第8話【恋の残り香をバンダナに】

 ダストシュートのように長い通気口を滑り落ち、ユウは真っ暗な地面にしりもちをついた。

「う、ぐ……」

 地震と同時に落ちた土が小山を作っていて、地面に叩きつけられる衝撃はどうにか和らいだ。

 坑道の中は薄暗く、冬とは思えないほどの熱気がこもり、どこかジメジメしていた。

「ど、どうしよう……」

 ユウは途方に暮れた。酸素は薄く、辺りから腐乱臭がする。とにかく息苦しい。

「ユウさん、大丈夫ですか!」

 視線を向けるとバンダナちゃんが見えると同時に、首に鋭い痛みを感じた。

「ぐっ」

 痛みに身体を縮めると、今度は足がズキリと痛んだ。

「痛たたた……バンダナちゃん、君こそ大丈夫かい?」

「私は平気です。ドールですから、頑丈なんです」

「そうか、僕もドールみたいに頑丈だったらなあ」

 ユウは平然を装って笑って見せた。

 滑り落ちてきた通気口に足をかけ、どうにか登れないかと力をこめる。しかし痛みで踏ん張れず、つま先が滑って土の壁は脆くも崩れてしまう。

「うお!」

 百年も前に作った通気口が、今の地震で余計に劣化してしまったのかもしれない。

「ダメですユウさん!無理に登ろうとすれば、取り返しがつかないぐらい崩れてしまいますよ」

 バンダナちゃんの言葉ももっともだ。体のだるさを感じて、壁にもたれかかって座った。疲れだろうか、痛みだろうか。

「ごめんねバンダナちゃん、大変なことになってしまって」

「いえ、そんな……」

 バンダナちゃんは今にも泣きそうな顔でユウを心配していた。

「ユウー!」

 穴を通して小さく、アーシャの声が聞こえた。

「おーい!」

 力を振り絞って穴に向かって返事をかける。

「あんた!大丈夫なの!」

「大丈夫だ!生きてるよ!でも登れそうにない!」

 ひどい臭いがする。ずっとここにいると鼻が曲がってしまいそうだ。とにかく助けがくるまで体力を温存しておかなければならない。ユウはじっとして体を休めることを意識した。

「ミシェルの日なのに、ついてないな」

 そろそろ強がる余裕さえなくなりそうだ。


          ◇◆◇


「ライゼ、あんたどうにかできない?」

 アーシャが尋ねるが、ライゼは首を振るだけだった。

「無理だな。地表は地面が柔らかいから、無理やり突っ込んだんじゃ穴がつぶれちまうかもしれねえ。鉱山の固い岩肌はもっと奥の方になると思う」

 煮え切れないため息をついてアーシャは立ち上がった。

「ロープか何か持ってきてやるから!そこでじっとしていなさい!」

 穴の中に声を投げかけると「ああ、頼む!」とユウが返した。


 ふもとではまだ地震の余波で騒ぎが続いていた。

「誰か!誰か来て!人が落ちたの!」

 アーシャは山を下りながら付近の人に助けを求めた。通りかかる人はさもありなんというため息を交えただけで駆け寄るものはいない。それほど周りも打ちひしがれていた。

 混乱する人々を忙しそうになだめ、まとめる男がいた。その男はアーシャにも声をかけてくれた。

「そっちでもか。こっちも何人か被害があったようだ」

「さっきの地震で山が崩れて、中の坑道に人が落ちちゃったのよ!」

「坑道だって!そりゃ大変だが……」

「中はずっと火事が起きてるんでしょう?一刻も早く助けないといけないの」

「うーん、俺はここを離れるわけにはいかないから、あっちで聞いてもらえるか?見た目、頼りになりそうなのもいるみたいだし」

 そう言われて観光地の拠点にもなっている小屋の軒先を見ると、ガラガラに倒れた棚の脇に大人たちのたまり場が見えた。見たところ何かの仕事でやってきたか、腹ごしらえをしている最中に地震に遭ったようで、食べかけが散乱していた。男たちは誰も山の経験がありそうな体つきをしている。

 アーシャは矢も楯もたまらずに声をかけると、大人たちがあわただしい反応を見せた。

「ねえ、あの通気口からロープを垂らせばいけるはずよ、どこかにロープないの!」

「とにかく落ち着くんだ。おい、確か駅にロープあっただろ?」

「あー……どうだろうな、そんなに長いやつじゃなかったはずだ。でもそれしかねえかもな」

 アーシャはライゼに目配せをした。ライゼはすぐに頷いて駅へと走る。

「何人か男手を借りたいわ!手を貸して!」

 大人たちに向けたその言葉に、反応はかんばしくなかった。

 ヨレヨレのズボンをはいた細っこい男が前歯をとがらせるような口をしていった。

「しかしなぁ、あんな地震の後だ。怖くて山なんか登ってられねえよ。何があるか知れたもんじゃねえ」

 この男は損得で動くタイプだ。これまで父親の陰から意地汚い大人たちを見てきたアーシャには、その目を見れば何となくわかる。タダ働きはごめんだと訴えているのだ。

「……もう、分かったわよ!タダとは言わないから!」

 アーシャは懐から半金貨を一枚取り出しテーブルに叩きつけた。

「お、おぉー?」

 細っこい男は心揺らいだかのように目を開いてじっと半金貨を見た。

「うーん、そうだなぁ。もう二枚もあると――」

 その時、体格のいい四角顔の男が彼の背後に現れ、細っこい男の頭にゲンコツを食らわした。細っこい男は「ぎゃん!」と情けない声を上げる。

「待ってくれお嬢さん」

 四角顔の男はテーブルから半金貨をむしり取ると、アーシャの胸に投げ返した。

「ウチのバカが失礼だったな。その金は受け取れない」

 四角顔の男はアーシャの顔をまじまじと見た。年は四十台半ばごろだろう。寒さを凌ぐには不似合いなつばの広いデニムのハットを深くかぶり、短く切り揃えたあご髭をもみあげと一体化するまで一面に広げている。肩の筋肉が大きく張って見るからに力自慢と言った体格をしていた。

 「でも……」と言いかけるアーシャに、四角顔の男が言葉をかぶせた。

「あんた、トメルクさんとこの娘さんじゃなかったか?」

 体格に似合う太い声だが、優しい声だった。

「えっ、そうだけど……?」

「ほっ!やっぱりそうか!大きくなった!」

 男は急に嬉しそうな声を上げた。大口を開けてしゃべるものだから、奥歯が一本抜けているのも見えた。

「えーっと、たしか、アシアちゃん、だったかな」

「アーシャ」

「おっと、ハハ、すまねえすまねえアーシャちゃん」

「ちゃん、はいらない」

「うん、俺のことは……まあ、嬢ちゃんが赤ん坊ぐれえの話になるから覚えてねえだろうな。俺はウォートラム。アンタの親父さんには世話になった。……いや、今も世話になってると言っていい」

「そう」

 それはめでたい話だが、今はとにかく時間がない。焦るアーシャだったが、ウォートラムは連れの男たちに向き直った。

「おいダッジ、サグ!てめえらまさかトメルクさんの恩を忘れたわけじゃあねえだろうな!足向けて寝れねえなら付いてこい!」

 その言葉に、二人の男は応とこたえた。どうやらさっきゲンコツを食らった細っこい男がサグというらしい。

 アーシャは胸が熱くなった。汚いだけが大人じゃない。恩義理を忘れずにいてくれる人もいる。父ドニュオスが築いてきた人とのつながり、信頼はこうして一つの形を作っている。いずれ受け継ぐ父の仕事が、誇らしく思えた。


 ウォートラムは大きな革袋を漁りながらガチャガチャと金属音を鳴らす。

「アーシャ、アンタ、武器はあるか?」

 そう言いながら彼が取り出したのは投擲斧トマホーク二つと軍用ナイフ。物騒な見た目だ。

「は、武器?」

 アーシャは素っ頓狂な声を上げた。

「あ、知らんのか。あそこが立ち入り禁止なのはクズリどもが集まるからだ」

「クズリ?」

晶魔しょうまの一種さ」

「晶魔……なんか聞いたことあるわね」

 悪い子は晶魔がさらってしまうとか、夜中に大きな音を立てると晶魔が寄ってくるとか、親が子供のしつけに使う常套句じょうとうくとしてその名はよく知られている。けれどおとぎ話のようなものだと思っていた。

「生の魔晶石に集まってくる地中のバケモンだよ。あの鉱山は採掘中に放棄された。むき出しのままの魔晶石に集まる晶魔が今でも巣食ってるんだ。光に虫が集まるみてえにな」

ていに言えば、えーっと、モンスターってやつ?」

 そのアーシャの言葉にウォートラムは、「あー、うん、まぁ、似たような……もんだな」と歯切れの悪く濁った返事を返した。

 すると連れの男二人組は顔を合わせて笑い出した。何が面白くて笑っているのか分からなかったが、薄汚れたベストを着た太っちょの男ダッジは笑いながら言った。

「おいおいウォートラムの旦那、今日は怒れないのか」

 するともう一人のズボンがヨレヨレの細っこい男サグも

「いつもなら、同じことを言われるたんびに「モンスターなんてガキっぽい呼び方すんじゃねえ、晶魔だ」って怒鳴ってるじゃねえかよぉ」

 と笑う。

「そうそう、人間の味方なのか晶魔の味方なのか分かんないぐらい怒るもんな」

「でも相手がトメルクさんの嬢さんじゃ仕方ねえさなあ!」

 たきつける男たちにバツがわるくなったか「うるっせえ!」とウォートラムが一喝した。

「とにかくだ、晶魔には用心した方がいい。縄張りに入ったやつには誰だろうと容赦しない連中だ。何か武器を――」

「いや、私はいいわ。ナイフぐらい持ってるし」

 アーシャは澄ましていった。

「おいおい、それじゃあ危ないぜ」

「心配いらないわ。優秀なボディガードがいるもの」

「ボディガードねぇ」

 そんなものどこにも見当たらないぞ、と言いたげにウォートラムがあごひげをいじって苦い顔をした。

「それに俺たちもいれば何も問題はないな」

 ダッジが余裕の表情を見せ、

「そうそう、社長のお嬢様はお召し物が汚れないかの心配でもしてな」

 サグもため息交じりに笑った。


 アーシャは不安を覚えた。晶魔なんて得体のしれないものが湧いて出るのなら、一刻も早くユウを助けないと間に合わないだろう。アーシャはウォートラムらとともに急いで山頂を目指した。

 「何年振りかねぇ」とウォートラムの連れである太っちょの男が言った。

 聞けば、彼らは昔、外国の鉱山で鉱夫護衛の仕事をやっていたのだという。

「はひぃ、はひぃ、やっぱ山登りはキツイぜ。みんなよく平気だな」

 太っちょの男ダッジはもう汗にまみれている。さっきの威勢はどこへ行ったのか。

「バカ、だからせろって言ってんじゃねえかよ。いい機会だし汗流しときな」

 細っこい男が口をツンとさせて横目でにらむ。

「うるせーな、そういうお前は痩せすぎなんだよ」

「ケッ、余計にしゃべるから体力も使うんだぜ」

「……!」

 この二人には緊張感が足りないように思う。いや、これは余裕からくるものだろうか。アーシャは悶々もんもんと考えながら歩みを進める。片やウォートラムは歩くペースに乱れが無い。隣のアーシャを気遣う余裕も見せていた。

「いいか、やつらは陽の光が苦手だ。何せずっと地中にもぐってるモグラだからな」

「なんだ、モグラなの」

 ウォートラムは頭をぽりぽりと掻いた。

「いや、今のは例えだよ……まぁ、アイツらが地上にはい出てくることはねえと思うが、気をつけな」

 しばらく歩いていると下の方からライゼが早いペースで登ってきた。

「おいアーシャ、あったぜ、ロープ」

 巻いたロープを肩にかけ、斜面を跳びながら上がってきたライゼを見て、

「アレがボディガードよ」

 アーシャはウォートラムに得意げな目配せをしてやった。ウォートラムは「子供じゃねえか……」とつぶやく。

「はひぃ、はひぃ」

 ダッジがうるさい。

「ありがと、ライゼ」

 そう言って少し降りてからロープを受け取る。

「はひぃ、はひぃ」

「どうだろうなぁ、そいつで下まで届くかどうか……」

 細っこい男サグが眉をしかめて言ったが、他に頼りようが無い。

「はひぃ、はひぃ」

「うるせえんだよお前は!」

 ウォートラムが怒鳴った。

「とにかくやってみましょ」

 アーシャは更に頂上を目指した。


 頂上にはユウとバンダナちゃんを飲み込んだ大穴と、その横に幹のしっかりしたモミの木が見えた。

「なるほど、ここのフタが割れちまってんだな」

「ああ、陽があるうちに助け出して塞いでしまわないとクズリが出ちまうな」

「はひぃ、はひぃ」

「足場は北の方が硬いな。サグ、ロープをアレに結べ」

 場慣れしているらしく、男たちは冷静に話し合う。ダッジ以外。

「ユウー!いるー?」

 今でも中にいるだろうか。クズリに襲われてはいないだろうか。不安になりながら声をかけた。

「いまーす!」

 ユウの代わりにバンダナちゃんの声が聞こえた。

「ロープ持ってきたからね!」

 ロープをいっぱいに伸ばしたが三十フィートもないようだ。端を木に結びつけるとさらに五フィートは短くなる。

 ウォートラムは穴に向かって大声を上げた。

「嬢ちゃん、ユウちゃんってんだな!可愛い名前だな!今助けてやる!」

「あ……、ごめん、二人いるのよ。嬢ちゃんの方はユウじゃないわ」

 アーシャが気まずい声で小さく補足してやった。

「そうか!お前ユウちゃんじゃないんだな!」

「バ、バンダナです~」

 中からバンダナちゃんの声がまた聞こえた。

「そうか!バンダ……ん、バンダナ?」

「いいから早くしてよ」

 アーシャは説明するのも面倒だと言わんばかりに、巻いたロープをウォートラムに手渡した。

 ウォートラムは「ロープおろすぞ!」と声をかけて、穴の中に投げ入れた。ウォートラムはいつでも引っ張り上げられるようにとロープを手に持っているが、なかなか手ごたえが無いらしい。

「ロープつかめるか!」

「はい!」

 バンダナちゃんが返事を返した。

「まずユウさんからお願いします!私は後でいいです!」

「分かった!引き揚げるぞ!離すなよ!」

 ウォートラムはロープの先がつかまれていることを確認して、連れの男たちに合図をした。

「おし、お前ら引っ張れ!」

 五人が一列に並び、ロープを引っ張る。少しずつ、少しずつユウの身体が引っ張りあがっているのが分かる。

 だが、その手ごたえが急に軽くなり、ライゼ以外の四人は後ろにひっくり返ってしまった。

「だっ!」

 ドミノ倒しのように順に倒れていったが、ライゼが素早くダッジの身体を支えて後ろのアーシャを守った。

「痛ぁ……」

 が、アーシャは一人で転んだ

「嬢ちゃん。ケガはないか」

「大丈夫よ。それより……」

 アーシャは穴に向かって声をかける。

「ユウ!どうしたの!」

 返事が来るまでに少し時間がかかった。

「身体に力が入らないようです!」

 バンダナちゃんの声だった。

「なにぃ?」

 アーシャは口をゆがめた。

「ケガしてるのかもしれねえな」

 サグが唸るように言った。そこでウォートラムは作戦を変えた。

「よし、ロープを体に結べるか!もやい結びだ!」

 しばらく待つと、「無理です!」とバンダナちゃんの声がした。

「結ぶには長さが足りません!」

 アーシャは「くぅ~っ」と頭を抱えた。

「こうなったら……」

 ウォートラムは木に結んであったロープを解き、その分長さの増したロープを地中に下ろす。

「どうだ!」

「旦那、それじゃ引っ張り上げられねえぜ?」

 サグが言うが、ウォートラムは「だったら俺の身体を引っ張りゃいいだろうが!」と一蹴いっしゅう

「結びました!」

 バンダナちゃんの声を機に、ウォートラムは「いくぞ!」と引っ張り上げる。

「お前らもっと力入れろ!」

「引っ張りにくくて……」

「やかましい!やるんだよ!」

 だが、また少しずつ引っ張りあがってきた。今度こそ問題なく行けそうだ。

 ……ところが、ライゼは何かを感じ取ったらしくアーシャに警告した。

「おいアーシャ、何かが来るぜ!」

「えっ」

 ロープが何か別の力で震えたのが分かった。

「なんだ?」

 男たちがざわめく。

「はぐれのクズリか!この最悪のタイミングで!」

 ウォートラムの言葉の直後、黒い何かが地中から飛び出した。

 昆虫のような長い足が六本、赤い三つの目、頭と思われる場所にはツノを持つ、犬ぐらいの大きさのまがまがしい何かが土の尾を引きながら宙に跳び上がる。

「クズリだ!まだ小さいが!」

 ダッジが声を上げた。

 クズリは体中を覆う黒く太い毛をぞわぞわと波立たせ、日陰を求めるようにもんどりうっている。

「おいアーシャ!俺の足元に斧がある!そいつをヤツめがけて投げつけるんだ!」

「えっ、ちょっ……」

「早く!やらなきゃこっちが襲われるぞ!」

 ダッジの腰から手を離したアーシャは投擲斧トマホークを拾い上げると、動きの不安定なクズリを見据えた。大丈夫だ、斧なら二本ある。自分に言い聞かせて大きく振りかぶって、回転を付けて投げつけた。クズリがそのまま動かなければ確かに当たっていたであろうコースを斧がえぐって、そのまま地面に突き刺さった。

「あっ、うわ!ごめん!」

 アーシャが戸惑っていると、クズリはこちらを敵だと認識したらしく、大きく跳び上がってきた。

「来るぞ!」

 ウォートラムの言葉にとっさにナイフを構えるアーシャ。しかし、それで迎撃できる自信は全くなかった。

「ライゼ!」

 アーシャは咄嗟とっさに叫んでいた。

「おっさん達!そのまま支えててくれよ!」

 瞬間、ライゼが飛び出し、クズリが地に足をつけるより先に殴りかかった。

「アッパー!」

 言いながらライゼは左フックを叩き込む。

「もひとつオマケにアッパー!」

 言いながらライゼは右ストレートを叩き込む。吹っ飛ばされたクズリは先ほどまでロープを結んでいたモミの木に叩きつけられ動かなくなった。

 「へっ」とライゼが勝ち誇って笑い、

「パンチはみんなアッパーだと思ってんのかな……」

 アーシャはちょっと残念そうにつぶやいた。

「べっ……なんだこれ、ぞわぞわして気持ち悪ぃ」

 ライゼは腕をブンと振って何かの汚れを振り払った。殴った拳に黒くうごめく何かがこびりついたらしい。

「かーっ、度胸あんな、お前」

 サグがお見逸れしましたと言わんばかりに驚いた声を上げた。

「おいおい、そいつのツノには気をつけろよ。下手な刃物よりよっぽど切れるからな……ん?」

 ウォートラムは手先に違和感を感じたらしく、眉をしかめた。

「ま、まずいぜこれは!」

「旦那?」

「ロープがちぎれていく!クズリの仕業だ!ちくしょう!」

「えっ、ちょっと!」

 アーシャは祈るように穴の中を見た。だが、確かにブツリという音が聞こえた。


          ◇◆◇


「ユウさん!」

 バンダナちゃんが倒れたユウの身体を支える。

「ロープがちぎれて……今のはいったい?」

 バンダナちゃんは先ほど駆け抜けていった黒い影を不思議に思っていたようだ。

「アレは、晶魔だ」

 力無い声でユウが言った。

「こういう、鉱山には、いるんだ、気を付けて」

 呼吸が苦しい。言葉が途切れ途切れになり、苦しい咳も混じる。

「なんだろ、耳鳴りがすごい」

 ユウはこめかみを指で押さえた。

「ユウさん……」

 身体の様子がどこかおかしい、痛みや疲れでは説明できない状態にある。バンダナちゃんは自分の耳に手を当てた。そしてハッと顔を上げた。

「ユウさん!ここの酸素、すごく薄いです。地上の半分くらいしかありません!」

「そっか、そりゃ、そうだよな……五十年も燃えてるんだ」

「それにこれ、硫毒りゅうどくですよ」

「硫……毒?」

「燃えたイオウが毒ガスになっているみたいです」

「毒……」


「体の中の水分と結合して硫酸になる危険なガスです。長居すると危ないですよ」

「う……そう、か。どうりで」

 この腐ったような臭いの正体はイオウだったようだ。


 「それに――」と続いたバンダナちゃんの言葉がなぜか途切れた。バンダナちゃんが一瞬で動いたようにも見えたが、「それに」の続きが分からなかった。

 ――今、意識が飛んだのか?

 まるで眠気を我慢して無理やり勉強していた時のような感覚だった。


「とにかく危険です。姿勢をなるべく高くして、呼吸を抑えて!」

 ユウがふらふらと立ち上がり、バンダナちゃんがそれを支える。だが、膝の力が抜けてしまってすぐに壁に寄りかかってしまう。


 ――ダメだ、力が入らない。



 ――僕はここで死ぬのか?




 力なく、そんなことを考えた。





 意識が薄れていく。

 全身が鉛のように重い。



「ユウさん!しっかりして!」





 ――皮肉だな。父さんの心配をしていたのに、僕の方が先に……。





「ユウさん!」



 まるで水の中にいるようだ。

 声が遠くなっていく。






 なんてろくでもない人生だ……。僕はこの世界に何も遺せないまま死んでいく。





「ユウさん……ユウさん!」



 ――バンダナちゃんが、呼んだ?



 少しだけ、意識が戻った。


「名前を……」


 ――何を言ってるんだろう。分からない。



「私に名前をください、ユウさん!」



 ――名前か。

 ――この子にはまだ、名前がないんだった。



「もう、それしかないんです!」


 ――そうだ。せめて、それを残そう。彼女の名前を、この世界に遺そう。


「名前……」

 この美しいミシェルの日に、名前を付ける。

 初雪ミシェルのように純粋で、綺麗で、神秘的で、好奇心で輝く彼女に。永遠にこの日が残る名前を――。


「君の――」

 言いかけて、言葉が咳に乱された。


「君の名前は……ミシェリィ」


 初雪のようなミシェリィ


 ――これ以上の名前なんて、無いじゃないか。


          ◇◆◇


 ひょっとすると、これはずるいことなのかもしれない。

 ずっとエンゲージしたいと思っていた。ユウとなら。でも言い出せずにいた。

 こんな形になってしまったのは悲しむべきか。しかしこんなことでもなかったら、きっとその気持ちを胸に秘めたままエンヴァラに戻り、そして廃棄処分の憂き目にあっていたのだろうと彼女は思った。

「ミシェリィ……」

 呟いてみて、その響きに不思議な安らぎを感じた。そして、これが「暖かさ」なのだ、と気付いた。暑さも寒さも感じないはずのドールの身体が初めて感じた感覚だった。

「素敵な名前」

 バンダナちゃんは胸をぎゅっと押さえた。

 ――私は、これから、この名前とともに生きていけるんだ。


「私は……、エンゲージを、受け入れます!」

 高らかに宣言した。



 エンゲージを開始します。


 ――私は、私では……、もうバンダナちゃんではなくなってしまうけれど。


 疑似人格パーソニフィケーションシステムの初期化、再設定を開始


 ――ユウさんのことを、きっと全部忘れてしまうけれど。


 テンポラリーメモリーよりマスターネームの取得、ユウ・ウィナ、年齢十四。……登録完了。


 ――でも、ずっと一緒にいられるから、それでいいんです。


 リミッターおよびパワーセーブを解除。ガードシーケンスの移行権限取得。正常に完了。


 ――ねえライゼ、私やっぱり、エンゲージは恋なんだと思う。


 テンポラリーメモリーおよびストレージの消去を開始します。完了後、再起動リブート


 ――ユウさん、私――

「私、あなたに恋をしていました。大好きです、ユウさん……」

 最後に、バンダナちゃんは微笑んだ。

「さようなら」



 ……

 そして、「バンダナちゃん」は、この世界から消えた。







 どれだけ眠っていただろうか。一瞬かもしれない。一時間かもしれない。いつ眠りに落ちたのかも分からないから、逆算もできない。

 「前の人格」はずいぶん乱暴なエンゲージをしていたようだと、身体の汚れをはたいて落とした。

「状況を確認します」

 ミシェリィは静かに立ち上がった。

 バンダナちゃんと同じ身体で、別人のように静かな声だった。

「現在地、鉱山坑道内部。気温と二酸化炭素から坑内火災ありと判断される」

 ぼそりぼそりとつぶやく声が反響する程、坑道は静まり返っていた。

「亜硫酸ガスを検知、酸素濃度十三パーセント。人間の生存に適さない環境と判断……」

 彼女は目の前のユウを見下ろした。手首にそっと指先を当てる。

「マスターの存在を確認しました。呼吸、脈拍、および体温の異常値を認める。緊急を要すると判断……」

 ユウはすでに意識の混濁した目をしていた。

「エコーマッピング、最大出力、最大感度で展開」

 羽根を広げた鳥のように大きく手を伸ばし、ミシェリィは指先に力をこめる。黄緑色の光が手のひらに生まれた。思い切り溜めた光を岩肌に叩きつけると、鐘を鳴らしたような音とともに坑道全体が微振動した。

 目をつぶって長い沈黙が続いた。

「マッピング完了、最短ルートの計算……完了」

 そして、

「――私の存在目的は、ご主人様の生命を護ること」

 落雷にでも打たれたように、目をカッと見開いた。

 ミシェリィはユウの身体を抱き上げると、目覚ましいほどの脚力で、まともな照明もない迷路のような坑道を迷いなく駆けた。


 しばらく駆けたところでふと、その足が土を蹴って止まった。

 衝撃で少しユウの目が覚めた。

「敵性体を認識。非知性体と判断。警告を省略します」

 ユウのぼんやりした思考に、ただ冷たいその言葉が聞こえてきた。

 ミシェリィはユウの身体をそっと床に下した。ユウの視界には暗闇があるのみだった。

「バン……ダナ……ちゃん?」

 その掠れそうなか細い言葉はミシェリィの耳には入らなかったようだ。

 闇の中へ飛び込んでいったミシェリィはくうを裂く音を響かせ、時折それは火薬でも撃ったかのような破裂音を交えた。壁に何かが叩きつけられ、二つか三つの汚く甲高い悲鳴が聞こえた。……そして闇の中から彼女だけが帰ってきた。あっという間の出来事だった。

「時間を無駄にしました」

 ため息交じりに言って、ミシェリィは再びユウを抱えた。ほんの一瞬だけ、ユウの視界には壁に叩きつけられて気を失ったであろう大型の晶魔が見えた。そこでまたユウの意識は混濁こんだくに飲み込まれていった。


          ◇◆◇


「ダメだ、いくら嬢ちゃんでもそれだけはいけねえ」

 ウォートラムがアーシャの腕をつかんで制した。

「今それどころじゃないのよ!離して!」

 通気口から助けられないなら、坑道の入り口から入るしかない。入り口は周りに盛った土さえ退かせてしまえば、一応入れるようにはなっている。当然、厳重な囲いで立ち入り禁止であることをこれでもかと示してあるが。

「中は晶魔だけじゃねえ。五十年も続く火災に、どんな毒ガスが蔓延してるかもしれねえんだ。息もできねえうちに死んじまうぞ!」

「だったらなおさら――!」

 と言いかけるアーシャに、ライゼもいい顔はしなかった。

「最悪の事態は覚悟した方がいいかもしれねえぜ」

「何縁起でもないこと言ってんのよ」

「酸素が無い可能性だってある。ドールならともかく、人間は酸素がなきゃ生きていけねえ。仮に酸素濃度がゼロだったら、どうなると思う?」

「どうなるって……いや、分からないよ。息が苦しいとかでしょ」

 アーシャは苛立って口を尖らせた。

「答えは、「二回呼吸しただけで死ぬ」だ」

 アーシャは顔を青ざめさせた。

「助けに行ってお前まで死んだら笑えねえぜ」

「お、お前まで、って!ユウはまだ生きてるでしょうが!」

 振り上げたアーシャの手を、ライゼがつかんだ。そして笑った。

「分かった分かった」

 アーシャがぐしゃぐしゃの顔を見せた。何笑ってんのよ、と言いたげだ。

「言ったろ。「ドールならともかく」ってな」

「えっ……」

 アーシャは驚いて声を詰まらせた。

「俺が助けに行く。だからお前はここで待ってる。いいな?」

 まるで妹に言い聞かせるようなライゼの言葉だ。普段ならむっとしていたかもしれないが、アーシャは素直にうなずいた。

「よし、いい子だ」

 などと、ライゼが余計な一言を言って頭を撫でようとしていたから、その手をひっぱたいた。

「い、いいから早く行け!」

 ライゼは「へいへい」と手をひらひらさせて入り口へ向かう。

「お、おい!だめだ坊主!」

 ウォートラムの言葉を背中に受けて、彼はぴたりと立ち止まった。

「あー」

 彼は面倒くさそうに唸って、

「急を要するから、いろいろ端折はしょるぜ?」

 振り返って親指で自分を指さした。

「俺はドールのライゼ。人間じゃねえし坊主でもねえ。だから大丈夫。以上」

 呆気に取られて何も言葉を返せないウォートラムたちを置いてけぼりにして、ライゼは地を蹴って坑道に潜っていった。

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