一夜怪談
霧中模糊
第1話 怪談蒐集の怪
カウンター席を好む私が、テーブル席に座った理由。それは至極簡単で、待ち合わせをしているためである。
待ち合わせ先にこの喫茶店を選んだ理由の一つとして、コーヒーの美味さが挙げられる。こだわりのシングルオリジン。ネルを使った緻密な作業。湯を落として、蒸らして、コーヒードーム。膨らんだ豆から溢れる油に思いを馳せ、一息。マスターも良い仕事をする。
冷房の効いた店内には、コーヒーの香りが溢れ、この真夏の太陽を潜り抜けたノマドに悠揚を与える。
――実を云うと、夏風邪気味で匂いなんてわからない。
「お待たせしました。少々道に迷いまして」
「いえ、待つのは嫌いじゃありません」
現れた女性、仮にAさんは知人経由で知り合った、今回の取材相手だ。通った鼻梁、前髪に薄く隠れた柳眉、これは怪談には関係ない。が、美しい。
「どうしました?」
「い、いや。なんでもありましぇん」
痛む喉が上擦った声を出す。詰まった鼻を啜り、すいませんと呟くと、Aさんは少し頬を緩ませる。
「あ、のど飴なめます?」
うん。これはアルカイックスマイルだ。お恵みだ。
「……あざます」
*
ある山の麓に神社がある。そこがAさんの散歩コースの、折り返し地点となっている。
定期的に誰かの手によって掃除がされているであろうその神社は、その綺麗さの反面、気味の悪さを感じさせるほど無音だった。
秋も終わり頃だった。
その日は丁度することもない、暇な日だった。散歩コースも遠回りを重ね、いつも行かないような裏道まで歩き回っていた。
神社まで来ると、今日は境内に入ろうかと迷った。しかし、その日はなんとなく嫌な感じがして神社の周りを一周して帰ることにした。
神社を一周する道は緩い勾配になっていて、奥に行くほど標高が高くなっている。必然的に、神社を見下ろせるようになる。
ん?
時期は晩秋である。落ち葉によって境内は秋の色に染まっているはずだ。現に、自分の足元には踏みしめられた落ち葉がくしゃくしゃになっている。
柵の内側。神社を囲う柵の内側だけ、不自然に落ち葉が取り除かれているのである。そこ以外は掃除された形跡が無いのにも関わらず、そこだけは入念に落ち葉を避けてある。
「――女性がいたんですよ」
Aさんはそう続けた。
「境内から外に出ようとしてるんですかね。柵の内側をぐるぐる歩き続けているんですよ」
「目が合うとね、柵を掴んでこちらをジッと見つめてきました。冷たい目でしたよ」
*
「幽霊にも足があるんですかね。と云うかあれは幽霊なんですかね? 人なんですかね?」
後は、ちょっとした会話を彼女として終わり。もう少し話していたかったが、報酬の数万円を渡して、サヨナラ。風邪をうつしてしまっては申し訳ない。
なんかフラフラする。体調が悪い時に、怪談蒐集なんてするんじゃなかった。
――しかし、美人だった。うむ。
そんな事を考えながら、帰路に着く。夕暮れ時の人影の無い一本道をゆっくりと歩きながら、聞いた内容を吟味する。今回の怪談はそれなりに使える内容だった。多少の脚色をして怖くしとけば化ける。
お礼の電話をあいつにしておいてやろう。紹介してくれたのはあいつだ。
スマホに手を伸ばし耳に当てる。
「もしもし」
『ああ、お前か。どうした?』
「いやね、今回の紹介してくれた女性の方。いいネタを持ってきてくれたよ。ありがとね」
『はあ? それについては延期になったって言ったろ。予定が合わないって話だったじゃないか。――それに紹介しようと思っていたやつってのは、男性だぞ?』
「ん?」
そういやそうだった。うっかりしてた。じゃあ、あの女性は誰だ。
飴の袋だってほら、ポケットに。まだ、甘い匂いが……ない。こりゃ榊の匂いだ。よく神社で嗅ぐやつだ。そもそもこの炎天下で溶けてない飴ってなんだ。あの女性の名前は……。顔は……。そうだ、レシート。ああ、あの人は何も頼んでなかったじゃないか。確かアルカイックスマイルで……、見方を変えれば目が笑ってない感じで……。冷たい目だった。
違う違うと呟きながら、頭をわしゃわしゃと掻き毟る。幽かに榊の匂いがする。
『おい、どうした?』
スマホから声が聞こえ、ふと我に返る。
「なあ、あの女は幽霊なのか? 人なのか? 俺、憑りつかれたのか」
少しずつ声が震えてくる。榊の匂いが一段と強くなる。ポツポツと電灯が点き始め、自分の影が二つになる。
両肩に誰かの手のひらを感じる。
首筋に呼気があたる。
背中に誰かがいる。
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