後編

 



〈――貴様の罪を世間に暴露してやる。神に仕える身でありながら、裏では悪どいことをしている。島の女たち全てにだ。

 聖書にない偽りの基督キリストの教えとやらを信徒に洗脳し、その淫行いんこうが当然の如くに罪とせずして、図々しく聖職の座に居座る貴様を許さない。

 無知なる貧しき者を食い物にして、色欲に浸る貴様の正体を世間に知らしめてやる。

 俺の女房は死んだ。貴様の子を流産した後に――〉


 そこまで読んで、私は愕然がくぜんとした。


 貴様の子? ……父の子ではなかったのか……。


 生前の母の境遇と正確な死因が分かった今、私の胸中に憎悪という感情が俄に芽生え、沸々ふつふつと煮えたぎっていた。


 母は、背徳という不義の子を宿し、挙げ句、流産の後に逝った。


 紛れもなく、相手は神父だ。


 母は、神父の巧みな言葉にだまされて、抱かれていたと言うのか?


 投函を躊躇ためらったと思われる、その手紙の末尾には、こうあった。

〈貴様の行為は神への冒涜ぼうとくだ。必ず天罰が下るだろう〉と。


 天罰は私が下す。



 十五年を経て、初めての帰郷だった。


 その道は記憶どおりにあった。


 左に菜の花畑、右に紺碧の海。小高い丘に続く一本道。そこから見える白い教会。


 信徒の振りをして教会に入った。


 年老いた島民が数人いるだけだった。


 パイプオルガンの音色と共に聖書を手にした神父が現れた。


 還暦かんれきは過ぎているだろうか。びんを白くした神父は、私を見て一瞬驚いた顔をした。


 父の話では、私は若い頃の母に似ているらしい。


 だが、すぐに、“どこかで見たことはあるが、はて、誰だったかな……”と言わんばかりに、思い出せない素振りで首を傾げた。


 つまり、弄んだのは母だけではない。だから、一人一人顔は覚えてないということを喋ったも同然。犬畜生にも劣る、野蛮で卑劣な男だ。


 私は、聖書を読む神父の顔を睥睨へいげいした。



 一人残ると、俯いてじーっとしていた。やがて、神父がやって来た。


「……どうされました。悩み事ですか?」


 おもむろに顔を上げると、神父は瞬きのない目を据えていた。


(顔を確かめているの? ね、神父さん。過去に知っている女を彷彿ほうふつとさせるこの顔を、まだ思い出せないの?)


「……はい」


「どんな悩みですか?」


「……髪が」


「……髪?」


「髪が絡んで、櫛が通らないんです」


「! …………ぁ」


 母を思い出したのか、神父のその目は鳩に豆鉄砲だった。


「安田驥一さんですよね?」


 私は腰を上げると、安田の前に立った。


「これ、ある人から預かりました」


 バッグから白い封筒を出すと、安田に突き付けた。


 安田はゆっくりと手を伸ばすと、封筒を摘まんだ。


「では、失礼します」


 私は吐き捨てると、背を向けた。


「サクさんのお嬢さんでしたか……」


 突然、安田が喋った。私は反射的に足を止めると、振り返った。


“サク”は母の名前だった。


「えー、そうよ。聖職という善人の仮面を被った小汚いあんたに弄ばれて、呆気なく死んだ、馬鹿な女の娘よ」


 バレたついでに開き直ると、安田に罵声を浴びせた。


「弄んだ? とんでもない。……愛してました」


「ふざけないでよ! 私まで騙すつもりなの?」


 怒りのあまり、体が震えた。


「ふざけてなんかない。……愛してはいけない人を愛してしまったという罪の意識で、何度死のうと思ったか。……しかし、カトリックでは自ら命を絶つことはゆるされない。堪え忍び、もう二度とサクさんに逢わないことを神に誓った。あなたのお母さんを愛した私は責められて当然です。

 しかし、弄んだなどというのは撤回してください。純粋な気持ちで、……愛してました」


 安田のその目は、明鏡止水めいきょうしすいのごとく、曇りがなかった。


(……父の手紙の内容は嘘だったの?)


「じゃ、どうして、私の顔を見てすぐに母の子だと分からなかったの? 愛していたんなら」


「娘さんは旅先で亡くなられたと、噂で聞いていたからです」


「……死んだ? 私が?」


「ええ。ですから、サクさんに似てるけど、娘さんではないと思いました」


 風聞は得てしてそういうものなのかも知れない。


 父は私を連れて一度として帰郷しなかった。なぜなのか……。母をうしなった地に戻りたくなかったからか……。


 私には分からない。唯一分かったのは、母に対する安田の気持ちだった。


 安田に書いた父の手紙は、母と関係を持った安田を強請ゆすりの材料にする心算だったに違いない。


 理由は、“安田への嫉妬”。


 母との関係をネタに金を要求するつもりでいたのだろう……。


 小心者の父があわれに思えた。


 愛する人を喪ったことで、安田は罪を償ったのかも知れない。


 帰り際、安田は、


「……お元気でよかった」


 そう、一言言った。そして、私に謝罪するかのように、深々と頭を下げて見送っていた。




 連絡船から振り返ると、段々畑に咲き乱れる菜の花の黄色が、青い空に鮮やかに映えていた。――あの時のように。




   完

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離島の因習 紫 李鳥 @shiritori

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