第五話 久遠家の人たちは秘伝のカレーが食べたい!
「私に久遠家秘伝のカレーレシピを教えてください!」
『……えぇ?』
授業の合間のお昼休み。私は校舎裏で郁のパパと電話をしていた。
郁のパパの名前は、
「ごめんなさい、有さん。急にこんなお願いをして……迷惑でしたよね」
私が不慣れな敬語を使って謝ると、有さんは困ったように笑いながらも話を続けてくれた。
『少し驚いたけど、構わないよ。郁と一緒に来るのかい?』
「あ、いや……そ、そのぅ。郁にはナイショというか、さ、サプライズというか」
『なるほど。我が家の手料理を振舞って、郁を惚れさせるつもりかな?』
ちょぉっ! な、何この人! 全然気遣いとかしてくれないんですけどぉ!
い、いや。仕方ないわよね。有さんは昔から空気を読まないし、言いたい事は包み隠さず言うし、文字通り裏表がない人だから。
「え、えーっと。ま、まあ。そんな感じです……」
だから私も隠し事は止めておこう。寧ろ有さんに郁を好きだということを理解してもらえば、それはそれで有利かもしれないし! 色々と!
『ふむ。僕の息子は意外とモテるみたいだね。思えば凜々花ちゃんは昔から郁が好きだったかな? ウチに遊びに来た時は帰る前に必ず郁と一緒にお風呂に入ってから』
「ぎゃあっ! い、いつの話をしているんですか! やめてくださいよ!」
『え? 確か小学校の……ご』
「ちょぉっ! だから止めてください! そ、それより! カレーレシピを私に教えてくれるんですか? どうなんですか!」
慌てて話を引き戻した私に、有さんは「うん。そうだった」と相槌を打つ。
『凜々花ちゃんの授業が終わる頃に、僕も一度家に戻ろう。今日は無口な女性のハウスキーパーさんが居るから、先に着いたら上がって待っていてくれ。それでいいかな?』
「は、はい! よろしくお願いします!」
お礼を言ってから通話を終えて、私は深く息を吐いて気持ちを落ち着かせた。
有さんとの電話やお喋りは、いつもこうなるのよね……調子を狂わされてしまうせいで、余計に疲れるっていうか。
割とふざけているウチのパパは、有さんとお酒の席でどんな話をしているのか気になるところだけど。それはさておき。
「……ふふっ。郁と燈華ちゃんを喜ばせるために、ちゃんとレシピを盗まないとね!」
とりあえず、これで久遠家のカレーレシピを知ることは出来る。
男の子なんて所詮、実家のカレーと大きな胸が好きな生き物だからね。既に片方持っている私がもう片方を入手すれば、郁との未来は盤石というわけよ!
悪いわね、エリ姉。オマケに莉生。私はあなたたちに負けないわよ!
放課後。私が急ぎ足で久遠家に到着すると、有さんはまだ帰っていなかった。
ハウスキーパーさんにリビングへと案内され、出されたお茶を飲みながら久しぶりの久遠家に緊張してしまう。
「思えば高校生になってから上がるのは初めて……よね。郁のアパートにはたまに行くけど、ここに来る理由は無いし」
子供の頃はよく近くの公園で遊んだ記憶がある。丁度、郁と私の家の中間地点にある公園だ。今は私よりも梨華が友達と一緒に通っているけれど。
そんなことを考えていると、リビングの扉が突然開いた。
「やあ、待たせたね。凜々花ちゃん」
ワイシャツの上にベストを羽織った、ビジネスマンスタイルの有さんが現れた。
そういえばこの人、普段は何をしているのかしら? 小さい頃からお仕事のことを聞くとはぐらかされたし……久遠家の数ある謎の一つね。
「お邪魔しています、有さん。先月はウチのパパが迷惑をかけて……」
「あはは。子供がそんな大人のような挨拶をしなくていいよ。昔みたいに郁パパ! って呼んでくれてもいいのに」
有さんはワイシャツの袖を捲りながら、私に対して優しく微笑みかける。
うーん。相変わらず痩せ型よね。郁も大概だけど、有さんはもっと細い。私が幼稚園生の頃は肉付きが良かったような気がするのだけれど。
「……有さん、ちゃんとご飯食べています?」
「え? もちろんだとも。気が向いたら食べるようにしているよ。水も飲むし」
「その食事スタイルが許されるのは猫くらいだって分かっています?」
「ちゃんと野菜も食べているから平気さ。たまに食べ過ぎて吐くけどね」
「あれ? この人、本当に猫なのかしら……?」
って! 私がツッコミをさせられている時点で調子が狂っているわね!
郁が相手なら私がボケ倒せるのに……それこそ、熟年の夫婦漫才のように。あら? 夫婦漫才っていい響きじゃない? これは新手の既成事実を作れるんじゃないかしら?
「まあ、僕は食事が昔ほど好きじゃなくなったのさ。それより、凜々花ちゃん」
私が素敵なことを考えているうちに、有さんはリビングの奥にあるキッチンに移動しながら尋ねてくる。
「カレーの基本的な調理は出来るかい? まずはそこから始めよう」
腕まくりをしたのだから手伝ってくれるのかと思っていたのだけれど、有さんは調理の殆どを私に任せて、キッチンでは少し離れた位置でそれを眺めていた。
ううっ……やりづらいわ。何だか嫁入りの資格があるか試されているみたい。
「最初はね、僕もカレー作りを手伝うつもりだったのさ」
調理を続ける私に、有さんは監視役に回った理由を語り始める。
「だけどほら、凜々花ちゃんが将来郁と二人でキッチンに立った時に、「付き合って初めての共同作業」の感動が薄れるだろう? 初めて君の横に立つのは僕より郁の方がいい」
「……有さんって、アレですよね。気遣いの仕方が控えめに言ってアホですよね?」
「そうだろうか? 僕も初めて妻と一緒にカレーを作った時は楽しかったよ。だからその感動を、凜々花ちゃんにも味わって欲しくて」
こういう気遣いは嬉しい。それに同じ空間にオッサンと二人は嫌だろうからって、リビングでハウスキーパーさんに休憩を取らせているし。優しいのよね、郁にそっくり。
「ところで有さん。調理がもう大体終わりそうですけど……後はルーを入れるだけです」
黙々と作業を続けた甲斐があって、調理はかなりスムーズだった。私が料理上手なのもあるけど、こだわらなければカレーなんて煮込むまではあっという間だ。
「手際がいいね。瑛理子ちゃんも郁の為に何度かウチで料理を作ってくれたことがあったけど、嫁レースでは同率一位かな? 他に伏兵が居るとか?」
有さんの言葉に何故か、あざとい可愛さを持つ郁の親友を思い出したけど……。
私の思考に同調するように、有さんは「あ、そうだ!」と何かを思い出す。
「郁が中学生の頃、たまに絶世の美少女を連れて来ることはあったけどね。あの子は何て名前なのかな。僕としては郁がかなり気を許していて、彼女かと思ったけど」
「……その生き物、胸は大きかったですか?」
「いや、真っ平だったよ? だけど顔や仕草がとても可愛くてねぇ! それで」
「その胸無き者は男ですよ。それじゃあルーを入れますね」
「へぇ? お、とこぉ……? あ、あの子が?」
唖然としている有さんを尻目に、私は市販のルーを投入して一通りの調理を終えた。
これが久遠家のカレー? 小学校の林間学校で作るカレーと変わりないじゃない。
「凜々花ちゃん。悪いけどリビングに戻ってくれるかい? 仕上げをするから」
すると、有さんが冷蔵庫を漁りながら私にそんなことを告げた。
どうやらここから先が、久遠家秘伝カレー作りの真骨頂みたいね!
「あれ? 有さん、私にレシピを教えてくれる約束だったような……?」
「少し、気が変わってね。全て教えるのは面白くないだろう? 完成したカレーを食べて、そこから凜々花ちゃんに答えを導き出して欲しい」
「なるほど。それが久遠家への嫁入り条件……とか?」
「あはは。それも面白いかもしれないね? さて、それじゃあカレーに手を加えようか」
有さんは私がキッチンから離れたのを見てから、カレーに何かを入れていく。
流石にリビングからはそれを確かめるのは無理だったけれど。
その後、カレーが完成するまで私はリビングで何故かハウスキーパーさんと一緒にテレビドラマを眺めて、そして――。
「完成したよ、凜々花ちゃん」
手にした小皿に少しだけカレーライスを盛り付けて、有さんが戻って来た。
ハウスキーパーさんはそのタイミングで空気を読むように退室する。結局、最後まで無言で一緒にドラマを見ていたわね……ドラマの内容よりもミステリアスな人だったわ。
「久しぶりに作ったけど、良く出来たと思う。食べてみてくれるかな?」
有さんに差し出された小皿とスプーンを受け取って、私は「いただきます」と呟いてから久遠家秘伝カレーを味見する。
「……美味しいわ、とっても」
何だろう。カレーの中にまろやかな甘みがあって、何かの調味料をいくつか混ぜたのは分かる。けど、鳴海家ではもちろん、お店でも食べた事が無い。不思議な味。
「そうかい? それは良かった。ヒントを与えるなら冷蔵庫にある調味料を使った、とだけ言っておこうか。このカレーは僕と妻……燈子と結婚した最初の日に作った物でね」
有さんは私の手元にあるカレーを一瞥して、懐かしい日々を思い出すように語る。
燈子さん。郁のママとの、大切な思い出を。
「僕らは時代を考慮しても、早い結婚だった。お互い若く、一人暮らしの経験も無いから手探りで毎日を過ごしたよ。親に反対はされずとも、大変な日々だった」
「有さん。だったら社会人になって時間を重ねてから、結婚するつもりは……」
「無かったね。僕は燈子への愛を抑えられなかった。だからすぐに一緒になりたかった。大好きな子供の顔を……一秒でも早く見たくて。僕らは幼かったのさ」
有さんの視線の先には、壁に飾られた額入りの写真がある。
家族が「三人」で写っている、色褪せることのない少し古い時間を閉じ込めたもの。
「そんな幼い僕らが試行錯誤して、ようやく出来たのがこのカレーライスだった。僕と燈子が好きな物を最後に入れた、僕たちにしか作れないカレーだった」
郁が家を離れてから、今は滅多に作らないけどね。と、有さんは付け加えてから話を続けてくれた。
「その後、燈子は料理が上手くなった。その練習も兼ねて色々と食べさせられたから、あの頃は随分と肉付きが良かったな、僕は」
そっか。「食事が昔ほど好きじゃない」って、そういうことなんだ。
有さんはご飯が好きだったわけじゃない。燈子さんの作る料理が……ううん。燈子さんが好きだったから、あの人の愛を全部受け止めていたのね。
「凜々花ちゃん。君もいつか、郁と……いや、誰でもいい。好きな相手と一緒になる日が来たら、二人で料理を作るといい。世界中どこを探してもレシピの存在しない、二人だけの料理を作って、毎日を楽しんでくれ」
僕は燈子と、ほんの短い時間しかそれを出来なかったから。
「……時間は、関係無いわ」
そんな有さんの言葉を聞いて、私は意識するよりも先に言葉を漏らしていた。
「二人がどれだけ愛したか、どれほどその時間を大切にしたか。それが一番大事なことでしょう? そして二人は、郁っていう素敵な男の子を授かった」
私が世界で一番好きな、愛しい幼馴染を誕生させてくれた。
だから私は、ちょっとだけ悲しそうな顔をする有さんに教えてあげたかった。
「あなたたちが愛し合った時間は、今も続いているわ。そうでしょう? だって郁が居るじゃない! 郁の人生が続いていく限り、『時間』は終わらないの!」
力説する私に、有さんは目を丸くしていたけれど。
やがて小さく笑うと、口元を抑えて顔を逸らした。その「癖」は私の良く知る幼馴染がとっても照れた時にだけ見せる、特別な仕草によく似ている。
「くくっ……やっぱり、凜々花ちゃんはいい子だね。郁が気に入るわけだ」
「へっ? そ、それってどういう意味で……」
「さあ? 僕の目にはそう映っただけで、当人の気持ちは別かもしれない。さて、そろそろ僕は仕事に戻らないと。凜々花ちゃんもこの後、郁のアパートに向かうんだろう?」
有さんはもう一度キッチンに向かって、今度は青いタッパーケースを持ってくる。
中には先ほど私が食べたのと同じ、久遠家秘伝カレーが入っていた。
「良かったら二人で食べるといい。味はもう分かったと思うから、頑張って再現して欲しいな。あるいは凜々花ちゃんが愛を込めてアレンジしても構わないよ?」
「え、ええっと……あ、ありがとうございます! それじゃあ私も帰りますね!」
何だか今更になって、さっきの言葉が恥ずかしくなった私は、カレーを受け取って足早に久遠家を後にしようとする。うわー……顔、熱すぎて引くわよ、私。
「気を付けてね、凜々花ちゃん。そして……これからも、郁をよろしく」
その「よろしく」がどういう意味を込めていたのか分からないけど。
だけど私は、全力の笑顔を浮かべて有さんにハッキリと宣言してみせた。
「はい! これからも、私はずっと郁と一緒に居ますから!」
久遠家を後にして、私は一度自宅に帰ってカレーを保存することにした。
誰も居ないリビングで、私はタッパーを置いて今日の予定を考える。この後は郁と燈華ちゃんにこのカレーを振舞う予定だけど。
「まだ夕飯には早いし、少し味の研究をしようかしら。家にある調味料は……ん?」
スマホが振動して、ある人物からの着信を告げる。
私は何も考えないで、画面をタップして通話を始めたのだけど――。
「もしもし、凜々花ちゃん? ねえねえ、この後時間あるかな? 郁ちゃんのアパートまで来て欲しいな。莉生君も居るよ! ふふふ……」
その後、私は女子大生と男の娘に拘束されて、紆余曲折あって『ママごはん対決』なるものをして、それに勝つために結局カレーの研究も出来なかったのだけれど。
それはまた、別のお話。
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