、咄嗟に身を起こす。
「Jr? Jr? 平気?」
呼びかけてみるが、返答はない。
「スティーブンスJr!」
『……ハイ ハカセ ワタシハ モンダイアリマセン』
やっと返事が来た。私のことを「ハカセ」と呼んでいるから、データが消されたわけでもなさそうで、ほっとする。
しかし、問題ないというスティーブンスの声は初期設定の合成音声で、心配になってくる。
「声は大丈夫?」
『……エエ、ジドウカイフクデ、ショチデキル、ハンイナイデス』
一言目よりも、多少スムーズになった発音での返答に、やっと私も肩の力が抜けた。
「十年前のコンピュータウィルスでは、最新のセキュリティに敵わないのでは?」という私の推測は、正しかったようだ。とはいえ、かなりギリギリの攻防になったが。
Jrには自動回復に集中してもらい、私はタッチパネルで衛星の状態を調べてみた。
人工衛星の軌道は外れていない。他の機能も問題なく使える……その時、私はこれまでずっと聞いてきた「うた」が背後で流れていることに気が付いた。
後ろを振り返る。銀色の籠の中に、インコという鳥の種類の形を真似たスピーカーが入っていて、それが口を開けて歌っていた。
もちろん、流れてくるのはあのコンピュータウィルスが生み出した「うた」だ。
「ああ、Jr、ちゃんとやってくれたのね」
『はい。めいれいですから』
私がJrにした命令、それは、コンピュータウィルスをこのスピーカーの中に侵入させて、後にスピーカーのネット接続を切り、スピーカー以外のウィルスを駆除するというものだった。
これで、いつでもこの「うた」が聞ける。籠の中で、銀色の羽を周りのLEDの光で反射させながら歌うインコを見ていると、自然に目を細めていた。
『しかしハカセ、なぜ危険を冒してまで、ウィルスの「うた」にこだわったのでしょうか?』
「単純だよ。自分が心から惹かれたものは、自分のものにしたいというエゴだね」
ウィルスは、自分が繁殖の機会を奪われたということも知らずに、今日もまた聴いたことのないメロディーを紡いでいく。
私は、美しい歌声の鳥を捕まえて鳥籠の中に閉じ込めた人間に思いを馳せながら、その「うた」に耳を澄ませていた。
愁いを知らぬ鳥のうた 夢月七海 @yumetuki-773
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