第2話 数えられる怪

 ピンポーン。

 玄関の呼び鈴が鳴る。時計を見ると、日を跨ぐ時間だ。

「んあ……」

 左目を擦る。こんな時間に来客が来るだろうか。多少の疑問を抱えながらも、ベッドから体を起こす。ずれた寝巻を整えながら玄関に向かうと、ドアノブに手をかけた。

 待てよ……、変質者だったらどうする? そう思い、一応チェーンをかける。

ガチャガチャと音を立てて玄関の扉を開けると、小さな女の子が顔を覗かせた。

「こんな時間にどうしたの?」

深夜。十数センチの隙間では、少女の服の柄も表情もわからない。

「……五、四、サン、にー、一……ゼロ」

消え入るような声量でカウントをする。それが終わると、カッッ、カッッとつま先で扉を蹴り始め、

「ゼロで終わり」

そう言った。と同時に心臓が苦しくなった。唇から血が溢れ始め、視界が暗くなる。指先が震える。……意識が飛ぶ。



「……っはあ!」

 いやな夢を見た。いや、夢にしてはリアルだった。こんなのを見るのは、昨日の件が原因だろう。

湿ったシーツから体を起こすと、ゆっくりとリビングへ向かった。

昨日の件……。よく行く和食屋の店主が亡くなったことを聞いたのは、会社から帰った直五だった。不可解だったのは、家族の誰も驚かなかったことだ。どこか腑に落ちたような、落ちてないような顔をしていた。

リビングに入ると、既に妻と娘は椅子に腰を掛けていた。おはようと声をかける。しかし二人は、いつもとは違う気の抜けた挨拶を返四てきた。

「あ……、おはよう」

 昨日の違和感は間違いじゃない。なにか知っているのだろう。

「……昨日、なんかあったのか?」

「……いや、あったというか無いというか」

 娘がどっちつかずの反応をするのには、心当たりがある。

「まあ、話してすっきりすることもある。二人とも、父サンに話してくれ」


        ✻


 私の友人の話なんだけどね。

 学校から帰る道に、和食屋さんがあるじゃん。あそこを通るたびにー、絶対に足を止めるの。

「毎回どしたの?」

 そう聞いたらね、「聞こえないの?」だって。

友人曰く、数字が聞こえるんだって。通るたびに、百、九十、五十一……みたいに不規則な数字を一つだけ言うらしいの。

 ただ、確実に数字は減ってるみたいで……。

 昨日は「三」って聞こえたらしいんだけど。


        ✻


 昨日の買い物帰りの話なんだけどね。

あの和食屋さん、個室の席がいくつかあるでしょ? その一番道路側の席なんだけど。ほら、個室とかって上着をかけられるハンガーあるじゃない。あそこに、黒くて大きめのロングコートがかけてあったの。

それ自体は普通なのよ? でも、ある距離まで店に近づくとね、「手足」が見えるの。コートの袖と裾から見えるのよ。顔とか胴体は無いのよね……。


        ✻


「その個室、お客さんがいるようには見えなかったんだけどね……」

「ねえ、店主のおじちゃんが死んじゃったのって……」

 妻と娘が話す内容を聞きつつ、その内容が自分とは違うことに驚く。

「なあ、父さんも話していいか」


        ✻


 会社帰りに和食屋の前を通ったんだ。もちろん臨時休業みたいで、店は閉まってたんだけどよ。シャッターやらカーテンやらで、中は覗けなくなってたよ。

 ……ただな、締め切ったカーテンに影があったんだ。店には明かりが灯って無いんだぞ? じゃあなんの影なんだろう。


        ✻


 三人の間に、沈黙が流れる。店主の死に関連して起きる、不可解な出来事は一体何なのか。気味の悪さに悪寒が走った。

「まあ、終わったことだ。考えたってどうしようもない」

「そ、そうね。ほら、二人とも早く朝ごはん食べなさい。私はゴミ出し行ってくるから」

 そう言って、妻が朝食をテーブルの上に並べた。そして、ゴミ袋を両手に掴むと玄関の方に向かっていく。

 カツカツと廊下に足音が響く。ドアノブを握り、ぐっと前に押す。その瞬間、ガンッという音が鳴る。妻が叫んだ。

「ちょっと! 誰かチェーンかけた? わざわざかけなくてもいいって言ったのに……」

 チェーン? 俺はかけてないぞ。娘か? いや最後に玄関を閉めたのは俺だ。チェーンなんて……。

 かけた。俺は夢の中で、チェーンをかけたぞ。

 冷たい汗が、背筋を撫でる。

「だめだ! 開けるな!」

 叫ぶ声と同タイミングで、妻はチェーンをガチャンと外す。ギイギイと玄関の扉が開く音が聞こえる。

 妻が誰かと話しはじめた。

「どうしたの? お父さんとお母さんは?」

まずい。早く閉めなければ……。慌ててリビングを飛び出すと、妻のいる玄関に向かう。

妻の背中が見える。

「おいっ! 早く閉め……」

 ゆっくりと、妻の話し相手が顔を傾ける。

「……五、四、サン、にー、一……ゼロ」

 視界が大きく歪む。


 少女は、黒く大きいロングコートをバタつかせ、ハハハと笑った。

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一夜怪談 霧中模糊 @mikagirukagiri

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