後編
「先生! 今日はありがとう!」
僕のことを先生と呼ぶ少年が目の前にいた。
これは夢だ、とすぐに分かった。
この少年は、最初に改竄を依頼された時の患者だ。
親に延命治療を施す金もないから安楽死させてくれと頼まれ、最後に少年が好きだったサッカーの試合を観戦させてあげた。
「僕もサッカー選手になれるかなぁ」
帰り道に少年が実際に呟いた言葉だ。
何度もこのシーンが夢に出てくる。
「君ならなれるさ。だから明日は手術頑張ろう」
夢を見るたびに僕は嘘をつく。
現実では「うん、頑張る!」と笑顔で返事してくれたが、夢の中では次第に顔が暗くなっていくんだ。
表情が暗くなるとかじゃなくて、見えなくなる。黒いクレヨンで乱雑に塗りつぶすように。
完全に黒く見えなくなったところで怖くなり、目が覚める。
こんな夢を何回も見る。
最初の患者だけじゃない。今まで改竄した患者全員だ。
目を覚ますと、横で熊のぬいぐるみを抱いている彼女が寝てた。
ここ数日間、添い寝してほしいと頼まれて彼女が眠るまで横にいたが、うっかり寝てしまったらしい。
今回の仕事を終わらせたら、あの夢を見ることもなくなるだろう。
寝ている彼女の頭を優しく撫でながら思った。
僕は彼女が病気で苦しむまで安楽死させないことに決めた。
何度も彼女の親から電話がかかってきたが無視し、ひたすら彼女の遊び相手になってあげた。
やりたいことがなくなったのなら、別のことに興味を持たせればいい。
ゲームを一緒にやったり、映画を観たり、様々なことをやって、彼女を喜ばせようとした。
その度に彼女は幸せそうに笑ってくれて、僕は嬉しかった。
ずっとこの時間が続いてほしいと思ったし、きっと彼女もそう思ってくれていただろう。
しかし、次第に咳が増えて顔色も悪くなっていき、弱っていった。
おそらくステージ4に進行したのだろう。
「結局、病院を出てからロボットさん以外、誰とも会わずに死ぬことになったね」
天井を見ながら彼女は言った。
少し前の元気だった彼女とは思えない、弱々しい声だった。
「大丈夫。死なないよ。薬がもう少しで完成するんだ」
僕はいつもの嘘をつく。
「きっと間に合わないよ」
「そんなことはない。間に……」
言いかけたところで咳をしてしまい、最後まで言えなかった。
「ロボットさん、大丈夫?」
「あぁ、操縦者が咳をするとロボットも咳をしてしまうみたいだ」
そう言うと、彼女は僕をジッと見た。
「ロボットさん、ごめんね」
彼女が急に謝りだした。
僕が「どうしたの?」と訊くと「ロボットさんは優しいなぁ」と呟いて眠った。
それからもどんどん症状は悪化していき、延命治療も無意味なものと化していた。
これ以上延命を続けたところで彼女を苦しめるだけに思えた。
僕は最後の仕事を実行しなければいけない。
――ついに彼女を安楽死させる日がきたのだ。
「君の病気を治せる薬が届いた。まだ試作段階だけど、きっとこれで助かる」
僕は奇跡が起こったかのような口調で彼女に嘘をつく。
この日は彼女の容態が少し落ち着いていた。
この機を逃したら、もう安らかに死ねる日はないかもしれない。
彼女は僕の顔を見て何かを察したような顔をした後、笑った。
「私……治るんだ」
「そうだよ。だからもう心配しなくていいよ」
彼女に手渡したのは安楽死に使う薬。
この薬を飲むと眠くなり、寝ている間に毒で死ぬ。
注射も使わず、一番楽に死ねる薬だ。
彼女は薬を数秒眺めて微笑んだ後――飲み込んだ。
咳をする彼女の背中を擦っていると寄りかかってきた。
「ロボットさん、今までありがとう」
弱々しい声で言った。
まるで別れの挨拶のような言い方。
「お礼なら完治してから言ってほしいな」
僕が笑みを作りながら言うと、彼女が僕の顔を見てきた。
「ロボットさんってさ。嘘が下手だよね」
そう言って彼女は僕の涙を指で拭いた。
自分でも知らないうちに泣いていた。
「嘘? 君は治るんだよ?」
僕は無理やり嘘を通そうとしたが、無意味だった。
「バレバレだよ」と彼女は瞳に涙を滲ませながら笑った。
「ねぇ、どうしてロボットさんはロボットのフリをしたの?」
僕の目を見ながら言った。
「そうか、それもバレていたのか」
僕は嘘を認めた。
そう、僕は生身の人間だ。
僕にロボットを借りれるだけの金なんて用意できない。
「いくら人間に似せたロボットだったとしても咳をしたり、熱がったり、心臓の音がしたりしないよ」
彼女は僕の胸元に顔を埋めて言う。
「やっぱり無理があったね。本当はもっと早く終わらせるつもりだった。でも気づいた時には覚悟が消えていたんだ」
「それって私が可愛くて殺すのが怖くなっちゃったって事?」
僕が「そんなところだね。可愛くて殺せなかった」と言うと、彼女は小さな声で「そうかー私本当に可愛いって思われていたんだ」と微笑んだ。
依頼を受けた時から、長期戦になる予感がしていた。
どんな状況になっても不安を残したまま死んでほしくなかった。
もし、僕が感染することになったとしても不安を無くしてあげたかった。
「ロボットさんは大丈夫なの?」
「大丈夫と言いたいけど、大丈夫じゃないかな」
間違いなく僕も感染している。
手遅れだろう。
しかし、感染自体は特に気にしてない。
嘘がバレて心配させてしまったことの方が残念だった。
「少し前からロボットじゃないって分かっていたんだけど、一人になるのが怖くて、甘え続けて…………ごめんなさい」
「謝らなくていいよ。自分で選んだ事だし、後悔もしてない。僕の方こそ治せると嘘をついてごめんね」
「ううん。ロボットさんとの日々楽しかったよ」
「僕も楽しかったよ」
思い返せば、子供の頃から医学の勉強ばかりで満足に遊べなかった僕の人生において、彼女との日々は貴重な楽しい時間だった。
「もし天国があるなら天国でもロボットさんと遊びたいなぁ」
「僕は天国にいけるか怪しいかもね。でも僕もいきたいな」
「ロボットさんなら天国いけるよ」
「そうかな。いけるならいきたいなぁ」
気付けば死ぬこと自体は怖くなくなっていたし、彼女もそのようだ。
死ぬのが怖いというより、もう会えなくなるのが怖い。
だから会えると励ましあう。
「あのね、ロボットさん。本当は一つどうしても叶えたいことあるんだ」
「何をやりたかったの?」
「本当はね、恋人が欲しかったの。誰も私を見捨てない人が欲しかったの」
消え入りそうな声で彼女は続ける。
「私ね、ロボットさんと会うまではずっと親の言うことばかり聞いてきたの。真面目で、友達とも遊ばず、子供らしいこと何一つできなかった。嘘じゃないよ? ロボットさんには甘えてばかりだったけど、あんなの初めてだからね? それに怒らなかったのはロボットさんだけだよ」
そして、彼女は小さな声で言った。
「だからね、ロボットさん。こんな私でもよかったら彼氏になってよ」
ぎゅっと僕の服が握られているのが伝わった。
僕は彼女を優しく抱きしめて「うん」と返事をした。
「えへへ、ロボットさんが彼氏になってくれた……」
彼女の細い腕が僕を抱きしめる。
「ちょっと……眠くなってきた」
山の中じゃなければ聞き取れないような小さな声。
「眠るまでずっとこうしているよ」
僕は彼女を抱きしめながら頭を優しく撫でる。
「うん。ロボットさんは私のこと見捨てないもんね……」
それが彼女の最期の言葉だった。
僕は彼女が冷たくなるまで撫でながら祈った。
次に彼女が目覚めた時、病気に罹らなくて平穏に暮らせる事を。
こうして僕の最後の仕事は終わった。
最後の仕事を終えて僕は考える。
彼女と出会う前の僕の方がロボットだったのかもしれない。
いつも親の顔色を伺って選択してきた。
やりたくもない安楽死を何度もしてきた。
ロボットのように心を殺して何人も改竄してきた。
きっと、ロボットさんだった僕が本当の自分だったのだろう。
冷たくなった彼女の横で、僕も同じ薬を飲む。
彼女に寄り添い、手を握って「おやすみ」と言った。
一緒に天国にいけることを夢見ながら――
僕達は、深い眠りについた。
余命僅かな女の子と安楽死を依頼された医者の話。 星火燎原 @seikaend
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