第六話 空音紫織は「自分の」夢を叶えたい

 寝汗が酷い。

 ゴールデンウィークに入ってから毎晩、私は悪夢を見ていた。


 私の大好きな先輩が、大嫌いな先輩たちに甘やかされる夢。

 まずは初日に見た夢。それはもうとても卑猥でしたとも。ええ。


『ありがとう。じゃあ……しゃぶらせて?』


「男子高校生相手にしゃぶらせてって! ひ、やぁ! あぐぅ!」


 悪夢を見た私は叫びながら飛び起き、そのままベッドから落下した。

 敷かれている厚めのラグのおかげで怪我はしなかったけど、それ以上に……胸が痛くて。


「だ、大体何で大学生のはずのあの人が、高校の制服を着て先輩の指をしゃぶっているのはおかしいでしょ! 何もかも! もぉー! 違法JKって何ですか! 何なんですか!」


 それだけじゃない。胸に紙パックのジュースを挟んで先輩を甘やかすシーンもあった。哺乳瓶を持って迫るのもアレだけど、色々おかしいでしょ……この悪夢。

 そう。これはただの悪い夢。


 どこに出かける予定も無い、退屈な大型連休の初日はそう思っていた。

 だけど、二日目の晩も『悪夢』は私を安眠させてはくれなかった。


『郁ちゃん、僕が本気を出したら、こんなに可愛いって知っていた?』


「可愛すぎるでしょぉおお! あー! あー! もうっ! 何なんですか、これぇ! 股間ペアルックの相手からあんなのを送られて来たら、おかしくなっちゃうでしょ!」


 私の知っている「男」の先輩が、何故か女子用制服を着て先輩に写真を送る夢……って、何で昨晩に引き続き、本来女子用制服を着ない人が出て来るんですかね!

 今日はベッドから落ちなかったけど、インパクトだけで言えば昨日よりも強い。


「お、落ち着きましょう。あの人はノーカウントです。先輩の娘を自称する場面や、プールで脱がされるシーンもありましたが、わ、私の妄想力が夢に影響を与えただけ!」


 そう。結局、夢なんて目が覚めれば現実にはあり得なかった話でしかない。

 だけど何でしょうね、この悪寒。私の第六感が、この後まだ何かがあると叫んでいるような……。よし、今日は早めに寝ましょう! 睡眠が浅いから悪夢を見るのでしょう!


『わ、私と結婚してください!』


「いやあああぁぁぁ! こ、告白しちゃだめぇええ! 先輩逃げてぇえええ!」


 三日目の晩は私のメンタルを確実に破壊しました。寝起きに全力で叫ぶほどに。

 先輩の幼馴染がその肢体を使って迫り、家族公認のお泊りをして、同じベッドで寝て、最終的にはプロポーズをするという、世界一恐ろしい夢……だけど。


「先輩が、そのプロポーズを断ったところで目が覚めたけど……どうして? あんなに可愛くて猥褻な幼馴染に迫られて、断れる男性が居るのかな?」


 先輩は決してその場の雰囲気に流されるタイプじゃないのは知っている。

 だけどプロポーズをしてきた相手は、その場の雰囲気に流されても問題ないくらい、強い絆で繋がっている相手のはず。


 そうだ。私がこの三日間で見た悪夢に出てきた相手は――。


 千草瑛理子。先輩の大切な、まるで本当の家族のような近所のお姉さん。

 二重莉生。先輩と共に多感な中学時代を濃密に過ごした、かけがえのない親友。

 鳴海凜々花。先輩と誰よりも同じ時間を刻んだ、同い年の幼馴染。


「全員、私の大嫌いな先輩たちだ……そして、それ以上に」


 私の大好きな「先輩」の心を射止めようとする、恋敵たち。

 いや、一人だけ性別的に例外が混じっていますけどね! あの人は除外するとして!


「……でも。私だけ、先輩との時間が全然足りない。私が一緒に過ごせたのは、中学校の二年間だけで、二人だけの特別な思い出も……何も、ない」


 私にとっては特別な思い出はたくさんある。だけど、先輩にとってはどうだろう?

 ううん。考えるまでもない。中学校を卒業する前に色んな約束をしたのに、同じ高校に進学した今、連絡の一つだってくれないのだから。


「おかしいでしょ! 一緒に登校してくれる約束も、お昼を食べる約束も、他に貰うものもあったのに、全部忘れるなんて! あー……何だかとっても腹が立ってきました」


 私を放置するだけの理由が他にあるなら許しますが、恐らく無いでしょう。


 友達と遊んでいたなら許しません。恋人が出来たならもっと許しません。


 家庭の事情とかそういう複雑なやつなら許しますけど!


「……もういいや。最近ちゃんと眠れていなかったから、不貞寝という名の二度寝をします。紫織ちゃんは今日から悪い子になりますよ、先輩」


 届くわけがない言葉を呟いて、私はもう一度布団を被って目を閉じた。

 連休が明けて、それから少しだけ待って、それでも連絡が来なかったら私から会いに行こう。ちょっとだけ怖いし、勇気が出るか分からないけど……。


 また会えたら、私は先輩と一緒に同じ時間を過ごして、少し先の未来を共に――。


『世界一可愛い娘が会いに来ましたよ! お父様!』


 あれ? 制服姿の先輩の胸に飛び込んだ、あの少女は一体誰でしょう?

 ほとんど歳が変わらない二人は、傍目にはカップルに見えるけど。


 先輩の……郁さんの、隣に立つ女の子を見る目はとても優しくて。

 私の大嫌いな先輩たちに向ける笑顔とはまた違う、純粋な温かさがある。


『約束するよ、燈華。俺はお前と一緒に、未来を生きる』


 二人の間に起きたいくつもの出来事が、夢の中で浮かんでは消える。

 だけど最後に郁さんが「燈華」に言った台詞に、何故だか涙が出てきてしまう。


 でも悲しい涙じゃない。素敵なお話を聞いた後に目から溢れて来る涙に似ている。

 郁さんの言葉に、誰よりも強い愛が込められていたからかもしれない。


 ねえ、燈華ちゃん。


 他の誰よりも郁さんに愛されているあなたは、一体何者なんですか?

 もしかして、本当に未来から――?


「……今のは悪い夢、じゃなかったかな」


 目が覚めると、今回は寝汗も掻かず、ベッドから落ちる事もなく、叫び出すような事もなかった。目尻に大きな涙の粒と、少しの心地良さだけが胸に残っている。


 窓に目を向けると、もう夕方になっていたけれど。

 そんなことが気にならないほど、素敵な夢だった、気がする。


「うん。やっぱり、ちょっとだけ勇気を出してみよう」


 夢の内容を徐々に忘れていく一方で、私は自分の胸に一つだけ決意を刻む。


 大嫌いな先輩たちなんて、どうでもいい。私の方が不利な恋愛だって、構わない。

 どんな手段を使っても、あの人たちに負けたくない。


 だって、郁さんともっと一緒に居たいから。


 知っていますか? 郁さん……いえ、あえて出会った頃のようにパイセンと呼びましょうか。私をしばらく放置した罰です。うふふっ。


 空音紫織ちゃんは、他の誰よりも独占欲が強くて負けず嫌いなのですよ?


「もうすぐ世界一可愛い後輩が会いに行きますからね、パイセン!」

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【優秀賞】世界一可愛い娘が会いに来ましたよ! 月見秋水/MF文庫J編集部 @mfbunkoj

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