第四百十二話【リスkilling】

 『玄洋舎・大演説会』の晩、仏暁信晴は遠山邸の『離れ』で夕食を済ませていた。今夜はここに泊まりである。遠山家はいわゆる〝田舎の名士〟といった家で、敷地面積だけは無駄に広い。ただ立地条件の田舎さと、建物の古さで固定資産税はさほどでもない。


 『離れ』には仏暁だけでなく、この家の主・遠山公羽が共にいた。それに加え遠山家の一族にして公羽の姪の遠山刀(かたな(刀))に、血族的な繋がりはないものの遠い親戚筋の野々原光次と、都合四名が古式然とした広い畳の間で卓を囲み飲んでいる。


 あくまで『飲んでいる』で、『呑んでいる』ではない。というのもその飲み物は『コーラ』であったから。仏暁は遠山公羽から酒を勧められたが「コーラでいいですよ、明日前後不覚になっても困りますし」と固辞したのである。


 そのコーラの700mlのペットボトルを傾け仏暁のグラスに注ぐ遠山公羽。お返しにと、今度は遠山公羽のグラスに注ぎ返す仏暁。実に妙な具合である。遠山公羽が口を開いた。

「意外よの、『コーラ』をご指名とは。あまりアメリカは好きでもなさそうじゃが」

「ですね。コーラを飲んでいてもアメリカが好きかどうかは別問題。『左翼・左派・リベラル勢力』が頭で理解できないことを自ら実践して見せている、それだけの事です」と旨そうにコーラをぐいと喉に流し込む仏暁。


「君らしい皮肉よな。『あにめ』やら『けー・ぽっぷ』やらも、この『コーラ』と同じようなものというわけじゃな」と言いながら遠山公羽もコーラに口をつける。

 一口だけつけグラスを卓の上に置くと、遠山公羽はかたな(刀)と野々原に視線を送った。

「——この席は別に〝慰労会〟というわけではない。仏暁君たっての希望で『〝若手の感想〟を聞いておきたい』という、そういう場よ」

 遠山公羽が言い終わるやもう野々原が口を開いている。

「日本人が差別されているなんて、なんか聞いてて凄く情けなかったんですけど、ヤッパ『認めたくない』はダメなんスよね?」


「野々原君、感想に〝質問〟はなかろうが」と苦言を呈す遠山公羽。


「まあまあ、」と取りなす仏暁。「——情けないから惨めになるから『認めたくない』は一番ダメなパターンです。我々差別されている者たちが差別がある事から目を逸らし存在を認めなかったら攻撃側はやりたい放題ですよ」


「だったら、差別主義の外国人や左の奴らを潰すしかないです。俺はやりますよ。仏暁さんの話を聞いていて奴らにはらわたが煮えくりかえって仕方ないっスから」


「〝やる気〟が出てきたのは良い事よの」と上機嫌の遠山公羽。「——今度はかたな(刀)の番よ」と名指して言った。


「そう、ですね、いろんな話が出ていましたけど、一番グサリと来たのは『リスキリング』かな——」とかたな(刀)はたよりなげに口にした。


「なんじゃその覇気の無い感想は」と遠山公羽。


「まあ待って下さい。こう言ってはなんですが、どうしてソコなのか、という興味があるのですが」と仏暁。


 考えを整理するかのような間を取るかたな(刀)。

「……仏暁さん言ってましたよね、『リスキリング』とはよくも言ったものだって。今まで続けてきた業務から離れ別の業務に就くなんてリスキーだって」


「ええ言いましたね。『リスキー』と」


「わたしは、別の連想しちゃいました」


「どんな連想でしょうか?」


「『キリング』の方です」


 声こそ出さなかったが仏暁の表情が一瞬で変わった。


「——『キリング』って〝殺し〟って意味じゃないですか」かたな(刀)は口にした。

「——それでどこかで引っかかり続けていて、夕食の前にちょっとスマホで検索かけてみたんです。『リスキリング』ってアルファベット表記でどう書くのかなって、」

 そう言いながらかたな(刀)はスマホを取り出し画面の上をせわしなく指を滑らせていく。

「——そうしたら綴りはこうなってました」と言われスマホ画面を示された。

 かたな(刀)のスマホ画面にはこうあった。『Reskilling』と。

「——それで『キリング』の方はというと——」と再びスマホ操作し始めるかたな(刀)。そしてまたも画面が示された。そこには『killing』とあった。


「——『リスキリング』の『キリング』は〝殺し〟とおんなじ綴りなんです。そして『キリング』には『殺処分』『大儲け』という意味もあるんです。今度は誰が葬られるんだろう、誰が大儲けするんだろう、って。このことばを流行らせようとしている人達はなにを企んでいるのかなって……」かたな(刀)は語尾を濁す。


「——もちろんこれは能力を意味する『skill』が元となった『skilling』で、『Re・skilling』だ! って言われちゃうんだろうけど、私には『Res・killing(レス・キリング)』のように思えてしまって……」


「『レス・キリング』ですか、」と仏曉。「——『レス』は綴りからすると〝返答〟〝返信〟といったところで、『キリング』は〝殺し〟に〝大儲け〟……、発想が面白いですね、マドモアゼル遠山は」そう言ってにこやかな表情を見せた。


「そんなに変わってますか? 日本語で『リスキリング』なんて平坦に言われちゃうと、誰でも『キリング』の方が音として耳に残りませんか? 『killing』なんてことばが入ってるのに社会に違和感も持たれず受け入れられているなんて、日本社会は狂ってます!」明らかにかたな(刀)は取り乱し気味になっている。

 しかし仏暁、

「ちょっと待って下さい、」と今度は自分のスマホを取り出しなにやら操作中。そして〝目的の画面〟にたどり着いたか、指の動きが止まった。

 ははははっ、とやおら笑い出す。

「ここ笑いどころじゃないです!」と怒ったかたな(刀)。

「トレ・ビアンです、マドモアゼル遠山」

「なにが素晴らしいんですっ?」

「『リスキー』の綴りを調べたんです」そう言って今度はかたな(刀)に己のスマホ画面を提示した。そこには『risky』とあった。

「——『リスキリング』の『リス』の綴りは『Res』でした。しかし『リスキー』の『リス』の綴りは『ris』なんです。綴りは違っていました」


「——つまり、『リスキリング』から『リスキー』を連想してしまうのはいかにも英語が苦手な日本人。『リスキリング』から『キリング』を連想できたというのはいかに英語が達者かですよ」


「べつに単語を暗記していたわけじゃないです。ただスマホで検索しただけで、」とかたな(刀)。


「ご謙遜を。聞き慣れないカタカナ語が登場した際に、『じゃあ原語ではどう書くんだろう?』という発想が出てくる辺り、さすがは世間から一流大と目される大学を卒業しただけのことはありますよ」


「だけど、もうその肩書き、有効期限が切れたし、」とかたな(刀)。


 仏暁、ここでおでこに指を当てる。

「では、〝この私の失敗〟という話を聞いて元気を出して下さい。もちろん『リスキリング』ネタです」


「ネタにして笑えることばじゃないような気がしますけど、」


「まあまあ、私は典型的な英語が苦手な日本人でしてね、それこそ高校に入るため、大学に入るため、仕方なくやっていただけの人間です。正直今の『英語偏重とも言える教育』に何かを言ってやりたくなる衝動も涌くが、一方で『英語を否定しにくい空気』というものがある。『これからの世の中で悪く言ってはいかん』みたいなね。そのせいかこの私の中にさえ『英語は素晴らしいものだ』という刷り込みが入り込んでしまっている。実は私は当初これを『リスキング』だと勘違いしていたんですよ、マドモアゼル」と仏暁は言った。


「え?」とかたな(刀)。仏暁の言がなんだかよく解らなかった。


「要は、アイ・エヌ・ジー。『ing』のついたことばだと思った。もちろん原語の『Reskilling』には『ing』がキチンと末尾についているわけですが、私が言うのは『ジャパニーズイングリッシュ的』に、という事です。それで『ランニング』だとか、『ラーニング』だとかをついつい連想してしまった」


「なんです? その『ジャパニーズイングリッシュ的』とかいうのは」


「要は『』です。これってジャパニーズイングリッシュ的にはポジティブイメージがあるでしょう? だからランは『走り』になるし、ラーは『学び』となる。要は『ニング』が『継続は力なり』というあの有名な格言に化けてしまうわけです」


「——だからことばの終いが『ング』となっているのが聞こえただけで反射的に『ニング』だと思い込み、それが『リスキング』という勘違いに繋がった」


 仏暁のことばにかたな(刀)はどう反応していいか分からない。


「仏暁君が気を遣っているんじゃ。もう少し愛想良くせい、かたな(刀)」と遠山公羽が注文をつけた。


(そういうのができない性格だから就活が終活になっちゃったんだけど……)と自虐ダジャレを思ってしまうかたな(刀)。もちろん恥ずかしいので口になど出して言えない。

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