化け団子の巻
「団子ニ注意」
決してうまいとは言えない、しかし荒々しい筆文字が、はみ出しそうに躍っていた。
文字の上には、縦に並んだ大きな三つの〇を、一本の線がまっすぐ貫いて、〇のそれぞれに、見開いた目と、肥った鼻、裂けた口がついた、奇怪な絵――串団子の戯画であろう――が描かれてある。
そんな幟が、ちょうど山から降りてきた道の、又になったところへ、唐突に立てられていたので、
「こりゃあ、どういう
思わずつぶやいて、見直してみたが、それ自体には何の変哲もない、千切れ布の幟だった。
「子供のラクガキにしては、大掛かりな、何かの宣伝にしては、物騒な…」
それなりに長い道行きを経て、峠から山道を下ってきたところである。
向こうの方に茶屋の軒と煮炊きの煙が見えたので、暫くぶりに茶の一杯も飲めるかと喜んで、疲れ足を速めてきたのであった。
その時、念仏の背からもう一つ、やけにぎざぎざした声がした。
「何だい、何かあったンか」
荷物に括りつけた、大時代な唐傘から、声がするのである。
「起きたのか」
「アア、よく寝た」
そいつは、軋むようなアクビと一緒に、返事をする。念仏は注意した。
「不用心に、喋りだすなよ。こっちから話しかけた時には、起きないくせに」
「五月蠅えなあ。誰も居ないんだし、いいだろ」
不機嫌そうに文句を吐くそれは、本人曰く、由緒正しき神様だそうだが、実際のところは世間一般に言う、傘のお化け――傘化けというやつである。
法力崩れで風来坊の念仏は、幾らか奇妙な縁で、そいつを旅の道連れとし、妖怪退治の流れ仕事をやっているのであった。
「下手くそな絵だなア。まずそうな団子だ」
「お前、団子なんか、食わないだろう」
「うまい、まずいくらいは、わかるさ。アア、まだ眠い」
目の前の変な幟を見ながら、益体もない会話を交わす。
傘化けを見つけたのは、念仏が入門していた法力堂の文庫の中だったが、連れ出してからこっち、寝てばかりで、なかなか思うようにならない。
一応、金銭と品で取り決めを交わし、仕事上の相棒としているものの、あまり当てにはならないと、内心で思っている念仏でもあった。
「兎も角、向こうへ見えてるあの店へ行こう。団子とくれば茶屋だ、何か知ってるだろう」
携帯食料とその場しのぎの釣り、山菜の採集のみで、野宿に次ぐ野宿を重ねながら歩き続けて、すっかり疲れていた。
まだ眠そうにブツクサ言っている傘化けの声を聞き流し、念仏は、又道の向こうへ見える掛け茶屋へ向かって、足を速めた。
-〇〇〇-
「ああ、あれを見たんですか」
縁台に腰かけて茶を啜りながら、先ほどの幟についてたずねた念仏に、茶屋のおかみは暗い顔で言って、溜息をついた。
それなりに大構えの店なのに、おかみ以外に茶汲みや小僧の姿はなく、客もいなかった。主人はと聞くと、買い物に行って留守だという。
何か食うものをと頼むと、漬物と握り飯を出してくれた。
「団子は出してないのかい」
おかみがため息ばかりついているので、念仏がそれとなく話を振ると、
「それなんですよ、お客さん」
言いたくてたまらない愚痴が溜まっていたものと見え、そこからは堰を切ったように話し出した。
「全くねえ、こんなバカな話がありますかね。私ら、真面目に商売をしていただけなんですよ。信心も毎日、欠かさないし」
「馬鹿な話ってのは何だね」
「正気の人が聞いたら、まず笑われるような話ですよ。私だって、人から聞いた話だったら、冗談だって思います」
「だから、どういう事なんだい」
「うちのお団子がね、化けるって言うんですよ」
おかみは、棚の横に立てかけていた旗を一つ持ち出してきた。
広げた旗には、「山海評判・峠団子」という字と共に、串団子の絵が描かれている。
何でも、特製の甘餡を詰めた団子を串に刺したものを、旅人向けに包んで販売したものが受けて、この店の名物となっていたのだという。
「うちでお団子を買って、こう串で持って食べ歩くのが流行ってね。そりゃあ、たくさん売れたもんです」
「その口ぶりだと、今は違うのかね」
「みんな、お化けが悪いんですよう…」
搾り布巾のような情けない顔をしたおかみが、悔しそうに話す。
曰く、少し前から急に、「団子のお化け」が道向こうに現れて、通行人を襲いだした。
それはもう、見るからに団子のお化けとしか言いようのないお化けで、大きな、人の顔の付いた串団子なのだそうである。
そいつが道の上にいきなり浮いて出て、恨み言を言いながら、やって来るのだからたまらない。
通る者は皆仰天し、腰を抜かしてしまう。
団子お化けはそのまま、腰を抜かした通行人の持っている
「それがねえ、うちで売っている峠団子の、化けたものだって噂が立って…」
あのお化けは、山ほど食われた団子が恨みを持って、化けた妖怪だ――
だから、あの店のそばを通ってやって来る者を襲うのである――
そんな風に、人から人へ、うわさが渡った。
最初、主人もおかみも、繁盛している自分たちへのやっかみから来た、根も葉もないうわさだろうと思っていたそうだが、使いに出した小僧が、噛み跡を付けて泣きながら帰って来たのを見て、慌てて見に行ったところ、自分たちでそいつに出くわしてしまった。
「信じたくないけれど、本当に、串のお団子そのものだったんですよ。私も、驚いて尻餅をついたところを、噛まれそうになって」
真っ白い、餅のような円い面をして、恐ろしい顔をしたそいつらは、耳や口から黒い餡まで零していたという。
こうなると、噂の広まるのは早い。
峠団子は化けて出る、すっかりそういうことになってしまい、客足は急速に遠のいた。
又のもう一方に同じ方角へ抜ける道があることも災いして、旅人はみなそちらを通るようになる。
店に勤めていた者たちも、次々と暇を願い、いなくなってしまった。
「そりゃあ、何とも不思議というか、奇天烈というか…」
背中で暢気に寝ているらしい傘化けの、ぎいぎいという鼾をうるさく思いつつ、念仏は言った。
お化け関連の書籍を好んで集め出し、今も旅の空に暇を見ては読み耽っている念仏も、さすがに団子が化けるなどという話は見たことがない。
せいぜいが、子供向けの昔の黄表紙、絵草子の類で、煙草盆やら、鍋が化けたり、仏菓子に手足が生えたりというような戯れ絵があったくらいである。そんなものは、ただの駄洒落だ。
「何か、心当たりはないのかい。団子に限らず、人から何か恨まれたり、そうだ、商売仇なんかは…」
あまり見ないケースだが、嫌がらせで式神やまじものを使う話もあるので、そう問うてみたのだが、おかみはきっぱりと首を振った。
「先代がこの店を立ててからこっち、私らは真面目に商売してるのだけが取り柄なんです。人様の恨みも、ましてや自分たちで売ってる団子の恨みも、買った覚えはありません。
それにね、お客さん。ここまで来た道で分かってるだろうけれど、この辺り、他にお店も何もないんですよ。それこそ、行きずりの旅人さんくらいしか、相手にしないんです」
「浅茅ヶ原の鬼婆みたく、旅人の身ぐるみを剥いで仏にしたりも…」
「してませんッ」
ぷりぷりと怒るおかみを見ながら、念仏は、どうやら嘘を言ってはいなさそうだと考えた。
法力をやる前に、幾つか修羅場をくぐったこともあり、それなりに人品を見抜く目を持っているつもりの念仏である。
おかみの言葉に、嘘はないようであった。
「それで、何か対策は講じたのかね」
「もちろんですよ。私らの思いつく限りのことはやってみました」
狐狸除けのお守りを配る、知っている限りの民間療法のまじないを試す、それでも駄目だったので、近くはない最寄りの寺から坊さんも呼んで、お経を読んでもらったりもしたそうである。
けれど、その悉くに効果なく、坊さんも団子に噛まれて、こりゃ手に負えんと這う這うの体で逃げ帰った。
まあそうだろうな、と念仏は、話を聞きながら心中で独り言ちた。
いわゆる普通の寺の坊主では、妖怪変化に対処するのは、なかなか難しい。
他愛のない、化け方の下手な狐狸のたぐいであれば、普通のお経や、民間の簡単なまじないで追い払えたりはするが、種々雑多な魑魅魍魎、妖怪変化となると、なかなかそうも行かない。
そも本来の仏の教えは、幽霊妖怪の存在を認めておらぬ。ゆえに、それらの教えで以て衆生救済と精進を旨とする寺と、化け物退治を旨とする法力の堂では、唱えるものも違うのである――堂主は毛の疎らな眉を逆立てながら、講釈していた。
「まあ、お化けってのは、なかなか一筋縄ではいかないもんだ」
念仏と傘化けが旅立つきっかけとなった、「芋泥棒」の大蛸退治をも思い返しながら、おかみの愚痴にもっともらしく相槌を打つ。
しかしその時、念仏の背から、ぎざぎざした笑いと共に、
「偉そうに語ってやがる」
と、馬鹿にしたような声がしたので、おかみは目を白黒させた。
「アレッ、何だね、今のは…」
「ああ、いや」
念仏は慌てて、後ろの傘を抑えつけながら、
「俺は放歌もやるのでね、たまに声を変えて発声をしてみるのさ。気にしない、気にしない」
と、胡麻化した。
怒った傘化けがガタガタ震え出したので、そのまま大きな声で聞く。
「その…お寺から坊主を呼んだというが、他には、誰か頼めなかったのかい」
おかみは、訝しそうな顔をしながらも、
「ええ、何度か、お祓いや化け物退治を頼める相手を人づてに探したんです。
…でも、今はどこの人も、手が一杯だって」
くどくどと恨みがましそうに言ったが、念仏にしてみれば、予想通りの答えであった。
「第二の開化」からこっち、にわかに活気づいたこの国の化け物どもの跳梁跋扈は、昨今さらにその勢いをいやまして、いかにも妖しき花盛りと言った体である。
そして、その勢いに対し、元来の寺社勢力は勿論、法力堂のように技能特化した組織も含めて、人員の教育・供給が明らかに追い付いていないのだ。
中央の都などでは、陰陽寮の復活を初め、対霊退魔の部隊軍隊・警察の整備も進んでいるというが、地方の端々、津々浦々まで手が届くには程遠い。
よって、あちこちで化け物が我が物顔にのさばり、人びとが追いやられるような事例も少なくない。
新聞・瓦版は連日、そのような妖しい事件の数々を、面白おかしく書き立てる。
恐らく、この掛け茶屋が見舞われた不幸もその一つに過ぎないのであろう。
おかみは、泣きそうな顔のままで、言った。
「…結局、お団子は売るのをやめないといけなくなるし、お客さんも来なくなるし、店じまいも主人と話しているんですよう」
需要と供給の、不釣り合い。
――だからこそ、念仏のような風太郎もどきが、隙間風に乗って、商売出来る時代でもある。
ぎいぎいとうるさく唸り声をあげる傘を後ろ手に抑えつけ、誤魔化しも込めて、念仏は芝居がかった調子で言った。
「女将さん。――その団子お化け、一つ、俺に任せてみちゃあくれないかね」
-〇〇〇-
おかみと報酬についての約束を取り付けると、念仏はその足で店を出て、団子お化けの出るという道の方へと向かった。
伝聞ばかりではなく、実見してみない事には何も始まらないし、騒ぐ傘化けを胡麻化すのが限界だったせいもある。
「お前なあ」
風呂敷から頭を出して、卵のような目玉をずろんと開いた傘化けを、念仏は叱りつけた。
「勝手に動くな、しゃべるなと言ってあるだろ」
「何ンだと、偉そうに」
傘化けは、
「そも、神様を無理やり抑えつけるとは、罰当たりな野郎だ」
「初対面の相手に、お前のことを知られると面倒なんだよ。わかるだろ」
「こないだの浜の奴らは、
「皆が皆あいつらみたいな反応だとは限らん。ただでさえ、化け物の暴れてる世の中なんだ」
「己等は化け物じゃなくて、神様だ!」
念仏は早くもうんざりして、この困った相棒の機嫌を取ることにした。仕事には不可欠の存在なのだ。
「悪かったよ、傘神様。俺が悪かった。お前の力が必要なんだ。今回も頼むぜ」
「フン。報酬の山分けは当然として、己等の飯も用意しておけよ」
そう言えば、こいつ用の飯がそろそろ足りなくなっているな、と念仏は考えた。
傘化けは、線香やら、蝋燭やらを菓子のように食って糧としているのである。
そもそも何年、何十年と前から文庫の奥に放置されていた傘だし、お化けが餓死するとも思えないが、与えないとうるさいので、従っているのである。
「あくまで己等とお前は対等…いいや、神様の己等が妥協してやっている、契約関係だってのを忘れるな」
「ああ、わかった、わかった」
しかつめらしく宣っている傘化けの言葉を流し、相槌を打っていた辺りで――
「…おいでなすったらしいぜ」
それは、不意に現れた。
平凡な山道の景色の真ん中に――異様な影が浮かんでいた。
真っ白い、のっぺりとした円い頭が、三つ。
大人の一抱えもある、一つ一つに、それぞれ顔がある。
細い狐目と粒の浮いた鉤鼻に、への字口と、胡麻を散らしたような髭。
そして、真ん中を通った大きな木の串で以て、それら三つの顔が貫かれて、宙に浮かんでいる。
――なるほど、こりゃあ。
「団子だなア」
風呂敷から引き抜かれた傘が、
「おおむね、絵の通りじゃねエか。やっぱり不味そうだ」
「確かにな」
傘化けの軽口に答えつつ、念仏も、懐から
そうしておいて、目の前の化け物に、問うた。
「オイ、団子。いや妖怪。何か理屈があるなら、聞いてやるぞ」
まさか本当に団子が化けるなどとは知らなかったが、本人(?)の口から、何某かの理由や背景が聞ければ、面倒がない。
「何が恨みだ。食われたのが悔しいのか。それなら、何で食い物が欲しい」
しかし、巨大な団子お化けは、ただ虚空をそれぞればらばらぐりぐりと、六つの目で見つめながら、
『くる、ぐる、ぐる、しぃぃぃ…』
口々にそうやって呟くと、
『…はら、はらへったぁぁぁ…』
前傾になって、いきなり襲い掛かってきた。
「うわっ」
慌てて念仏が飛びのき、割って入った傘化けが、がきんとその串先を受け止める。
『くるしぃぃぃ…はらがへったぁぁぁぁ…』
「話を聴けるような奴じゃあ、ねエらしい」
「その方が手っ取り早くていいや」
ケケケケと笑うと、傘化けは、傘をばんと開いて、回転し始めた。
ぶううううんと音を立てながら、噛み合っていた串の先端を弾くと、竹トンボのように浮き上がる。
そうして、恐ろしい生きた回転ノコギリとなって、団子お化けへと、突撃した。
めちめちめちめち…
柔らかいものに傘がぶつかり、食い込む音が響く。
三兄弟のちょうど真ん中のところへ、傘化けは突っ込んで、押し合っていた。
その攻撃で顔を、目鼻口をめちゃくちゃに切り刻まれながら、しかし、団子は全く堪えていない様子である。
『はら…はらへったあああああ…』
「何だアこいつ」
傘化けが驚いたような声を上げた次の瞬間、団子はぶにゅりと音を立てて跳ね上がった。
ばらばらばら、と辺りに黒いものが散る。
傘化けのつけた傷や、団子共の鼻と口、さらには両の耳などから溢れたものだ。これが餡か、と合点する。
「うわア、ぺっぺっぺ、何だこりゃ」
口も無いのに、何かを吐き出すような声を出しつつ、傘化けは追撃する。
むろん、念仏もただ見ていたわけではない。
化物二匹の衝突に合わせて、団子の向こうへ走り込んでいた。
そして、傘化けと空中でぶつかりあいながら、切り刻まれている団子が、再び弾かれて、落ちてきたところを狙い。
間に合わせの数珠を巻いた手を掲げ、法力堂仕込みにして代名詞の念仏を、唱えてやった。
「団子風情が、とっとと成仏しろ」
けれど、もろに法力念仏を聴かされたはずの団子は、これもまるで堪えた風ではなく、全く何も聞こえていないかのように、
『はらへっ…たああああ……』
同じ文言を繰り返しながら、器用に地面で姿勢を整え、また襲い掛かってきたのである。
「うお」
噛みついてきた団子の長男の口を、匕首の刃で受け止める。
しかし、化物の力を支えることは出来ず、また、足元にあった土の盛り上がりに踵をひっかけてしまい、念仏はそのまま尻餅をついた。
「痛てて」
尻の痛みに唸りつつ、ふと見ると、その土の盛り上がりはどうやら、何かの塚のようだ。
さらには、その辺りに、何本も、何十本も、木の串が散乱している。
「こりゃ、団子の串か…うわっ」
匕首を放り、再び噛んできた団子の一撃を、念仏は間一髪でかわした。
『ぐる、しい…ぐるしいい…』
「げっ、まずい、傘神様頼む」
「全くだらしがねエな」
罵りながら、傘化けが飛行形態のまま、再度突っ込んでくる。
「食らえ団子野郎」
その渾身の一撃を受けて、念仏の方に気を取られていた団子は、
めぢぢぢぢぢ、ぶちん。
真ん中から真っ二つに断ち切られた。
「おお、やった…」
感嘆の声を上げる念仏の上に、真っ二つになった団子からぶちまけられた黒い餡が、ばらばらと落ちてくる。
「うげえ」
甘味は好きだが、化け物の団子に詰まっている餡など、どんなものだか知れない。
慌ててそれらを払いのけながら、思ったより簡単な仕事だったな、と考えつつ、立ち上がった念仏は、仰天した。
今しがた真っ二つにされたはずの団子お化けが、最初に見たのと全く同じ姿で、宙に浮かんでいる。
『はら…はら…はら、へった…』
唸り声を上げる顔の、両の耳から、餡がぼろぼろと、滝のように零れている。
しかし、その顔の傷は全て、いつの間にか、元に戻っているではないか。
「何だこいつ」
「何だこいつ」
思わず、傘化けと念仏とは、同時に口走った。…
夕暮れの日が差してくる頃、一人と一本は、揃って悪態をつきながら、敗走していた。
あれから何度も、二人は団子を退治した。
傘化けは幾度となく団子を切り裂き、ぶん殴り、餡をぶちまけ、念仏も、一向に効かない法力を頼むのをあきらめ、匕首を団子に突き刺したり、斬ったりした。
けれど、そのたびに、お化け団子は元通りに再生するのである。
「これじゃあきりがない」
何十回目かを繰り返した辺りで、念仏は戦略的撤退を提案した。
傘化けはプライドの問題なのか幾らか渋ったものの、さすがに疲労していたと見え、提案を受け入れた。
そして、あるだけの携帯食料を囮に、傘化けが馬鹿力でお化け団子の串を地面に押し込んだ隙を突いて、逃げ出したのである。
「畜生、畜生、何ンてことだ。傘神様が団子なんぞを倒しきれずに尻尾を巻くなンて」
「尻尾なんて無いだろ、お前」
茶屋へ向かって走りながら、そんな掛け合いをしつつ、念仏は、
「とにかく、戻って、もう一度話を聞くぞ」
さんざん体中に散った、黒い餡をつまんで、指で細かく潰す。
それは――餡子ではなかった。
地中の、少し湿った、黒い土であった。
「どうにもあれは、ただの団子じゃあない気がする」
-〇〇〇-
折良く、掛け茶屋には、買い物に出かけていたという主人が、帰って来ていた。
やっぱり駄目だったかね、とあまり期待していなかったような調子のおかみにまあ待てと言い置いてから、念仏は主人の方に、詰め寄った。
「何か、ここらで昔、人死にはなかったか。何でもいいんだ」
怪しい流れ者の念仏の風体には面喰ったようだったが、おかみからあらかじめ話を聞いていたと見えて、その人のよさそうな、丸顔の主人は、腕組みをしてうーんうーんと暫く考えていた。
「何でもいい、何かある筈だ」
そうすると、やがて、やや口籠りながら、
「おれが子どもの頃に…行き倒れがあったくらいしか…」
詳しく聞いてみると、その当時、山をゆく旅人を襲って金品を奪ったりしていた野盗のような連中だったという。
「おれの親父も、いつ、山を下りて店に目をつけられるかわからんって、警戒してたんだが、悪いことはできないもんで…そいつら、キノコか何かに当たって、山から降りて来た道のところで、死んじまってたんだ」
長く苦しんだらしく、死骸はがりがりに痩せこけ、衰弱してからは半ば錯乱したか、人を襲う元気もなかったものか、草や土などを食んで苦しみと飢えを紛らしていた形跡もあったという。
野盗どもの身元はわからず、また近場に寺もなかったために、警察も引き取り手を持て余した。
「結局、流れの坊さんに簡単な弔いをしてもらっていたのは覚えてるんだが…結局、その後どうしたか、知らないんだよ」
「なあるほど」
念仏は、団子の出る道の端にあった、異様な土の盛り上がりを思い出していた。
「多分、きちんとした埋葬をしなかったな。下手すりゃあ、道端に塚を作って、そのまま埋めたんだろう」
そして、ある確信と共に、尋ねた。
「その行き倒れの野盗ってのは、何人だった」
「ええと…大きいやつ、痩せたやつ、ちびのやつと…三人…」
そこまで言って、主人もさすがに勘づいたのか、はっとして、
「まさか、それが…」
と口走った。
「だが、それはもう何十年も前の話だぞ。それに、親父の代の間、全くおかしなことは無かった。なぜ、今になって…」
「わからないが、強いて言うなら、それが団子の由縁かもな」
土饅頭の傍に散乱していた、恐らく、旅人の捨てて行ったのであろう串のことを、念仏は話した。
毒に当たり、飢えて死んだのち、野に葬られた盗賊たちの塚。
そこに、団子の串が何本もばらまかれたとすると、怨恨が蘇っても、不思議ではないかもしれない。
「まあ、何が正解かなんて、俺にはわからないが、化け物ってのはちょっとしたきっかけで出て来るもんだ。それに」
荷物の中から、古い妖怪書を二冊抜き出すと、まず、片方を開いて、あるページを指し示す。
そこには、男の首が三つ固まって、それぞれに火を吹いている絵が描いてあり、「首舞ノ怪」とある。
「今の話を聞いて、この化け物のことを思い出した。これは、諍いを起こした盗賊崩れの男三人が斬り合って、その首が絡まり合って化けたものだ」
青い顔で絵を覗いているおかみと主人に、続いて、もう一冊の本を開いてみせる。
そこには、野に転がる小さな髑髏と、その上に現れた、巨大な骸骨の姿が描かれている。
「こっちは、野髑髏って現象を説明したものだ。土中のされこうべが化けて、蜃気楼のように、大きな骸骨の姿が上に出て来る。こっちをどんなに頑張って退治しようとしても、らちが明かない」
妖怪話が好きで文庫の書を読破した念仏である。この手の講釈ならばお手の物であった。
「あいつの零す、あんたたちが餡子だといっていたものは、土だった。そう考えると、今回の事も、こういう話の組み合わせで、説明がつく」
目を白黒させながら、感心したように念仏の話を聞いていた店主とおかみは、
「よオし、なら今度こそ、団子退治だ」
続いて聞こえてきた、竹と笹が擦れるような声に、揃って飛び上がった。
-〇〇〇-
次の日、今一度同じ道の上へと出かけて行った念仏と傘化けの前に、昨日と同様、そいつは現れた。
真っ白い、のっぺりとした円い頭が、三つ。
大人の一抱えもある、一つ一つに、それぞれ顔がある。
団栗眼とあぐらをかいた獅子鼻に髭を生やした分厚い鱈子唇。
細い狐目と粒の浮いた鉤鼻に、への字口と、胡麻を散らしたような髭。
甲虫に似た小さな黒眼と浅い起伏にしか見えぬ丘鼻、おちょぼ口。
そして、真ん中を通った大きな木の串で以て、それら三つの顔が貫かれて、宙に浮かんでいる。
『くる…ぐるしいい…はらが、へったぁぁぁ…』
虚空をそれぞれ睨みながら、唸る団子のそれぞれの顔へ、
「さア観念しろ!」
傘化けが回転しながら、またもや突っ込んでいった。
その隙に、念仏は、あらかじめあたりをつけておいた、あの盛り上がった土のところへと、店で借りたスコップをかついで、駆け寄っていく。
「南無阿弥陀仏」
捨てられた団子串が散らばる土へと、スコップを突き込み、力任せに掘り返してゆく。
背後で、傘化けと団子がぶつかり合う音が幾度か響くのを聞きながら、一心に腕を動かしていると、やがて、黒い土の中から、木片や金具らしきものの残骸に混じって、白いものが現れてきた。
――
一つ、二つ、三つ――念仏の手によって掘り出されたそれらは、みな一様に、眼窩や耳穴、鼻腔に至るまで、びっちりと黒土が詰まっている。
「これじゃあ経が聞こえねえのも、無理はないな」
念仏は、ぶつぶつと唱文を呟きながら、その土を掻き出していく。
すると――
『はら…はら…はらぁぁぁぁぁぁ…』
ぽーーーーん、と素晴らしく軽快な、馬鹿馬鹿しいほど滑稽な音を立てて、一番目の頭が、串から抜けて、青空へと飛んで行き、ふっと溶けた。
『くる、くる、くる、くるぅぅぅぅ―――……』
続いて、二番目の頭が、すぽーーーーん、とこれも軽快な音を立てて串から抜け、空へ消えていく。
『おおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ―――…』
最後に三番目の頭が、すっぽーーーーーーーーん、と、ひときわ軽妙な音を立てて串の呪縛から解放され、青い空、尻の桃色に照らされた雲のたなびく天の上へと、吸い込まれていった。
思わずぽかんと口を開けて、それらを見送る念仏の足元では、転がっていた髑髏の全てが、かしゃん、かしゃんと乾いた音を立てながら、砕け散っていく。
そうして、それと同時に。
ぽかん、ばき。
「やい団子、参ったか。己等こそは傘神、ダイジダイヒ、タカオノカミ、カンノンであるぞ。」
ちょうど傘化けが、残された団子の串をげんこつでへし折って、しょうもない勝ち名乗りを上げているところであった。…
-〇〇〇-
掛け茶屋の夫婦は、お化け団子がもう二度と現れないことを確認すると、喜んで報酬を弾んでくれた。
一度うわさが立ってしまった以上、前のような繁盛は難しいかもしれないが、此度のお化け退治を題材にした団子を喧伝し、新たな売りにしてみるつもりだという。
何とも商魂逞しい話であった。
得意げに名乗りを続けようとする傘化けを胡麻化すのには相変わらず苦労したが、ともかく、一件落着と言えるであろう。
夫婦は同時に、再び旗を掲げた串団子を、是非にと山ほど持たせてくれたので、念仏はそいつを頬張りながら、街へと降りる道を歩いていた。
傘化けは、店を出た辺りでまた鼾をかき始めたので、しばらくは厄介な相棒の話に悩まされずに済みそうである。
ただ、一つだけ、気になることがあった。
念仏は、懐から取り出したものを、日に向かってかざす。
――それは、ヒトガタに切り抜かれた、小さな紙きれであった。
野盗の骸が埋められていた塚のところで、見つけたものだ。
それだけならば何ということもない、ごみのようなものだが、そいつの真ん中に書かれた紋様が、どうにも気にかかるのである。
赤い清明桔梗――五芒の星の形。
それは確か、近ごろ政府において復活したという、陰陽寮に携わる者たちが用いる紋様ではなかったか。
なぜ、こんなものが、団子お化けの塚のところに置かれていたのか――。
何とはなく嫌な感じを覚えながらも、
「ええい、団子がまずくなる」
一先ずは生来の風の気質に任せ、とりあえずの次の宿のことを考えながら、
「どうせ俺は、頓智は苦手だ」
念仏は、えっちらおっちらと、歩いてゆくのであった。
続く
傘神 安良巻祐介 @aramaki88
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