やばいがやばくてやばすぎるのでとてもやばい

白里りこ

やばい


 未来の日本は、「やばい」の意味がどんどん拡大し、会話がほぼ全て「やばい」で成り立つような、スーパーハイコンテクスト言語を持つ国になっていた。

 ここでは少し、未来の会話の様子を覗いてみることにしよう。


 以下に示すのはとある女子高校生二人の会話である。


「やばいやばい」

「は? やば」

「こないだ、やばいまじやばいやばいの見つけてさ」

「それやばくね」

「やばい行きたいからやばいんだけどやばい?」

「やばい」

「やばーい!」


 これを現代語訳すると以下のようになる。


「ねえねえ」

「え? なに」

「この間、新しいまじかわいいカフェを見つけてさ」

「それはいいね」

「超行きたいから一緒に来てほしいんだけど大丈夫?」

「大丈夫」

「ありがとーう!」


 最小限の語彙で見事に会話を成立させている。さすがとしか言いようがない。

 また、以下はとある老夫婦の会話である。


「やばい」

「やばい」

「やばい?」

「やばくない」

「それはやばい」

「でも私もいつやばいかやばいから、あんたがやばい」

「やばいなあ。でもそれは僕もやばいよ」


 これを現代語訳すると以下の通りである。


「ばあさん」

「はい」

「具合はどう?」

「悪くないよ」

「それは良かった」

「でも私もいつ死ぬか分からないから、あんたが心配」

「寂しいなあ。でもそれは僕も同じだよ」


 現代に生きる我々には意味の取りづらい会話でも、二人はちゃんと心を通わせている。すばらしい夫婦愛である。

 更に別の老夫婦の会話を示す。


「私も耳がやばくなってやばいなあ」

「ええ? 何だって? やばい?」

「そうなのよ。やばい、やばい」

「や、それはやばいなあ。婆さんの方がやばいというのに」

「やばいのよ。あなたもやばいの?」

「ええ? 何だって? やばい?」

「ええ? なあに? あなたやばくなっちゃったの!」

「やばいのをからかうなよ。やばいのなんてやばい話だ」

「からかってなんかいませんよ。でもやばいわねぇ。そんなにやばいだなんて」

「だから、やばいって」

「やばいわね。やばいわね」

「ふう……会話もやばかったことだし、やばい眠ろうか」

「そうね。こんなやばい話はもうやめて、眠りましょう」


 これを現代語訳すると以下の通りである。


「私も耳が遠くなってきて大変だなあ」

「ええ? 何だって? 可愛い?」

「そうなのよ。大変、大変」

「そ、それは照れちゃうなあ。婆さんの方が可愛いというのに」

「そうなのよ。あなたも耳は遠いの?」

「ええ? 何だって? イケメン?」

「ええ? なあに? あなたボケてきちゃったの!」

「年寄りをからかうなよ。イケメンだなんて昔の話さ」

「からかってなんかいませんよ。でも大変ねぇ。そんなにボケちゃったなんて」

「だから、照れるって」

「大変、大変ね」

「ふう……会話も弾んだことだし、そろそろ眠ろうか」

「そうね、こんな心配な話はもうやめて、眠りましょう」


 この場合、二人の会話は噛み合っていないと言わざるを得ないのだが、そこに気づくことなく円滑に会話を楽しめるのも、「やばい」の良いところである。


 このように「やばい」の語義の急速な拡大は、人々にささやかな幸せをもたらしている。



 おわり

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やばいがやばくてやばすぎるのでとてもやばい 白里りこ @Tomaten

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