60 異世界御伽噺をご贔屓に

 ● ● ●


 魔蒸武器スチームギフト専用魔鉱物ジェム取り扱い店――貴石の魔女ウィッチ・オブ・ジュエルの店主にして唯一の従業員であるシャルルマーニュ・ペローの日課は店内で茶を嗜むこと。

 三地刻さんじこく魔蒸まじょう稼働かどう都市としムリエル支部の一般開放区画エリアである六番出入口ゲート付近は一等地であり、常に人通りが激しい。が、シャルルマーニュの店は基本的に閑古鳥が鳴いている。


「はあー」


 シャルルマーニュはカウンターの内側である定位置の席で温かな息を吐き出しながら肩の力を抜いた。

 店の外は相変わらず。路面電車が走る二本に線路の間に設置された人工魔力マギアエネルギー濃度調整機が黒で統一された鍵盤を独りでに動かして、パイプから調整した魔蒸気マギアスチームを吹き出している。ここは大型オーバー魔蒸機関スチームクロックのお膝元であるため、一般開放区画エリアでも空気中に漂う魔蒸気マギアスチームの量は多くなる。なのでいたるところに楽器に似たあの調整機が設置されていた。

 輝く粒子が煙とともに吹き上がり、儚く瞬きながら消えていく。

 通路の壁際には硬貨を投入すると音楽が流れる自動蓄音機メロディボックスが突っ立っていて空調の稼働音や喧騒にも負けない心地良い曲を奏でている。音楽に合わせて芸を披露する者や、他にも各々好き勝手に得意分野を極めている買い物客以外の人物も多い。


 賑わう日常を陳列窓ショーウェインドウ越しに眺めながらシャルルマーニュは用意した乾燥果物ドライフルーツが乗ったフロランタンを紅茶に投入する。

 液体に固形物を入れて食感を堪能するのがシャルルマーニュの茶の楽しみ方だった。

 唯一の弟子には嫌な顔をされるが、味覚の鈍いシャルルマーニュにとって味は二の次。食感のほうが大事だ。

 なので、誰になにを言われようとこの楽しみ方を変える気は無い。


「今日も昨日と変わらずなんでもない日ですねえ」


 強いてなにかあったと言えば、偽脚専門の舞踏家ダンサーを集めた機械仕掛けの鳥籠一座が昨日都市に入ってきたらしく一週間後には盛大な舞台ショーが観られるだろうこと。

 それと、時計屋の末っ子が引っ越しの挨拶に来たこと。

 おまけで、自分の跡を継いでムリエル支部の長となった弟子が来店したこと。久し振りに顔を合わせたがまだ弟子は禿げていなかった。最近妙に忙しそうだが、さしてなにも言ってこなかったので問題はないのだろう。


「そういえば……あいつはなぜここに来たのでしたか?」


 重度の仕事中毒ワーカーホリックである弟子が用もなくシャルルマーニュの店に来ることは少ない。ただでさえいまは教団だけでなく狩猟管理組合ギルドも含めてばたついている。そんな時に用もなく店に来るような性分でないことは師匠であり育ての親でもあるローランが一番理解している。


「………………」


 脳髄の奥が疼く。引っ掛かった違和感を探ろうとした時、店のドアベルが太い音を空に転がした。

 肩が跳ね、瞬間シャルルマーニュの思考は白く弾けた。


「ご機嫌よう。シャルルマーニュおじさま」


 扉の隙間から外の冷たい空気が押し寄せてくる。

 控え目に顔を覗かせたのは、お人形のように愛らしい風貌の少女。

 ふわふわとした生クリームを連想させるたっぷりのフリルとレースで甘美に飾られたエプロンドレス。長い睫毛に包まれるのはどんな宝石よりも光沢のある流麗な瞳。薔薇色の頬を緩ませて、蜂蜜を絡めた柘榴を思わせる潤んだ唇に無垢ではあるが子供にしては甘ったるすぎる微笑を浮かべながら彼女は店内に滑り込んできた。

 大きなリボンのついた癖のある髪の揺れる様すら可憐であり、誰からも愛されるために生まれてきたと言っても過言ではないお砂糖じみた女の子。


「お嬢さん。気を付けてください。そこ、昨日あの後に荷物を落としてしまったのです」


 我に返ったシャルルマーニュは少女へと忠告する。

 出入り口からシャルルマーニュのいる奥のカウンターまで伸びている通路の床は一部に布が敷かれていた。深い紺色の絨毯の上に乗る白い薄布は嫌に目立つ。


「あの、後……?」


 少女が小さく反応を示す。

 シャルルマーニュは眼鏡の奥の青空を柔和に細めて頷いた。


「リンゴーン。お嬢さんが引っ越しの挨拶に来てくださった後ですよ」


 ティーカップをカウンターに置きながら伝えれば少女は形の良い爪を持つ指を下唇に当て、眼球だけを動かして店内を見渡した。

 一呼吸の後「……ああ、そうね。そうですわ」と自分に確認するふうに呟いた。


「わたし達は……家族で、お引っ越しをしてきましたの」


 少女は語る。


「わたし達は、時計屋さん。人工魔力マギアエネルギー計量表がついていない普通の時計を売る時計屋さんですわ。お兄さまと、お姉さまと、猫ちゃんと、一応お父さまで……お引っ越しをしてきましたの」


 少女の口振りはまるで架空の物語を綴るよう。

 新たに書かれた物語を読み上げて、確認する口調だった。


「そうですわよね?」


 少女の瞳がシャルルマーニュを見詰めた。

 吸い込まれそうな双眼。

 だが、あくまでもただの子供の眼。

 退魔師エクソシストであったシャルルマーニュにはなにも感じられない。

 感じることがあるとすれば、この愛らしい少女は時折こういった不思議なことを言う。会話が通じないわけでもなく、受け答えができないわけでもなく、時々自分の世界に入り込む。

 夢見がちというか、夢見心地になることが多い少女に思えた。

 しかし、子供だからと言えばそれまで。


 彼女は先日一般開放区画エリアの一角引っ越してきた時計屋の末っ子。人工魔力マギアエネルギーの計量表がついていない時計のみを扱う店で、なぜそんな奇抜マニアックな専門店がこの区画に居を構えられるのかシャルルマーニュは良くない疑い方をしたが、結局は杞憂だった。

 時計といえば懐中時計が一般的だが、かの店は腕につけられる小振りな時計を開発し、手軽さと洒落たデザインがご婦人方に人気を呼んでいるらしい。しかも魔蒸稼働都市から出ない人々からすれば人工魔力マギアエネルギーの計量は街のどこからでも見える位置に建つ大型オーバー魔蒸機関スチームクロックを確認すれば良いだけなので、最近は上流階級の間で計量表がついていない時計を所持することが心の余裕を誇示する振る舞いとして流行り始めているとか。

 流行の火付け役ともなった専門店なので教団への申請も通り、奥方が病気で亡くなったのを機に越して来たらしい。

 末っ子である少女は甘やかされて育ったと聞いたので、こういった雰囲気になっても仕方がないかとシャルルマーニュは納得する。

 子供は自分の世界を持つ生き物だ。

 救助し、引き取った頃の弟子も自分の世界に篭っていた。感情なく、ろくな言葉も知らず、話もできない人間とは思えない物だった頃の弟子に比べれば、夢見がちなだけの少女は可愛らしい。


「リンゴーン。そう聞きました。なにか気になることが?」

「いいえ。その通りですわ」

「今日はどういったご用件です?」

「確認をしにきましたの」

「確認?」

「お気にせず。済みましたわ」


 少女は雲の上で遊ぶかのように軽い足取りで荷物を落としてヒビが入った床を飛び越える。泡立てたばかりのメレンゲ以上にスカートがふわりと弾む。

 小さな足音を絨毯に吸い込ませながら軽やかにカウンター前にやってきた。

 緻密な彫り込みがされた木製のカウンターは元より高さがあるのだが、上に本の山や新聞の束、仕事用の道具から暇潰し用のチェス盤やカードも手当たり次第に乗っかっている。いまはそこにお茶会道具が追加されているため低身長の少女からしたら見辛いだろう。


「良ければ、これを」


 散らかったカウンターの隙間に少女が置いたのは金の懐中時計。蓋に薔薇を象った細工と赤い結晶が所々に嵌め込まれている。

「――ッ!?」シャルルマーニュは一瞬戦慄して息を飲み、二瞬目に詰まらせた息をゆっくりと吐いた。


「こ、れは……」


 驚愕に心臓を激しく打ちながらも懐中時計を拾い上げ、勘違いだったと気付く。

 側で確認しないと判別できないほど、時計の蓋に施された赤はレッドスコーピオンの魔核コアに酷似していた。

 しかし恐ろしく酷似しているだけで同じではない。

 退魔師エクソシストであるシャルルマーニュでさえ勘違いしかけたのだから、一般人では確実に間違うだろう。


「ただの薔薇硝子ローズグラスですわ」


 少女はにんまりと微笑んだ。


「そうとしか、見えませんでしょう?」


 悪戯に、自慢げに、少女は微笑んだ。


「………………」


 リンゴーン。とシャルルマーニュは口癖を発することもできず、赤に食い入る。

 薔薇硝子は赤い硝子の総称。

 色味は質と値段によって幅広く異なる。が、ここまでの濃密な赤を孕んだ薔薇硝子をシャルルマーニュは初めて見た。背筋に奇妙な悪寒が走った。

 違うと判断しても、気を抜くとレッドスコーピオンの魔核コアと錯覚しかける。そんなことはあるわけがない。

 レッドスコーピオンは禁忌領域ケイオスに跋扈する最上位ハイランクの魔獣。ただの狩人ハンターでは討伐許可が出ず、専門の資格を得た上で教団から許可をもらった狩人ハンターでないと対処は許されていない。

 レッドスコーピオンが活動領域ホールに進行してくることがまずないので狩人ハンターが動く事態はないが、任務で禁忌領域ケイオスで赴く退魔師エクソシスト達は時に交戦することもある。シャルルマーニュもレッドスコーピオンとの交戦経験は何度かあり、外殻の強固さには苛立たされた。


「お近付きの印に貰ってくださいまし」


 少女の声にシャルルマーニュは弾けた発条バネのように顔を上げる。

 彼女は既に店の出入り口の前にいた。


「ポケットの中で眠るより、誰かのためになったほうがあの子も喜びますわ」


 また少女は不思議なことを囁く。

 夢現に、うっとりと、飴玉を転がす甘い声で。

 あの子とは誰だろう?

 知らないのに、ぼんやりと知っている気もする。奇妙な既視感デジャブ


「どうぞ当店――異世界御伽噺フェアリーテイルをご贔屓に」


 ガロン……と、ベルが鳴る。

 陳列窓ショーウェインドウの向こう側。兎よろしく駆けていく少女。

 姿が見えなくなった後もシャルルマーニュの耳朶には彼女が扉に滑り込む前に肩紐を直しながら発した言葉の余韻が残っていた。


――――わたし達が、めでたしめでたしハッピーエンドを迎えるまで。



【END】

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異世界御伽噺 彁はるこ @yumika_ka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ