愛憎のアメリカ

阿部善

本文

 いつまで続くんだろう、この生活は。

 今日もバラックに帰って紙幣の枚数を数える。ドル紙幣、価値がどれ程あるのかよく分からないけど、闇市とか、農村とかに行けば大喜びで何でも売って貰える。それ程価値があるのだ。

 私の身体はもうボロボロだ。パンパンと蔑まれつつも、進駐軍の兵士を相手に売春をして日銭を稼いできた。夫も息子も死んだのだし、親戚も頼るツテが無い。だとすれば、『若さ』しか取り柄の無い私が生きるには、それしか無かった。だが、もうそろそろ限界だ。何せ、もう『若くない』のだから。気付けば二十七歳、相手にして貰えなくなる日も近い。

 紙幣を数え終えたら、パンパンとして生きる内に身に付けた、下着に紙幣を忍ばせるテクニック。それをやって、今日もバラックを出て、農村へ向かう為に駅まで行く。多くの人々でごった返すプラットホーム。列車からも人が溢れていて、屋根にまで登っていた。それを横目に、進駐軍専用ホームの空き具合、それと、進駐軍専用列車のまぁ何と豪華なことよ! 羨ましさと腹立たしさ、二つの気持ちで一杯だ。私の家に、夫に、息子に! 爆弾の雨を降らせたお前達が、のうのうと!

 私は列車の屋根に登った。当たり前の話だけれども、空は青い。あの空から、爆弾が降ってきたと思うと、何だか不思議な気分だ。屋根にしがみついて、闇市へと行こうとする人々の中には、女学生の姿もあった。女学生――ふと、私は女学生の頃の自分に思いを馳せてみる。

 あの頃の私はモダン・ガールだった。級友達と、いつもしていた話題。それはアメリカ映画だった。週末には、いつも映画館に行っていた。級友達と、アメリカ映画を観て、映画のことを語り合う。それが趣味だった。また、私の家にはジャズのレコードが沢山置いてあった。それは私の趣味でもあったけれども、何よりも好んでいたのが父だ。父の持つ、ジャズのレコードを聴いては、いつも酔いしれていた。アメリカ映画の女性のように、自由な恋をして、奔放に生きたい。そう思っていたのだけれども、十七歳の頃、そこが転機だった。

 結局私は『普通の』結婚をした。理由は単純だ。縁談が来たのだ。私は断ろうと思った。親に決められた相手と結婚するなど、有り得ないことだと思っていたのだ。けれども、結局断り切れなかった。私は女学校を中退した。結婚し、夫の所へと嫁いだ。大好きだったアメリカ映画も、ジャズも封印し、良妻賢母として息子を産み、育てたつもりでいた。しかし、時の流れは残酷で、大東亜戦争が始まってしまったのだ。私は周囲が緒戦の勝利に浮かれる中も、戦争に対しては冷ややかな目を向けていた。どうせ私には何の関係も無いことなのだし。けれども、戦争の末期になって、空襲が始まると、私の日常は戦争に侵食されていった。家は焼けた。夫は死んだ。息子も死んだ。そして進駐軍がやって来た。そして私は、パンパンを始めた。

 駅から降りたって、農家の元へ行った。闇米、それを買うのだ。私が農家に、ドル紙幣を見せつけると、農家は目を輝かせて「どうぞ、沢山持ってらっしゃい」と言う。しかし、カバンに入れられる量は限られる。カバンからはみ出したら見付かってしまう。見付かったら即アウトだ。だから、「一個で」と言った。「本当に良いのか?」と聞く農家に、私は「本当に」と返す。農家は狂喜乱舞したかのような顔を浮かべて、私にたっぷりの闇米を渡した。

 重い重い、闇米の入ったバッグを背負い、田舎の駅まで向かう。こうして歩いている時には、自然と『二人でお茶を』を口ずさんでしまうものだ。戦時中、よく周囲の人間から「非国民め」なんて言われたっけ。敵国の音楽だもの、そう言う気持ちも分からなく無い。そんな時に私は「ドイツの歌だ」と咄嗟に切り返していた。勿論真っ赤な嘘だ。だけど、その一言で皆黙ってしまった。多分、彼等彼女等とて分かっていただろう。私を罵っていた人々だって、戦争の前はアメリカ映画を観て、ジャズに酔いしれていた筈だから。

 私は駅へと戻った。駅前の闇市は何だかんだ言って活気がある。映画館もあって、この一帯では数少ない空襲で焼け残った建物だった。こんな、みんな苦しい状況だと言うのに、映画館は長蛇の列を成している。私は様子を覗いてみた。映画館に大きなポスターがあるのが示すように、アメリカ映画が上映している。『カサブランカ』だ。渋い雰囲気を醸し出す、男前なポスターの顔。何て名前かな。結婚後、日米開戦前という時期、すっかりアメリカ映画は観なくなったが、それでもポスター等でスター達の顔を見て、名前も覚えていた。だが、彼は一度も見た事が無かった。

「何て名前なのかな」

 ポスターにある、出演者の名前を私は見た。恐らくは主演だ。主演:ハンフリー・ボガート。聞いたこと無い名前だが、私は一目で彼の虜になった。心が高ぶった私は、急いでバラックへと戻り、米を置いて、入場料分の金を握りしめて映画館へと戻り、行列へ並んだ。そして、映画館へと入った。私はものの十分で、映画に夢中になった。

「君の瞳に乾杯」

 あんな男前に、こんな言葉を言われたら、虜にならない訳が無い。心が弾む。映画が終わった後、私は思いきり手を伸ばした。いつぶりだろう、こんな晴れやかな気持ちになったのは。バラックへ戻っても、寝る時も、ずっと、ずっとハンフリー・ボガートのことで頭がいっぱいだった。他のハンフリー・ボガート主演映画があったら、絶対に観るぞ、観てやるんだから。そう思いながら、一夜を過ごした。

 翌日になると、また私はパンパン稼業を再開した。「シャル・ウィー・ファック?」と、怪しい英語を進駐軍の兵士に声をかけて。

 当分、この生活は終わりそうにも無い。だが、私には生きる希望が見付けられた。ハンフリー・ボガートの映画を観る、ということが。夫も息子も、もう既にこの世にはいないけれども、それでも前を向いて生きたい。ああ、私の憎むアメリカよ、私の愛するアメリカよ。

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